九番:二連

 五月四日の朝。真琴は買ったばかりの赤いパーカーとジーンズを着こなしながらも、汗だくで白いコンクリートの上を風紀委員会の担任と二人の生徒と走り回っていた。

 体力には自信があり、身のこなしも謙虚するほどのものでもない。それでも前を軽やかに突っ走る万桜の黒いポニーテールが遠ざかるのを、息を荒げながら見ているしかない。

 小柄な万桜がさらに前方で逃げ続ける生徒を機敏に追尾し、奇襲を仕掛けようと能力保有プレートを使いこなした生徒が見えない足場を踏み台に保護区の空を駆け上がる。


 まるで鞭のように鋭く振り下ろされた足は逃走犯の肩を抉り、動きが止まった背中を万桜が飛び蹴りでトドメを刺す。

 真琴の前を走っていた髪の量が心配になる生徒が、簡易手錠を転がって動かない少年の手首に装着させる。真琴が追い付いた頃には、背後から警察が迫る声。

 これが風紀委員会の仕事なのかと、GW中の体験学習で文字通り身を持って味わった真琴は、またもや後ろをついてくる覗見も気にしつつ大きな息を吐き出した。




 事の始まりは簡単だった。まずは万桜を目印に指定場所である西の商業街で合流、委員長である三年A組のナガラ・空海くうかいと、副委員長である二年B組のコゲツ・慎也しんやに紹介と挨拶。

 空海はよく言えば薄茶の髪が細い、悪く言えば風が吹けば散りそうな髪質の青年である。黒い目は垂れ下がり、穏やかな雰囲気に包まれていたが、走っている際に真琴は隠れ禿げを見つけている。

 逆に慎也という青年はきつい印象の吊り上がった黒目に、肩近くまで伸びた黒髪。空海の方が背は大きいのだが、足の長さが同じな上に慎也の方が鍛え上げられたしなやかさがあった。


 万桜は花粉の時期は終わったとマスクを意気揚々に取り外し、それでも白衣をスカートのように翻す腰巻スタイルは休日でも相変わらずだった。

 慎也や空海の服装は休日ということもあり、どちらもラフな私服だった。空海はポロシャツにズボン、慎也はアーミー系のパーカーとカーゴパンツである。

 風紀を守る委員会と聞いていたが、予想よりも細身の二人が上に立っているという事実に真琴が安心したのも束の間だった。


 近くの雑貨屋から出てきた店員が、万桜に耳打ちをした。万引き常習犯が棚を見て回っていると聞いた後、真琴以外の動きは素早かった。

 万桜は相手に気付かれないように出入り口傍に慎也と空海を待機させ、真琴にはなにも手出しせずに見守りながらついてくるように指示する。

 店内では慣れた様子で口が開いた鞄を持ち歩く少年が、電話をかけている店員を見て舌打ちしつつも商品一つを手に取って人目がない奥へと移動していく。


 空海は真剣な目で能力保有プレートを取り出し、小声で慎也に指示する。声も出さずに頷くだけで動き始めた慎也に驚いたのも真琴だけである。

 気配が途絶したように感じられなくなったのも理由の一つだが、それ以上に慎也の体から聞こえる音が消失したのだ。足音どころが、呼吸音も感じられない。

 真琴が横目で空海の能力保有プレートを眺めれば、銀色のプレートに白い文字で【音声奪取】と描かれていた。その間に怪しい挙動の少年は商品を会計せずに鞄の中に入れた。


 その瞬間を音も気配もなく近付いた慎也が電子学生証で写真を撮り、動かぬ証拠を保存する。それすらも音が失われていて、少年は店を出ようと振り向いた時に初めて慎也の存在に気付いた。

 慎也の顔に見覚えがあった少年は悲鳴を上げながら逃げ出す。わざと店外に出すことで言い訳できない状況を作り上げた後で、万桜と空海が間髪入れず追いかけていき、遅れて店から出てきた慎也もそれに続く。

