第6話「寂しさを越えて」

 眠りに落ちて、意識の内部に閉じ込められてどれだけの時間が過ぎたのだろうか。

 一寸先も闇のような場所で、見えないなにかを探している。喉の奥が震え、身体中に伝播していく。

 爪を立てて、引っ掻き回す。感触は返ってこない。ここにあるはずなのにと、悔しさで胸が苦しい。

 

(私が必要かい?)

 

 問いかけられて、首を横に振る。

 これだけは自分で取り戻さなくてはいけない。

 

(私はあくまで防衛機能だ。時にはアタシなんて言って、常に揺らぐ不安定さ)

 

 少年の心を守る騎士のように、一人の女が獅子の前に立つ。

 金髪と金の瞳。輝かしい容貌は、獅子にとって一番身近な人物の生き写しだった。

 親子なのだから当たり前なのだが、ここまで似ていると父親の面影はどこなのか不明になる。

 

(本来は消えるはずだった。けれど――あの子が怯えた)

(……)

(なにがあったんだい?)

 

 優しい声音。おそらくミカにとって、母親はこういう人物だったのだろう。

 勇ましい立ち姿の中に、滲む母性。否定からではなく、理解しようと問いかける。

 家族などいなかった聖獣にとって、どう相手すればいいかわからない。

 

(まあ私には、アンタが一番怯えているように見えるけどね)

 

 細身の剣が皮膚を突き刺し、心臓の奥まで届いたような感覚。

 まさに核心を突く。人間は言葉を器用に組み合わせるものだと、感心するしかない。

 顔を上げた獅子に対し、第七王妃エカテリーナが笑いかける。

 

(思い出すのが怖いのかい?)

(……ああ)

(死は恐怖そのものなのかい?)

(そうだ)

 

 背筋が凍る。二度と味わいたくない。頭痛で体が砕け散りそうだ。

 全ての命に与えられた終着点だとしても、まだ続いてほしいと願う。

 けれど通り過ぎてしまった。みっともなく生にしがみついて、背中越しに肉薄する恐怖から目を逸らしている。

 

(我がいなくなっても、世界が進むことが――恐ろしい)

 

 太陽の聖獣が死んでも、太陽が失われるわけではない。

 空から全てを照らし続け、新たな化身が司るだけだ。

 自分が死んだ先を想像して、世界と決別する分岐点に辿り着く結果から逃げたい。

 

 世界の一部として生きたからこそ、それが終わってしまう事実がつらい。

 わかっている。身勝手な感情だと。誰もが覚悟しなくてはいけない普遍だと理解している。

 なのに心情だけが幼子のように喚き立てるのだ。死にたくない、と。

 

(泣いてくれるだろう。悲しんでくれるだろう。我は恵まれていた。幸せだった)

 

 理性が頭の端で諭しても、目に見えない場所から慟哭が響く。

 

(けれど置いていくのだろう?)

 

 人間だけでない。妖精も、精霊も。世界の全てが先へと歩んでいく。

 死の孤独。それに耐えきれない。自分の全てが消えていくような気がして、恥も外聞も忘れて縋りつく。

 

(行かないでくれ)

 

 泣いていた。獅子の瞳から、大粒の涙が落ちていく。

 か細い声で呟かれた言葉。まるで子供のような寂しさに満ちていて、嘘偽りのない本心だった。

 鬣を梳く優しい手の平に擦り寄る。雪の塊よりも柔い心を、崩さずに抱きしめてほしい。

 

(本当にアンタは――ミカなんだね)

 

 不意に優しい手が消えて、城の廊下に佇んでいた。

 獅子の姿に誰も気に留めず、すれ違う人々の視線は小さな少年に向けられていた。

 なにかを探す子供を遠巻きに眺め、ひそひそと話し合っている。

 

 親殺し。

 今年の災厄で、母親を死なせた王子。

 多くの国民を犠牲に、自分だけ生きている恥知らず。

 

 体の芯を突き刺す言葉達に涙ぐみながら、少年は長い廊下を歩いていく。

 冷たい石の床を進み続け、誰の声も届かなくなった頃に囁く。

 

 ――おいていかないで。

 ――つれていって。

 ――てをつないでさ。

 

「だきしめてよ、ははうえ」

 

 少年の瞳にはなにも映らない。人間も、妖精も、魂さえも。

 目の前に広がるの無情なほど広い城内だけ。どんなに嗚咽を溢しても、それを止めてくれる相手はいない。

 雨粒が城の壁を打つ。泣き声さえも掻き消して、少年の存在を他者から薄れさせていく。

 

