八番:三日

 五月三日、朝七時半。健やかに目が覚めた真琴は寮の食堂へ向かう。

 朝と晩は寮側がご飯を用意してくれるシステムになっており、機械の手ではなく雇われのおばちゃん達手作りである。

 寮母であるハトムネ・花子が縦模様の入ったセーターとジーンズにエプロン姿で走り回っている。化粧の少ない顔ながら、口元にある黒子が色っぽい。寮に住む生徒達には一部熱烈なファンがいる。


 柔和な笑みで食事プレートを渡す花子に礼を言い、真琴は誰もいない席を選ぶ。食堂は好きな場所に座ることが可能で、混雑時でも全員が座れるように配慮されている。

 今日は休日であるため疎らな様子の食堂に一息つき、静かに野菜と雑穀中心の食事を進める。周囲を知らない人に囲まれるのも辛いが、話したくない知人が横に座るのも相容れない。

 真琴もつい最近知ったことだが、アミティエ学園の寮は三つある。それぞれ学年ごとに振り分けられ、三年が卒業すれば次の一年が入るシステムとなっている。


 しかしB1保護区内に家を持つ者や知り合いの家に居候している者は違う。遮音は保護区内にある恩人の家に住んでいるらしく、寮で会ったことがない。

 実流とは何度か顔を合わせたが、お互いに出会うなり一触即発の空気に高めてしまうので、なるべく会わないように配慮しているほどだ。もちろん一緒に食事したこともない。

 真琴は溜息をつく。命を賭けるに値する友情を探しに来たというのに、友情の正体が掴めなくなる。鬼と戦う前に、人間相手に追い詰められてしまう。


 まだ精進が足りないと思うと同時に、どうして覗見は自分の背後で相変わらず隠れる気が感じられない草むらの壁布で姿を隠しているのか、理解不能だった。

 綺麗な箸使いと作法で米一粒残さずに完食した真琴は立ち上がる。仕立ての良いジャケットとスラックスにシャツは、生まれの良さを示していた。

 しかし周囲の服装を見れば同級生はもっとラフで自由な色の格好である。今日の古寺との買い物で服を身立てて貰おうかと考え、真琴は食事を作ってくれたおばちゃん達に礼を言い、外出する。