 取り残されそうになった真琴だが、いつの間にか近付いてきた草むら柄の壁布を持った覗見に声をかけられ、慌てて追いかけたのである。


 人の群れで引き離そうとした万引き犯だが、慎也が真琴には見えない空中足場を作成し、人々の頭上を跳ぶように追いかける。

 万桜などは器用に小柄な体を活かして人の隙間を縫い、空海と真琴は声を出して通してもらいながら走り続けた。路地裏に逃げ込めば捕まるのは目に見えている。

 万引き犯は悪あがきに持っていた能力保有プレートを使って、空中にいた慎也に攻撃しようとした。しかし真琴が気付いた時には万引き犯の近くまで迫っており、能力保有プレートである【反撃先取】で顔を殴っていた。


 意識せずに能力を使ったことに真琴が気付く前に、万引き犯は顔を押さえながらも逃げ続けた。実流との決闘を知っているらしく、反撃野郎と捨て台詞のように吐かれた。

 その後も逃げ続けた犯人が疲弊する頃に慎也と万桜のコンビネーションが決まり、お縄についたのである。万桜が警察に事情を話す間、真琴は汗だくのまま空海に簡易手錠をかけられていた。


「……空海先輩、僕なにかしましたっけ?」

「無意識とはいえ能力保有プレートで人を傷つけただろう?学校外で攻撃目的の使用は許可がない限り原則禁止なんだ」


 少し困った笑みを浮かべる空海に対し、真琴は顔を青ざめて思い出す。慎也を攻撃しようとした万引き犯を殴った拳が痺れるように痛む。

 しかも空海は真琴の能力の使い方が無意識だと確実に見抜いていた。いまだ自分の能力保有プレートを使いこなせていない真琴にとっては知られたくなかったことである。


「万桜先生が反省文書く羽目になる。俺を助けようとした罰だと思うがいい」

「慎也は相変わらず喧嘩売るスタイルだなぁ。来年には僕がいないんだから、少しは大人になってくれないかな?」

「委員長こそ帽子かぶった方がよかろう。そよそよとした頭髪がちらついて煩わしい」

「蒸れるとさらに禿げるって言うじゃないかぁっ!?そういう時はまず目を潰す!!」


 温和な雰囲気から一転した空海は両手を蟹の鋏の形にし、迅速に気にしていることを口走った慎也の両眼を狙う。

 予想していた慎也は一瞬で両手を地面につけ、その反動で両足を振り上げる。伸びてきた空海の右腕を足で挟み込み、捩じる寸前で動きを止める。


「……ったく、慎也には敵わないよ。でも次に僕の頭髪について言及したら、決闘だからね!」

「望むところ!今年度初の決闘はどこかの一年坊が話題を掻っ攫ったが、あれは俺の遊びである!!」


 真琴だけが置いていかれた状況だが、慎也は身軽に逆立ちの姿勢から、腕の力だけで跳び上がって地面の上に立つ。プレートの能力ではなく、持ち前の運動神経だ。

 怒る空海の態度を喜ぶように受け止める慎也に、警察に写真を見せようと近づいてきた万桜が尻を蹴り上げる。蹴られた慎也が睨むが、万桜の言うことに素直に従って電子学生証を片手に警察へ近づく。


「あの問題児め。同学年じゃ挑む奴がおらぬからと言って、手当り次第に挑発するとは。同門として恥ずべきことだ」

「万桜先生、すみません……僕のせいで反省文書くとか…」

「安心するがいい、若人よ。去年は奴のせいで一晩に二十枚書いたのが最多記録だ。それに比べれば愛い物よ」


 背中越しに親指で慎也を指差す万桜。思い出す目が遠くを見るようにぼやけているので、真琴はそれ以上は尋ねなかった。


「しかし扱いこなせぬは忌々しき事態だ。ジョーからはピーキーと聞いていたが、これは吾輩が一肌脱ぐべきか」

「へっ!?」


 万桜は小柄な体で真琴の腕を抱きしめ、その体勢のままアミティエ学園がある方向へと歩いていく。空海が慎也の代わりに警察の調書に応じ、慎也は写真データだけを送信してその場を去る。

