北の風音

迷いを吹き払う風

第1話「前触れ」

 北風が窓をたたく。

 ふるえるがらはまるでほうこうを浴びているようだ。

 天領山ヘルヴォール。別名は竜の丘ドラゴンヒルもしくは――竜地獄ドラゴンヘル

 

 しかし正しくは地獄竜の丘。たった一人の女のために、竜が山になった。

 その墓所ははるか山頂にて安らかなれば、万年雪がしんにゅうしゃはばむ神域。

 連れ子山マンドラは竜が流したなみだ。その熱さはようがんげきし、大地の姿を変えた。

 

 この神話を知る者も、いまや数少なくなってしまった。

 ああ、シェンリン。君と共に学んだ日々をいとおしくおもう。

 できれば最後の時間を君と語らいあいたかったが、山のいかりが目に見える。

 

 この試練の森で君を待ち続け、長い時間が過ぎ去った。

 せめて心血注いで作った『けんじゅう』を君にわたしたかったが、かなわないようだ。

 

 北風が命をけずるようにれている。

 森のせいじゅうが悲鳴を上げているのが聞こえた。

 心残りばかりが多くて、ぶたを閉じるのもしいけれど……。

 

 この『拳銃』が生きた証となるならば、悪くない人生だった。

 

 

 

 めずらしくしつに追われているフィルの前で、ミカはしょうしていた。

 ほおの横にはやわらかなだんりょく。部屋に入るやいなや引き寄せられてから、体がわずかにかたむいている。

 ツェリがミカの頭をきしめてはなさない。ひたすらフィルの前ででている。

 

「ああ、ミカちゃん。なんだか久しぶりね」

「そうだね、ツェリ姉上」

 

 頭をやさしくでられ、少しずつ抱きしめる力が強くなっていた。

 しつづくえの方から深いいきあふれた。その様子にツェリはにやりと笑う。

 えない顔色のフィルが顔を上げ、いつものおだやかなそうぼうがややくずれていた。

 

ぼくも久しぶりだよね?」

「腹黒はいつでも会えるじゃない! 私は制限されるのよ!?」

 

 ツェリの大声が頭にひびいたのか、フィルは額に手を当てる。

 しょうすいした様子の兄をあまり見た覚えがないミカは、不思議そうに問いかける。

 

「それでおれに用があるってことは、特務大使がらみ?」

「うん、まあ。そうなんだけど……」

 

 歯切れが悪いまま、フィルは執務机の引き出しをあさる。

 そして書類のぶんちん代わりと言わんばかりに、ごとんと重い拳銃を机の上に置いた。

 それに見覚えがあったミカは目を丸くし、思わずツェリをがす。

 

「それってエディ・ターチの!?」

「南の領海をらしてたじんの武器さ。だからかのじょも呼んだけど」

「ああ、ウチのシマ荒らしてたゆうれいせんのね」

 

 けろり、と軽い調子でツェリは流してしまう。

 とうに近い戦いをひろげたミカとしては、かたの力がけてしまう。

 同じことを考えたのか、フィルさえもうなだれてしまった。

 

「ブロッサム家では銃関連のまりも行っていてね。流通しないようにお願いしてるのさ」

「そうなんだ。確かにオウガも『きょうだよ』って言ってたな」

 

 身をすくませるれつおんに、目にも止まらぬ早さで体をつらぬだんがん

 けんよりも軽く、女性でさえ指先一つで大男を殺せてしまう。

 ユルザック王国では情報規制をいており、知っているものはごくわずかだ。

 

「ただエディ・ターチがかつやくしていた時代の資料を取り寄せた結果、みょうなことが判明したんだ」

 

 の背もたれに体を預け、もう一度深い溜め息をく。

 気分てんかんでもしようと背後の窓へと視線を向けるが、城をめんばかりの雪一色が広がっているだけだ。

 1766年の一月じょうじゅん。例年よりもおそいが、積もり方が異常な冬。

 

 城下ではこんきゅうする民衆が出始め、いやうわさがまたもや流れ始めた。

 第五王子が十五さいになっての冬。五年ごとのさいやくが、この積雪ではないのか。

 こうとうけいだとしても、看過できない流動が起きている。

 

「……灰の森ゲルダにて、銃職人がいたと」

 

 聞こえた名前に、背中がぶわりと逆立った。

 約十年前にふんした連れ子山マンドラ。そのかたわらに広がる樹海とも呼ぶべき森。

 かつては迷いの森としょうされていたが、今も樹木は灰に固まっているため灰の森がつうしょうとなった。

 

「この銃は、その職人のとくちょうが残っているらしい」

 

 じょうの銃を指先で叩き、じゅうしんられた細工をなぞる。

 りゅうれいな美しいつる模様。まるでじゅうしょうに使われた木を表現するようなゆうだいさ。

 美術品と言われてもなっとくできそうな、立派な彫り方がほどこされている。

 

「でもエディが活躍してたのは、何十年も前のはず……」

 

