第5話「美しい妖精」

 赤い夕闇が迫り、神殿周囲の気温は一段と下がる頃。後が絶えなかった挑戦者の列を無理矢理分解させて帰るように促す神官達。遠くから来たと声を荒げる者もいるが、神官達は慣れた様子で追い出す。

 枯れ木の多い森なので動物の声は一切しない。そのことが夜の静けさに深みを付け加える結果となり、背筋が冷えるような寂しさが寄り添うように近付く。

 神官長であるハゼに試練の間に案内されたミカ達はその光景を柱の影から眺めていた。ミカがユルザック王国の第五王子とばれて騒動になったら面倒だからだ。


「森の近くに村はありますが、最近は野盗の被害が多いので挑戦者の方々には早目のご退出をお願いしているのです」

「こんだけ気温が低い森が近くにあるのにかよ」

「氷水晶の神殿を観光資源とし、宿や土産物、あとは……大人のお楽しみと言いますが、春を売る女性達が少々出稼ぎに」


 ハゼは少しだけ顔を赤らめつつも眉根に皺を刻みながら言い辛そうに説明する。ヤーはいっそのこと直接的な表現を使えばいいのにとわずかに苛立つ。

 しかしミカが純粋な瞳でヤーに春を売るってどういう意味と尋ね、ヤーが言葉を失くした代りにオウガがミカの頭を小突く。


「ミカ、男には女に尋ねちゃいけない物事があるんだ。大人の楽しみは大抵男の楽しみであって、女に聞くことじゃないんだよ」


 子供を叱る口調で諭すオウガにミカは頷く。ハゼもオウガの言葉に大いに頷き、それがむしろヤーの怒りを少しずつ沸騰させる。

 性別的な問題を尋ねられるのは嫌悪を抱かせるマナー違反だが、女子ども扱いされるのも嫌いなヤーだ。むしろミカに堂々と説明してやろうかとも思った。

 しかしその前にオウガが悪戯を思いついたような顔でミカの耳元で内緒話するように囁く。それは横で聞いていたヤーとハゼの心臓を凍らせるような内容だった。


「この件が終わったら連れてってやるよ。もう十五だもんな。そろそろそういうのを知るべき……」

「こらこらこらこらぁっ!!ミカに余計なことを教えるんじゃないわよ!!御落胤ごらくいん問題が起きたらどうすんの!?」

「そうじゃ、そうじゃぁっ!!王家の血筋を勝手に増やすことはいかん!まずは避妊から教えないといけないじゃろうがぁっ!!」

「問題はそこじゃない!!とにかくミカにそういったことは全面的に禁止!!」


 問題発言を連発するオウガとハゼに鬼のような形相を向けるヤー。とりあえずミカはそれを見て、聞いて、春を売るは子づくりに関係するのかということは理解した。

 ヤーが思うよりは少し年頃の少年らしい思考のミカだが、色事に関しては兄であるフィルから徹底的に注意するように言われている。王族として、理解しておくべき知識として十二の頃には教育されている。

