第6話「途絶した精霊術」

 兄に憧れていた。父母が流行病で死んでも気丈で自分を守ってくれた存在。幼いオウガは長い行列に並ぶ間、少しも寂しさを感じなかった。

 繋いだ手は力強く、決して離してくれないと思っていた。だから兄弟の縁を切ると言われた時、怒ろうかと考えた。できなかったのは、兄の表情を見たから。

 誰かを守るために自分の悲しみを決して浮かべない顔。父母が死んだ時も同じ顔をしていた。兄はそれと同じくらいの感情を抱えて、オウガに別れを告げたのだ。


 兄弟から、兄弟弟子に。どんなに同じ血が流れていても、家族と名乗れない。


 王族を守るために騎士となる。その目標に向かうため、兄は彼らですら手が及ばない場所を転々とする老人にオウガを預けた。

 憧れの兄が守る存在ならば、きっと多くの者を救えるはずたと信じていた。だからこそ大干ばつの年、乾いて、飢えて、倒れる人々に絶望した。

 鍛えた体で水を探すために一日中地面を掘り続けたこともあった。泥水を浄化するために大型の樽に砂利や砂を段階的に層として作ることもあった。


 しかし湧き出た水を、浄化した水を、貴族は奪っていく。何度も食って掛かろうとした矢先、師匠である老人に止められた。黙って見過ごすしかないと。

 横暴な貴族を止められるのは王族だけ。庶民が抵抗すれば金の力や権力で潰される。兄が守る王族ならば貴族を叱ってくれると信じていた。

 だが王族が行ったのは祈りだけ。解決は聖獣と呼ばれる見えない存在。掘り続けて血が滲んだ手の平を握り締め、オウガは雨が降る天に向かって吼えた。


 何度も吼えた。叫ぶというにはあまりにも獣的で本能に従った声。恩恵である雨を全身に浴びて、失望していた。

 兄弟の縁を切ったというのに、兄が守る王族に貴族を止める力がない。事件を解決することもできない。水を与えてくれるわけじゃない。

 悔しかった。強くなりたかった。それしか道がなかった。水も飲めず死んでいった者の墓前で、雨で頬を濡らしたオウガは誓う。


 貴族を、王族を許さない。いつか彼らよりも強くなり、どんな弱い者も守れる男になる。兄よりも守れる者に。


 だから王族を嫌う。誰よりも強くなる。弱い者を守る。オウガはその思いを抱きながら、師匠である老人についていく。

 どんな修行も乗り越えて、オウガは確かに強くなった。成長途中でありながら、歴戦の武人にも劣らない実力を身に着けた。

 オウガはそこで老人の正体が気になったが、詳しく聞くことはできなかった。老人はオウガよりも才能がない凡人だが、オウガよりも強いのだ。


 一体どこでこれだけの剣術や武術を身に着けたのかを聞いたことはあった。すると老人は百年単位を三回以上積み重ねれば拾得可能だと笑いながら告げた。

 もしも話が本当ならば、老人は三百歳以上ということだ。馬鹿な話だとオウガは笑い、次の瞬間には修行の続きだと川に投げ込まれたのは思い出したくない事柄である。

 しかし凡人である老人が才覚のあるオウガよりも強いならば、思わず頷きそうな年数でもあった。ただしオウガはその時、川にいた水蛇に締め付けられていたため気にすることはなかったが。