 イケブクロシティは五つのエリアに区分することができる。その中でも商店が並ぶのが西エリア。目印となる人魚像の前で立っている古寺と颯天に真琴は声をかける。

 古寺は制服すらも着崩していたが、休日の格好はそれよりも崩れている。山吹色の羽織に伸びきったシャツとズボン、やはり靴は草履である。

 横に立つ颯天も灰色パーカーに迷彩柄のカーゴパンツにスポーツシューズだ。これが学生らしい私服かと真琴が勝手に衝撃を受ける。


「うわ、まこ坊気合入った私服やんなぁ!?なんやなんや、先輩との買い物に気合入れてるんかい?それとも先輩の紹介で女の子の出会い希望かいな?」

「え、いや、その……室内着の和服以外の服はこれくらいしかなくて……」

「そういえばスメラギ家の一人息子か。じゃあまずは古寺の用事を済ませ、その後スメラギの服でも見繕うか?古着屋ならば良い所を知っている」

「せやな。そんじゃあまこ坊、そのハニーフェイスを生かして頼みたいことがあるんやけど、よろしゅうな!」


 そう言って颯天と古寺は歩きだしてしまう。せめて背後で相変わらず隠れ続けているつもりの覗見に一言欲しかったが、機会を逃してしまう。

 真琴は慌てて二人の背中を追いかけつつ、何度か目になる西エリアの商店を眺める。中央にアミティエ学園があるため、中央寄りの場所は洋服屋や雑貨屋が多い。

 ファストフード店の看板を見て、真琴は遮音との約束を思い出す。四日間の休み、その全てに予定が入っているため楽しみは尽きない。


「ここや、ここ!いやー、これはワイらが入るにはハードル高くてなぁ!」

「え、どんな、ば、しょ……」


 真琴の声が少しずつか細くなって消えた。白と桃色を基調とし、至る所にハートマークと星が乱舞している可愛い外装の店である。

 中には女性の姿しか見えず、男と言っても母親に連れられた幼稚園くらいの男の子が暇そうに欠伸しているだけだ。真琴がぎこちなく首を動かす。


「目標はキモコワマスコットであるニャガミさんの恋人担当であるニャグミちゃんと、大人気定番のニャルカさんとピーくんセットのぬいぐるみや!」

「無理です、無茶です、無謀です!!!!だって、なんというか、僕が入った瞬間に視線が集まるのは確実ですし、誰か知り合いに見られたら……」

「安心せい。颯天も一緒に犠牲になるわ。ああ見えて颯天も可愛い物好きやねん、ほら見てみい……ショーウインドウに飾られた子犬のぬいぐるみを必死に眺めている颯天を」


 古寺によくわからない慰めと指摘を受け、真琴は颯天を見つめる。必死に眺めている、というよりは凝視している。前髪の隙間からわずかに覗く目は血走っていて怖い。

 うっかり近くを通りかかった幼女に泣かれるほどなので、不審人物である。細長い体と照れを隠すあまり強面になった顔のせいで恐怖が三割増しである。

 しかし微笑むのを我慢しているのか、口の端が引くついている。うっかりはしゃがないように黙っているのも、逆効果になっていた。


「じゃ、言い方変えるわ。颯天に付き合ってくれへんか?ついでにワイの買い物してくれると助かるんや。なんなら好きなぬいぐるみ一つ買うていいで」

「……わかりました。えっと、颯天先輩……行きましょう」


 真琴がおそるおそる声をかければ、必死に下唇を噛みつつ我慢しているが嬉しさの気配が隠せない颯天が振り向く。しかし顔が怖い。

 店の外で待っていると言って二人を見送った古寺。さり気なく壁布を纏ったまま追いかけようとした覗見を止めたのは、混雑している店内で騒ぎになると大変だからという配慮からだ。

 外装よりはシックな内装の店内に緊張しながら入る真琴。育ちの良さが体全体から滲み出ているため、妹さんか彼女へのプレゼント探しに頑張っているのかしらと温かい視線を女性から向けられている。


 ふわふわきらきら、という効果音が付きそうなぬいぐるみの集合に見えない部分が削られている気分の真琴は、近くにあった人気商品に目を向ける。

 キモコワマスコットのニャガミさん。説明プレートには、人の脳髄を啜るためにコサック帽子になった猫であり、暗闇では目が光るらしい。人気とはなにかと真琴は悩みそうになる。

 ニャガミさんのガールフレンドであるニャグミちゃんは、グミの姿になった猫であり、人の体内に入り込んで寄生するらしい。どうしてコサック帽子とグミが恋人になるのか、真琴は理解を放棄した。


 しかし颯天に頼まれたぬいぐるみであるため、チョコレート型の買い物籠にニャグミちゃんを入れる。必死に頭の中で頼まれ物ですと言い訳のように並べる。

 次にショコラ色の棚に飾られた二又の尾を持つ黒猫のニャルカさんに目を向ける。こちらは路地裏ニャルカさんという作品のキャラクターらしく、野性的ながら愛らしい外見だ。

 ヒヨコのピーくんと並んでいるぬいぐるみを手にして、買い物籠に入れる。路地裏ニャルカさんには多くのキャラクターがいるらしく、パンダ商人や赤狐フォクサさんもいるらしい。