(すまない、アタシは――模造だから。彼女の本心はわからない。けれど)

 

 映像に向かって話しかける女は、顔を歪めていた。

 

(愛している)

 

 全ての感情から生まれる言葉を、たった一つに込める。

 涙が一筋、頬を伝う。奥歯を噛み締めているせいで、まっすぐ進まないけれど。

 届かないとわかっていながら、零してしまう。

 

(……寂しいな)

(そうだね。これだけは千年経っても変わらないだろう)

 

 涙を拭い、穏やかに微笑む女。それを見上げ、少しだけ体が軽くなる。

 そして人間の強さを知る。五十年前後の人生で、彼らはなんと多くのものを残していくのだろうか。

 それらがまた短い時間の中で、育んでいく。まさに遺産と言うべき、尊きもの達。

 

(慣れなくていい。けれど忘れるな)

 

 勇ましく笑う女は、少年の背中に向かって声を出す。

 廊下の奥から近づく足音は、雨にも負けず力強かった。

 

「ミカ、おいで」

「あにうえ?」

 

 亜麻色の髪が優しく目に映る。和やかな雰囲気の少年が、手を伸ばしていた。

 おずおずと手を握り、抱きしめられる。それだけで悲しみが溶けてしまい、穏やかな眠気に身を委ねる。

 義弟を抱っこして、フィルは確かな足取りで進んでいく。

 

(出会いがお前を助けるだろう)

 

 映像が途切れる。なにもない空間に、獅子と女だけが取り残される。

 しかし獅子の心中に寂寥感はない。少年の母親を通して、生者と死者の視点を同時に味わった。

 雨が体を濡らしても、太陽が温めてくれる。夜が長くても、朝が必ず訪れる。

 

(レオ。あの子は笑っているかい?)

 

 一度、小さく頷く。

 

(悲しみに暮れて、蹲っていないかい?)

 

 今度は動けず、無言のまま。

 

(誰かがあの子を――愛してくれるかい?)

 

 こげ茶の髪の少女を思い出す。

 次に黒髪の青年。白百合の髪がふわりと揺れる少女も。

 羽根が生えた妖精達が、穏やかに笑っている様子も浮かんだ。

 

(少なくとも、孤独ではない)

(そうかい)

 

 それ以上は深く尋ねず、女は最後の問いかけを投げる。

 

(私は必要かい?)

 

 彼女の言葉を受け止めて、獅子はゆっくりと告げる。

 

(そうならないよう、頑張るさ)

 

 少しだけ寂しそうに、それでいて満足気に。

 少年とそっくりな笑みを浮かべて、女は消えた。

 

 なにもなかったはずの空間に、ひび割れた硝子玉が一つ転がっている。

 破片が周囲に散らばっており、触れるだけで傷ついてしまいそうな鋭さだ。

 直感でしかない。それでも声をかける。

 

(ミカ)

 

 ころり、と硝子玉が動く。少しでも獅子から遠ざかると、ひび割れが大きくなっていく。

 破片を零し続け、逃げていく。沈痛な面持ちでそれを眺め、レオは立ち上がる。

 

(我が怖いか?)

 

 硝子玉が止まる。透明な色合いの中に虹が見えるが、藍色が一際強く広がる。

 青よりも深い色が硝子に満ちていき、かたかたと震え始めた。

 零れた破片さえも共振し、まるでそこだけ地震が起きているようだった。

 

(ようやくわかったんだが)

 

 深呼吸し、獅子は真面目な顔で呟く。

 

(実は強がっていたんだな、お前)

 

 ぱきん。

 明確な割れる音。

 真っ二つに砕けた硝子玉の中から、声が響く。

 

『だって、わからないんだ』

 

 それは聞き慣れた少年のものだったが、どこか覚えのない声音だ。

 硝子玉の中で幾度も反響しているのか、何重も響いてくる。

 

『なんで俺を嫌うのか。何故死を望まれるのか。どうして全部俺のせいなのか』

 

 表面ではわかっているフリをしていた。

 継承権のない第五王子で、西の大国の血を引いていて、五年ごとの災厄に年齢が適合する。

 こじつけだと理解しているし、不安のせいだろうと理由をつけていた。

 

『納得できない』

 

 奥底に隠していた本音が、硝子を叩く音と同時に出てくる。

 

『母上が死んだのは俺のせいじゃない! 流行病だって、俺は知らない! 勝手に広がってさ、皆死んで――平気なはずがない!』

 

 怒号の如く拡散された声が、鼓膜を突く。

 耳に痛みをもたらすほどの感情が、押し潰してきた声を弾き出す。

 

