第7話「目覚まし時計」

 海面を飛び跳ねて、炎よりも鮮烈に飛び立っていく。

 遠くに広がる大地を背に、世界を覆う風の膜を突き抜けて。

 重みが消えた新たな世界へ。三百六十度の闇の中に、光が散らばった場所。

 

 燃える岩を足場に跳躍し、月も太陽も過ぎ去った先へ。

 常人では見えない精霊の奔流は輝き、その波に乗れば彼方へ届きそうな勢い。

 太陽の聖獣は振り返る。同じように楽しむ月と闇の聖獣が、精霊を食む。

 

「星の彼方、光も届かない場所に我らが行こう! 太陽と月の威光で溢れさせるんだ!」

「ああ。そのために闇鴉を呼んだのだからな」

「いい迷惑です。だがなんと胸が躍るのでしょうか」

 

 金色の獅子が率先し、銀毛の狼が負けじと四肢を動かす。その周囲を漆黒の鴉が旋回する。

 背後で目前の獅子より色褪せたレオが、顔を俯かせていた。

 彼を抱きしめたままのミカは、周囲の星空よりも三匹のはしゃぎ方を面白そうに眺めていた。

 

(レオって、あんな感じだったんだね)

(若気の至りだ!!)

(長生きなのに?)

 

 記憶を見ているせいか。三匹の聖獣の言葉がいつもとは違うように聞こえた。

 倣うようにミカ達の声も変わっている。普段とは逆に、ミカ達が目に見えない妖精になった気分だ。

 聖獣達の旅に追従するように体が動いていく。銀河。光が集まる河。それらを初めて見たミカは、金色の瞳に満天の星を映した。

 

「もっとだ! 誰も到達できなかった場所へ! そこにミカミカミがあるはずだ!」

 

 少年の腕に抱かれているレオが、体を一際大きく震わせた。

 前脚で頭を抱えており、この後に起きることを直視しないように瞼を強く閉じている。

 あらゆる星を見た。全てを吸い込む穴も遠くから眺め、年老いたものが爆発する瞬間も目撃した。

 

 星系という単語も知らず、どんな望遠鏡でも捉えられない天空を泳ぐ。

 凱旋のように、高らかに謳いながら三匹は進み続ける。世界に果てなど存在しないと、無邪気に信じていた。

 光よりも速く走り、時には空間の法則を無視して。三匹の聖獣は止まることはなかった。

 

「ミカミカミとはどんなのだろうか?」

「きっとこの世の全てが集まる場所だ! 常世の春を謳歌する妖精界よりも素晴らしいだろう!」

「見ればわかるでしょう。そうでなければ笑い話です」

 

 時折、そんな風に談笑している。気の置けない友人みたいに、遠慮などなかった。

 無言の時でさえ、柔らかな雰囲気で居心地がいい。恐れるものなど、なにもない。

 

「なあ、闇鴉! お前が教えてくれた五文字のおかげで、我々は――」

 

 獅子が漆黒の鴉を見た瞬間、光が視界を埋めていた。

 光の中で収縮していく黒い影。それが点まで小さくなり、塵の一つも残さずに消失した。

 足が止まる。狼と獅子は星空の中で友を探すが、直感で理解していた。

 

 闇の聖獣が死んだ。

 

 真空の世界。だが不思議な音が聞こえた。

 かち、こち、かち……人間が作った品の一つ、時計の針が進む音。

 それは周囲から聞こえていて、方向が掴めない。三百六十度全てを見渡せる場所で、根源がわからない。

 

「警告する」

 

 機械的な声。レオが顔を上げた。忘却の末に、見逃していた存在。

 それは人の形をしていた。跳ねた金の髪に、瞳孔が開いた緑色の目。服は茶色を基礎としていて、北国の装いだ。

 しかし注目するべきは時計盤を回転式弾倉とした、小型の大砲のような拳銃だ。

 

セカイの眠りを妨げかねない愚行を止めろ。星の一部であるならば、今すぐ戻れ。この先は星の外側。狭間へと陥る奈落の他ならない」

 