 そんな昔の夢を見て目が覚めたオウガの機嫌は最悪だった。同じ部屋の違うベッドで寝ているミカの間抜け面すら苛立つ要因である。

 昨晩、うっかり大嫌いな存在である王族の言葉に絆されそうになった。それを思い出して、オウガはあんな夢を見たのかと頭が痛くなる気持ちだ。

 しかしミカは弱い。色々な肩書や事情を持っているが、戦闘力という面では限りなく最弱だ。おそらくヤーと喧嘩しても負けるのがオウガにはわかる。


 窓がない部屋だが、氷水晶は光を取り込む性質があるのか、早朝の太陽が差し込んだように明るい。オウガはそのまま着替え始める。

 そこで壁や天井を通して祝詞の声が反響するように聞こえてきた。その音に反応してミカが目を擦って起き上がり、寝ぼけまなこで室内中に目を向ける。

 最初は鈍い光を宿していた金色の目が、少しずつ訝しむ物へと変わる。そして人形のように動きを止め、少しの間沈黙した後、再度明るい輝きを瞳に宿す。


「おはよう。今の祝詞、なんか変だったね」

「……いや、俺はそういうのわからないからよ。ヤーにでも相談してくれ」


 挨拶されたオウガだが、あえて挨拶は返さない。ミカの和やかな雰囲気が王族のイメージとかけ離れているため、オウガは親身になってしまいそうになる。

 それを恐れるが故に素っ気ない態度をとる。しかし多少の罪悪感と礼儀を損失した行動に反省する様子が魂に表れいる。それをミカは視て、視ぬ振りをする。

 藍と黒の従者用衣装を着替え終えたオウガの背後で、ミカも赤と黒を基調とした王族衣装を一人で器用に着替えていく。釦や細工が多いのに、慣れた手つきだ。


 昨日の襲撃を思い出してオウガは愛用武器であるパルチザンを片手に部屋の扉を開ける。廊下に神官の姿はなく、ヤーの姿も見えない。

 部屋を出ていきなり襲い掛かってくる事態はなさそうだと判断し、ミカに目配せする。頷き返したミカはオウガの背に守られつつ、右隣のヤーがいる部屋の扉をノックする。

 しかし返事がない。ミカはもう一度ノックする。すると思い出したかのように足音がした後、水色と白を基調としたローブを着たヤーが扉を開けた。


「悪いわね。さっきの祝詞が精霊言語にしては違和感が多かったから、解析していたわ」

「あ、やっぱり。レオも同じこと言ってたよ。古い言葉遣いと新しい単語が混じりすぎて訳わからないって」

「話し込む前に朝食と俺に説明してくれよ。それと今日の方針」


 考え込むヤーに同意するミカ。その二人に声をかけるオウガ。まとまっているとは言いにくい段階だが、旧友のように距離は近い。

 ヤーとオウガは基本が遠慮しない性格なので、あまり人と距離を開けることがない。ミカ自身も心許した相手に関しては肩がくっついても気にならない性質だ。

 とりあえず昨夜と同じく神官達が共同で使う食事の部屋に向かい、食べながら話そうということになり、三人は氷水晶の廊下を歩き始めた。


 氷水晶の神殿。名前の通り透き通った氷のような水晶で作られた神殿だが、後から入れられたであろう家具や小物は木材などが多い。

 食事する部屋では木の長机と長椅子が均等に置かれ、厨房として使っている部屋の釜戸や暖炉は煉瓦である。そして本日の朝食は野菜スープとパンに果実水だ。

 しかし量が多い。昨夜の食事でもミカは全部食べることに苦心した。まずスープに入っている具材の切り方も大きめに切ってある。


「んで、祝詞やら精霊言語やらどうなってんだよ?」

「この神殿では朝昼晩に祝詞を捧げるのよ。神殿の機能として働くようで、さっきも壁や天井で精霊達が神殿維持のために動いていたわ」


 祝詞が始まる前に起き上がったヤーは一日の行動を計算していたところ、聞こえてきた音に耳を傾けながら、目に映る物に驚愕していた。

 氷水晶の神殿は四大精霊である火水土風を利用して形を維持している。その精霊達が祝詞を通して活性化しながら神殿を巡るように移動していた。

 神殿の構成基幹に祝詞を全体に張り巡らせる機能があるようで、そのためヤーやミカ達の部屋にも遠い部屋から捧げられた祝詞が聞こえたのだ。