 真琴は路地裏ニャルカさんに出てくるキャラクターの中で、一匹可愛いと思ったキャラクターに目が向く。怒ると餅のように膨らむ豆柴の犬。

 桃色の頬に真っ白な体はぷっくりと膨らんでいる。お腹を保護する腹巻が絶妙にダサいせいか、可愛さが増していると判断して、静かに籠に入れる。

 これでいいだろうと颯天の方に振り向いた真琴は、両手にぬいぐるみを掴んでふやけた笑みを零している先輩を見なかったことにして会計へと向かう。


 愛嬌の良い女性店員にプレゼント包装しますかと尋ねられ、古寺に頼まれた分をお願いしますと告げ、少しの間店内で待つことに。

 滅多に入らない上、少し慣れたため店内を見回る真琴。緩んだ顔で嬉しそうにぬいぐるみを見ている颯天は視界に入れないように努める。

 しかし混雑していたため、人にぶつかってしまう。謝ろうと声をかけた矢先、その顔と意外性に一瞬言葉に詰まる。相手も同じらしく、顔を青ざめている。


「……し、紫音もニャルカさん好きなの?」

「忘れろ」


 手にしていたぬいぐるみを綿が出そうなほど握りしめる紫音から殺気を感じ、真琴は慌てて視線を彼方に向ける。その先に笑顔のまま固まっている颯天。

 紫音も颯天の存在に気付いたらしく、顔を合わせないように体勢を変えている。予想外の二人に挟まれた真琴は一人慌てて、どうしようかと思いながら紫音の服を眺める。

 黒のタンクトップにカーゴジャケット、動きやすさとオシャレを追求したジャージに、少し汚れたシューズ。背中にはスポーツバックを背負っており、長い髪をポニーテールにしている。


 長い髪のせいで後ろ姿だけなら一瞬女性と間違えそうになるが、双子の遮音と違って鍛えられた肉体が偽装することを許さないようである。

 手には買い物メモらしき物が握られており、カレーの材料と限定ニャルカさんぬいぐるみと達筆で書かれている。良い墨を使っているらしく、ほのかに上品な香りが文字から立ち上る。

 紫音のイメージとはずれるメモと字に違和感を覚えつつも、真琴は店員から渡されたラッピング袋を片手に急いで店から逃げ出した。




 顔を真っ赤にして出れば、ショーウインドウから全てが見えていた古寺は爆笑しすぎて声も出なくなっていた。腹筋が痛いらしく、脇腹を抱えている。

 真琴が出たのを確認した颯天は早足で店内から出て、即座に涙すらも零し始めた古寺の首に腕を回して絞める。手加減はしているため、周囲からは男のじゃれ合いと見られている。


「あいだたたたたた!なんやねん、可愛いぬいぐるみに囲まれて御満悦だったやないけぇ!!」

「それを見て笑うのは人間性を疑うぞ、この野郎!べ、別にふわふわもこもこに癒されてたわけじゃない!」


 二人が口喧嘩している間に周囲を見回す真琴だが、いると思っていた覗見の姿、というよりは壁布が見当たらない。試しに地面も見るが、やはり不審な布は見当たらない。

 傍にいる間は微妙な気持ちだったが、実際離れていくのを確認すると何故か寂しい気持ちになる。どうしてだろうかと悩む真琴に、古寺が明るく声をかける。


「あ、覗見ならときキスのフィギュア特別販売会があると教えたら、そっち行ったわ」


 やはり寂しさを覚えたのは間違いだったと、真琴は涙目になりそうなのを必死に堪えながら思い直す。優先順位がフィギュア以下であるという事実は意味もなく傷ついた。

 颯天がしっかり買った小さなビニール袋に入ったぬいぐるみをポケットに入れつつ、近くの店でご飯を食べようと提案する。首が痛い古寺は気が抜けた返事をする。

 またもや先を歩く二人の背中を追いかける真琴は、疲れた様子で店内から出て別方向へ向かう紫音に気付かなかった。


 立ち食い蕎麦の店がいいと古寺が率先して店内に入り、颯天と真琴はそれについていく。古寺は天麩羅うどん、颯天は盛り蕎麦、真琴はとろろ蕎麦を頼む。

 囲炉裏を思わせる色合いの店内に真琴は興味深そうに目を動かす。その間に古寺は電子学生証でメールをし、真琴に電子学生証の買い物履歴を表示するように告げる。

 真琴は素直に先程の店で買い物した履歴を、操作に苦心しながらも表示する。一定の手順を踏むと、相手に領収書データとして送れると説明し、古寺の電子学生証に送信するように颯天が教える。