 一人の少年が、二匹の聖獣と対峙していた。

 到底、人間が生きていける環境ではない。しかし人の形をしている少年は、銃口を二匹に向けるだけだ。

 動揺し、言葉が出てこない。そんな狼に対し、獅子が声を上げた。

 

「進むぞ、ヴォルフ!」

「っ、レオ!?」

 

 少年に背を向けて走り始めた獅子。一切振り向かず、ただ前だけを見ていた。

 その後を遅れて狼が追いかける。何度も少年の動きを見つめ、用心する。

 

「何者かは知らんが……この先にミカミカミがあるはずなんだ!」

「そんなものはない」

「あるんだ!! でなければ……闇鴉を何故殺した!?」

「星の一部だからだ。月や太陽よりも、その重要性は高い」

 

 距離を開けているはずなのに、声が離れない。

 焦る獅子は星空の先しか見ていなかった。少年の答えにも、まともに受け止めていない。

 

「邪魔が入った。ならばこれが正解だ! 闇鴉がいないのだとしても、我が代わりに――」

「レオ、待て! 本当にそうなのか? 私には違和感が」

「……目を覚ましてもらうぞ」

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリ。

 鳴り響く鐘の音。聖獣達にとっては初めて聞くものだった。

 あと少し。そう思った獅子の背中に強い衝撃が走り、方向が逸れる。

 

 背中を押し除け、獅子がいた場所に狼が浮かんでいる。

 

「ヴォル、フ」

「私は」

 

 狼の言葉が光によって遮られた。彗星にも似た膨大な光の線が聖獣を呑みこみ、その姿を黒い小さな点にしていく。

 光が消えた後には月の聖獣の姿は跡形も残っていなかった。呆然とする獅子の耳に、止まない音が届く。

 ジリリリリリリリリリリリリリリ。

 

「我は、間違って」

 

 光が体を襲った。痛みはないが、消えていくのを味わう。

 足先から。腹、胸、首、頭。ぼろぼろと崩れていく体が、一瞬で灼かれていく。

 その光景を最後に意識が途切れる。後悔も、挫折も、謝罪も残せないまま。

 

 太陽の聖獣は呆気ないほど軽く、死んでしまった。

 

(う、あ、ああああああ!!)

 

 全てを思い出したレオが絶叫した。四肢を荒々しく動かし、もがき苦しむ。

 その体を抱えているミカは慌てふためき、腕に力を込めてみるが効果はない。

 牙を剥き、爪を尖らせ、記憶の中に立つ少年に襲いかかろうとしている。

 

(貴様さえ、いなければ――我々は!)

「……驚いた。記憶から意識の領域に足を踏み入れるとは」

 

 星空が残っている。拳銃を手に構えたまま、少年がミカ達の方を振り向いた。

 目を丸くするミカだったが、その腕からレオが抜け出した。狂乱といった様子で少年へと駆け出していく。

 止めようと手を伸ばすが、進み方がわからない。不格好な泳ぎ方で試みるが、意味がない。

 

(貴様は何者だ!?)

セカイの目覚まし時計」

 

 簡潔に答え、握っていた拳銃の銃身で獅子の横顔を殴る。

 星空の中を獅子が吹っ飛ぶという奇妙な光景を目撃しながら、ミカは目の前の少年の不可解さに悪寒が走った。

 瞳が少年の魂を捉えている――はずなのに。

 

(時計型の……魂?)

 

 奇異だった。魂には様々な輝きや形などの違いが存在するが、大抵は自然物のような感覚があった。

 しかし少年のは人工物。明らかに手を加えられた痕跡。白い時計盤に黒い針が正確に動いている。一分一秒の狂いもない。

 記憶を見ていたはずなのに。何故、干渉できるのか。どうやってこちらを認識しているのか。

 

「気づいていないのか? ここは意識領域。その深層。無意識との間に横たわる」

(……わ、わかりやすく)

 

 気絶してしまったらしいレオの方へと泳ぎながら、ミカは苦笑いしながらもう一度を頼む。

 無機質だった少年の瞳に、怪訝そうな感情がようやく浮かんだ。

 

「これ以上なく明確な表現をしたつもりなのだが」

(俺より年下そうなのに難しいんだもん!)