「ただ、動きがおかしかったから覚えている限りの祝詞を書いたんだけど……読める?」


 明らかに読めないだろうという顔をしつつ、オウガの前に一枚の紙を差し出すヤー。オウガだけでなくミカも首を横に振る。


「これは精霊言語。神が作り上げた世界言語とも呼ばれていて、私達が使ってる人間言語もこれが元なの」

「レオが読めるって言ってた。さっき詳しく聞いたけど、精霊術や妖精達も使う言語なんだって。精霊達もこの言語に従うことができるんだってさ」

「アタシの精霊術でも使っているわ。おそらくこの精霊言語自体が言霊という役目を果たして……って、レオは読めるの!?」


 説明途中でヤーは身を乗り出しながら向かいの席にいるミカの目を覗き込む。驚いたミカはひっくり返りそうになり、横にいたオウガに背中を支えられる。

 オウガに礼を言いつつミカは頷く。祝詞が聞こえてきた際に意識内部にいたレオに話しかけていた。そこで初めて精霊言語について知ったのである。


「元聖獣は便利ね。とりあえずこの祝詞を解読すると、こうなるわ」


 言いながらヤーは持っていた羽ペンのペン先をインクボトルに浸し、書いた精霊言語の下に人間言語、ユルザックで使われている言語で翻訳していく。

 読み上げると神殿の機構に影響をもたらすかもしれない、という用心のためだ。しかし翻訳された内容にオウガは疑わしい目を向ける。



 我々は宇宙人だ。本日は今年の今日で朝である。連絡事項について申し上げたいことがあるで候。

 まず初めに番号を入力する。鎖は繋がれて数字を羅列していく。天空の様子は如何な物であろうか。予定を周知したい。

 受け取った手紙についてこちらから申し上げることはあるかないか。台座はいつもと同じで受け取っている。


 都市の繁栄を願う。我々は引き続き地上での受け取りを行い、各地に散らばりし民については不干渉である。

 手紙の鎖は繋がれて数字の羅列を変更する。異存はあるかないか。神殿の機能は万全であるかないか。ない。

 神の御許に帰ることを願い、我々は──と──について────を行うことを、人々に知られないよう努力する。以上である。



 ミカも翻訳された内容に首を傾げ、ヤーに視線を合わせる。しかし翻訳した本人が一番不服そうな顔をしている。


「この翻訳できなかった部分はなんだよ?」

「精霊言語による発音だと、リ・ユースとリ・サイクル、少し離れたのはリ・ンクね。アタシも初めて聞いたわ、こんなの」

「レオはリ・ンクならわかるみたい。少し変わるね」


 そう言ってミカは傷のある左目に橙色の光を灯す。太陽の精霊が集まり、循環するように明滅を繰り返す。

 雰囲気や顔つきが一瞬で変わり、意識内部にミカが入る。今意識の外側に出てきたのはレオンハルト・サニーという元聖獣だ。


「リ・ンクは契約術だな。例えば水の妖精が太陽の妖精になりたい時、我とリ・ンクすることで魂や意識はそのままに、体を構成している精霊の質を我と同じにする」

「そんなのがあるの!?も、もしかしてウラノスの民も同じことができたら……」

「どうだろうか。正直に言えば聖獣の間でも古い精霊術であり、滅多なことでは使わない類だ。一種の接続関係を構築する、という物だ」


 レオの難解な説明にオウガはついていくことを諦め、ひたすらスープを飲んでいく。ヤーもパンを片手に紙へ今の説明を書いていく。

 体の質を術を使った側と同じにする。それを妖精が使えば、人間を妖精にすることができるのではないのか。逆に妖精を人間の体にすることも。

 もしもウラノスの民がこの術を使えたならば、ただの人間を不老不死の体を持つウラノス民と同じ存在になることも可能だ。


「術自体は簡単だが、使うには行使側の体質を問われる。聖獣以上しか使えない。ウラノスの民は……よくわからん」

「もしかして肉体を精霊などの霊体的存在に近づけるけど、逆は無理ってこと?」

「その通りだ。肉体というのは想像以上に仕組みが複雑でな。ウラノスの民が不老不死だとして、肉体を持っていたら無理な話だし、霊的な体を持っていたと仮定しても、難しい話だ」


