第2話「北の屋敷にて」

 ちょうそうやいばろされる。

 きんぱつの少年は信じられないおもちで見上げ、動けなかった。

 灰が降る森は全てをたんたんと見下ろしていた。

 

 

 

 銀世界など生易しいものではない。

 視界をくす白、はだに痛みをあたえる冷気、窓を激しくたたく寒風。

 温かいしきから外をながめ、ミカは青ざめながらつぶやく。

 

「真冬の北はこんなにも厳しいんだ……」

「東の領地では見たことない雪の量です」

 

 となりに立つクリスが、感心したようにあいづちを打つ。

 ごうごううなる風が雪粒をはじき、かべこわさんばかりに叩きつけてくる。

 暗い夜でさえ、真っ白な化け物が暴れているようなそうぞうしさだ。

 

「山をえた国はもっと寒いだろうよ」

 

 まだまだ子犬であるメザマシ二世の毛並みをき、オウガは慣れたように呟く。

 もふもふの毛はだんの火に温められ、無骨な手にもそのやわらかなかんしょくが伝わってきた。

 

「カルマていこくのこと? 行ったの?」

「近くまではな。そういや指名手配されてるんだっけか……」

「は!?」

 

 ヤーのけな声を無視し、暖炉の前で胡座あぐらをかいたオウガは思い出す。

 クソジジイと呼ぶはんかれによって終われるようにユルザック王国の首都へと向かったのだ。

 北の産業国――カルマ帝国。そのへきやまおくかくれるように住んでいた。あの年月を思うだけできそうになる。

 

 こくしゅぎょうだった。なまじ才能があった分、げようという思考が発生しなかった。

 なによりオウガ自身が強くなりたいと願い、そのために力を身につけたのだ。

 あにであるハクタは半年だけだったが、彼の場合は年単位だ。強さに比例してトラウマも深い。

 

 急に暖炉の前でひざかかえ、がたがたとふるえ始めた。

 口を半開きにしてうわごとを垂れ流す様は、だんのオウガからは想像できない。

 二世も心配しているのか、遊んでほしいだけか。彼の周囲をぐるぐると走り回っている。

 

「あのクソジジイ……」

「オウガ殿どのも大変だったのですね」

「そういえばオウガとハクタ以外にはいなかったの?」

 

 話をらそうというづかいも多少はあったが、それ以上にこうしんが勝った。

 問いかけてきたヤーにうつろな視線を投げ、暖炉の火にも負けそうな声量で話す。

 

「いた……速さをかしたけんじゅつで、相手の首をねらうやつ」

「く、首ですか!?」

「手首とか足首だって首だろ? とにかく敵の機動力やはんたたかいってやつだ」

「えげつないわね」

「そういえばハクタのも背中で守る剣術とか言ってたかも」

 

 走り回るメザマシ二世をかかげたミカが、ぽやーんとした口調で会話に入る。

 本来であれば王宮剣術などを学んでいてもおかしくないのだが、彼の場合は簡単な護身術程度の知識だけだ。

 十さいからの五年間――人形王子とされるほどの、肉体面の不安定さがあだとなった。

 

 さらに身分、けつえん上の問題、その他もろもろ

 あらゆる理由によって、第五王子の教育は簡素なものとなっている。

 ミカという少年が受けた教育は、いっぱんから見れば高水準程度だ。

 

 そのためあまり剣術に興味がないが、身近な相手のことはあくしていた。

 

「兄上はどうががら空き剣術って言ってたけど」

「まあちがっちゃいねぇな。あえてすきを作って、敵のこうげきを受ける代わりに一刀両断を目指すやつだよ」

「それで重傷になってたら世話ないわ」

 

 あきれたようにいきを吐くヤーは、ヘタ村での一件を思い出す。

 その剣術に助けられたのも事実だが、青年の体には深い傷が残った。

 今も全快には至っていないハクタのことを思い出し、ミカはしょうする。

 

「まあ、おれを守ってくれたから……」

 

 護衛のとして、最大限のかつやくをした。

 しかし守ってもらった王子にとって、目に見えない傷が残っている。

 それを察知したヤーが気まずそうにだまり、オウガも次の言葉に迷う。

 

「さすがはハクタ殿どの! らしいじんですね!」

 