 

 ミカの年齢は十五歳。しかし少年の姿は十二歳程度だ。

 義妹より少し年上くらいの少年を前に、わけがわからないと混乱だけが広がる。

 苦労してレオの体を抱きしめる頃、少年が拳銃に付属する時計盤を回転させた。

 

「……まあ、君は星の眠りを妨げることはなさそうだ。今のところは、だけどね」

(う、うん)

「それでミカミカミだっけ? 意識領域から接続できる場所に、それと該当された事例がある製品は存在するけど」

(……うん?)

 

 少しラフな口調になった少年が、世間話でもするように告げた内容。

 理解が追いつかないミカは、首を傾げるしかなかった。もう一度尋ねるのも若干躊躇われる。

 

万霊記憶盤アカシックレコードの一部でもある浄水場だろう? あそこは工場でも重要な場所だから、見学くらいしかできないけど」

(……そ、その前に)

「なんだい?」

(俺はミカルダ・レオナス・ユルザック。ミカでいいよ。で、こっちの獅子はレオンハルト・サニー。君の名前は?)

 

 困惑する頭が、現状で一番先に答えが出そうな問題を選ぶ。

 少し逡巡した少年だったが、さして気にした様子もなく応じる。

 

「この体に与えられた名前はベル・クロノグラフ。体を借りて、星を守るのが――目覚まし時計だ」

 

 名前は判明したが、少年の謎は解けそうにない。

 この場にヤー達がいてくれたらと思うが、潔く諦める。

 

(えっと……じゃあベル。見学したいんだけど、案内してくれない?)

「わかった。では手を借りるよ」

 

 拳銃を背中の方にしまい、分厚いコートで隠すベル。

 まるで国王が儀礼の時に着用するマントのような服装に、ミカは少しだけ興味をそそられた。

 しかし片手を握り締められた後、視界が回った。星の光が幾重もの円を描き、気持ち悪くなるほどの速さで遠ざかっていく。

 

 レオの意見を聞けばよかった。後悔の隙もなく、転送精霊術陣で味わったような吐き気を覚えるのであった。

 

 

 

 からからと水車が回る音。

 花の香りで満たされた大地。白い空にはわずかに桃色が滲んでいて、風が動くと揺れている。

 花畑の上で横たわりながら、ミカはレオを抱きしめていた。体の重みも、指先の感覚も現実と変わらない。

 

「起きたかい?」

「目は覚めていないけどね」

 

 抱きしめている存在は意識の中でしか会えない。

 そういった意味で返事したのだが、少年はわずかに笑った。

 

「そうだね。僕がいるのに目覚めていないとは、中々だ」

「えっと、ここは?」

 

 起き上がれば、花畑だけではないとわかる。

 巨大な川の周囲を埋めるように花が咲いている。花弁を眺めれば、まるで硝子のように透き通っていた。

 試しに触ってみると、誰かの視点から覗く風景が見える。楽しそうな家族の団欒が、花弁に映し出されていた。

 

「浄水場。全ての魂はここで一度洗われて、新たなセカイへ旅立つのさ」

 

 ベルが指さした先に、巨大な水車が回っていた。城ほどの大きさで、一番上は雲にかかっている。

 その雲の中には星のように輝くものが散らばっていて、雨粒みたいに水車へと落ちていく。

 それは見覚えがあった。ミカの瞳で視える――魂そのものだった。

 

「そしてミカミカミとも呼ばれる一例ではあるけど、まずミカミカミ自体が詐欺みたいなものさ」

「詐欺?」

「そんなものはない、と答えただろう」

 

 戦慄が走る。一が零へと反転し、否定だけが頭を埋める。

 考えないようにしていた。多くの犠牲者が出ているのだから、それは確実にあるものだと思い込んでいた。

 でなければ――報われない。

 

「……いやでもね、僕は人に可能性を感じているんだ」


 落ち込むミカを前に、少年は淡々と告げる。

 

「君達は作れるだろう」

 

 風が頰を撫でた。涼やかな空気と、花の匂いが流れていく。

 レオを抱えたまま、ミカは立ち上がる。金色の瞳に、瞳孔が開いた緑の瞳が映し出される。

 