 これにはヤーも理解が追い付かない物であった。まず体の仕組み自体が違うため、レオの説明は聖獣側から見たものとなっている。

 つまり人間の体の方が聖獣よりも仕組みが難しいと言われていると同じなのだ。人間の基本は魂と肉体を精神で繋げているが、妖精などは魂と精霊で作り上げた体だけなのだ。

 肉の体に魂を宿すのは厄介なことであるため、精神で繋ぎ止める。だから人の体は神の手でしか作れない。精神は精霊の神を縮められた物とすら言われているほどだ。


「ま、人間など妖精を肉に封じ込めた物だと考えると手っ取り早いな。精神が妖精や聖獣の体部分のような物だ」

「あー、なるほど。構成要素が一つ増えた上に、肉体には肝臓や心臓に脳がある。それらを動かすこと、肉の腐敗で不老不死が無理になる、ということ?」

「五臓六腑が動く限り、肉は老いていく上に精神は摩耗する。精霊を補給しようにも、肉が邪魔をする。例え肉の衰えを止めても、精神が終わりを告げれば意味はない」

「食べてる時に内臓の話は止めようぜ。飯が不味くなるだろうがよ」


 野菜スープの中にある鶏肉を眺めながらオウガが微妙そうな顔で口を挟む。しかしすぐに気を取り直して口に入れて咀嚼する。

 ヤーは一切気にせずに、飲み込んでしまえば血肉に変わることは野菜も同じだ、と愛嬌もなく答える。それを聞いたオウガはまたもや表情を歪める。

 一切配慮しない言動だが、ヤー自身は鶏肉も野菜もパンも次々と口に入れていく。オウガと同じ量を食べる小柄な少女に、レオは凄まじいなという感想を抱く。


「もちろん聖獣や妖精にも死はある。精霊を補給できれば癒せるが、大きな損傷を受けると体が瓦解し、魂が輪廻へ向かう……が、我もよく覚えていない上、わからない」

「そういえばレオは一回死んでたわね。あまりにも普通に会話できるから忘れかけてたわ。なんにせよウラノスの民が不老不死という説は怪しい、か」

「我に言えるのはこれくらいだ。ではミカに戻る」


 そう言った瞬間に左目に集まっていた精霊は空気中に散らばり、黄金の瞳から橙の光が消える。意識内部で話聞いていたミカは、目を丸くしていた。

 ミカからすれば一切わからない類であり、とりあえず目の前のスープを食べ終えようと木のスプーンを手に取る。少し冷めていたが、それでも美味しさは変わらない。


「レオの話は新発見ばかりで嬉しいけど、まとめるのが大変ね。今日は資料室でひたすら調べるわ」

「じゃあ俺も手伝うよ。レオがいれば精霊言語で書かれた本の解読できると……」


 ミカの動きが止まる。人形のように動かなくなり、ヤーはレオが口出ししてきたかと慣れた様子で無視する。しかしオウガはまだ慣れない。

 本当に大丈夫かと横目で眺めてしまう。うっかり触れて体が倒れると大変なため、迂闊に背中を叩くこともできない。これが五年続いたことにオウガは辟易する。

 よくハクタはこの状態のミカを守れたと感心するが、感心したことに対して勝手に自己嫌悪する。大嫌いな王族を守った相手を尊敬してどうする、と一人で自問自答する。


「うーん、レオがあまり体の主導権を渡すのは良くないって怒られた」

「当たり前でしょう。レオは一回死んでる。その魂が生まれ変わってミカになった。だったら主体的に動くべきはアンタよ、ミカ」

「そうだけど、俺だとヤーの手伝いできないなぁ、って」

「どうしても困った時は助けてもらうから、アンタはアンタができることをしなさい。王族だからって頼らないわよ、アタシは」


 まるでオウガに言い聞かせるようにミカへと話しかけるヤー。太陽の聖獣による知識は便利だが、それがなくても解決すると言わんばかりの態度。

 ミカとしては役に立たないことは百も承知なので渋々頷く。しかし氷水晶の異変を思い出して、ミカは首を傾げながらヤーに尋ねる。


「祝詞の際に氷水晶を張り巡るように精霊達が動いていた。でも、一部過剰というか……均衡が崩れてるのが視えた」

「そうか。アンタは内部まで視通す目を持っていたわね。詳しく聞きたいけど、ちょっと妖精であるアトミスも気になるし……どこから手をつけたものか」

「アトミスが良いと思う。多分神殿が作られた当初からここを見ている存在だから」


 ミカの迷いない言葉にヤーは若干驚く。しかしアトミスならば確かに神殿について詳しく、ミカがいれば話を通しやすい。

 その判断は間違っていない。ただしミカから的確な指示が出るとは思わず、少しだけ意表を突かれた。金色の目と視線が合えば、その輝きに背筋が震える。