 十二の頃と言っても、ミカは人形王子として人間の機能は大分低下していた。同じ男であるハクタが気まずそうに教えてくれたが、大分曖昧な記憶と知識しかない。


 とりあえず気を付けるべきは、できる限り商売をする女性と密室で二人きりにならない。裸にならない。興奮しそうになったら気を鎮めるように。の三点だけだ。

 ミカは小声でオウガに春を売るところは女性と密室で二人きりになって裸で興奮する場所なのかと尋ねれば、オウガは目を丸くして、間違ってはいないと微妙な顔で答える。

 しかしそれだけでミカは自分が行ってはいけない場所であると認知し、オウガに再度小声で申し訳ないけど行けないと伝えた。


「ヤー、安心して。俺は春を売る場所には行かないから!!」

「当たり前でしょうがぁっ!!大声で宣言することじゃないのよ、あほんだらぁっ!!」


 先程から叫びまくっていたヤーを落ち着かせようと声をかけたミカだが、裏目に出る結果となった。顔を真っ赤にしたヤーに拳で腹を殴られ、涙目になる。

 さすがにこれは危ないと判断したハゼがヤーを羽交い絞めにし、何度も落ち着くように進言する。オウガは膝をついたミカの横に中腰で屈み、大丈夫かと声をかける。

 ミカが大丈夫と声を発することができたのは、神官達が挑戦者全てを追い返して正門の扉を閉じた後である。その頃には夜空に星が輝く時間帯となっていた。




 神官達が見守る中でオウガとヤーが台座を観察する。ミカは一人だけ、誰にも見えない妖精の少年が腕組みしながら台座に腰かけているのを視ていた。

 平べったい椀がわずかに斜めになっているような台座に、丸い先端飾りがついた棒が付属している。旗棒と言われたらそうとも思えるが、大分苦しい見方でもある。

 台座に合わせるように棒も斜めになっており、握りやすい角度ではあるが引っこ抜くとなると尻餅をつきそうな位置でもある。


「これ本当に抜けるのかよ?どう見ても台座との継ぎ目が見えないし、抜ける仕組みにも見えない」

「だからこそウラノスの民が仕掛けた選抜じゃないかという伝承があるのよ。それにこの曲面の加工、現在の技術じゃ再現できないほど滑らかだもの」


 話し合いながらオウガが試しに旗棒に手を触れ、引っこ抜こうと手に力を入れる。しかし旗棒は少しも動かず、代わりに氷水晶が軋む音がした。

 周囲にいた神官達が騒めくと思ったヤーはすぐに手を離すように指示する。オウガが握っていた場所には欠けたような傷ができていた。オウガの力強さを物語っているが、ヤーにとってそれどころではない。

 ウラノスの民が残した貴重な遺跡物なのだ。壊したとなれば責任問題に発展する。慌てて直そうとしたヤーの目の前で、水の精霊が集まって自己修復する様子が視えた。


 精霊が視えないオウガからすれば棒が時間を巻き戻すように治癒されたに見えた。これが精霊術なのかとヤーに視線を向けるが、彼女すら驚いている。

 ただしミカだけは台座に腰を掛けていた妖精が盛大な舌打ちの後に精霊術を使ったのが視えていた。まるで呼吸をするように一瞬で発動していたため、これが妖精の力かと感心していた。

 ミカの目はあまりにも視えすぎている。そのため一度目で捉えた存在は全てを知覚され、聞こえないと信じていたために漏らした言葉すら彼の耳に届く。


(これだから野蛮で中途半端な知恵を身に着けた猿は嫌いだ。一体誰がこれを選抜試験の道具だと言った?言ってねぇよ、馬鹿め!猿!)


 外見からはかけ離れた暴言の数々すらミカは知覚できる。思わず言葉を失くすが、それでも妖精は台座を見て選抜試験の道具ではないと言った。

 よく視れば台座の根元から伸びた透明に近い鎖が妖精である少年の右足を縛り付けている。だが妖精はそれに気付いていないようで、オウガとヤーの後ろに回り込む。

 そしてオウガの背筋に精霊術をかけようとした。寸前、自分に害する気配だけを嗅ぎ取ったオウガが勢いよく後ろを振り返り、殺気を込めた視線を気配がした場所に向ける。


 オウガから離れた場所、壁際にいた神官が運悪く視線の先にいた。心臓を握り潰されるような恐怖を感じた神官は、息を短く呑み込んで吐き出せなくなる。

 妖精は舌打ちしてオウガから離れた。今度はヤーに対して精霊術を使おうとしたが、水の精霊が不自然に集まるのを目で追った彼女に気付き、断念する。

 残りはミカだけとなったので視線を向ければ、逸らされることない金色の目に映し出されている自分を感じ、動きを止める妖精の少年。


(……いや。視えているはずがない。僕は今完璧に姿を隠しているし、そんな妖精の状態を見つけられる猿がいるはずがない)

「オウガ、その神官は無実だよ。あまり殺気向けてると可哀想だから止めて」

(そうだぞ、猿。僕の存在に気付けない分際で一丁前に気配だけで反応しやがって。次こそはその息の根すら凍らせて)