「きっとこの世の全てさえ、君達の手にかかればミカミカミになってしまうんだ。僕はそれが単純に面白いし、人間の体を借りるたびに痛感するよ」

 

 かち、こち、と少年からは絶え間なく時計の音が聞こえる。

 それでも人の形をしており、柔らかく笑う仕草は少し大人びていた。

 

「まあ魔人はどうかと思うけどね」

「どういうこと?」

 

 すぐに表情を消したベルが、小声で呟いた言葉。

 聞き逃せない単語があり、ミカがおそるおそる尋ねる。

 

「彼らは神、もしくは王を作りたいんだ。そのために多くの魂が必要らしい」

「魂ってことは、ここをミカミカミと想定しているの?」

 

 雲から流れ落ちる魂は、水車によって洗われていた。

 黒く染まった刺だらけの魂でさえ、川に流される頃には白い玉砂利のように綺麗になっている。

 大きな水車は一つだけではなく、等間隔を開けて存在していた。そうやって機械的に浄化している。

 

「だから君が必要なんだろうね。なにせここの記憶を有しているのは、君の魂だ」

「……レオの、記憶?」

「それだけでは不完全だ。言ったろう。驚いたって。君の瞳が僕を視てしまった」

 

 指をさされたのは傷がある左目。魂まで視通す特異な才能。

 この『視る』という点だけで、世の中を綱渡りしている状況だ。できることは増えたが、問題も増大している。

 

「記憶を見るまではいい。意識領域に辿り着くなんて、普通じゃない」

「あ、あはははは……」

「笑いごとではない」

 

 誤魔化そうとしたミカに対し、容赦ない一言。

 思わず第二王子の顔を頭に浮かべてしまい、少しだけ泣きたくなった。

 

「結果として、君は魔人が望む素材になったわけだ」

「えっ?」

「そうしたらそちらのセカイの目覚まし時計によろしく」

「ん、んー?」

 

 優しいのか、突き放すのか。年下と思うと、強く出られない。

 もう少し詳しく聞こうと考えた矢先、腕の中で獅子の体が動いた。

 

「むぅ……頭が痛い」

「レオ!? 大丈夫……」

「ぬなぁっ!? 貴様はあの時の! そしてさっきの!!」

 

 心配するミカを他所に、起きた直後に歯を剥き出しにして唸る。

 しかし先ほどの一撃が強烈だったらしく、威嚇だけに抑えている。

 

「えっとね、彼はベルっていう名前で、色々事情を知っているみたいだから」

「そろそろ僕は去るつもりだけど」

「帰れー! いや待て、一回は噛ませろ!!」

「両方とも待ってー!!」

 

 暴れる獅子を必死に抱きかかえるミカは、涙目でベルを見つめる。

 しかし懇願の表情など全く意に介さず、少年は背を向けてしまう。

 そんな彼らの頭上を巨影が通り過ぎた。花々が突如の強風に煽られた。

 

「……モルテ・タナトス」

 

 遮る巨大な梟。馬車よりも大きく、羽毛は闇夜に近い暗褐色。

 瞳だけが星の光を散らした灰色。黒い嘴を鳴らす仕草に、レオが大袈裟に怯える。

 

「退いてくれないか」

「駄目だ」

「何故?」

「彼らへの説明が終わっていない。私には荷が重い」

 

 淀みはないが、盛り上がりも皆無な会話。ただし少年が溜め息を吐いた。

 膨らんだ体毛に隠れた足を使い、器用に歩くモルテは川へと身を浸した。

 頭を水面に突っ込み、水飛沫を全身に浴びる。すると墨汚れが流れていくように、体色が変化していく。

 

 雪の日に見つける樺の木に近い灰色。嘴は年季の入った琥珀のように艶やかになり、瞳だけが変わらない。

 体を洗い終えた死の聖獣は美しい梟だった。花畑に水滴を落としながら、ミカ達の方へと歩み寄っていく。

 水滴には汚れも付着していたが、それが地面の上を跳ねると花が咲く。硝子の花弁を開き、風に揺れると誰かの記憶を映し出す。

 