 あらゆる物に目を向けるせいか、ミカの眼力は強い。しかし睨んでいるという印象ではなく、視通しているような不思議さを感じさせる。


「じゃあアトミス、次に資料室で詳しく、という流れでいいかよ?」

「うん。試練の間は人が多くなると俺は表に出にくいから。俺もフィル兄上みたいな地味な容姿だったらなぁ」

『それはない』


 ヤーとオウガが口を揃えてフィルが地味な容姿でないことを強調する。色合いは穏やかだが、容姿は美青年と言っても過言ではない。

 オウガは穏やかな美青年の裏に隠された腹黒さと、ヤーは穏やかな笑顔で押し切る胆力を知っているため、フィルが決して地味ではないと知っている。

 そう考えるとミカの傍にいるのは楽でいいなと思いつつ、むしろフィル王子と旅行というのは胃が痛くなりそうだと思考が彼方に飛んだ。





 アトミスがいる試練の間は挑戦者が入る前というだけあって、神秘的な張り詰めた空気が漂っている。しかし神官と話す商人が一人。

 気さくな様子で大量の野菜が入った樽や水を運んだという証のサインを神官に書いてもらいながら、世間話を休みなく話している。

 ミカが一目見た瞬間オウガの背中に隠れる。何事かとオウガが怪しむ中、商人が一際大きな声を出して話を試練の間に響かせる。


「それにしてもミカ王子が来てるって本当かい?もしかして氷水晶の神殿に災いを運んできたんじゃあ」

「答える義務はない。大体そんな話は噂だ。あまり神殿内に相応しくない話題を……」

「これは失礼しました。でもいつも対応してくれる神官さんがいないような?」

「あ、アイツは熱を出したから……ええい、もう試練の間を開く時間だ!いつも材料の提供はありがたいが、あまり首を突っ込むな」


 神官の怒った様子に商人はあっさりと引き下がる。ミカは気付かれないように隠れつつも、注意深く商人の背中を見る。

 ヤーは慌てて神官に少しだけ調査の時間が欲しいと乞う。すると商人を帰らせるために少しだけ時間を早く告げただけで、まだ猶予はあると言った。

 ミカをオウガの背後から引っ張りながらヤーはアトミスがいる祭壇に向かう。相変わらず曲線を描いた椀に棒が突き刺さっている形で、抜ける仕組みとは考えづらい。


「アトミス、時間がないから手早くいくわよ。この神殿で使われている祝詞はおかしい。そうでしょう?」


 小声で尋ねるヤーに対し、アトミスは言葉を出すのも億劫そうに頷く。体の向きすら変えず視線を合わさない愛想のなさを気にせずにヤーは考えながら次の言葉を考えていく。

 祝詞に関しては使われている精霊言語が正しく使用されていない。ミカはそれで壁の中を動く精霊の動きがおかしいと告げている。

 四つの精霊を利用した恒久的な精霊術によって氷水晶を保っている。近年発見された神殿だが、なぜ今まで気付かれなかったのか。


「祝詞が正しく作用しないと、神殿を保つ精霊術が機能しない。だから森の外が凍っている。つまり祝詞は精霊術。でも最低九年前まで森に異常はなかったし、神殿は見つからなかった。てことは九年前まで正しい祝詞が唱えられていたはずよ」


 ヤーの推理にアトミスが関心を向けたらしく、目線だけを動かしてヤーを見る。横にいるミカはヤーの言葉を必死に理解しようと頭を悩ませている。

 オウガは最初から考えるのを放棄し、むしろ周囲に警戒の気配を張り巡らせている。今のところ周囲の神官に怪しい気配はない。ただしミカを見て戸惑った顔はしている。

 昨日、神官の一人がミカを暗殺しようとしたこと。それを探るような商人の動き。オウガは少しだけ昨夜と今朝の食事を思い出して、ヤーとは違う思考をする。


「あり得ないとは思ってるけど……この神殿、見つかる前にはウラノスの民がいたんじゃない?」


 アトミスが弾かれたようにヤーへと振り向く。自信のない推論だったが、アトミスの反応を見てヤーは外してはいないかもしれないと小さな確信を持つ。

 しかしアトミスはそれ以上反応を見せることはしない。それでもヤーのことを少し見直したのか、視線を逸らすことはしない。


(祝詞のリ・ユースとリ・サイクル。そしてリ・ンク。三つめはレオ様も知っているだろう。そしてリ・サイクル……これは昨日ミカが行っていたな。この時代に行える者がいるとは思わなかった)

「なんですって?ま、まさか……」

(しかし人間のままでいたいならば、決してリ・ユースには手を出さない方が良い。ミカ、そのことを胸に留めといてくれ)