 届いた領収書データを確認して、古寺は自分の口座からデータ分の金額を真琴の口座に送信する。初めて見る金銭の受け渡し方法に真琴は目を丸くする。

 このデータさえあれば奢りや金銭の受け渡しが履歴に残るため、無駄がないと言える。詐欺で使われても、データという証拠が法廷で強く味方する手段でもある。

 古寺の情報販売などは自作領収書アプリという物を使って行っている。情報にあらかじめ価値をつけ、その個数をアプリが勝手に計算しデータ化してくれる仕組みだ。


「それにしてもまこ坊、ほんまにありがとうな。ウチの妹に似合うの探すの難しくてなぁ」

「古寺先輩の妹……ですか?やはりその方言使う感じの明るい子ですか?」

「天使や」

「はい?」


 いきなり真面目な顔で告げられた単語に、真琴は理解が追い付かなかった。颯天が溜息をつき、店主が三人に注文品を差し出す。

 使い捨ての割り箸という大戦前に流通していた物はない。全て使い回しで洗う食器であり、箸筒に入っている物も木製だが洗える類の物だ。

 大量に乗ったとろろに歓喜しつつ、真琴は天麩羅から食べ始めている古寺にどういうことだと視線だけを向ける。


「妹な、小毬こまりっちゅー名前なんやけど……まじ天使。ワイの癒し。せやから喜ばせたいんやけど、あの店は難関だったわ」

「ちなみに古寺のこの口調は電子書籍から得た似非知識だ。そして妹は古寺に似なくて良かったというレベルの可愛さだ」

「ほんま、それ。だってあれやん、ワイに似てる妹なんて……絶対可愛くないやん!断言できるわー」

「はぁ……古寺先輩はお父さん似とかそういうのですか?」


 真琴は自分の両親を知らないが、外見は父親に似て良かったと育ての親である叔父に心底喜ばれていた。だから子供は両親に似るというのは理解している。

 そこで試しに古寺に気軽に尋ねてみたが、古寺がいつもの気さくな様子が掻き消えて、冷たい目だけが真琴を映し出す。その黄色に近い橙色の瞳が一気に温度を失くす。

 笑顔もないまま無表情の能面に近い顔をしている古寺の隙を突き、颯天が天麩羅を奪おうと箸を伸ばす。それはしっかりと阻止する古寺。


「ちっ、芋天くらい渡してくれてもいいじゃないか。そう思うだろう、スメラギ」

「え、あ、はい……」

「……駄目に決まっとるやろうが、まこ坊!颯天の言葉に流されちゃアカンよ!ウチ心配だわー」


 颯天のわざとらしい問いかけに乗っかった真琴。それに続くようにいつも通りの明るい様子になる古寺に安堵した。

 寸劇のように颯天と会話する古寺を横目で眺めつつ、触れてはいけない話題だったかと蕎麦を食べながら考える。担任である矢吹と会話した時も違和感はあった。

 ヤガン商事。古寺と同じ苗字を持つ会社だが、矢吹曰く関係はないらしいということ。ただし古寺の自己申告であるため、真偽は定かではない。


「そんなことより、この後はまこ坊の私服や、私服!でもワイ的に半纏最強説を推したいところなんやけど」

「阿保言うな。スメラギの容姿なら大体の物は似合うだろうが、今みたいなきっちりした服は堅苦しい。もっと気軽に使い古せる物を選ぶぞ」

「は、はい。ぜひアドバイスお願いします!!」


 覚えた違和感を振り払い、真琴は今まで着たことがないであろう服への期待で胸を高鳴らせた。




 颯天が案内した古着屋は様々な服が並べてあり、中には一回しか着なかったのではないかと疑うほど真新しい服も置いてある。

 どんなに資源が貴重になっても無駄遣いする人間は減らないらしい、と皮肉な言い方をする颯天は天然毛皮のコートを見て悲しそうにしている。

 古寺は一番安くて良い品を見つけると張り切っており、子供の服を身立てる母親のようにあれこれと真琴にハンガーごと渡してくる勢いだ。