「死の聖獣……その身に悪徳なる魂を永遠に宿し、消化し続けていると噂の」

「それは間違いだ。詳しく問えば、聖獣とも違う。だがこの姿が適しているだけにすぎない」

 

 身震いして身体中の水滴を飛ばすモルテ。滴の一つが肌に触れた瞬間、知らない人生の一部が目に浮かぶ。

 男が一人。赤子を前に立っている。動かない赤子の腕にナイフとフォークを礼儀正しく使い、足と腕を交換した後に、その体を――。

 レオのことも忘れ、花畑に膝をつく。両手で口元を押さえ、込み上げるのを我慢する。

 

「私は浄化しきれないものを消化する役目を担う」

「ミカ!?」

「私の体躯が汚れるは必然の業が、この世には存在している。それに沈んだ魂は一度分解しなくてはいけない。微生物……といっても理解は難しいか」

「……その、魂は?」

 

 天に昇れなかった魂を何度か視ている。

 その先など想像しなかった。けれど触れてしまった今は、恐ろしくとも尋ねてみたかった。

 

「魂魄を精査し、痕跡を徹底的に洗う。そして他の魂と同じく、旅立つ」

「それでも足りない時は煉獄や地獄という星を経由させ、摩耗させたりするんだけどね」

 

 モルテの言葉を補足したベルは、立ち上がれないミカの前へ跪く。

 顔色を窺うように顔を近づけ、淡々とした調子で囁く。

 

「最終手段は消滅。記憶や記録だけは万霊記憶盤に保存される」

「……」

「僕は人ではないから致命的にズレていると言われるのだが」

 

 少年がしどろもどろに告げる。

 

「美しいものは君の心がわかっているだろう」

 

 慰めた本人が一番要領を得ていないらしく、困惑の表情だ。

 脳裏に浮かんだ親しい人々の笑顔。それが崩れそうな思考を支える。

 両手を膝に置き、力を込めて立ち上がる。金色の髪が風に揺れた。

 

「ありがとう、ベル」

「お礼を言われるような内容ではない」

 

 ミカの足元を守るように擦り寄る獅子は、少年への警戒を解いていない。

 しかしわずかに微笑んだ少年が、今までとは違う人間らしさを漂わせている。

 肩透かしをくらい、戦意が削がれていく。人の形を得た時計は、借り物から強く影響を受けたようだ。

 

「で、足りない説明ってなに?」

「本来、魂はここで洗われて記憶は引き継がれない――が、例外は発生する」

「聖獣に選ばれると知らずの内に魂魄に改変が加わる。魄に体の情報を追加し、魂には記憶を保有する容量を増やす」

「そうなのか!?」

 

 元聖獣は動揺するが、モルテとベルの視線は冷ややかだった。

 

「獣憑きってつまり……」

「仕様上の間違いと言えるだろうね。前世の記憶を保持程度なら問題ないが、君みたいに変な才能が開花すると特殊事案扱いになるんだ」

「しかも魔人の一人が獣憑きのせいで、物事が危険な方向に進んでいる」

 

 さも当たり前のように告げられた内容に、レオは思考を放棄しかけた。

 ミカなどはすでに理解できていない。その気配を感じ取ったベルが、胡乱な目になった。

 

「これ以上は意味がなさそうだ。残りは自らの力で探求するといい」

「待って!」

「なんだい?」

 

 厚手の手袋が、握ってきた手の体温を遮る。

 それでもミカの手が温かいと感じ、少年は不可解さに眉をひそめた。

 

「レオ達を殺したのは、星を守るため?」

 

 真剣な表情。金色の瞳に映る自分自身を、ベルは見つめる。

 

「そうだ。太陽は星を照らす。その恩恵は計り知れず、身勝手に放棄していい役目ではない」

「……俺はレオ達を殺したのは許せそうにないや」

「別に。これは僕の役目であり、贖罪行為ではない」

「うん、でも……」

「大体、そこの獅子が調子に乗りすぎたのも要因の一つだ」

 

 少年の言葉は、レオの胸を深く突き刺した。いじけた獅子が花畑に寝転がる。

 その様子を眺めながら、モルテは嘴をかたかたと鳴らす。面白いと笑っているようだった。

 