 一回だけかげで活躍するハクタを知っているクリスは、じゃに目をかがやかせて言い放つ。

 あまりにもじゃがなさすぎて、聞いている側のミカたちあっとうされるほどだ。

 

「私もいつかハクタ殿どののように、王子を守り通す騎士になりたいです」

「あ、ありがとう……? でもちゃしないでね。クリスが傷つくと、俺も悲しくなっちゃうから」

「心配していただきありがとうございます。しかしめいの負傷というのはあこがれでもありますので」

「う、うーん……そっかぁ」

 

 はく負けしたミカがしぶしぶと引き下がる。

 ぱたぱたと足を動かしていた子犬をゆかに下ろし、あいまいみです。

 目を輝かせた美少女は自由になった子犬を抱え上げ、てんじょうの照明器具に向かって高らかにかかげる。

 

「二世殿も立派な忠犬ヘと成長し、共に王子を守りましょう!」

 

 子犬の返事はえない「くぅーん」という声一つだった。

 その様子を暖炉前から眺めていたようせい達は、視線を一しょに集める。

 

(レオ様のことも心配してくれないか?)

(でしゅねぇ……)

 

 手の平サイズの少女であるホアルゥは、柔らかなたてがみに顔を埋めている。

 その暖かさだけで、うつらうつらと夢の世界へさそわれている。

 普段は宙にかぶアトミスさえ床に正座し、毛並みをたんのうしていた。

 

「し、してるよ? ね!」

(……本当か?)

 

 あわてていたミカに対し、ろんな視線を向けるが一ぴき

 しかし大きさはねこサイズ。ホアルゥを背中に乗せて走り出せるくらいだ。

 メザマシ二世にすら体格で負けてしまい、元太陽のせいじゅうであるレオンハルト・サニーは不満を隠さなかった。

 

 現在はアトミスとホアルゥにちやほやされており、ヤーやクリスにも好評だ。

 かつてのこうをしっかり覚えている身として、もう少し敬ってほしい気持ちも多少残っている。

 

(ヤー! なにか思いつかないか!?)

「しつこいわよ。ぜんだいもんなんだから、そんなにすぐは思いつかないわ」

 

 一時間ごとにたずねられているせいか、好意を持っている少女ですらあしらい方が雑になっていた。

 

(我は子猫たいぐうはいやだー!)

(ホアルゥはずっとこのままでもいいでしゅけどね。ふっかふかでしゅし)

(ぼ、ぼくは元にもどってほしいと願っていますが……これも悪くないです)

 

 暖炉のほのおに照らされ、だいだいいろの毛並みがここいい熱を宿す。

 白く美しい指先でなぞるだけで、うっとりといしれてしまうほどの気持ちよさ。

 ほおしゅいろに染め、美青年であるアトミスの建前がくずっていく。

 

(あと一年くらいはこのままでもいいのでは?)

(アトミスまで!?)

(クリスしゃんのモノマネできましゅしね)

(馬になれと!? 我に、この我に!?)

 

 したってくる妖精達は味方になりえない。

 しかも床に戻ってきたメザマシ二世が、ゆっくりと近づいてくるのだ。

 

(ひっ!? や、やめ……)

 

 すっかり子犬になつかれたレオは、ぺろぺろとめられまくる。

 それからのがれたくとも、体格差でのしかかられてはかなわない。

 ほほましい小動物二ひきの光景に、体だけでなく心もほっこりしてくる中。

 

(ミカだけは我を見捨てるなー!!)

 

 獅子のさけびが大きな屋敷にひびわたった。

 ただしミカ達以外には聞こえない声である。

 

 

 

 いんうつな男が大広間の真ん中に立っていた。

 外の激しいぶきすら意にかいさず、白い息を吐きながら使用人を呼ぶ。

 

「火の準備を。今夜は冷えるぞ」

 

 とびらに近寄り、雪の重みとしもによってこおりつき始めた様子を眺める。

 すぐさま入り口近くにまで熱が届くようにしょくだい松明たいまつが配置され、暗くなりつつあった室内をほのかに照らした。

 しかし自らの影をくする結果となってしまい、陰鬱さにはくしゃをかけていた。

 