「ああ、うん。独り言になりそうだから恥ずかしいけど、君も止めてね。全部えているから」


 ミカの穏やかな言葉の中に混じる含みに気付き、オウガを馬鹿にしようと次の言葉を用意していた妖精はぎこちない動きでミカへと振り返る。

 決して逸らされない金色の瞳。確実に視られている。あり得ないと思いつつも、妖精はミカを凝視しながら近づく。ぶつかりそうになったミカは体の位置をずらす。

 するとミカが立っていた場所に矢が刺さる。これは妖精だけでなくミカも目を丸くし、その二人を差し置いて走り出したオウガが弓を構えた神官を捕まえようとする。


 周囲にいた神官も驚きながらも驚異の排除を目指して動き出す。弓を持っていた神官は逃げ出そうとしたが、ヤーが精霊術でその足を凍らせて動きを抑える。

 氷を砕こうとした神官の眼前で獲物を狩る獣の表情をしたオウガが迫る。素早く動くために愛用の武器であるパルチザンは台座に置き、分厚く大きい手で襲撃者の顔を掴む。

 顔と足を固定された神官の心臓の上を正確に空いている拳で衝撃を与えたオウガ。神官は白目を向いて倒れる。呼吸が整わず、口からは白い泡が零れ始める。


「手加減はした。死んでねぇよ。よくこいつが攻撃しようとわかったな、ミカ」

「え!?」

「背中と正面で迷ったんだが、正面の気配は動くかどうか曖昧でよ。でもお前の挑発で尻尾を出した」

「挑発?え、あ、全部みえているってそういう意味じゃ……」


 やっとミカはそこで理解に至った。先程出した言葉全ては目の前にいる妖精に告げていたのだが、隠れていた暗殺者は自分に言われていると勘違いしたのだ。

 その神官は無実、ということは他の神官を疑っているのではないか。君も止めてね、は自分の行動すべてが見破られている。ならばすぐさま行動するしかないと相手を焦らせた。

 オウガはすぐさま台座に戻っていく。倒れた神官は他の神官達が縛り上げて動けないように手配する。神殿には牢はないので、鍵付きの倉庫に閉じ込めて早朝にでも近くの村に居る警備兵に渡すとのこと。


「ミカ王子、大変申し訳ありません!!このような不手際は全て私の責任……いかなる罰もお受けします!」

「い、いや、オウガがいたから大丈夫だよ。それよりもあの人が誰の手配でどういった理由で襲ったかの究明を急いで。内容次第では神殿も危ないから」

「かしこまりました。歴戦の戦場を走り抜けたこの老兵、全力をもって吐かなくてもいいことまで吐かせますとも!!」


 そう言ってハゼは急いで神官達に尋問の手配と緊急身分検査を指示し、神殿内でも有力で身元が信頼できる者達を集めていく。

 後程テトラを部屋の案内につけるので、それまで試練の間で待機してほしいとハゼはミカに伝え、他の部屋へと姿を消した。

 残されたミカ達と警護として残った数人の神官達は少しの間言葉を発さなかったが、耐えられなくなったミカが横で呆けたままの妖精に話しかける。


「とりあえず名前を聞こうかな。できれば姿を他の人の前にも見せてほしいけど……うーん」

(う、そだ……僕の姿が視えているなんて。もしかして魂まで見抜く才覚を持っているのか!?悔しいが……猿から人間に昇格してやろう。僕の名前はアトミスだ、人間)


 ミカに存在を確認されたことを素直に認め、少しだけ態度を緩和させた妖精アトミス。しかしミカは目の前でアトミスの魂が色鮮やかに変化していることに苦笑いだ。

 怒りの赤、慌ててパニックになっているが故の水色、冷静さを取り戻そうとする理性の青、相手を認めたことに対する照れの桃、それら全てをばれないように平静を保とうとする緑。

 正直視てるだけで目が痛くなるような魂の変化に、ミカは魂まで見通すのを止めて存在だけを知覚することにした。大分外面と内面の差が激しい気性のようだ。


「ちょっとミカ。もしかして本当に旗棒に妖精がいたの!?それが本当なら大発見よ!もしかしてウラノスの民に関する証言が得られるかも」

(黙れ雌猿!お前みたいな猿の中でも多少知恵をつけた存在がウラノスの民が抱く秘密に近付いていい理由にならん!僕の視界から消してもいいんだぞ)

「なにもない空間に話しかけてどうしたんだよ?」

(ふん。猿にしては力が強いようだが、知能は低そうな顔だ。元から猿に知性は求めていないが、それにしても阿保面め)


 面倒だな。ミカが現状に対して抱いた感想は単純で投げやりな物だった。姿が視えていなくて良かったと思う会話の応酬である。

 麗しく瑞々しい外見な分、アトミスの言葉はミカには受け止めきれないほど乱暴だ。まず下等の存在として決めつけられ、馬鹿にされているのだ。

 どうしようかと思った矢先で意識の内部から元気を取り戻したレオが声をかけてきた。元とはいえ聖獣の言葉なら素直に従うかもしれないと提案し、ミカは任せることにした。


「水の妖精アトミスよ。初めましてだな。我が名はレオンハルト・サニー。元太陽の聖獣であり、この人間の前世でもある」


 周囲の神官に聞こえないように小声で告げるレオの言葉に、アトミスは急いで姿勢を正して恐ろしく誇り高い物を見つめる視線を向けてくる。

 その視線に慣れているレオは特に動じず、橙色の光が灯る左目を神官に見られないようにとヤーに隠すよう促す。オウガの体を影にし、ヤーは何事かと小声で尋ねる。

 レオは掻い摘んで、気難しそうな妖精だから聖獣の威光を使って説得するから待っていろ、と説明する。実際にアトミスは人間だと思っていたのが格上の聖獣を前世にする存在だと知り、緊張のあまり言葉が出てこない。


「さて、汝が猿と馬鹿にした二人は我が友人だ。言葉遣いを直せとは言わんが、愚弄を続けるようであれば不愉快だ。なにか弁明はあるか?」

(そ、そうとは知らず大変無礼に当たる言動を致してしまい、申し訳ありません!!ご、ご容赦頂けるのならばなんでもします!!)