 アトミスが懇願するような口調になる。初めて見せるアトミスの不安そうな顔。内部で輝く魂も心情を表わすように揺れている。

 ヤーがさらに追及しようとしたが、神官達が開門の時間だと告げる。今日も旗棒を抜くために多くの挑戦者が並んでおり、日暮れまでかかるだろう。

 名残惜しそうにしつつもヤーは資料室に向かおうと言う。ミカとオウガは頷き、三人で神殿内の廊下を歩く。どこか事務的な造りの、遺跡に近い建物。


「神殿内部に客室や資料室、生活一般を補える機能。最初から気付くべきだったわ。この神殿は住み込みで働けるために作られた場所よ。だから廊下一本で様々な部屋に向かえる」

「あ、そうか。俺は元からある部屋をそう改造したのかとも思ったけど、氷水晶は特殊だし削れないもんね。じゃあウラノスの民がここに住んでいた?」

「後はどうしてウラノスの民はここを放置したか、だよな。というか天空都市に全員住んでいると思ったが、そうじゃなかったのかよ」

「アタシもそこが気になるのよ!どうして地上に職場を作り、生活していたか!天空都市は実在し、現在はどうしているか!謎が山盛りすぎるわ!!」


 半ば怒るような口調でヤーが髪に手を入れてかき回す。乱れた髪を再度手櫛で直しながら、ヤーは脇目も振らずに資料室に向かう。

 しかしオウガがその首根っこを摑まえる。足だけが動くせいで、宙吊りのまま走る格好のヤー。ミカがどうしたのかとオウガに目を向ける。

 オウガの目線は食糧を備蓄する部屋の扉に向いている。氷水晶の神殿内部は暖かいが、ウラノスの民が生活していたとなれば食糧庫もあるはず。


「ミカ、お前はあの商人がどう視えたよ?」

「……黒くて刺々しい魂。輝きはあった。つまり目標に向かって人を貶め恥じる行動をしている。でもあの会話の中に嘘はなかった」


 苦々しい物を吐き出すようにミカが呟く。オウガの背中に咄嗟の判断で隠れたのは、商人が持つ魂が歪んでいたからだ。

 嘘をつけばどんな歪な形でも変化が現れる。しかし商人は短い会話の中では嘘をついていない。というのもほぼ疑問や投げかけるような言葉だったという理由もある。

 もしも嘘を嘘と思っていないならばミカも気付けないが、そこまで気を回さなくても魂の歪みは嘘をつけない。神殿に通う商人、彼は信じていい人間ではない。


 オウガはミカの様子を見てそういうことだろうと当たりはつけていた。ヤーもそれを聞いて足を動かすのを止める。

 床にヤーの足が着地するように降ろしてから、オウガは食料庫の扉を開ける。中は元から冷える仕組みなのか、氷が見当たらずとも吐く息が白くなるほどだ。

 他の部屋よりも取り込む光量は絞っているが灯りを持ってくる必要もない。オウガは遠慮なく入り込み、近くにあったジャガイモの袋を確認する。


 痛んでいる部分を削ったような跡がある。芽は伸びてないため、時間はそれほど経っていないようだが、オウガは気にせず袋内部に手を入れる。

 出てくるジャガイモ全てが皮を削った痕がある。中には削った際に小さくなった物もある。一つ二つならば気にしなかったが、全てとなると怪しい。


「……税として納める穀物。それには王城に届けてから刻印を焼くことがある。もしもこれがそれを削った跡なら?」

「ちょ、ちょっとそれって……あの商人が城に届いた税を横流しにしてるってこと!?大問題よ!」

「妙に量が多いとは思ったが、痛みやすい穀物を多めに安く神殿に運んでいるんだろうよ。それだけじゃないけどな」


 オウガは他の食物袋を確認していく。すると麦が蓄えられた袋についた傷を見て確信したように頷く。ヤーとミカも横から見る。

 すり傷や劣化したような傷ではない。明らかな切り傷。しかも刃渡りが長い、武器として使う剣で斬られた跡だ。下手な縫目のせいで隠しきれてない。

 素人目なら誤魔化せただろうが、オウガには隠せなかった。ハゼ神官長が見ても気付いただろうが、食料庫の袋となると目が行き届かないのだろう。


「盗品だ。首都に向かう際にも山賊に襲われたが、どうやら最近増えている賊の背景にあの商人が関わってやがるな。しかも王城に繋がりがある商人……貴族の卸しもやる系列か?」

