第9話「いつも突然に」

 それは軍隊が歩を進めるようにせわしなく、しかし統一されていなかった。

 ユルザック王国の首都ヘルガント。貴族街に作られたせいれい術研究所にて、大勢が一つの部屋を目指して進んでいた。

 収容人数は千人想定。それでもあふれ返る人と機材の波。

 

 精霊術師研究報告会。1765年十二月の末。

 多くのおもわくけんさんが重なり、かいさいされる運びとなった。

 

 街をめるように雪が降る。城下町はまるで深いねむりについたように、静かな時間を過ごす早朝。

 夜に眠ることをあきらめた研究者たちが、きょうらんさけびを上げる様子は熱気をともなっていた。

 

「理論構築があまいのに! 時間が足りない!!」

「でもここまでけたのはさすがヤーちゃん! 試作品はぶっつけ本番だけど、たいていの研究者はぐうの音も出ないはずさ!」

「品物はね! 論述練習があっとうてきなのよ! 質問予測集すら作れないなんて!」

 

 研究所の地下こうぼうさわぐ少女をしりに、ハリエットはたましいたような表情で空中を見つめていた。

 眼鏡の位置を直す気力もない。きょうせいレンズからズレた視界で、てんじょうから部屋を照らすあかりをぼんやりとながめる。

 視力と精霊をる才能は別である。もうもくでも、人間は精霊を感じ取ることができる。

 

 現に眼鏡を外したハリエットでも、ぼやけた視界の中で精霊だけはせんめいに視える。

 空気に色がけ、かがやりんぷんが散らばっている。天井にかぶ赤と青のかたまりは、水と火の精霊が集まっている証だ。

 それはごろもゆうしているようで、おそらくようせいがいるのだろうとかのじょは推測する。

 

「とにかくやるだけよ! ハリエット、準備しなさい!」

「……ふぇ?」

 

 気がけた返事をされ、てつ明けの少女はおおまたで近づく。

 

「ミカが待っているわ」

「…………レオさん!」

 

 意識が一気にかくせいした。

 おもかべる姿は両者ともに同一だが、相手はちがう。

 

 一足早く地下から出た少年は、王族の席へと向かった。

 王位けいしょうけんのない第五王子でも出席が許される場所。

 

 すでに人の気配と熱気がじゅうまんする大広間。

 劇をろうするような台座を設け、その下におえらがた用の席を配置。

 あとはに使うようなしきものが広げられているだけだ。

 

 小型劇場のような内装を見上げながら、第五王子はおおくびこぼした。

 気品のかけもない仕草で、大口を開けてなみだまで浮かべる始末。しかしどこか野性溢れる姿に、何人かの研究者は目をうばわれた。

 金のかみひとみだけならば慣れる。しかし少年は異様に精霊を集め、じんじょうではない輝きをまとっていた。

 

「ミカめ……意識の内側でみんとは何事だ」

 

 元太陽のせいじゅうレオンハルト・サニー。その意識が表に出ている状態。

 背後で護衛をになうオウガとクリスは無言でうなずき、じゃっかんうらやましさを感じていた。

 

 事のほったんは簡単だった。

 研究に協力したミカだが、慣れない作業にろうまりすぎた。

 何度か仮眠を取っては、すぐに研究のけいぞく。そのかえしでまともに食事も取れない有様。

 十五さいの少年にとってはこくかんきょうである。

 

 地下から地上に続く階段で気絶し、意識の内側でレオに代役をたのんで失神。

 派手に転んで起き上がるような時間差で、意識の主導権が変わったのである。

 

 痛む額をさするレオは、まえがみを上げる黒のヘアバンドに手をれた。

 左目をまたぐ一直線の傷は、精霊の出入り口。それを用いて転化術などを行い、精神の安定化をはかっている。

 しかしミカとも本音をさらけ出した今ならば――左目を輝かせていたじゅんかんの光を止める。

 

 意外と平気だった。

 むしろ転化術を使わずに済むので、レオは目の前が開けた気がした。

 