「我も獅子ではあるが鬼ではない。ならば二人の目の前に姿を現せ。他の人間に関してはそちらの判断に任せる」


 冷や汗が流れていたら洪水になっていたかもしれないほど顔色を悪くしたアトミスは、レオの言葉に従ってヤーとオウガに視えるように顕現を調整する。

 それを確認してすぐにレオは意識の内部へと戻り、入れ替わるようにミカが表に出てくる。左目は輝く金色に戻り、姿を隠す必要がないと感じたオウガが体をずらす。

 ヤーとオウガは目の前に現れた美しい少年に驚いた。警護している神官達の様子を確認するが、彼らにはその姿は視えていないようだ。


(ま、まさか人間……いや、ミカ、様、がレオンハルト・サニー様を前世とする獣憑きとは)

「俺は呼び捨てでいいよ。レオもフルネームは面倒だからレオでいいってさ。ヤー、オウガ、彼がこの台座を守っている、かな?の妖精アトミス」

「驚いたわ。さすが太陽の聖獣。こんなにもあっさりと妖精を説き伏せるなんて。アンタを連れてきて正解だったわ」

(ぬ、ぬぐぅう。レオ様の御友人となれば猿とは呼べぬか……しかし敬称は絶対つけないぞ!!わかったな!)


 アトミスの宣誓に混じる猿と言う単語にヤーとオウガが疑問を感じ、ミカに視線を集める。説明するとややこしくなるため、ミカは笑顔で誤魔化した。

 不遜な態度で腕組みしているアトミスはミカに対しては大分柔和な態度になったが、ヤーやオウガに対しては厳しい視線を向け続けている。


「もしかしてさっき背後から感じた気配はこいつかよ?子供の悪戯に近い気配だったが、なにしようとしたんだよ?」

(なんで僕がお前如きに説明する義務があると思うのか、理解に苦しむな。レオ様の御友人だから姿を見せただけであり、お前如きに心許した覚えはない!)

「……こいつの殴り方を教えろ。顔面へこましてやるからよ」

「知覚できたら触れることも可能だけど、傍から見たら怪しい人だから止めた方が良いよ」


 青筋が浮かぶほど拳を強く握りしめたオウガに対し、ミカは少し疲れたように説明する。オウガも一筋縄ではいかないが、アトミスはそれ以上のようである。

 ヤーもこれが氷水晶の神殿で幻と言われた妖精なのかと疑わしい目を向けている。しかし知覚できたとはいえ、二人もアトミスの右足を縛る鎖に気付いていない。

 ミカにだけ視える鎖。アトミス自身すらも気付いていないとなると、仕掛けは台座の方にあるということだ。しかし台座に関してはいまだに使用方法が判明していない。


「アトミス。この台座にはどんな意味があるの?それがわかるだけで、多分旗棒を抜く人がいなくなると思うけど」

(言えない)

「……ウラノスの民に繋がるから?」

(それもあるけど、この神殿と周囲の存続に試練の間は欠かせない。大変不服なことではあるが)


 言いながら舌打ちするアトミスは護衛として残った神官達に目を向けている。それは先程挑戦者やオウガ達に向けていた感情とは別物であった。

 馬鹿にしている感情は残っている。それすら包み込むような愛おしさと呆れが混じった視線。長い間この場所で彼らを見守ってきたを物語るような表情。

 ミカがもう少し追求しようとしたところで、気が抜けるような足音と焼けた甘い芋の香りを感じ取って振り返る。予想通り両腕で持ち上げるほど大きい籠に焼き芋を入れたテトラが笑顔で向かってきていた。