「こんなこと言うのも変なんだけど……星を守ってくれて、ありがとう」

 

 すぐに言葉が出なかった。役目に沿った行動をしただけ。

 恨まれることは多数あれど、気に留めなかった。星を守るためならば、どんな相手も敵に回した。

 だからこそ――。

 

「本当に、変だね。でも君の言葉は嬉しかったよ」

 

 体の持ち主であれば言いそうな内容を、目覚まし時計は告げる。

 時計の音が止み、少年の姿は霞のように消えてしまった。最後に浮かべた苦笑さえも、淡く、朧にしか捉えられなかった。

 

「ミーカー。あんな奴にお礼を言うなど、我に対して失礼だと思わんのか?」

「まあそうなんだけど、ベルにはここについても教えてもらったし……」

「ふん。今回だけだぞ。それでモルテ……我々はどうやって戻ればいい?」

 

 頬を膨らませて拗ねているが、レオは死の聖獣を見上げる。

 梟の首は可動域が広い。九十度近く傾いた顔にミカが驚くが、獅子は平然としていた。

 

「え?」

 

 しかし梟はさらに首を傾げた。百八十度回転に近い。

 巨大な姿のせいで異様さが増しているが、獅子にとって重要なのはそこではなかった。

 

「知らんのかぁっ!?」

「だって私と違う入り方だし、考えてみれば記憶を辿ってこの領域に来るとか……怖っ!」

「怖いのは貴様の方だ! 死を司ってるくせに!」

「だから微妙に差異があるのだが。なんにせよ記憶を辿ればいいのでは?」

 

 首の位置を元に戻し、梟は両翼を広げる。強風を発生させながら、白い空へと飛び立っていく。

 優雅に、素早く去っていくモルテを見送る。水車がからからと回り、絶えず魂を洗い続けている。

 獅子の口では歯軋りが難しいらしく、レオはひたすら唸っている。

 

「じゃあ戻ろうか。俺もヤー達に会いたいや」

「……そうだな。きっと驚くぞ」

「うん! あ、なんかあった?」

「一つだけは我の秘密だ」

 

 にやにやと笑う獅子を抱きかかえ、ミカは歩き出す。

 ヤーに告白された内容は伏せながらも、意識が砕けていた間のことをレオは優しく語る。

 歩いている内に霧が発生し、通り抜けたと思えば一面が空の場所へ。

 

 青い空に白い雲と金色の光が散らばり、白の大地には薄い水面が張っている。

 巨船が悠々と佇んでおり、レオはその船を寝床代わりにするため、ミカの腕から降りる、

 花の匂いも、水車が回る音も消えた。けれど朝の気配を感じとる。

 

(じゃあ俺は起きるよ。ありがとう、レオ)

(ああ。我はここでゆったり眠るとしよう)

 

 もう閉じ込める必要はない。ようやく少年は正しく向き合えた。

 己の醜い部分も、怖いのを隠していた前世とも。そして聖獣が忘れようとしていた記憶、その正体も。

 ミカミカミ――この五文字にまつわる真実の一端にも触れた。

 

 けれどミカは目覚まし時計の言葉を思い出す。

 人は作り出せる。この世の全てさえミカミカミにしてしまう。

 ならば五文字は自由なのだ。誰もが希望の象徴にも変換でき、絶望の対象にもなれる。

 

(ねえ、レオ)

(なんだ?)

 

 浮上する前に、少年は快活な笑みで言う。

 

(ミカミカミってさ……面白いね)

 

 獅子はしばし戸惑いを見せたが、無邪気な発想に大笑いした。

 

(ああ、我々が求めたのは……そういうものだ!)