「貴族となるとアタシもあまり詳しくないわ。評判が悪い奴もいれば真逆の奴もいるし、カルディナ家ほど有名なら少しはわかるんだけど」

「ここら辺を治めるのは確かジリック家だったはず。ジリック家の長であるバルバット・ジリック。彼は第三王子贔屓だから……やりそうかな」


 必死に名前と顔を思い出しながら呟くミカに、ヤーとオウガが魂を視たかの確認をする。ミカの目で見抜く魂の質は誤魔化しがきかないからだ。

 ミカは思い出すのも嫌そうな顔で頷く。幼い頃に差し出された脂ぎった手の向こう、胸の内側に渦巻く陰謀を形にしたような気持ち悪い魂。

 なにかしらの目標を持っているため、陽光に照らされた油肌のような輝き。棘や三角などではなく、形も取れないほどの黒い霞が渦を巻いていた。


「第二王子はまだ人を見る目があるんだけど……第三王子は勝利のためならなんでもやる人が多く集まってるんだよな。というか、出涸らし貴族が集まってる感?」

「でもどうして第三王子贔屓の貴族が横流しをしているか、という話よね?しかも賊や商人を使って神殿へ食料を運んでいるし」

「お金が欲しいなら、賊を使うのは大袈裟かな?雇う費用もあるし、元手が回収できない気がする。ただ氷水晶の神殿の位置を考えると……」


 ユルザック王国の首都から馬車で三日の位置。強行軍をすれば一日半もしないであろう場所。神殿にはいざという時のために武器を備蓄していることも多い。

 神殿に眠る情報や秘宝を狙う輩から守るために武器を揃えている。そして氷水晶の神殿には精霊術による自己補修を可能としている。攻められて崩されても自動的に治る仕組み。

 運び込まれた大量の食物を考えると、金を集めつつも兵糧を蓄える目的だとしたら。その賊が神殿周囲に集まり、討伐という目的で傭兵を集めることができたら──。


 辿り着く答えに戦慄が走る。


 腕っぷしに自信がある者は神殿近くの村に集まっている。その村さえジリック家の管轄となり、領主の声一つで滞在者を集めることができる。

 ウラノスの民という伝説を餌に、選ばれた者だけが抜けるという試練で誘き寄せ、集めた金をちらつかせれば人々は輝きに目を奪われてしまう。

 神殿を襲った賊を退治するという名目でもいい。王城の税を横流しして受け取った神官達への制裁でもいい。御膳立ては完成しつつある。


 賊でもいい。神官でもいい。誰でもいい。もしも王族、王位継承権がなくとも西の大国まで影響を及ぼす、ミカが殺されたら。

 大義ができる。貴族であるジリック家がミカ王子の仇討という名で挙兵ができてしまう。近隣の村に流れる噂、それがミカに殺意へ向かうように操作されている。

 西の大国で高名な騎士を排出する貴族、レオナス家の子息が殺されたとなれば、関係悪化中の今なら戦争が始まる。王位関係が大きく変動する。


 戦争が始まった時、数は目に見える力だ。ジリック家は仇討を完遂し、兵糧も貯めこみ、神殿という拠点を手に入れたならば。しかも首都から三日の位置。

 王位から遠い第三王子に力強い味方として、ジリック家が台頭する。もしも戦争に勝利して第三王子が功績を上げれば、王座に最も近い状態になる。

 貢献したジリック家も重要な役職を与えられ、歴史に名を残すことになる。争いに紛れて不都合な物を全て消し去ることもできる。


 戦争に突入せずとも、首都に近い場所に拠点を保有することは攻め込むことも可能だと圧迫をかけることだ。

 ジリック家はどちらでもいいのだ。第三王子が王座まで辿り着いてしまえば目的は達せられる。その土台が屍の山でもいいのだ。

 その土台の材料に選ばれたのが、ミカと氷水晶の神殿で働く神官達。この二つは確実に潰されるのがミカにもわかった。


「お、俺昨日殺されないで良かった。もしも昨日俺が死んでいたら、ジリック家はすぐにでも動いていた」

「それでも時間の問題じゃねぇかよ。神官達が手を下さなければ、賊を動かして神殿にいる奴を皆殺しに決まっているだろうがよ!」