「まこ坊は全体的に整っているせいか、突出した分がなくてなんでも似合うなぁ。ワイなんかなに着ても胡散臭い言われるんやから、羨ましい限りや」

「あ、でも、その……これだという物がなくて、和服が一番落ち着きます。背筋が伸びる気持ちが味わえますから」

「背筋や体幹も良さそうやなぁ。これが育ちと言うんやねぇ……せやろ、覗見」


 言いながら近くのハンガーラックに吊るされていた大きめの布に隠れていた覗見に声をかける古寺。気付いていなかった真琴は驚きで肩を尖らせた。

 全く気配を感じられなかったが、古寺はあっさりと看破した上に布をめくってその姿を晒した。覗見も休日であるため私服姿だ。

 白いニット帽にカーキ色のヘッドフォンは変わらず、袖余りの白カーティガンに赤シャツ、明らかにサイズが違うジーンズのズボンも裾を捲くっている。


「なんやねん、そのサイズ違いの服。この際一緒に服を見繕ってもいいんやで?」

「心配御無用でござる。これは尊敬する兄者から譲り受けた大切な服でござる。拙者はこれで満足で候」

「覗見も兄弟いるんだ。いいなぁ……」

「あ、いや、その……血は繋がっていないでござる。同じ里の、同じ修行を受けた、同門の兄弟子のようなものでござる」


 周囲の人間関係に兄弟がいることを羨ましがる一人っ子の真琴に対し、覗見は誤解を与えないように簡略的な説明をする。

 しかし保護区ではなく里という言い方に真琴は首を傾げる。まるで野山で育った人間のような言い方で、覗見も言葉にしてから気付く。


「せ、拙者の育て親が保護区をそう呼んでいたせいで移ってしまったでござるよ!あ、あは、あはははは」

「そうなんだ。でも覗見って忍者とか名乗ってたし、忍者の里出身とか言われても納得できそう」

「どっきんぐ!!あ、いや、その……しからば御免っ!!」


 話に合わせたつもりがまたもや俊敏に逃げられた真琴は、今のどこに問題があったのかと一人で焦る。全くそれらに興味がない古寺は次の服を真琴に勧める。

 少し派手な赤い色のパーカーだったが、真琴の赤い目と併せることでよく馴染んだ。値段も手頃であったため、真琴は戸惑いつつも頷く。

 他の服を見繕う古寺。情報を売る彼ならば覗見の奇行について原因を知っているのではないかと、真琴は試しに尋ねることにした。


「覗見はどうして僕の傍に現れるんでしょうか?しかもいつも逃げてしまうし……隠れるし……全くわからないです」

「……うーん、まこ坊。それは情報として欲しいんか?それとも近付いて理解するために欲しいんか?」

「どう違うんですか?ま、まさかお金が必要なあれとかじゃあ……」

「情報として欲しいんならな。せやけどワイが情報を売るのは、一過性だからや。本当に相手を知りたい言うんなら、自分で手に入れんとアカンよ」


 諭すように古寺は静かな声で真琴に教える。決闘が始まる際に売る情報は決まっている。どんな能力保有プレートを持ち、どんな性格で、どんな行動を優先するか。

 買う相手はその一試合で活用するためだけに情報を手に入れる。決して後には引きずらない。プライバシーの侵害にもならない、後腐れもない商売だ。

 しかし真琴が望むのはそういった物ではない。もっと奥深くまで手を伸ばすような、純粋なほど強欲な相手への興味。金で解決できるような物ではない。


「言っとくけど、覗見の隠れ方はわざとや。まこ坊が気付くようにあえて場違いな布を選んでいる。しかも布裏は緊張で汗だらけ、ほんま爆笑もんやで」

「え、えええええええええええ!?意図して、あれって……ますます意味がわかりません!だって隠れるための布で、むしろ見てほしいって……」