「お待たせしましたぁ。見てください、こだわって焼き上げた絶品級の加減です!あとでスイートポテトにマッシュポテトにポテトサラダに……」


 次々と焼き芋を利用した料理名を呑気に述べていくテトラは底抜けに明るい笑顔を浮かべている。アトミスがそれを見て舌打ちするが、若干優しい音をしていた。

 そして聞こえてくる美味に反応したヤーの腹が音を鳴らした。誤魔化そうと咳払いしたが、あまりにも大きくてオウガが同情を込めた視線を向けるほどだ。


「そういえばハゼ神官長が慌てていましたけど、なにかあったんですかぁ?」

「聞いてないのかよ。神官が一人、ミカを狙った。心当たりはないのかよ?」

「え?それって大変じゃないですか!?み、ミカ王子お怪我は!?あ、あのあの、何かの間違いとかそういうのじゃ」


 オウガが床に突き刺さっていた矢を拾い上げてテトラの眼前に持ってくる。その間に床はアトミスの精霊術によって修復され、ヤーがそれを眺めていた。

 やっと事態を把握したテトラは焼き芋が入っていた籠を落とし、大慌てでミカの体に触りまくる。さすがに王子であるミカに気安く触れすぎだと周囲の神官がテトラに注意する。

 テトラは何度も謝りながら焼き芋を拾い上げて籠へ乗せていく。ドジな娘を持った親のような顔で周囲の神官もそれを手伝い、散らばった灰などを丁寧に掃いて回収する。


「あう~、最近は村の方でも変な噂広まってるし、野盗の数も増えているしで、大変なのにぃ」

「噂に野盗?」

「あうっ!ミカ王子の耳を煩わせるほどの内容じゃないですぅ……多分」

「じゃあ俺に教えてくれよ。野盗の数に関しては俺も気になっていることだからよ」


 そう言って部屋へと案内しようとするテトラに声をかけるオウガ。オウガは首都ヘルガンドに向かう際にも山賊、野盗の一種に出会っている。

 野盗にも種類がある。統率が取れた組織的な物から烏合の衆など様々だ。しかし内容次第で危険度は格段に跳ね上がり、騎士が討伐する事態もある。

 オウガが出会ったのは烏合の衆に近い集団だった。飢えと貧困から逃れるために税である穀物を奪おうとした、社会から零れ出た存在である。


 しかし十年前に流行病の「国殺し」と五年前の大干ばつ。そのどちらからも年数が経過した今、野盗が増えているのは些か奇妙だった。

 五年前の大干ばつから復興しようとあらゆる場所で人員募集が行われ、国の補償も施されている。働く場所に困るような状況下ではない。

 金さえあれば宿屋までとはいかずとも一軒家の軒下を借りることや、藁倉庫を一晩だけ寝床として与えてもらうことも簡単だ。


 衣食住に困る理由は二つ。物資の不足か、金がないか。オウガが把握している段階においてどちらも当てはまらない。

 しかし他に理由がないわけではない。むしろ二つの理由以外が厄介であり、多くの者が巻き込まれやすい。いわゆる、人心、というものだ。

 近々戦争が起こるかもしれない、世界の終末を逃れるには、大災害が起こると予言者が流布している、という不安が物資や金の不足を招くことがある。


 テトラに案内されながらオウガは前を歩いているミカに目を向ける。不安の原因、流れる噂、その種にされている王族。

 ミカが五歳の時に病。十歳の時に大干ばつ。そして今年は彼が十五歳の齢であり、年の終わりも近くなってきた秋。実りが少しずつ消えていく時期。

 もしも近く異変が起きるならば今年中なはず。そう考えている国民は少なくないだろう。年の終わりが近づくたびに不安は大きくなっている。


 テトラがミカに対して噂などを言わなかったのも同じことだ。おそらく近くの村で流れている噂はミカを元凶とする異変が起こるかもしれない、という内容だ。

 確定的ではない上に実証性もない。それでも心のどこかで原因を求め、全ての罪を擦り付けようとする自己保身は誰にでもある。噂はミカを原因とすることで一定の安心を得るための餌だ。