「まあ報告会を見たいと言ったのは我だしな。人間達の発展を確かめるか」

「上から目線すぎるんだよ」

「自然体なので、周囲にはこうかんしょくのようですが」

 

 ひじてに体を寄りかからせ、安っぽい座席さえ玉座に変えてしまうようなふん

 うわさを軽くばすようないに、研究者何名かは色めきたった。

 

「あまりミカの評価を変えんなよ。あとで苦労するのはアイツなんだから」

「おかしなことを言う。ミカが好かれれば、お前達も……」

 

 言葉がれる。背筋をなぞったかんが、全身にとりはだを呼んだ。

 椅子の背もたれしにオウガを見上げる。かれおどろいたように目を見開いていた。

 殺気ではなかった。けれどすような感情が、気配となって表面化したのである。

 

「王子の人気がうなぎのぼり! いいですね!」

 

 ただしクリスだけが違う方向に意識を飛ばし、二人の間に流れたきんぱく感に気づかなかった。

 

 

 

 午前九時。

 報告会が開かれた。

 

 そうぞうしさは水面下にしずめられ、とがった冷たい気配がはだす。

 緊迫感がめられた大広間は、今まさに正念場として成立した。

 

『術理念研究グループより、今年度の結果を報告します』

 

 精霊術による拡声は、大広間のおくまでよどみなく届く。

 朗々と告げられる内容は最新の術構築理論であり、応用のしやすさを意識したと語る。

 報告が終われば質問責めの時間。他グループがこぞって理論の甘さを追求し、自らの知見を披露する。

 

 大抵はその流れを王族席の者は見守るのである。

 今年は第五王子だけ。例年通りに進むはずだった。

 

「その術式は精霊の消費量が多い。やり直せ」

 

 げんの如く、第五王子が質問に参加する。

 はや質問ではなくていせい。しかし的確なてきに、徹夜明けの研究者達が息をんだ。

 こうして波乱の報告会は幕開けとなったのである。

 

「道具の効率性を求めるなら、形状にこだわれ」

「生活にとしむならば各地での精霊分布量をあくしろ」

「子供を対象にするならば、成長速度を考えてこい」

「精霊で快感を得るな。不敬だぞ」

 

 他の質問を聞き終えてから、出てこなかった弱点をく。

 予想外の展開に報告を終えた研究者達はぎもを抜かれ、しどろもどろに返答していく。

 そうして最後には『しかるべき反省をし、善処します』と、力なくうなだれるのであった。

 

「レオ殿どの、やりすぎでは?」

「むしろ足りないくらいだ」

「ミカのこと考えろって言ってんだよ」

「あ」

 

 すっかり第五王子というかたきを忘れ、元聖獣としての立場から発言していた。

 しかし未熟な研究内容を聞いてしまうと、どうしても口を出したくなる。

 えきれなかった元聖獣は、やはり続けて質問時間に指摘を行った。

 

 正午。きゅうけい時間となり、一息つくしゅんかん

 大広間に重苦しいいきが充満した。だんの倍以上の疲労がふんしゅつ

 その原因となった第五王子の周囲に研究者が集まり、みな一様に厳しい表情を浮かべていた。

 

「何用だ?」

 

 けいかいするクリスとオウガをなだめつつ、レオは集まった者達をいちべつする。

 そうしてされたものは――研究資料だった。

 

『ぜひご意見をうかがいたく!!』

 

 あっに取られ、レオはしばし固まった。

 王子として分野外に口を出しすぎたと、かげぐちたたかれることは予想していた。

 しかし助力をわれるなど考えておらず、見事に意表を突かれた。

 

「わかるはんであれば……」

「構いません! これまってたやつなんで!」

「王子は前から変人だと思っていましたが、かなり変ですね!」

「ははは。ちょっと今の発言主にはきつくしてやるからな」

 

 すっかり打ち解けた様子で研究者の相談に乗っていく。

 それをかたわらで見守るクリスとオウガは視線を合わせ、あわほほんだ。

 