 南の港町ネルケ。そこで出会った赤いかみの少女アニーと、その育て親のホサン。

 ホサンがかつて生活を共にし、父親と思っていたのがエディ・ターチである。

 かれかいぞくとしてしょけいされ、とある事情から魔人となって最近まで活動していた。

 

「製作者も死んでるんじゃない? 特に灰の森なら……」

 

 十年前のやりやまい「国殺し」は、風にあおられた灰に宿る火のせいれいが原因だった。

 空気中に散布した火の精霊が体の中に入り、内部から肉体を焼く。

 そうして水分を失っていき、木乃伊みいらのようになって死んでいくものだった。

 

 ろうにゃくなんにょを問わず、多くの国民がその病でせいきょ

 がいすさまじく、今も心に大きな傷を残す事件。

 原因である火山の灰に埋もれた森ともなれば、考えることはつながる。

 

「そこで領地をかんかつしてるタナトス家からのようせいがきた」

 

 銃をずらし、その下に敷いていた書類を手に取る。

 赤いろういんされ、正式な書類として国王のもんしょうおういんされていた。

 金に光る紋章印を見て、さすがのツェリも顔をめた。

 

「灰の森で正体不明のけものが暴れており、時折みょうな破裂音がひびわたるらしい」

「それって、まさか」

「しかも」

 

 ミカの推測をさえぎり、フィルは重苦しそうに言葉をつむぐ。

 

「西の大国の人間がもくげきされたらしい……軍服を着てたと」

 

 北の領地、十年前のこんせきいろく残る森。

 そこで立て続けになにかが起きている。のうには二つの声がよみがえる。

 

 一つは風の聖獣アドー・カーム。

 二つ目はコルニクスと名乗った、魔人の少女。

 

 ――北へ。

 

 異変はすでに進行中。おんな予感が胸をめつける。

 きんちょうからなまつばむ。おそらく予想以上にじょうきょうは悪くなっているはずだ。

 

「そういえば気になってたんだけど」

 

 あえて軽い口調で切り出し、ツェリはミカのみぎかたる。

 

「なんかミカちゃんの肩に、キラキラしたのがあるわよね」

 

 少しだけ視る才能を持っているツェリが、せんさいな指先で光にれようと試みる。

 しかし光はまるで小動物のように動き、ミカの頭へと移動してしまう。

 才能がないフィルは目を細めるが、なにも見えなかった。

 

「まさかレオちゃんだったりして!」

 

 じょうだんのように告げたツェリだったが、少年の体がおおに反応した。

 その様子だけで察知したフィルが、冷たくもにこやかながおになる。

 

「ミカ、報告」

「はい……」

 

 げられないとさとり、ミカは困りながらも話し始めた。

 様々な細かい事情はカットし、魔人の少女と城内で出会ったこと。

 彼女のわざにより、レオの意識がミカのたましいからぶんしてしまったところまで。

 

「レオは今、ようせいみたいになってるんだ。でも、魂が視えないから……」

「消すチャンスかな……いたっ」

ぶっそうなこと考えないの、腹黒!」

 

 ぼそりとつぶやいた内容はミカには届かなかったが、ツェリはのがさなかった。

 近くにあった書類の束を投げ、フィルの顔面に見事ぶつける。

 一連の流れに置いて行かれそうになりながらも、ミカは話を続ける。

 

「でもレオの意識がないと、俺も少し困ってて……」

「…………まさか」

 

 ヤーの報告を聞いていたフィルは、嫌な予感にかされて立ち上がる。

 こうていを示すようにうなずくミカは、か細い声で告げた。

 

転化術リ・サイクルいっさい使えないんだ」

 

 少年にとっての切り札は、少女の口づけだけでうばわれてしまったのである。

 

 

 

 あたえられて研究室にて。

 部下となったハリエットやラルクがあわただしく働くのをながめ、少女は体育座りのまま動かない。

 椅子の上でそんな座り方をして早一時間。魂がた様子に、ハリエットがおそるおそる声をかける。

 

「あの、ヤーさん。だいじょうですか?」

「うん」

 

 気のない返事。どちらの意味かとはかりかねる。

 すると本の山をかかえたラルクが軽口を叩いた。

 

「抜けからっすね。こりゃかな」

「うん」

 

 まるで声に反応するだけの道具。

 だんは強気で勇ましい少女は、味気ない存在へと成り果てていた。

 

「ラルクさん!」

「ご、ごめん」

 

 ハリエットにしんけんな様子でおこられ、少女へ謝罪する。

 しかし今度は反応はなく、少女は空を見上げていた。

 

(様子を見ろって言われたけど……)

(あかんやつでしゅね)

 

 室内のてんじょう近くでふよふよとくのは、妖精たちだ。

 アトミスとホアルゥはお手上げ状態のまま、少女を半ば放置している。

 年末のそうどうから年明けまで、少女は長い間この状態だ。

 

 ミカの前ではじょうっているが、それ以外では無反応に等しい。

 けいであるカロンの奇行は対処しているが、それさえもキレがない。

 ゆえに今はカロンはヤーに近づくことも禁止されていた。

 

 かろうじて整えられたこげ茶の髪には、カチューシャ代わりのゴーグル。

 いつもならば理知的に光るへきがんも、今ではけた青菜状態だ。

 ホアルゥがねこじゃらし代わりに、アトミスの三つ編みをぷらぷらさせても、視線で追うことがない。

 

 とおるような水色を宿したぎんぱつひそかなまんであり、アトミスは自らの三つ編みをつかんで引き寄せた。

 

(僕の髪で遊ぶな!)