『なのに、俺のせいだって悪者にしてさ――皆、死んじゃえばよかったんだ!!』

 

 ばきん、ともう一度硝子玉が派手に割れた。

 最早丸い形を保てず、刺々しい水晶の形となっている。

 高速で成長していく様を眺めながら、棘だらけの山と変貌した水晶を見上げる。

 

『でも……母上は戻ってこない。また俺のせいになる。それに悲しいのは……もう嫌だ』

 

 水晶の表面を滴が流れていく。それが川となってどこかへ続いていくが、途中で視界から消えてしまう。

 虹色の輝きは奥底に隠れ、色を見ることは叶わない。木霊のように声が続く。

 

『でも兄上が優しくしてくれた。ハクタや、ツェリ姉上も味方になってくれて』

 

 水晶の表面に三人が浮かぶ。今よりも幼い彼らが、笑顔を向けていた。

 

『嬉しかった。けど――』

 

 水晶の表面が抉られた。深々とした爪痕が山を崩そうとする。

 体の芯まで震える咆哮が、四方八方から責め立ててくる。それに抵抗しようと水晶が凍りつき始めた。

 

『俺の中に敵がいた』

 

 心臓を握り潰されるかと思った。少年とは思えない、冷たい声。

 真っ黒な太陽が山の上に現れる。そこから溢れる殺気は冷えた空気に変換され、肌が傷むほどの寒さに包まれる。

 

『それは死にたくないって叫ぶけど、そんなの俺だって同じだよ』

 

 ずっと心臓を握られている感覚。

 水晶の表面が霜で曇っていき、白い山が目の前に立ちはだかっている。

 

『俺が、俺を殺す。逃げ出せない。命乞いも無駄だ。閉じ込めるしかなかった』

 

 無機質な声だった。思考や感情も停止したのか、言葉に熱が入らない。

 水晶の表面を滑る操り人形。地面に辿り着いた瞬間、釘で縫い止められた。

 

『なにも考えたくなかった。考えたら――死にたくなる』

 

 人形の額と胸に太い釘が刺さった。

 長い沈黙が場を支配する。山は動かず、太陽からは冷気が溢れ続けていた。

 少しずつ人形が凍っていく。それを守ろうと、一振りの剣が人形の盾になる。

 

『もう駄目だ。心が保たない』

 

 山が割れた。まるで雷霆に引き裂かれたように崩れ、土砂崩れが人形を襲う。

 盾となっている剣さえも呑み込み、人形の半身が千切れた。

 

『でも――』

 

 引き裂かれた山の表面から流れる滴が、川へと溶けていく。

 

『死にたくないんだ。ううん、生きたい』

 

 釘の一つが弾け飛ぶ。ぎこちない動きで、操り人形の片手が動く。

 体にのしかかる土砂を少しずつ払い除け、千切れた半身を繋いでいく。

 

『俺はまだなにもできてないんだ!』

 

 叫んでも、人形にそれ以上のことは不可能。

 ただ小さな望遠鏡が、遠くから転がってきた。

 それはこげ茶色の筒で、嵌め込まれたレンズは碧色だった。

 

『見つけてくれた』

 

 山の表面を曇らせていた霜が、わずかに溶けた。

 川が少しずつ広がり、剣や人形を覆っていた土砂を取り除いてくれる。

 

『俺だけじゃない。俺の中にいる「誰か」にも気づいてくれた』

 

 望遠鏡のレンズに黒い太陽が映る。

 雲もないのに雨が降り、人形の上に降り注ぐ。釘が抜け落ちていき、流れていく。

 太陽が山へと沈んでいき、人形もその中へ消えていく。

 

『それだけで救われたんだ』

 

 雨が通り過ぎて、山の割れ目は塞がれた。

 望遠鏡は特に変化はなかったが、剣が少しだけ刃こぼれしている。

 

『誰にも理解されなかった俺を知ってくれた。ううん、教えてくれた』

 

 山が小さくなっていく。刺々しさは消え、丸みを帯びていく。

 そして少しだけひび割れた硝子玉が、望遠鏡に寄り添うように近づいていく。

 

『だから嫌われたくなくて、本音は全部ここに隠したんだ』

 

 硝子玉の周囲に二本の槍、指輪、灯籠が増えていく。

 内部の虹の輝きを強くした硝子玉。七色が鮮やかに彩り、奥底にある黒を隠している。

 しかし黒は消えずに、暗雲のように渦巻いている。

 

 それを抱えたまま、十五歳の少年が獅子の前に現れた。

 

(……知られたくなかった)

 