 昼食を取り終え、研究者達も自らの立ち位置へともどっていく。

 午後からは本格的な発表が始まる。教授や主任などが重々しい雰囲気をまとって立ち上がった。

 その中にまだヤーやカロン、ハリエットなどの姿は見えない。

 

「順番が来る寸前まで内容をめる気かよ?」

「ヤー殿はきがきらいなのでしょう」

「さて、ミカの意識と主導権を変え……ん?」

 

 意識の内側へといかければ、きんぱつの少年が船の上で笑っていた。

 一面の空が映る世界。白い船でくつろぎ、おだやかな声で返事が来る。

 

(レオが楽しそうだからさ。報告会は任せたよ)

(だが……)

(……信じるよ)

 

 少しのためらいがかいえたが、それでも少年は断言した。

 不安と期待を一身に受けた獅子は、つつましく頷く。

 

(ありがとう。ミカ)

 

 うすまくのようなかべが消え去った近さ。

 わずかなきょ感の違いだが、肌がうに似たぬくもりを感じる。

 

「……我に任せてくれるらしい。言葉に甘えよう」

つうに報告会がめんどうなんじゃねぇの?」

「かもな」

 

 オウガのからかいに軽く同意しつつも、安らかな心持ちで前を向く。

 小声での会話が終わると同時に、次々と新たな研究発表がひろげられた。

 それは午前の内容とはかくにならない。深く、新しく、広い。

 

 今までのが前座だったと思わせるにはじゅうぶんだった。

 質問時間でレオの発言は圧倒的に少なくなり、疑問を投げることが増えた。

 中には兵器転用や新武器の発想などもあったが、その根底には国の栄光を願う志が存在した。

 

「これは初代もん精霊術師のユリア・フェイト著書の――」

「初代がのこした研究資料から発展させ……」

「ユリア・フェイトの着眼点には目を見張るものがあり、歴史をるがすと」

 

 そして何度も出される名前に、レオは少しだけしぶい顔をした。

 まぶたの裏に何度もよみがえる女性の姿は、死した後もいろせることがない。

 あまりにもあざやかに思い出せるものだから、内心はまどうばかりだ。

 

『では次にバロ・オイデン教授』

 

 聞こえてきた名前に、レオは気をめた。

 整えられたしらに、理知的な黒い瞳。穏やかなそうぼうろうしんと呼ぶにさわしい。

 

「私は今回においてせいかつけん内での光きゅうについて研究してきました」

 

 それはハリエットの努力と夢の塊。

 老いたぬすっとは朗々と我もの顔で語り出す。

 ――これは自分のがらだと。

 

 発表を終えた教授は満足そうに笑っている。

 質問の時間に手を挙げたのは一人。今日の報告会で注目を集めている王子。

 彼の金の瞳に姿が映った瞬間、老人は獅子の前に無防備で立つ気分を味わった。

 

「その研究には重大な欠点がある」

「……失礼ですが王子。私はこれを一年かけて研究し、発表しているのですよ?」

 

 穏やかにさとそうとする老人を無視し、彼は言葉を続ける。

 

「精霊をあやつれないいっぱんじんに普及させるのだろう。もっと簡易化できるはずだ」

 

 昼休憩の時にわたされた資料の裏を使い、羽ペンで図形をえがく。

 それはハリエットがなやんだ末に完成させた術じんに似ていたが、文字数と内部にふくまれる図形が減っていた。

 

「このようにな。いっぱん普及ならば大量生産はとなわせだ。複雑さでそれをがいするのは割に合わない」

「……ええ、今後の研究でそのようにする予定で」

「ならば報告しろ。たいまんは許さん。さらに追求してやろうか?」

 

 大広間の空間が一気にんだ。

 きんちょうきょうで体がふるえ、王子から放たれる圧にひんけつを起こす者さえ出始めた。

 

「……私の発表に不満でも?」

「心当たりはあるのだろう」

 