 

 旅立ちの時に感じた高揚感。星空の彼方まで進もうと夢見た心地。

 忘却していたのは恐怖だけではなかった。確かにミカミカミを求めようと決めた日々は、楽しかったのだ。

 その結末が悲惨な内容であれ、辿り着くまでの過程は否定できない。

 

(いつか……どんなにかかっても構わない)

 

 少しずつ目覚めていく少年に向かい、祈るように獅子は告げる。

 

(我が求めた先へ――ミカミカミを手に入れてくれ)

 

 あの日、叶わなかった夢を託す。

 忘却から帰ってきた獅子は、そんな淡い想いを次の自分へ渡した。

 

 

 

 冬の朝は少し眩しい。暗雲から差し込む陽光が、雪に反射して部屋を照らしていた。

 耳には薪が爆ぜる音。鼻にはスープの香り。肌には柔らかい手の感触。久しぶりの肉体感覚に、思考が追いつかない。

 ただ頬をくすぐる吐息に誘われるように頭を動かす。

 

 同じ布団の中にヤーが寝ていた。

 

「ん……」

 

 ぼやけた意識のせいか、普段よりも和やかな碧眼と視線が合う。

 にへら、と笑う少女。珍しい表情を浮かべたので、ミカもなんだか嬉しくて同じ笑みで応じる。

 

「おはよう、ヤー」

「……おはよ……は?」

 

 一瞬で少女は覚醒した。碧眼の眦がきつくなる。

 

「ふぁ、クリスやオウガは……」

「お、起きたのか……ん?」

「スープの用意ができてます……あれ?」

 

 扉向こうから顔を覗かせたオウガとクリスは、ぽやーんとした雰囲気にすぐ気づいた。

 レオであればもう少し空気が張り詰めている。だが目の前で生欠伸を零すのは、紛れもなくミカだった。

 ぼさぼさの金髪は寝起きのせいで跳ね方が酷い。目元を擦る仕草さえも隙だらけだ。

 

「おはよう、二人とも。お腹すいたよ」

「ふぎゃーっ!!」

 

 のんびりとした動きでベッドから降りようとしたミカだったが、混乱しているヤーに首元を掴まれてしまう。

 そのまま頭を大きく揺さぶられ、目を回してしまう。声を出そうにも、少女の驚きが勢いを増していく。

 

「なんで同じベッド!? ふあっ!? いや、本当にミカ!? はぁっ!?」

「それは昨日帰ってきたお二人を、オウガ殿が」

「いやいや、ここは様子を見ようぜ」

 

 昨夜。ミカの部屋に帰ってきたヤー達は、眠いと船を漕ぎ始めていた。

 特にヤーは報告会の準備に追われていたためか、意識もはっきりしていない状態だった。

 気を利かせた、というよりは悪戯心で。オウガは二人を同じベッドに寝かせたのだ。

 今夜は寒くなるから、寄り添った方が眠りやすいだろう、などと適当な言い訳付きである。

 

「あれ? レオが良かった?」

「アンタがいいに決まっているじゃない!!」

 

 何気ない問いかけだったのだが、ヤーは断言した。

 それが嬉しかったミカが、朗らかに笑う。するとそれに気づいた少女は、首元を掴む手に力を込める。

 

「説明しなさい!!」

「は、はい! ごめん!」

「まあ、それより朝ごはんだろうがよ」

「ええ! 今朝はじゃがいものクリームスープです!」

 

 オウガがミカの体をヤーから引き離し、クリスが寝起きのお茶を入れ始める。

 まだ落ち着かない少女だったが、ミカが戻ってきた事実に小さく微笑んだ。

 

「あ、そうそう。レオの記憶から色々わかったことがあるんだけど」

「詳細に話しなさい。省略はするんじゃないわよ」

 

 しかし知的好奇心が勝った。すぐさま研究者の顔になったヤーは、ミカへと詰め寄る。

 差し出されたお茶を飲む余裕もなく、ミカはオウガに視線で助けを求める。

 

「食いながら話せよ。俺は腹が減った」

「空腹では戦えませんよ! そうだ、アトミス殿やホアルゥ殿達にもお伝えしてきますね!」

 

 そう言って部屋から出ようとしたクリスの前に、ミミィとリリィが揃って現れる。

 

「王子、おはようございます」

「朝から申し訳ありませんが、お客人が……」

 

 すぐにミカが戻ったことに気づいた二人だが、祝う前に用件を伝える。

 

「お客さん?」

「し、失礼します……」

 

 少年が初めて見る女性。

 憔悴したハリエットが、助けを求めるようにミカを見つめていた。

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