「まこ坊がはまってるラノベ風に言えば、ツンデレに近いかもしれんなぁ。行動と本心が合わない、それに本人も気付いていながら直せない……難しいなぁ」

「ツ、ンデレ……?行動と、本心が合わない……?」


 古寺の苦笑気味に伝えられた例えに困惑する真琴は、覗見の行動を思い出す。明らかに所在がばれる壁の布を使い、真琴の後をついてくる。

 話している内にいきなり逃げ出す。壁布を使っている間は話しかけられることもない。いつも誰かが真琴の代わりに声をかけてくれるが、真琴自身から声をかけたことがない。

 真琴にとってどうすればいいかわからない相手だ。いつも壁布で姿を隠し、悪い奴でもない。しかし理解する前に姿を消してしまう。


「でもまこ坊なら、答えに近付く方法を知っとるはずや。それがとんでもない阿呆な方法でも、言葉よりも雄弁に語る方法を、な」


 そう言って古寺は荒々しく真琴の頭を撫でる。乱れた黒髪を直しつつ、そんな方法があったかと真琴は考え込む。

 言葉以上に雄弁に。頭を掠めたのは実流の顔である。決闘後になってからは、どこか憎めない相手になっている。嫌いなことに変わりはないが。

 お互いに血だらけで、疲労を押し殺して、ただ殴り合った時間が感情を塗り替えてしまう衝撃と共に記憶として蘇える。


「楽しみにしてるで、まこ坊。あの大勝利以来、こう見えてファンなんやで?おかしいやろ?」


 自分で言ってて照れくさくなった古寺は鼻の頭を掻き、誤魔化すように他の服を掴んでは真琴に見せつける。

 そこへ他の服を掴んだ颯天が、たまには違う趣向の服を試してみるのもいい、と派手にダメージ加工がされた革ジャケットを押し付けてくる。

 二人の服選びは古寺の電子学生証に入った連絡により途切れ、真琴は赤パーカーを含めた数点を会計してから古寺の誘いにより、病院へと向かう。


 イケブクロシティの移動は基本は徒歩であり、地上を電気エネルギーで動くバス、地下を電車が走り回っている。

 病院は各エリアに大小様々ながら、存在している。古寺達が向かう病院はアミティエ学園からも近い、中央総合病院である。

 バスに乗って移動するため、バス停で立ちながら待つ間に古寺が昔話するように小さな声で話していく。


「小毬なぁ、赤風病とかいう厄介なもんに罹ってん。ちょい運動すると、一気に限界温度超えるくらいの熱が発生するんや。それ以外は健康なんやけど、入院しとる」

「……だからぬいぐるみをプレゼントするんですね。特効薬はないんですか?」

「今はまだな……せやけど、来年の二月くらいには流通するらしいんや。だからあと少しの辛抱なんや、ほんま……長かったなぁ」


 長いと呟いた古寺の目が虚ろになる。それは立ち食い蕎麦屋で見た冷たい瞳に似ていた。言い知れない不安から、真琴はどう返していいかわからなくなる。


「何処の誰かは知らんけど、数年前にいきなり研究が始まってな……それまでは不治の病とか言うて、誰も治す気あらへんかった。ほんま顔も知らんけど、感謝しとる」

「そんな病気があったんですね。知りませんでした……早く治って、兄妹仲良く暮らせると良いですね!僕、応援します!」

「っ、聞いたか颯天!ほんま、まこ坊のこの純白オーラは眩しいわぁ!スメラギ家の長男やし、小毬に会わせても安全牌として完璧な純朴少年や!!」

「俺はお前のそういう打算的なところが嫌いだ。スメラギ、こいつはな妹を守るためとか言って、同じ学校の奴らに絶対会わせない、見せない、と徹底しているシスコンだ」

「男子校の男なんか全員ケダモノやぁ!!信じられへんわ、阿保!大体従妹の可愛い女の子にお兄ちゃんと呼ばせてる颯天の方が、っだったたたたたたた!!!!」


 ヒートアップして言わなくてもいいことを言い始めた古寺の頬を抓る颯天。仲の良さそうな二人の様子に、真琴は心底羨ましがる。