 いまいましさとにくしみの視線を真っ向から受けても、レオはふうどうどうとした態度をくずさない。

 空気がこうちょくし、話が進まなくなった矢先である。

 

「お待たせしました!」

 

 どばんっ、と両開きのとびらが勢いよく開かれた。

 教授の次に発表予定だったハリエットが、かたを上下させながら入ってくる。

 

「ハリエットくん……!?」

「教授、私の発表を聞いてくださいね」

 

 だんじょうへと歩み寄ってきた教え子に、老人はおびえた視線を向けた。

 信じられないといった様子のまま、彼は王子に背中を見せて去っていく。

 必要最低限のだしなみを整えた美女の登場に、大広間は異様な静けさに包まれてしまった。

 

『で、では次に』

「私は見分け方について研究しました!!」

 

 やや食い気味に発言したハリエットだが、徹夜明けの調子で叫んだせいか聞き取りづらかった。

 そこへヤーが大股で近寄っていき、半ばがるように彼女の横へと立つ。

 

「ご報告がおくれました。今回は私と彼女でものじんについて見分けられないか考えてみました」

 

 とつじょとして発表された合同研究内容。

 しかも片割れは天才精霊術師として名高いヤーであることが、注目とどうようを呼んだ。

 

「貴族裁判の際、魔人による王城のしんにゅうおくに新しいと思います」

 

 音の波が大広間に広がり、だいに大きくなっていく。

 その存在は夏の終わりごろに判明したばかりで、不可解な点も多い。

 貴重な相手と三回もそうぐうしている精霊術師はヤーのみ。彼女の発言は、注目を集めた。

 

「これは十年前と同じ大失態と考えます」

 

 ぶわり、とざわめきがれつ寸前までふくらむ。

 かつてのやりやまいである「国殺し」は、火の精霊によって引き起こされた。

 王族にさえがいが出た病は、いまだ第五王子のせいだと噂が流れている。

 

「そこで今回は体内の精霊がんゆうりょうを調べられないか着目しました」

「待ってください! 十年前のはどうしようもなかった! 体内部など、のぞく術はない!」

 

 声を張り上げたのは若い男だった。

 ハリエットは彼がラルクだとわかり、考えていたよりも意欲的なのかと思った。

 

「だから?」

「……え」

「そんな理由で諦めて、救える命を失って、だれかのせいにして楽になる……ふざけないで」

 

 十年前の事件で、母親をくした少年を知っている。

 いまだにけんとうちがいのうらみを買っている王子を見ていた。

 すように笑うのが板についた、傷だらけのミカを理解したい。

 

「同じことが起きた時、せいしゃの前で言いなさいよ。お手上げです、って」

 

 今度こそ不満にも似た声がはじけた。

 暴言からせいまで、ハリエットが怯えて机のかげかくれるのには充分なせい達。

 それらを浴びながらも、ヤーはおう立ちのまま続ける。

 

「アタシは諦めない」

 

 大勢の声にされながらも、たんたんと告げる。

 少女のへきがんはまっすぐと、ただ一人を映していた。

 

あこがれに辿たどくために」

 

 十年前から始まった夢は、不思議と彼につながっていく。

 

「顧問精霊術師になるためにも」

 

 少女は場にそぐわないみを浮かべる。

 

「どんな難題だってたおしてみせる!」

 

 その声を聞いたのは最前席――王族のために用意された場所にいる者だけだった。

 けれど確かに第五王子と従者仲間達に届いた。

 

せいしゅくに」

 

 少女よりも小声だったにも関わらず、その一言で大広間がいだ海のようになった。

 氷海よりも冷たいと思わせる緊迫感が、絶えず肌を突き刺す。

 

「報告をじゃするならば退出を願おうか」

 

 精霊術師達をまとめる男は、れいてつな視線を乱雑に向ける。

 誰もがそれからのがれようとしてちんもくし、顔をうつむかせた。

 

「続きを。あと報告に関係ない私語はひかえるように」

「失礼しました」

 