 ディートフリート・タナトス。十六貴族の一つ、タナトス家の当主。

 そして第二王女リャナンシー・タナトス・ユルザックの叔父おじであり、第四おうじっけい

 現状ではどの王子のばつにも入っていない、中立を保っている要でもあった。

 

 黒の直毛はかたまでび、同じ長さのまえがみを耳にかけても垂れ下がってくる始末。

 こけた頬と同様に、物静かな緑色のひとみかみが隠してしまう。

 の体を分厚いコートで誤魔化し、家の中でもがいとうがないまま歩く姿は少々異質だった。

 

「……前にクリスが話した時と印象がちがうんだけどよ」

 

 十六貴族の知識がとぼしいオウガは、入り口から少しはなれたろうから様子をうかがっていた。

 それはミカ、ヤー、クリスも同行しており、全員でこっそりとディートフリートを見定めている。

 

「タナトス家は人望に厚く、約十年前の火山ふんの際にもその行動は評価されております」

「あのうすぐらさでよく誤解はされるけど、たましいはとてもれいなんだよ」

 

 ミカは遠くから彼の魂を、じっと視つめる。

 家庭的な暖炉から生まれた灰のような白さに、雪玉のような丸さ、ろうそくのような温かい輝き。

 昔遊んだ雪のカマクラにばちを入れ、そこでチーズを焼いて食べたことを思い出すようなぼくな魂だ。

 

「すごく安定してる。貴族としての地位やほこりに満足してるし、職務も自身に合ってるみたい」

「少しだけせいれいも視えるらしいわ。まあどの程度かは知らないけど」

 

 次々と入る補足に対し、オウガは心ここに在らずといった生返事をらす。

 彼にとって貴族とは、弱者をしいたげる存在だった。

 クリスやミカのおかげでかんしたものの、根底ではいまだにしこりが残っている。

 

「人は見かけによらないってか?」

 

 少しだけ鼻で笑うオウガだったが、他三人は気にした様子もない。

 

「それはミカが証明してるでしょう」

 

 名指しされた本人は微笑むだけだったが、オウガとしてはぐうの音も出なかった。

 見かけはどうあれ、ミカは第五王子。立派な王族である。

 本来であれば一生関わりのない生活を送っても不思議ではない相手だ。

 

「オウガ殿だって王子の従者ですから、そこらの地方貴族より身分が高いかもしれませんよ」

 

 クリスの言葉に、ほんの少し周囲の空気がらいだ。

 それをびんかんに感じ取ったのはミカであり、いっしゅんで笑みが消える。

 不可解なものを見るように、彼はオウガの表情を窺う。

 

「そうかよ」

 

 普段と変わらない冷静さ。しかし魂には変化が現れていた。

 一瞬だけ暗くかげる。それは強制的に白へと戻された。

 理性で感情を無理やりおさえつけたのだ。まるで自身すらも誤魔化すために。

 

「まあ、地位なんてどうでもいいさ」

 

 その言葉にいつわりはなかった。

 オウガの魂は鋼を球体にしたような形と色合いだ。

 みがかれてするどく輝き、くもりなき表面につやのある丸み。武人として自己けんさんしている証なのだろう。

 

 けれど刃に映るかの如く、感情がすぐに魂にる。

 ただ色などわかりやすいものではなく、めいめつやほんの少しのとがりだ。

 先ほどのように一瞬で消えてしまうため、ミカとしても時折感情が読めない。

 

(ミカ、わかるか?)

 

 肩に乗ってついてきたレオが、耳元でささやく。

 

何故なぜかオウガが敵意を発している)

「…………」

(研究報告会の時も一瞬だけ同様のことがあった。しかし本人もまどっているらしい)

 

 ヤーやクリスにも聞こえないような小声で、レオは警告を続ける。

 力では敵わないのは明白。その他の面でも優勢なのはオウガだ。

 ミカにとって最大の天敵と言えるかもしれないが、味方でいることにあんしていた。

 

 それがくずされるかもしれない。

 いやな予感に、寒さとは違うぶるいを覚えた。

 

 

 

 一晩の食事会で、ディートフリートは目線を合わせずに切り出した。

 

「聞いていると思うが、試練の森で異変が起きている」

 

 細長い机の片側に集まっているおかげでのがさないが、初めての単語にミカは首をかしげた。

 