 もしかして友情に関して二人の先輩を見ていれば参考になるのではないかと考えていた矢先、バスが到着して三人に向かって扉を開け放つ。

 古寺と颯天は慣れたように、真琴は少し戸惑いつつも電子学生証を使って乗り込む。動き出したバスは排気音も少ないまま、中央総合病院へ向かう。


「でも本当に長かったな。昔、お前と出会ったのが昨日のことのようだ。相変わらず腹立つ奴なのは変わらないが」

「颯天だって変わらへんやん。なにかあれば力技やし、言いたいことはすぐ口にするし、ジジコンやないかい」

「爺様は素晴らしい御人だ。お前も世話になってるからわかるだろう。爺様がいなければ……今みたいな生活は送れなかったさ」

「せやなぁ……っと、悪いな、まこ坊。つい昔話で置いてけぼりにしてもうた。ま、あれやな。今が一番や」


 笑う古寺につられて真琴も笑顔になるが、頭の中で覗見の壁布を思い出す。どこか区切られているような、一線を引かれた感覚。

 少しだけ古寺のことがわかった真琴は、昔話はしない方がいいと判断する。そこに触れていいのは、いつも一緒にいる颯天だけのようだ。

 人間関係の難しさに少しだけ頭が痛くなる真琴だが、バスは規則正しく中央総合病院に辿り着く。降りてすぐに古寺は病院の中庭に向かう。


 人工芝が植えられた中庭には多くの患者と看護師が自然を堪能するように歩いていた。その中で車椅子に乗った少女が笑顔で古寺に手を振る。

 肩で切り揃えられた黒髪に、桃色の瞳が愛らしさを増幅している。肌が白いせいか、明るい色のパジャマを着ていても儚げな印象が拭えない少女だ。

 膝にはニャガミさんの絵がプリントされた膝掛をしており、歳は真琴よりも少し下の中学生くらいだと目測で判断する。


「小毬!!元気やったかぁ!?三日も会えず、兄ちゃんは寂しかっぶべぇ!!?」


 大はしゃぎで駆け寄った古寺の腹に蹴りを入れたのは、小毬が座っている車椅子を押していた少女だ。こちらは真琴と同い年ながら、少し大人っぽい少女だ。

 目元は颯天と同じように前髪で隠しており、それでも女性らしく整えられた印象の明るい茶髪。わずかに見えた瞳は柔らかい亜麻色だ。体は細長い女性のものだ。

 動きやすい黒のショートパンツに同じ色の二―ハイソックス。上着やシャツも灰色と黒で均一されており、それでも暗い印象を与えないように配色されている。


「病院内では静かにしなさい、恥ずかしい。颯天兄はやてにいもしっかりと躾けてよね」

「俺はこいつの飼い主じゃない。スメラギ、こっちは俺の従妹のキヌガサ・風花ふうか。なぜか妹と間違えられるが、違うからな」

「……よ、よく似てます、雰囲気とか、色々。あ、僕は古寺先輩と颯天先輩の後輩で、アミティエ学園一年のスメラギ・真琴です!初めまして!」

「ええ、初めまして。私は颯天兄の頼みで小毬ちゃんの御世話役をしているわ。ついでに芝の上に倒れている古寺の制御役でもあるわ」


 芝の上を痛みで転がり続ける古寺を華麗に無視して風花は真琴に自己紹介する。やはり颯天に似ていると思わずにはいられないクールさだ。

 小毬は椅子に座ったまま兄の心配をしているが、ふとした瞬間に真琴と目が合った瞬間、顔を赤くして俯いてしまう。

 それが初対面の印象が良くなかったのかもしれないと判断した真琴は、車椅子の前で片膝を芝につけて屈み、明るい笑顔で声をかける。


「お話は聞いています。古寺先輩の妹さんですよね?僕はスメラギ・真琴です。気軽に真琴と呼んでください」

「あ、や、ヤガン・小毬……です。き、綺麗な赤い目で驚きました……その、そこまで鮮やかなの初めてで、つ、つい見てしまって……」