 机のかげからハリエットを引きずり出しつつ、ヤーは慣れた様子で応える。

 精霊術研究所をとうかつする男――ササメ・スダ。その言葉は常に重みが伴っていた。

 

「今回は二種類で用意してみました」

 

 気を取り直したハリエットが箱を机の上に置く。

 ふたを開けて出したのは、ありきたりな眼鏡と葉巻だ。

 

「片方はしょうもうひんを想定しています。原料に遅咲きの色彩花スロウフラワーを使用しました」

「冬になってもく原理は、風の精霊による真空断熱と去年発表されました。つまり花弁に精霊を多量に含んでいる植物です」

しょうは精霊をくるわす。その前提をみ、体内に精霊をけむりとして一時的にみます」

「普通であれば白い煙がされますが、精霊に異常が発生すると黒い煙が出ます」

 

 葉巻は貴族やゆうそうこうひん。簡単に入手できるものではない。

 それを検査薬代わりにし、あぶす手法にまたもやざわめきが広がった。

 

ためしにスダ所長が保管している検体を一個拝借しました」

 

 がらびんの中にはがたがたと生々しく動く人差し指。

 貴族裁判にて処断されるはずだった人間のがいであり、いっげつは軽く経過している。

 だがつめは当時のまま変わらず、今もいもむしのようにいずりまわっていた。

 

 がたん、と予想外の場所から物音が発生した。

 誰もがくが、ササメは先ほどと変わらない不動の姿勢を保っている。

 だがレオだけが魂にあせりの色がわずかににじんでいるのが見えた。

 

「この葉巻に火をけ、検体に近づけると……」

 

 指が蓋のすきから出てこないように細心の注意をはらい、葉巻の煙を瓶の中に充満させる。

 すると白かった煙が黒く染まっていき、指の周囲にまとわりついた。

 明らかな変化に驚く研究者達の前で、ハリエットが同じ葉巻を吸う。

 彼女がき出した煙は真っ白で、慣れていないせいで軽くせていた。

 

「げほっ、ごほっ……こ、この通りです」

「これで一つ検証できます。しかし形状から、される可能性が高いのもいなめません」

「そこで次に用意したのが眼鏡です。こちらは観測用です」

「参考にしたのは黄金律の魔女の発明品です」

 

 出てきた名前に新たなどよめきが追加された。

 アイリッシュ連合王国にて最初の魔導士。ほうと呼ばれる技術の体現者。

 かつてユルザック王国でもひんかくとして招いたほどの著名人だ。

 

「あちらではりょくを視覚的に測るため、とくしゅな鉱石を使用したとありました」

しょうさいはアイリッシュ連合王国に問い合わせないと不明です。なのでこちらで産出される鉱石にしぼりました」

「それがこおりすいしょうかぜはくです」

 

 箱から出したのは硝子よりもとうめいの高い氷水晶と、すずやかな緑色がとくちょうてきな風琥珀の原石である。

 オウガやクリスは自らが所持している細工に目を向ける。

 どれも特務大使の従者としてあたえられた証に使われていた。

 

 氷水晶と風琥珀の原石を溶かし、急速に冷やして固めたもの。

 それを硝子細工と同じように加工し、けんして作り上げたのが眼鏡レンズ。

 

「氷水晶にはすいれい、風琥珀にはふうれい、溶かす際にれいが含まれます」

「レンズとして固めたことでれいの属性もされ、これで四属性が内包されました」

 

 四大精霊の属性。それは精霊術にとっては基礎であり、だいな支柱。

 不満が期待へと変わり、不服がこうようへと変化していく。

 その空気を肌で感じ取ったレオは、ひそやかに微笑んだ。

 

「カロン精霊術師が非公式ではありますが、四属性による瘴気中和陣を開発しています」

「ウラノスのたみが作り上げたしん殿でんにて、四属性によるけもほどこされていました」

 

 背筋があわつほど、次の言葉が待ち遠しくなる。

 いつの間にか研究者達はかたを飲んで見守り始めていた。

 