「ゲルダの森――迷いの森と呼ばれているのでは?」

 

 同じ疑問をいたヤーが、積み上げた皿を使用人に片付けさせながら問いかける。

 全くえんりょがない少女の食いっぷりに、対面にいたクリスは顔を青ざめさせていた。

 

「地元では試練の森だ。かつて神官達のじゅんれいとして、最終とうたつてんだった」

 

 食後の酒を静かに飲み下し、ディートフリートは一息つく。

 暖炉に炎をともし続けても、はださむさが消えないこごえる夜。体を最短で温める方法は酒をあおることだろう。

 クリスの隣にすわっているオウガは食後酒をすすめられたが、彼は念のためと前置きして断った。

 

「森には聖獣も存在するらしいが、姿を見たものがいない」

「え?」

「白い鹿しかのような姿と、伝承でかたがれるのみだ」

(ああ。人見知りケルウスのことか)

 

 おどろくミカの肩上で、レオはなっとくしたようにうなずいた。

 横に座っていたヤーはみみざとく名前を覚え、森の聖獣ケルウスについて予測を立てる。

 

(ケルウスならば我の話が通じるはずだ。今回は意外と楽に済むかもしれんぞ)

「…………」

(どうした?)

「なんか、嫌な予感が増えた気が」

 

 こそこそと話す姿を、ディートフリートは観察する。

 ミカの肩に火の粉が浮いている。その程度しか精霊が視えない彼は、視線をずらす。

 天才精霊術師と呼ばれる少女も、第五王子の肩をさりげなく注視している。

 

「……どうやらフィル王子がおっしゃったように、しょうさいは不要なようだ」

「へ? 兄上がそんなことを?」

ひゃくぶんいっけんかず、など手紙に書かれていた」

 

 そう言ってふところから一枚の紙を取り出す。

 ミカ達が転送精霊術じんを使う前に、第四王子が持たせた書類の一つだ。

 二回目のちょうきょ転送にきんちょうしたものの、今回は多少の土産みやげが減った程度で済んだのは幸いだった。

 

「では明日にはゲルダの森へ。そのために必要なものはこちらで用意しよう」

「本当に説明なし!? あ、あの……」

「必要ならば問いかけを」

 

 視線が合わない。それはディートフリートのくせなのだろう。

 瞳から感情をのぞくことはできないが、ミカは用心深く魂を眺める。

 大した変化はない。ただし誘うように魂が揺れていた。

 

「……俺のこと、どう思ってます?」

 

 ぴたり、と魂がうごくのをやめた。

 色や形、輝きに変化はない。ただ冷静なりゅうどのような、めた空気が満ちた。

 

うわさきらいだ」

 

 静かに、つきかげからひびくような声だった。

 

「十年前の噴火に病の流行――そのげんきょうののしられた者同士だ」

「え?」

「自然はおそろしい。だが平等だ」

 

 ゆっくり立ち上がり、吹雪を眺められる大窓へ近づくディートフリート。

 背中を無防備に向けるが、そこに油断などはいっさいなかった。

 あるのはうれいだけ。吐いた息は、目に見えない重さを宿している。

 

「人のみにくさを思い知る十年だった」

 

 うでを背中に回し、手を組む。指先はらせるほどの力がめられていた。

 

「王子よ。私は噂の貴方あなたしか知らない」

「……」

「であれば、たびの件でくつがえしてくれることを……期待しよう」

「ありがとうございます。解決にじんりょくします」

 

 その後も軽い会話や質問をわし、早めのしゅうしんを試みる。

 まくらもとねむるレオを眺めながら、ミカは欠伸あくびめた。

 積もる問題は山ほどあるが、全容が把握できない。毛糸が何本もからまっているような感覚が、背中をざわつかせる。

 

 試練。迷い。灰。あらゆる名前におおわれて、なぞが多い森。

 轟々と唸る風が屋敷の壁を叩くのを聞きながら、ミカはまぶたを閉じた。

 

 百聞は一見に如かず。

 その意味を痛感するほどの出来事に、苦しくなるほどおそわれるとも知らないまま、夢の中へと落ちていく。


 そして四人と一匹、妖精達はもくげきする。

 ぼうとう。ミカを攻撃する――オウガのことを。

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