 いまだ簡易手錠で動きを制限されている真琴は為すがまま、万桜の柔らかいながらも女性らしい冷たい肌の感触になにも考えられなくなっていた。

 視界の端でやはりついてくる草むらの壁布を気にすることもできず、アミティエ学園の授業で使うための校庭まで連れていかれたのであった。




 鬼との戦闘をするための体力づくりのため、人工ゴムによる柔らかい地面が用意された校庭。土で汚れる心配はないが、痛みがなくなるわけではない。

 担任の権限で使用許可を貰った万桜の指導で、簡易手錠を外された真琴は武術の手合わせをしていた。組手だけではない、実践的な動きの中で万桜に明確な一撃を入れたら終了の簡易的な物。

 しかし言うほど簡単ではなかった。まずは体格の違い、次に経験の差。能力保有プレートを一切使用せずに万桜は真琴を翻弄し、突き込まれる攻撃を受け流し続けていた。


「やはり、フェイントに、ひっかかっておる。そんな、ことでは、吾輩には、勝てぬぞ!」


 真っ直ぐ放たれた拳を手の平で流し、真琴の懐に入ってから胸の上に反対の手の平を置く。真琴はそれだけで動きを止められてしまう。

 万桜の戦い方は肩などの付け根に近い部分、及び動きの視点となる腰や胸に手を置いて動きを止めてくる物だ。真琴にはそれが手加減されているとわかってしまう。

 もしも万桜から攻撃されたとするならば、わざわざ動きを止めずとも回し蹴り一発で昏倒させられる。それがわかるからこそ、真琴は困惑する。


「あ、あの……これに意味があるのでしょうか?」

「やはり気付かぬか。先程から吾輩はフェイントで攻撃する動作を入れておる。その全てに貴様は反応しているのだ!!」


 一喝の後に近付いた拳に対し、真琴は自分の拳を向けていた。プレートの【反撃先取】により、真琴の拳が万桜の腹に入る寸前。

 腰の動きだけで拳を避けた万桜が拳が握られた右腕を掴み、自分の背後へと受け流した。自分の勢いに押されて真琴は校庭の地面を転がる。

 良く晴れた青空が目に眩しく、それを覆うように覗き込む万桜の顔が視界に入る。一体なにが起きたかわからない真琴は呆然としたまま立ち上がらない。


「フェイントに反応していては、このように勢いを利用されるか、相手の思考に導かれて自滅するしか道はない。実際、あの決闘で貴様は反撃した後、反撃されただろう?」


 真琴は脳裏に蘇える戦いを思い出し、そういうことかと納得した。反撃を先取る能力で、何故実流は防いで反撃することができたか。

 無意識の内に攻撃自体ではなく、攻撃動作全てに反応していたのだ。そのため実流が仕掛けたフェイントに気付かず、反撃してしまい、さらに反撃された。

 意地で勝ちをもぎ取った結果だったが、もしも長引いていれば実流に軍配が上がったであろうことを万桜はあの時点で見抜いていたのだ。


「先程のもそうだ。お前は仲間が攻撃されそうになったのに反応して反撃したが、それが騙し手ならばどうする?」

「万桜先生、それはまだ仲間ではない。体験学習中の、同じ学校の一年坊主だ。大体、相手の能力も知らない内に挑む馬鹿は好きではない」

「同族嫌悪か?」

「俺は相手が誰であろうが勝つ。故に問題ない」


 拳を握って力説する慎也に万桜は深い溜息をつく。どこか似た雰囲気を持つ二人に、真琴は首を傾げた。

 そこへ警察の調書作りから解放された空海が校庭にやってくる。手に持っていた資料を万桜に渡し、地面に転がったままの真琴に手を伸ばす。

 真琴は空海の手を握って立ち上がる。土ではないので汚れてはいないが、埃を払うために手で服を叩く。すると静かに近付いてきた壁布に隠れたままの覗見がそれを手伝う。