「この眼鏡は四大精霊取り込める人体……生者は見えます」

「けれど理論上ではたい……魔人や魔物が乗っ取った体は黒く視えるのです」

「また体内にて精霊がかたよった場合、四大に沿った色彩情報が映し出されます」

「十年前の流行病を例にすれば……かかった者は赤く視える」

 

 それが本当ならば、あの苦しみは二度と繰り返さない。

 意識の内側で変化が起きた。獅子は白い船に戻り、少年がじょうする。

 ミカはまっすぐにヤーを見つめた。少女はいつだって彼のしこりを溶かしてしまう。

 

「アタシ達は十年前をこくふくできる!」

 

 こぶしを強くにぎりしめて断言する。

 その勇ましさにはくしゅが起こった。最初はまばらだったが、音のなみとなって広がる。

 少年も拍手を送ろうとして、手が震えていることに気づいた。

 もっと早く伝えていれば――そんなこうかいが、ようやく消える瞬間。

 

 目元が熱くなって、金色の瞳をらす。

 背後で立っている青年も、かすかに鼻をすすった。

 失ったもの達に顔向けできる日がおとずれたのだ。

 

「ここからは質問時間! どんどん来なさい!」

 

 テンションが上がって口調さえも素に戻ったヤー。

 机を叩かんばかりの勢いで告げ、やけくそ気味に応じ始める。

 すると次々と質問責めに合う。りんしょう実験の数や、煙の副作用など様々だ。

 

 戸惑うハリエットも交え、わからないところは不明と断言。

 実験数も足りないことを白状し、これからぼうだいな協力が必要とようせい

 こんとんとした質問時間で後の発表が遅れるが、大広間を満たす熱意に歯止めがきかない。

 

「質問をよろしいかな?」

 

 特に驚かれたのは、ササメが初めて質問時間に発言したのである。

 的確にヤー達の研究の弱みをついていき、実際に眼鏡を装着して検体を眺めたりなど試す。

 それこそこうしんおもむくままに質問をしているようで、現状の見解では前提がもろいことも指摘している。

 

 ヤー達の報告が終わった後も白熱してしまい、カロンの報告さえも質問責めとなった。

 こうして一日をついやした報告会は、熱も冷めやらぬ内に閉会をむかえた。

 

 

 

 バロ・オイデンがとうさくした罪でとうごくされたのは、翌日に研究所で報告された。

 密告者は発表されなかったが、彼がつかまった現場に居合わせたハリエットは知っている。

 

「ああ、ハリエットさん。発表すごかったよ」

 

 いつも通りの軽そうな調子で、ラルクが笑いかけてくる。

 教授がたいされたことで、ハリエットが所属している研究グループは解散となるだろう。

 それを予測した上での登場ならば、少し皮肉なものだった。

 

「知ってたんですね。教授のこと……」

「いやぁ、実際に手を染めるとは思ってなかったんだけどね」

 

 まるで世間話でもしている気分だった。

 誰も通らない研究所のろうで、ハリエットは顔をうつむかせる。

 

「ハリエットさんの研究が、それだけらしかったんだよ」

 

 ぬすまれた事実は忌々しい。けれど――認められたのだ。

 あいぞうがぐるぐるとうずいて、胸が痛みをうったえてくる。

 尊敬していた相手に認められて、奪われた事実。それをむには時間がかかりそうだった。

 

「でもおれも教授にぎ回られてるのバレちゃってね。所長におこられたよ」

「そう、なんですか……」

 

 夢の続きは少しの間だけ見られそうにない。

 盗作であることから、当分は忌避されてしまうだろう。

 

「……ごめん」

 

 察したのか、ラルクから小声の謝罪。

 それは普段の彼からは想像もできないほどしんこわだった。

 

あやまらないでください。私なら大丈夫です」

「え?」

「好きな人のために、寄り道してがんろうと思いますから」

 