 それでフィルがミカとオウガのすり替えを企んだのかと半分は納得した。もう半分は、何故最初からばれること前提ですり替えたのか、ということだ。


「お部屋ですぅ。食事の準備ができましたら部屋までお持ちしますね」

「……いや。神官達と同じ食事を頂きたいから、神官達が集まる食事の席に入ってもいいかな?」

「構いませんよぉ。じゃあまた後でお呼びします。あ、オウガ殿にお話はどこでされた方が……」

「ミカの部屋にヤーが入ってろ。俺とテトラは隣の部屋で話す」


 オウガの言葉にヤーは頷く。護衛の役割であるオウガが離れるとなると、ミカの傍に信頼できる人間を一人置かなくてはいけない。

 魔人相手には一歩遅れたが、ヤーは本来天才精霊術師として有名だ。その精霊術は大人顔負けとされている。だからこそ国の命を与えられる身分でもある。

 壁越しに連絡できるように計らったオウガの意図を汲み取ったヤーはミカと一緒に二人部屋に入る。テトラとオウガは右隣のヤーに与えられた一人部屋に入った。


「えっとぉ、御想像通りだとは思うのですが、噂はミカ王子なんです。でもちょっと変なんですよね」

「今年はミカ王子が十五歳。だから五年ごとに起こるなにかがあるのではないか、と言う類ではないと?」

「私が聞いたのは、ミカ王子が呪われているから殺すべきだ、そうすればユルザック王国は安泰だ、という危険思想が混じった物ですぅ」


 困ったように話すテトラに対しオウガが少しだけ表情を厳しくする。確かに噂としてはやや危ない上に、話す人を選ぶ物だ。

 テトラは根拠どころが根も葉もない噂なのに村中に広がっていると言う。まるで誰かが意図的に先導しているような策謀も感じるのだと。

 ハゼ神官長は噂に振り回されず通常業務をこなすようにと怒るほどであるが、神官達の間でもミカの来訪が知らされた時には、この噂が密やかに出てきたという。


「だから神官の一人がミカ王子に矢を向けたと聞いた時、怖かったですけどぉ……噂のせいかなと思っちゃって、私も酷い思考ですよぉ……うぅ」

「阿保らしい話だよ。だからってアンタが気に病む話でもない。しかし人を殺すほどの強迫観念がある噂とも思えないが」

「多分……この神殿を守りたいと思う気持ちと、十年前の流行病による因果かもしれないですぅ」

「どういうことだよ?」


 テトラは顔を少し俯かせた後、決心したように顔を上げてオウガにあることを告げる。


「この神殿に集められた神官の多くは、私も含め、十年前に国殺しで家族を失った人達なんです。ハゼ神官長に助けてもらって、神殿で働くことを許された特例なんですよぉ」





 乾いた風の中に混じる熱に疲れ果てた者達で溢れた路地裏。流行病である「国殺し」は終息したが、人々の生活はそうではない。

 国の補償を受け取ろうにも歩くことすら困難になり、身分を証明できる手段さえ失った者達。帰る家や名前すらも売り、それでも希望すら見つからない死に一番近い場所。

 冷たい石畳の上でテトラは紙に包まって寝ていた。唇は荒れ果て、頬は痩せこけて、手足は骨と皮しか残っていない状態。友も親も病で死んだ子供の末路。


「なんじゃい、なんじゃい。魂が抜け落ちたような顔をしおって。だらしない。ほれ、帰る場所がないなら一緒に作りにいかんか?」


 差し出された手の中には小さなパン。それすらも御馳走で、奪い合いになると思ったテトラは手が伸ばせなかった。怖くて身を丸め、震え続けた。

 しかし予想していた怒号や争う音は聞こえず、おそるおそる顔を上げる。先程変わらない様子で老人がパンを差し出している。少し怒った顔で、冷めたら不味いぞ、と優しく声をかけてくれた。