 緊張しているのか両頬を冷ますように手の平を押し当て、真琴の瞳と自身の膝を往復するように視線を動かす小毬。

 赤い目を指摘されたことは何度もあるが、小毬のような純粋な好意が初めての真琴も顔を赤くしてしまう。お互いに視線が合えば、すぐに自分の膝に視線を向けてしまう。

 傍から見ている方が気恥しい光景に、通りかかる看護師や患者からは温かい視線が送られる。古寺は芝の上に寝転がったまま、感動で涙を拭く仕草だけをする。


「まこ坊ならこうなると信じていたでぇ……ワイは間違っていなかったんやぁ」

「で、いつまで寝てるの?どうせ地面に還るならミミズより役立ちなさい。今は道の石よりも邪魔よ」

「風花ちゃんは相変わらず容赦ないなぁ。せやけど、ほんまにいつもありがとうな。これ、日頃のお礼と飴ちゃんや」


 そう言ってポケットからイチゴ味の飴玉を二つと、真琴に頼んで代理で買ってもらったニャルカさんぬいぐるみを風花に渡す古寺。

 次に小毬にニャグミちゃんぬいぐるみを渡す古寺は、妹が喜ぶ顔に満面の笑みを向ける。その顔を眺めながらぬいぐるみを抱きしめる風花の耳だけが赤い。


「小毬、熱はないか?なにかあったらすぐに兄ちゃん呼ぶんやで?」

「うん、大丈夫!ありがとう、お兄ちゃん。大好き!」


 ニャグミさんぬいぐるみを抱きしめてお礼を言う妹の可愛い様子に、古寺は思わず近くにいた真琴の背中を叩く。

 可愛すぎてなにかが耐えられなかったが故の行為だが、かなり力が強かったため真琴が芝の上を転がった。謝る古寺に苦笑で大丈夫だと告げる真琴。

 今の小毬の笑顔には真琴も可愛いと思ったため、仕方がないことだと納得している。ただし風花と颯天は見逃さず、二人で古寺の片頬をそれぞれ抓っている。


「シスコンもいい加減にしなさい。あとぬいぐるみは純粋に嬉しいわ、ありがとう。けどそれとこれは別よ、反省しなさい」

「本当にな。お前の後始末は俺の役目になっているんだ。少しは軽減する努力をしろ。そして妹以外にも目を向けろ天然タラシ」

「あー、すんまへん。あ、でも風花ちゃんに喜んでもらえて嬉しいわ!結構悩んで選んだったたたたたたた!!?颯天はいいとして、どうして風花ちゃんも指先に力込めるん!?」


 仲の良い兄達の光景に笑う小毬に、真琴も思わず微笑んでしまう。今まで感じたことない淡い気持ちに気付かず、ただ平和に身を任せていた。



 帰りに古寺公認で小毬とのメール友達になれたことに、真琴は嬉しくなった。やっと初めて異性の友達ができたのである。

 古寺と颯天は帰る場所が寮ではないということで、病院で別れている。一人でバスに乗りながら、メル友ってこういう物かと感慨にふける。

 しかし小毬に感じる気持ちは友情とはどこか違うような気がして、真琴は少しだけ困ってしまう。やはり当分は命を賭けるに値する友情を見つけるのは難しそうさと一人悩む。


 小毬は入院生活のため、限られた時間しかメールできない。だから返信はゆっくりした物になる。いまだ電子学生証の扱いに慣れていない真琴にはありがたい話だ。

 そして最初のメールは可愛らしい顔文字がささやかに飾り付けられた、挨拶文だった。それが届くだけで浮かれてしまう気持ちに、やはり友情とは違う気がすると真琴は思いつつ、必死に返信の文を考える。

 長文すぎないか、変なこと書いていないか、この絵文字はつけても嫌われないだろうか、あらゆることを考えてメールの文を打つ内に、寮前の停車場で降りるのを忘れてしまう。


 結果、浮かれすぎて悩みすぎた真琴は充実した一日を送りつつも、寮とは正反対の遠い場所から徒歩で帰ることになった。

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