 教授よりも先に認めてくれた人。

 かなわないと知っているが、気持ちは誤魔化せない。

 けれど一番近くで補助してくれた少女が諦めなかった。

 ならば同じように頑張ってみるのも、大切なことかもしれない。

 

「私、今度ヤーさんの研究グループに入りますから」

 

 今回の研究報告会を参考に、新設される『瘴気対策研究』も同時に発表された。

 このグループは魔人や魔物なども対象に入っており、一大グループとしてにんしょう

 いそがしくなるため、人材の確保が優先だ。

 そこでハリエットが所属していたグループは吸収される流れになった。

 

「そっか……じゃあ仕事仲間だ」

「え?」

「バレた責任として、俺も同じグループの下働きなんだって」

 

 にっこり笑うラルクに対し、ハリエットは周囲にひびく驚きの声を上げた。

 こうして幕は閉じた――ように思われた。

 

 

 

 報告会を終えた夜。雪雲が散り、月光が垣間見えた夜。

 城の東側、庭先でミカ達はだんしょうしていた。

 

「それ、ヤーの眼鏡?」

「まあね。アンタといっしょにいれば自然と研究に活用できそうでしょ」

 

 緑色のレンズがはめまれたゴーグル。

 それをカチューシャのように頭に装着し、胸を張ってまんする。

 

「これは試作品一号だけど、機能は発表したのと同じくらいよ」

「かっこいいデザインですね、ヤー殿!」

「アタシも気に入っているわ。だから私物にゴホンゲホン」

 

 わざとらしく誤魔化した少女は、新しい研究グループの発表にも満足していた。

 そのためずっとじょうげんであり、現在けいが義父にしかられていることも忘れている。

 

「俺もおもしろかったぜ。十年前を繰り返さないとはよ」

「当たり前でしょう。失敗は放置できないの!」

 

 はしゃぎながら庭先の雪をむヤーの足元に、もふもふとした生物が近寄る。

 飼った覚えがない犬だが、話には聞いていた。子犬の魂を見た瞬間、息が詰まった。

 

「や、ヤー……その犬は?」

「ああ。そういえばアンタはまだ会ってなかったわね」

「忘れてましたね……レオ殿が苦手としていましたから、つい」

「そうだ名前をつけてやれよ。まだ決まってないんだよ」

 

 子犬をかかげたオウガが近寄ってくる。

 少しのうしたミカは、ヤーに提案を投げてみる。

 

「ヤー、そのゴーグルで子犬はどう視える?」

「はぁ? そんなの……」

 

 ゴーグルを目元に装着したヤーは、信じられない気持ちだった。

 子犬が真っ白に視えるのだ。ありえないくらいに、まるでゆうれいのように。

 

「ミカ……アンタにはどう視えるのよ?」

 

 おそるおそるたずねてくる少女に対し、少年はありのままを告げる。

 

「時計の魂」

 

 意識のおくそこ、過去の記憶で出会った少年と同じ。

 彼は確かにこう言っていた。

 

 ――そちらのセカイの目覚まし時計によろしく。

 

「わ、悪いものじゃないよ……レオが気づかなかったのは意外だけど」

 

 おそらく最初から子犬は死んでいた。そこへ目覚まし時計がはいみ、せいした。

 その仕組みをミカはくわしくない。推測混じりとなってしまう。

 レオが気づかなかった理由は単純で、彼は魂を視るくせがなかったのである。

 

「じゃあ名前は二世にしようか。メザマシ二世」

「やっぱり二世になるのかよ」

 

 ここまで来てしまうと名前のセンスについては問われなくなった。

 事態がめないクリスとオウガは名前が決まったことにあんする。

 だがヤーは思わぬところでの眼鏡の実証に悩んだ。

 

「犬が発見第一号なんて……」

「じゃあワタシが二号になってあげましょうか?」

 

 頭上から静かな声。

 気配に気づかなかったオウガがきょうがくで目を見開き、ミカもあわてて振り向く。

 四人がいっせいに頭上を見上げれば、城のせんとうひとかげらしきものが見えた。

 