 周囲を見渡せば路地裏で息していた者全てに老人はパンを与えていた。小さくて作り方も単純な量を増やすことだけを目的にしたパンだが、誰もが無言で食らいついていた。


「エカテリーナ王妃が死んでしまった。その事実がどうも武官である儂の心を萎ませてしまった。ならば人殺しの武官から、人を救う神官になるのも面白いと思わんか?」


 穏やかに話す老人の言葉はテトラの耳にはほとんど入らなかった。ただひたすら目の前にあるパンに齧りつき、呑み込む。

 久しぶりに満たされた胃から熱い物が込み上げ、出るとは思わなかった大粒の涙が目から次々と零れていく。咽れば老人は水も与えてくれた。

 その路地裏にいた全員が老人からパンを受け取ったが、彼についていこうと歩き出したのはテトラだけだった。武骨ながら皺が多くて温かい手を握りながら、テトラは尋ねる。


「パン、ありがとぉ」

「気にせんでよい。武官時代に稼いだ金を自己満足で使ったにすぎん。それよりも次じゃ、次」

「どこいくの?パンを与えても、ついてくれるとは限らないのにぃ」

「儂が欲しいのはパン目当ての輩じゃない。馬鹿な老人の酔狂に付きあうような、お前みたいな優しい馬鹿者じゃ」


 そう言って荒々しくテトラの頭を撫でる老人はハゼと名乗った。ハゼは彼女に清潔な身なり、簡素な服、一定の教養を与えてくれた。

 二人でユルザック王国の各地を一年間歩き回り、一人、二人、と人数が増えていった。誰もが「国殺し」で大事な物を失い、ハゼに希望を与えてもらった者達だ。

 そして異様に冷たい森の中から謎の神殿が見つかり、多くの神官達が管理を拒む中で挙手をしたのがハゼである。彼はそうやってテトラ達に帰る場所を作った。


 もちろんその道は過酷だった。今まで神殿に仕えるとは思っていなかった者達ばかりで、大慌てで神殿管理から礼拝の作法を頭に叩き込んだのだ。

 しかし人一倍努力したテトラはハゼから独立できるほどの地位を得た。それでもハゼの傍で働き続けるのは彼に恩義があり、それに報いたいため。

 ちなみにテトラが太り始めたのは、与えられたパンから食事をすることに目覚めてしまい、昔痩せていた反動が大きく戻ってきたためである。





 神官達と同じ食事の席を終えた後、オウガはテトラから聞いた話を二人部屋の方でヤーとミカに聞かせた。

 ヤーは大分食事に満足していた。氷水晶の神殿で振舞われた食事量は大食漢である彼女すら驚くほどである。それを神官達と一緒に完食したのである。

 ミカはその様子を楽しそうに眺めながらゆっくりと食べていた。特にヤーが食べたと判断できた食事を手に取ることが多かった。


「ハゼ神官長は確かに異例の人事なのよね。この神殿は九年前に発見されたんだけど、その時の森の状態が異常だと聞いているわ」

「今もかなりな冷気があるけど、それ以上かよ?」

「夏なのに樹木に氷柱ができていた。しかも当初はなにを祀っているか不明。だから高名な神官共は立候補しなかったのよ」


 神官は配属される場所を選ぶことができる。もちろん人気が高いのは月や太陽の聖獣を祀る神殿である。規模も人数も桁違いだ。

 逆に人気がないのは新規に発見された遺跡に近い神殿である。氷水晶の神殿は数百年前から存在しているが、発見されたのはここ近年である。

 しかしここでミカが首を傾げる。ヤーと氷水晶の神殿について話した時、彼女は何百年も挑戦者がいると言っていたはずだ。


「挑戦者に関しては二つあるの。一つは旗棒を抜こうとした者。もう一つがウラノスの民に混じろうとした者」

「どういうこと?」

「百年単位の挑戦者は神殿を探していた人達のことよ。口伝で神殿を見つけられた者はウラノスの民になれる、というね」

「神殿は見つかったけど、誰もウラノスの民になれないから今度は旗棒を抜くことが試練になったという流れ?」


 ミカの出した答えにヤーは頷く。神殿の存在自体は数百年前から文献に残っていた。実は氷水晶の神殿がミカミカミとする記録もあったほどだ。

 ただしミカミカミとするにはあまりにもな暴論だったため、ヤーは記述の年数だけに注目した。その資料ですら五十年前の物である。

 昔の人々はウラノスの民が残した神殿を見つけることが、彼らに迎えられる条件と信じて探し続けていたのだ。それも今となっては旗棒を抜く試練に代わっているので、信憑性は薄い。