 硝子玉を拾い上げた少年は、無感情に呟いた。

 手は震えていて、獅子とは一定の距離を開けている。

 前のように無邪気に近づく愚かさは見せない。それさえも無意識の強がりだったと、獅子は理解していた。

 

(俺、こんなに醜いんだ。本当は全部許せない時もあるし、呪ったことも多い)

 

 建前を置いて、なんでもないように振る舞って。少しだけ馬鹿な部分も曝け出す。

 けれど奥底に抱えたものは見せなかった。弱くて、醜くて、どうしようもない。

 それは周囲に理解者が増えていくほど、強固になった。絶対に知られたくないと、気を張ったこともある。

 

(そんな俺自身が怖いんだ)

 

 もしも彼女達に知られたら、軽蔑されてしまわないか。

 裏切ったと思われて、敵になってしまったらどうしよう。

 信頼していたのにと嘆かれたら、泣きたいのはこちらだと怒鳴るかもしれない。

 

(レオもそうだ。まだ本当は――怖いんだ)

 

 獅子にまっすぐ投げる言葉。

 頼りにしていると強がって、味方だと暗示をかけて。

 弱い本音は押し潰していた。誰も届かない場所に閉じ込めて、隠し持っていた。

 

(けど)

 

 硝子玉を撫でながら、少年は苦しそうな笑みを浮かべる。

 

(嫌いじゃないんだ)

 

 かつて自分を殺そうとした相手。

 今は自分を生かそうと寄り添ってくれる。

 変化していく感情に、閉じ込めた本心が馴染まない。

 

(でも俺を好きになってもらえると思えない。俺は、自分がこんなに醜いと知っている)

 

 誰かに好きだと言われても、愛されていると自覚していても。

 どこか疑っている。心の底から信じることができない。裏を探してしまう。

 魂が視えたとしても、安心できない。自分自身が一番心を隠していると、わかっている。

 

(だから嫌われちゃうのかな)

 

 涙が一粒、硝子玉の上を跳ねた。

 

(……そういう部分も、ミカなのだろう?)

 

 認めたくなくて、逡巡する。

 けれど獅子が答えを待ち続けるから、長い時間をかけて頷く。

 

(ならば大事に抱えないとな)

 

 隠してもいい。信じなくても構わない。

 けれど確かにそれは「自分」だった。

 否定も肯定も必要としない。最初から存在していた。

 

(呆れないの? 嫌いにもなるだろう、こんなの)

(それはミカが決めることだ。ただまあ、なんだ)

 

 少し言葉に詰まった獅子が、恥ずかしそうに呟く。

 

(我にミカの代わりはできない)

 

 半月も経っていないが、身に染みた。王族生活、無理である。

 しかも妙に騒がれるし、噂のせいで人格は決めつけられる。気が休まる時など自室のみだ。

 一刻も早くミカには戻ってきてほしい。ヤーの告白を聞いてしまったせいで、罪悪感も重なっている。

 

(特にあの第三王子だとかいう奴と、フィルは面倒だ。もう意識の内側で微睡む生活に戻りたいんだ)

 

 無言なミカ。その様子は擬音を使うと「ぽかーん」が正しいだろう。

 

(まあ死ぬのが怖いのは変わらんが――ミカの人生を奪う気はない)

(……)

(むしろ我に押し付けるな。無理。耐えられん)

 

 心底うんざりといった雰囲気で話す獅子の耳に、吹き出すような笑い声。

 

(ふっ、は、あははは! なにそれ? そんなに!?)

(ああ! 人間は面倒だ!!)

(ははははは! 酷いな! でもわかるよ! 俺も猫に生まれたら楽だと思うもん!)

 

 ひとしきり笑い終えたミカの手から、既に硝子玉は消えていた。

 ここ最近の不満を言い終え、レオもすっきりした。

 

(そっか。じゃあ起きないと)

 

 そう告げたミカが消えていく。なにもない空間に一筋の光が差し込んだ。

 一直線から、三つの線が繋がっていく。それは蓋が開いているのを内側から眺めているのと同じだった。

 レオは光が増えていく中、手元にあると確信して爪を伸ばす。それは確かに引っかかった。

 

(……ずっと近くに置いていたのか)

 

 口の中に放り込み、ひとおもいに飲み込んでしまう。

 そして開いた先の空間に向けて顔を上げる。頭上に蓋がぶつかり、そんなに大きくないことを悟る。

 

 目に入ったのは古びた船の甲板。美しい白板が特徴だが、苔が生えており、わずかに痛んでいる。

 大きな帆が広がっているが、風は吹いていない。立派な船だが役目を終えたのだろう。今はただ鎮座している。

 振り向けば、黒い宝箱。まるで棺のようだが、大きさは犬小屋程度だ。特段飾り付けられているわけでもなく、レオが出て数分後に消えてしまった。

 