 それは遠い。人影でさえ虫ほどの小ささだ。

 けれど月光に照らされても黒く、クリスが線の細い女性だと理解した。

 アトミスやホアルゥが怖気を感じ取り、部屋の中から庭へと飛び出す。

 

「お久しぶりです、レオ。いいえ、今はミカですか?」

「え?」

「お忘れですか? 三びきで星の彼方かなたを目指したのに」

 

 それは太陽の聖獣レオンハルト・サニーがかかえていた秘密。

 ミカミカミを求めて旅立った聖獣達の旅路を指していた。

 

 尖塔からすっと飛び降りた人影は、音もなく庭へと飛来した。

 それは美しい少女だった。よわいはクリスと同じくらいの十七歳だろうか。

 ただ首筋までばした髪はろうのように白く、瞳は月夜に似たあいいろ

 真っ黒な毛皮のがいとうで身を包み、その下も黒いドレスかっちゅうを着ている。

 

「では初めまして。ワタシはコルニクス」

 

 まるでどうのようにうやうやしくおし、少女はゆがんだ笑みを零す。

 

「アナタと同じでございます」

 

 まるで夜が夕焼けをしんしょくするように、するりとミカへ近づく。

 ほおやさしく両手で包み、やわらかいくちびるをくっつける。

 

 それがキスだと気づくのに、ミカは時間がかかった。

 舌が口内をじゅうりんし、なにかがながまれている。

 息ができずに苦しくなった矢先、長槍太刀パルチザンが少女をろうとげられた。

 

 またもやするりと動き、少女は難なくける。

 雪の上にひざをつき、倒れてしまったミカを見つめて笑う。

 

「大変しゅうございました。中々初心な味で満足です」

「な、な、なんなのよ、アンタっ!?」

 

 予想外の出来事で混乱するヤーが吐き出せたのは、ありきたりな言葉だった。

 そんな彼女へと視線を送り、ちょうはつするようになまめかしく唇をめる。

 

「ああ、これは失礼しました。先日の夜、お二人のきを見たご無礼を謝罪いたしましょう」

「あ、逢い引きなんてしてない!!」

 

 けんめいに否定するヤーだが、のうにはレオを連れ出した夜の記憶が蘇っている。

 あれを目の前の少女に見られていた事実に、ずかしくていらつ。

 

「ミカ殿!? 痛むのですか!?」

 

 しかし背後から聞こえてきたクリスの焦る声に振り向く。

 ゆうえつかんで満たされた少女の声がささやきかける。

 

「では北でお待ちしております。いとしい友よ」

 

 精霊術による火球を飛ばした先には、既に雪しか残っていなかった。

 またもや雲が空を隠し、雪を散らす。冷たい空気が頬をでる中、ミカが叫んだ。

 

「ぐぁ、あ、ああああああああ!!」

 

 それは獣のほうこうに似ていて、あせだらけのままうずくまってしまう。

 ひとしきり声を張り上げた後、突如として異変は形となった。

 意識の内側にもぐめず、心臓からこぼちるようにだいだいいろの塊が雪の上に落ちる。

 

(む!?)

「え!?」

 

 声をそろえてミカとレオは驚く。

 それは心配して集まっていたオウガ達も同じだった。

 雪景色の中で獅子と少年の視線が合う。

 

「手の平レオ殿!?」

みょうな名前をつけるな!)

 

 サイズ感を的確に言い表したクリスだが、横からアトミスに怒られてしまう。

 しかし確かに少年の手の中にレオがいた。意識の内側と同じ姿、太陽のような獅子が妖精のようになっていた。

 

ぶんした……?」

(信じられないでしゅ)

 

 受け入れがたい事実を前に、ヤーとホアルゥも呆気に取られていた。

 子犬を抱えたオウガが白い息を吐き、空を見上げて言葉をつむぐ。

 

「とりあえず部屋に入ろうぜ。寒くなってきたからよ」

 

 雪がちらほらと降る。

 新たな波乱の幕は、こうして切って落とされた。

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