「おい、そこの布。俺と手合わせしよう。さっきから動きを見るに、実力者と断定できる」


 歯を見せて笑う慎也の後ろ頭を持っていた資料で軽く叩く万桜。不満そうな目を向ける慎也だが、覗見に向かっている人差し指は降ろさない。

 真琴が覗見と慎也の顔を交互に見て慌てるが、空海は呆れたように肩を竦める。そして電子学生証の校則を検索機能を用いて読み上げる。


「風紀委員会内での非公式の手合わせは認めるが、それ以外には教師の許可が必要。だろう?」

「ならば問題ない。万桜先生、俺に許可を渡すが良い。さあ、今すぐに!」

「断る。休日に後始末の報告書を書くのは面倒だ。大体貴様と吾輩が同じ有栖流格闘術のよしみとはいえ、贔屓はせぬ」

「有栖流格闘術でござるかっ!?それはあの有名な……浮気男撃滅巨星脚という恐ろしい技がある……あの」


 いまいち凄いかどうかわからない覗見の説明に、真琴どころが慎也と万桜も言葉を失くす。

 指名されたことにより覗見はウエストポーチに壁布をしまう。その中を覗こうとした空海だが、見える前に閉じられてしまう。

 相変わらずサイズの大きな服を着ている覗見だったが、特に気にした様子もなく怯えた顔で慎也と万桜を見ている。


「長老様はあれこそが人生最大の苦痛と称し、今も消えた二つの黄金玉おうごんぎょくを探しているでござるよ……」

「味わったのか、あれを。しかしあれは秘伝中の秘伝故、そう易々と使える類ではない。俺はまだ修行中の身なれば、継承されておらぬし、する気もない」

「吾輩は使えるぞ。コツは抉り込むように埋め込むのだ。しかし使う機会などない。その長老とやらは若い頃は夜の暴れん坊将軍であったか」

「皆して和やかな言葉遣いでマイルドにしているけど、これって下ネタ会話だよね?風紀委員会という名目があるので、これ以上は止めようよ」


 下ネタの意味がわからない真琴は目を丸くして黙って話を聞いていたが、空海は無意識に内股になっている。

 覗見は小さい頃に嫌になるほど聞かされたのか、体を大きく震わせている。慎也も眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。


「ま、それはそれとして。先程の輩は警察の申し出により退学処分が決定した。もちろん能力保有プレートは没収。吾輩は手続きをしに、ここで失礼する」


 男の苦痛を知らぬ存ぜぬの万桜は平然とした顔で簡潔な報告を残し、足早に校庭から去る。慎也は一気に不機嫌な顔になるが、文句は言わない。

 いまだにまともな説明を受けていない真琴に、空海は少し困った笑みを浮かべながらも優しい声音で話しかける。


「さっきのは我が校の生徒。二年になったあたりから、何度も万引きで摘発していて……反省の色なし、ということで退学処分になったんだ」

「そうなんですが……でもなんで万引きなんか。お金がないとか、ですか?」

「それだったら能力保有プレートを売ればいい。結構いいプレートを持っていたみたいだからね。でも彼はストレスによる憂さ晴らしが目的だったみたい」

「最初の頃は俺達に何度も反省していると謝ったが、今では開き直った馬鹿だ。情状酌量の余地なし」


 プレートを売ればいいというところで覗見の肩が跳ねたことに、真琴は気付いていた。しかし今すぐ追及しても、またもや逃げられるかもしれない。

 なにより風紀委員会について聞きたいことがあった。そのために真琴は空海の話に耳を傾ける。慎也はつまらなさそうに真琴を眺めている。


「風紀委員会の活動の大半はこんなものさ。多分人間の嫌な部分とかを見て、そういうのを力尽くで止めるか捕まえる。やりがいがありすぎて、毎年途中で別の委員会に移る子もいるくらいだ」