「なんでそんなにウラノスの民に拘るんだよ。その民はどんな特徴があったとか残ってないのか?」

「歴史外に該当する神世の時代。ウラノスの民は神から不老不死を与えられた存在らしいわよ」


 ヤーがあっさり出した単語にオウガは鼻で笑った。不老不死など王族たちが夢見るような馬鹿物語だと考えているからだ。


「だから最も神に近付いた。天空都市で暮らしているのは当時から生き延びた民達。彼らに迎え入れられるということは、不老不死になるということ。という流れよ」

「御大層な話だよ。大体その天空都市とかも怪しいし、不老不死なんか荒唐無稽すぎる。笑い話にするにはパンチが足りないな」

「アタシは資料の記述をわかりやすく教えているだけよ。でも不老不死が本当に叶うのなら、どんな研究にも時間を惜しまず挑めるわね」

「確かに。不老不死があれば時代を超えて強者に出会える上に、死なないから何度も戦えるのかよ。そこはちょっと魅力的だ」


 不老不死を明るい方向で捉え始めた二人の横でミカは笑顔のまま言葉を発さなかった。その真意を知るのは意識内部にいるレオだけだ。

 しかしヤー達はミカの曖昧な態度に気付く前に、今日はもう寝ようと話し合い、ヤーは一人部屋へと戻っていく。詳しい話は朝でも問題ない。

 氷水晶が蝋燭の灯りを淡く反射するが、あまり蝋を消費するのはもったいない上に、馬車で揺られた体を癒すのも大事だからだ。


 灯りを消した部屋だったが、それでも星の光を吸収しているのか氷水晶は暗い室内に小さな煌めきを残す。

 寒い夜空の下にいるような気持ちでベッドの中に入ったオウガはミカに背中を向けるように寝転がる。この暗さで顔は見えないが、視線が合ったら気まずいからだ。

 しかしミカは少し遠慮するようにオウガの背中に話しかける。最初は無視しようとしたオウガだが、寝言のように零れてくる声から意識が離れない。


「今日はありがとう。助けてくれて嬉しかった。でも本当にオウガは強いね。俺ビックリした。それだけ強ければ不老不死なんて必要ないよ、きっと」

「……お前は、どうなんだよ?不老不死になれば、命を狙われても怖くないだろう」

「怖いよ。永遠にそれが続くなら、俺は誰かのために死にたい。それに俺が長く生きても良いことなんてないよ」

「それまた悲観的だな。笑顔で誤魔化しまくっているお前から想像できないよ」


 オウガから投げかけられた言葉に少しだけ間を空けたミカ。それでも肩を震わすような小さな笑い声を零す。


「兄上がね、どんな時も笑えって。笑顔に敵う武器はないんだって。俺は第五王子で、西の貴族の血を持ってて、獣憑き。これは全て武器にならないから」

「俺からすればオンパレードだけどな。王族で、貴族で、妖精を従えられる。俺よりも断然強いじゃねぇかよ、お前は」

「でも弓矢で死ぬよ。神官達と一緒に食事したのも、毒が怖かったからなんだ」


 その言葉にオウガはミカの弱さを感じ取る。人間であれば平等に振り分けられる、体と命の脆弱性を王族も持っているのだ。

 ヤーが食べた物をあえて選んで食べていたのは、毒見役として利用していたのだ。その事実にオウガは隠す気のない舌打ちをする。

 同い年の少女を犠牲にしても生きるのが王族なのか。そう思ってミカの評価を取り下げようとしたが、ミカは申し訳なさそうに小声で続ける。


「ヤーにお願いしたんだ。精霊術で毒の中和できるって聞いたから、もしも俺が食べて倒れたらお願いって。解毒薬と思わせて、複合型の即死毒だったら手に負えないから」

「……なんだよ、それ。倒れた人間に追い打ちをかける奴なんて……」

「王族だから。実際に王家の歴史であるんだ、そういうの。ヤーには食べる時に精霊術を使いながら食べてって頼んだよ。もしも神官全員巻き込む事態だったら、オウガを優先的に治療してとも」


 オウガとテトラが隣部屋で話している間にミカは何度もヤーに頭を下げた。もしも個室に運ばれた食事に毒が混ざっていたら、対処が遅れるかもしれない。

 だからこそ神官達が集まる場所の食事を選んだ。そして食事全てに毒が混ざっていたならばオウガとハゼを優先的に治療してほしいとミカは願った。

 ヤーは精霊術使いながらの食事は疲れる、王族であるミカが最優先と説得しようとしたが、ミカは決して譲らずに無理矢理了承させた。


 ミカ自体も酷いことを頼んだ自覚はある。それでも神殿内に詳しいのはハゼであり、一番動けるのはオウガであると判断した。二人を優先した方が救える命は多くなる。

 結果的に食事には毒は含まれていなかったが、ミカは食事中ずっと緊張して味が感じられなかったほどだ。普段どれだけ城内で守られていたかわかる。

 今まではハクタがいた。食事係にはリリィやミミィがいた。城の中ではフィルが目を光らせ、怪しい物はひたすら排除していた。しかし氷水晶の神殿にミカを守る物はない。


「俺はまだ死んじゃいけない。西の大国が戦争に踏み切れないのは、俺がいるから。レオナスの血が王国を守っている」

「だからなんだよ?本当になんなんだよ?お前は結局俺になにが言いたいんだ!?」


 ミカから声をかけられるのが辛くなってきたオウガは思わず声を荒げる。これ以上ミカの話を聞けば、ずっと抱えていた王族への嫌悪が消えていきそうになるのだ。

 それが許せないオウガはミカの言葉を跳ね除けたかった。それでも大事なことを伝えたいという雰囲気に流され、結論を言えと迫った。






「俺は生きたい。だからオウガのことを頼りにするから」






 そう言ってミカは沈黙した。一切疑わない決心を感じさせるような言葉に、オウガは布団の中で顔を歪めた。どうしてそんな風に頼ってくるのか。

 嫌いなのに、好きになってはいけないのに、ミカとヤーの傍にいるのが楽しくなってきた自分がいる。それがオウガには悔しくて、苦しかった。

 弱きを守る強き存在になる。オウガはそれをずっと目指してきた。その答えが目の前に現れ始めたようで、でも認めたくなくて葛藤する。


 オウガが守りたい弱い存在。それは大嫌いな王族で、すぐに死んでしまう可能性を持つミカだった。

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