(なるほど。この船は我の意識か)

 

 どんな豪華客船にも負けない大型で、それでいてあらゆる旅に出られる雄大さ。

 力強く、威光を放ち、帆や船に穴は空いていない。白い太陽の船と言われたならば、その通りだと胸を張るだろう。

 だがレオの興味はそこではなかった。この船よりも大きな空間が広がっている。

 

 一面の空。

 青い空には白雲と黄金の光が彩るように散らばっている。白い大地の上に薄く張られた水面が、鏡のように空を映していた。

 境界も見えないほどの風景美。かつて見た湖が似たような風景だったが、それ以上の輝きを放っていた。

 

(これがミカの……)

 

 船から飛び降り、着水する。足先が少し浸るくらいの深さだった。

 試しに舐めてみれば、涙に近い味がした。川が辿り着いた場所はここかと、納得する。

 少し歩いた先に、少年が立っている。光を眺めているようで、背中は影になっていた。

 

(……ミカ?)

 

 少年が振り向く。

 その顔は――羞恥に塗れて、真っ赤になっていた。

 

(お、お、俺の本音全部……見た?)

(すまない)

 

 謝った瞬間、水面をかき乱す衝撃。

 膝から崩れ落ちた少年が、これでもかと転がる。

 頭を抱えて奇声を発し、耐えきれないと足をばたばたと動かす。

 

(わーっ! ぎゃーっ! あんな俺を見られたくなかったのに!!)

(結構可愛かったと思うが。年頃らしいところを見れたというか)

(そんな慰めが一番刺さる!! レオと一緒に閉じ込めてたのを忘れてた俺もだけどさぁ!)

 

 普段とは違う奇行に、レオは思わず笑ってしまう。

 なにせようやく普通の少年らしいミカが見られたのだ。それこそ思春期の少年だ。

 

(ヤー達には絶対秘密だから! お願い!)

(全員喜びそうだが?)

(だってあんなの俺であって、俺じゃないというか……)

(そんなに強がらなくても、オウガなどは察知していそうだがな)

 

 顔を両手で覆ってしまったミカだが、観念してゆっくりと立ち上がる。

 意識が砕けた後、修復している内に様々なことを思い出してしまったのだろう。

 それこそ忘れようとしていた感情も。少しずつ受け止めて、戻ってきたのだ。

 

(……本当に、俺はみっともないね)

(それは我もだ。お互い、そんなところばっか見せているな)

 

 苦笑するミカに、同じ笑みを返す。

 

(ありがとう、レオ。迎えにきてくれて)

(礼を言われるほどではない。それに、ここからが本番だ)

 

 鏡写しの水面に波紋を一つ。揺らいだ場所から別の風景が広がる。

 

(我がミカミカミを求めた時の記憶だ)

(星空?)

 

 三百六十度を埋める星々。一歩踏み出せば、頭まで沈みそうな深さが生じていた。

 もしも進んだら、後戻りできない。レオの体は震え続けている。

 

(我があの箱の中にわざと落とし、無視してきた)

(……いいの?)

(ああ。これも我の大事な「自分」だと、お前が気づかせてくれたからな)

 

 弱くて、醜くて、みっともない。怖いけれど、手放せない。

 生きている時は向き合う暇などなかった、死に際の記憶。

 深く呼吸し、レオは問いかける。

 

(準備は)

(行こう、レオ!)

(え?)

 

 尋ねている途中で体を抱えられ、水飛沫を上げて記憶の中へ。

 どこか楽しそうなミカとは反対に、レオの顔面は蒼白だ。

 

(せめて心の準備をぉおおおおお!)

(そんなの百年経っても終わらないよ! それに)

 

 歯を見せて笑うミカが、獅子を抱きしめながら楽しそうに告げる。

 

(星の海を探検するなんて、わくわくするじゃん!)

「わくわくするだろう、ヴォルフ! 闇鴉!」

 

 ミカの言葉と重なるように、過去の声が届く。

 金色の獅子が、銀色の狼と漆黒の鴉に笑いかけていた。

 

「さあ、探しに行こう! ミカミカミを!」

 

 過去の記憶に引っ張られるように、ミカ達の体も動いていく。

 それは太陽の聖獣レオンハルト・サニーの、最後の冒険。

 友と星空を駆ける夢のような一時。終わりへと辿り着く旅路。

 

 ミカミカミを求めた者の末路、その一つだった。

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