「しかし委員長のように万桜先生に認められたが故に活躍する者もいる。委員長の能力は音もなく近付くには便利であり、相手が暴れる音や声も奪える類だ」

「うん、まあ……そのせいで慎也が委員会に入った後、コンビ組まされやすくなって困ってるんだけどね。でも慎也は強いよ。多分純粋な格闘なら僕より上だし、プレートの能力も相性抜群だから」

「そういえば慎也先輩は空中に見えない足場のような物を踏んで移動していたような気がします。そういう能力なのでしょうか?」


 真琴の言葉に慎也は無言のまま答えない。それを肯定であるとわからない真琴が困惑するが、空海が正解だと頷いている。

 慎也はポケットから自分の能力保有プレートを取り出す。銀色のプレートに白い文字で【空中足場】と、そのままの内容を表わしていた。

 思わず覗見が吹き出すように笑うが、慎也の一睨みですぐさま真顔になる。真琴は自分の読みが当たったことに少しだけ嬉しくなっていた。


「代わりに休日の巡回中に特例で、罪を犯したと確定した相手を攻撃して捕まえられる。風紀委員同士なら手合わせという対人訓練も許可されるんだ」

「決闘とは違うんですか?」

「最大の違いは生徒同士の合意だけで戦えること。もちろん再起不能とかにしたら反省文だよ……うーん、あとは六月の予算会議が一応活躍の場かな?」


 少し悩んだ後に呟かれた単語、予算会議。各委員会で予算を分け合う会議だということは、真琴にも理解できた。

 そんな行事がどうして活躍の場なのかと疑問に思う真琴に、空海は虚ろな目で去年のことを思い出しつつ、生徒間で伝わる別称を口にする。


「なにせ地獄の亡者会だからね、あれは」


 どうしてそうなった。真琴は喉の奥から弾丸の如く飛び出そうになった言葉を慌てて呑み込んだ。

 その後軽い説明を受け続けた真琴は、何度か横目で覗見がまだ横にいることを確認する。電子学生証にインストールしたゲームアプリで遊んでいるようだ。

 関わった方が吉なのか、関わらない方が不幸にならないのか。どうすれば話を続けられるのか、真琴は迷った挙句に空海に話しかけることで疑問を解消しようとする。


「空海先輩!先輩には友達がいますか?」

「え?なんだい急に!?うーん、A組の柳生は苦手だけど、委員会として生徒会長とは話さなきゃいけないし、武蔵や諭吉は見ていて面白いけど……十文字は形式が似ている委員会同士でつい……」