 

 深海に似たあいいろひとみを怒りに染め上げ、ホアルゥに向かってりつける。

 彼の感情を表現するように、海月くらげのレースを重ねたような白コートがぶわりとすそを広げた。

 背中に生えた四枚羽もぶるぶると震え、硝子の花弁がれているようだった。

 

(てへぺろでしゅ☆)

 

 わざとらしいあざとさをろうし、にぎつぶそうとする手を器用にける。

 ホアルゥは手の平ほどの大きさな少女を模し、けむりのように柔らかく揺れるうすももいろちょうはつを背中にただよわせていた。

 旋毛つむじの部分には花のつぼみに似たぐせがあり、今も彼女が飛ぶのに合わせて動いていた。

 

(意地悪しないでほしいでしゅ)

 

 燃えるような赤い瞳には悪戯いたずらかがやきを宿し、怒るアトミスをかいそうに見つめる。

 花弁で作ったようにはなやかに広がるワンピースがふわりと裾を揺らし、だしで空をる。

 背中に生えた燃える二枚羽は、火の鳥のつばさに似ていた。

 

「……はぁ」

 

 時折、ヤーが軽く溜め息をつく。

 室内の空気が少し固まり、だれもが動きを止めるのだ。

 息を吐いた彼女は、自らの服装へと視線を下ろす。

 

 水色と白を基調にしたローブに、ひざうえまでかくくつした。そして厚手のブーツ。

 ミカが赤と黒の王子服を着るため、同じ色の服はできる限り避けるもの。

 思い出すのは魔人。戦場のひめぎみのような、かっちゅうドレスを身につけた美しい少女。

 

「……ハリエット」

「は、はい!」

 

 緊張で声が裏返ったハリエットだが、すぐさま少女へとっていく。

 

わいい服とか持ってる?」

「……はい?」

 

 研究一筋の天才精霊術師ヤー。十六歳の冬。

 生まれて初めて思春期らしいなやみにぶつかったのである。

 

 

 

 きゅうしゃで愛馬シェーネフラウの世話をするクリスは、別方面で悩んでいた。

 

「王子のくちびるを奪うとは……なんという不届き者でしょうか」

「あー、うん。そうだな」

「子供ができたら責任問題に発展するのですよ!? どうしましょう!?」

 

 毛並みを整えるわらブラシを片手に力説するクリスだが、話を聞いているオウガにやる気はない。

 今も子犬のメザマシ二世のしつけ中であり、おすわりとせをかんぺきに覚えさせた。

 

「王子の子供……絶対可愛いですけど、相手に問題がありすぎます!」

「あんまり城内でそういうこと大声で言うなよ」

 

 厩舎で働くものは少なからず存在する。

 そんな彼らが何事かと視線を送るので、オウガは気まずさを味わっていた。

 

「そ、そうですね……」

「それにキスだけで子供はできねぇよ」

「え?」

 

 きょとん、とクリスが前提が崩されたことにおどろいていた。

 嫌な予感を覚えたオウガが子犬を抱きかかえ、こっそり立ち去ろうとする。

 しかしばやさではクリスが上回り、あっさりと前にまわまれてしまう。

 

「そ、それではあかぼうはどうやって!?」

 

 見上げてくる蒼眼はこうしんに輝き、彼女の動きに合わせてしら色のサイドテールがうごく。

 馬の世話をしていたはずなのに、かろやかな花のかおりが広がる。

 改めて貴族のれいじょうということを思い知り、オウガは苦手意識から一歩引いた。

 

「オウガ殿どの、私に教えてください!」

 

 しかし二歩強ったクリスの胸が、オウガの鳩尾みぞおちあたりに当たる。

 白とももいろを基本とした乗馬服を着ている彼女は、一見は優美なれいじんに見えるだろう。

 しかしふくらんだ胸などはすことできず、オウガはめられている気分におちいる。

 

 対するオウガは十八歳の青年。

 くろかみ黒目と地味な色合いだが、その体格と整った顔立ちからいくばくかの経験はある。

 服装は藍色と黒をく配置し、小物にさりげなく金をあしらっている。

 

 だが服などはしょせんかざり。彼のりょくはその肉体美だろう。

 第五王子の従者という立場だが、城内では隠れファンがいるのも事実だ。

 なので、こんな光景で誤解を招きたくないと彼が考えていた最中。

 

「あのー、フィル王子からことづてが……おじゃしました」

「待ってくれ!」

 

 伝言係の女中をどうにか引き留め、オウガは難をのがれたのであった。

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