「し、慎也先輩は?」

「いらぬ」


 悩む空海とは対照的に慎也の解答は三文字で終わる。それにもめげずに真琴は流れの勢いで覗見の方へ振り向いた。

 その時には既に覗見の姿は消えていた。まさに一瞬の出来事であり、またもや失敗したと真琴はその場で落ち込んだが、空海は悩み続ける。


「鈴木、うん彼なら薄い同士で色々と共通項が……って、僕の髪は薄くない!!!!」


 納得しつつも自分の言葉にいきなり怒り出す空海。それを墓穴だと指摘してくれる人物はいなかった。




 五月五日の夕方。こうなれば矢吹に焼肉屋で相談しようと真琴は心に決めた。教師が集まるせいか、覗見はついてきていない。

 臭いがついてもいいように、黒いシャツに洗濯機で洗えるジャケット、そしてジーンズというラフな格好で真琴は矢吹が指定した焼肉屋へ向かった。

 しかし着いた途端に矢吹が必死の形相で真琴を別の店に行けと電子学生証に他の焼肉屋を表示させ、聞こえてくる馬鹿笑いは気にしないようにと念を押す。


 矢吹の体越しに店内を覗けば、酒に酔った大人達の阿鼻叫喚が待っていた。真琴は即座に踵を返し、矢吹が指定した焼肉屋へ走った。

 事前に矢吹が連絡を入れていたらしく、店員は真琴と矢吹の名前を聞いて即座に指定席に案内してくれた。遅れること一時間、疲れ切った矢吹が店内へ入ってきた。

 ウーロン茶とサービスの漬物で時間を潰していた真琴は安心したが、矢吹はもう肉も酒もいらないと言って、真琴に好きなメニューを頼めと告げた。


「じゃあこのオススメディナーコースで」

「うう、さり気なく安いのを頼んでくれて感謝だ、真琴。本当にもう……源内先生はエレキテルパワーとか言ってビールに電流宿すし、桐生先生は数字の美学に酔うしで……大変だった」


 テーブルに頭預けている矢吹も十分に酒臭いため、飲まされまくったことは赤い耳を見ても明白だった。

 真琴はとりあえず曖昧な返事をしつつ、矢吹に水や漬物をお勧めする。特に茄子の味噌漬けが絶品だと、箸を渡す。

 店員が届けれてくれた肉皿と丼のご飯に喜びつつ、真琴は自分で肉を焼きながら矢吹に尋ねていく。


「先生、覗見について全くわかりません。あの、本当に少しでもいいので、ヒントをください」

「あいつか。あれはなぁ……」

「先生?」


 言葉が途中で消えてしまった矢吹に問いかければ、相当疲れていたのか寝てしまっている。

 本当は風紀委員会に所属することを決めたとかも相談したかったのだが、先程の珍しい愚痴を聞いてしまうと起こすのも申し訳ない。

 真琴はとりあえず黙々と食べ続ける。牛肉だけでなく豚肉も入ったディナーコースは真琴にとって御馳走だった。


「GWも明日までかぁ……短かったなぁ」


 三日間の出来事を思い出しながら真琴は呟く。宿題は昨日の夜と今日の朝昼に集中してやったため、明日は存分に遊べる。

 五月六日は遮音と前から約束していたハンバーガーの日である。そしてそれにも覗見が付いてくるのはここ数日で見当がついていた。


「……あ、そうだメール。小毬ちゃんへの返事書かなきゃ」


 思い出しように真琴は電子学生証をポケットから取り出し、ささやかな受け答えで続けているメール交換を行う。

 もちろん肉を焼き終わり、箸を置いてから操作する。それでも食事の席でこういった行為は真琴の常識からすると敬遠したいことである。

 それでも小毬との淡いメール交換は真琴の密かな癒しになっていた。大体はこんにちはから始まり、終わりにはまた明日と告げるのだ。


 今日来ていたメールには、病院内では子供の日ということで特別なレクリエーションがあって楽しかったということ。

 小毬も体を派手に動かさないゲームに参加し、いい成績を残したのでお菓子の詰め合わせを貰ったらしい。真琴は良かったねと返事する。

 そして自分の今日のことについても書き、時間帯からして小毬は返信できないと思い、また明日と返す。毎日続くメールは楽しかった。


「……遮音に試しに尋ねてみよう」


 本当は明日会う約束があるが、どうしても覗見のことが気になってしまう真琴は、どうすればいいのかと送信する。

 数分後に返ってきたメールは遮音らしく素っ気ない返事であり、それでも真琴が初めて見る内容が書かれていた。


 知らん。だがラクルイ・波戸のプレートは落札され、行方知らずだそうだ。


 オークションで売り払われた能力保有プレートは、後々学園側が回収する手筈となっている。もちろん買った相手に保証を与える。

 だからこそ行方知らずになるということは基本あり得ない。真琴は重ねるように疑問を文字にしてメールとして送信、次はすぐに返って来た。


 聞きたければ明日、あのオタクに聞け。


 遮音が指すオタクは、自らをオタク忍者と名乗った覗見しかいない。そして覗見はラクルイ・波戸の友人であった。

 なにが起きているのかわからない真琴は、この問題をGW最後まで引っ張るのかと、少し疲れた気持ちで項垂れるのであった。

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