「……でもこれは逆にチャンスよ。ここでジリック家の企みを潰せば、短期戦で決着が着けられる。要は神官達を守り、この神殿を賊の手に渡さない」


 ミカが氷水晶の神殿に来訪せずとも、兵糧を充分貯めこんだ後にジリック家は賊を動かして神殿を襲っていた。

 そして襲った賊達を口封じのために殺していた。神殿の伝説を目的に集まった者や傭兵を集めて、即席の私兵団として雇うために。

 しかし神殿と神官を守り、ジリック家が税である穀物を横流しした証拠が揃えられれば、野望を潰せる。冬に入る前に国内の脅威を消せる。


「むしろミカが来訪したことで、ジリック家は焦ったと思うわ。今がチャンスだと、焦らされた」

「俺とミカを少しの間だけでも逆転させたのは、神殿に向かう道中での暗殺を危惧してか?」

「違うわ。色でもメッセージが伝わるってハゼ神官長が言っていた……ハゼ神官長にフィル王子が宛てたメッセージということ、じゃないかしら」

「俺とオウガを利用したメッセージ……正体がばれた後、俺の服が赤でオウガの服が藍なら……」


 ミカとオウガの服を用意したのは女中のリリィとミミィ、そしてフィル。もしもフィルが言葉にしない伝言を渡すならば、そのきっかけがわかるようにしているはず。

 ハゼはミカの母親であるエカテリーナ王妃を知っていた。ならばオウガとミカの交換劇がばれるのはフィルも承知していた。承知した上で、交換後のミカとオウガを伝言役にした。

 公式の場では服が持つ色に意味が含まれる。黒と白は合わせ色として省くため、残るのは赤と藍の色の意味。藍には青も含まれるため、ヤーは思いつく限りの意味を言葉にする。


「赤は警告や興奮。青は鎮静や水を表わす。水は氷になる。ということは氷水晶の神殿に危険が迫っていると警告した、と思っていいわね」

「確か赤には火急の意味も含まれる。多分あまり時間が残ってないことも伝わってるはず。火急速やかに鎮静すべし、ということも含まれてるかも」

「王族って面倒くせぇ!!それくらい手紙で伝えろよ!」

「昨日の神官のこと忘れたの?それに商人。誰でも見ればわかるような内容にすれば、どこから漏れるかわからないのよ」


 ヤーは話せば話すほどフィルがどこまで思考を伸ばしているかわからなくなる。わかるのは少しだけ。

 フィルはあえてミカを氷水晶の神殿に向かわせ、ジリック家の好機を掴み取ろうとする焦燥に付け込んで、始末しようとしている。

 そしてハゼもそれを理解している。つまりハゼとフィルは繋がっている。横流しの証拠をハゼが掴んでいるとすれば、それをどうやってフィルに渡すか。


「待って!昨日の焼き芋作る時の処分資料!いくらなんでも量が多すぎよ!火を熾すだけであそこまで燃やさなくていいはず!」

「確かあれもハゼ神官長が用意したって言ってたよな。そして馬車にはフィル王子が手配した御者がいて、荷物を運んだのもフィルの手先ということは……」

「うーん、さすが兄上。荷物や人の流れを利用してジリック家の不正を集めたんだね。ということはテトラもそれを知っていた、かな」


 どこまで演技かわからないが、テトラはジリック家の不正をまとめた資料を芋を焼く処分用として裏口の方に集めていた。

 ミカ達が入る時に資料に薙ぎ倒されたように見せかけ、フィルに渡す資料を外に出す。気絶したテトラをミカ達が運ぶ間に、フィルに手配された馬車の御者が回収。

 誰かが通りかかってもミカ王子に頼まれた、テトラ神官に頼まれた、と言えばいい。資料がいつまでも散らばっているのは外聞的にも見苦しいからだ。不自然なことではない。


「……全部あの爽やか野郎の手の平の上ってことね。腹立つわ」

「同感だよ。こっちが利用したつもりが、完全に俺達が火中の栗拾う係じゃねぇかよ」


 感心するミカとは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべたフィルに渦中の案件に放り込まれた二人は苛立ちを見せる。

 ミカとしてはそれらを全く気付かせないハゼやテトラの演技力に驚いていたが、今考えてみればハゼが見せていた緊張はフィルのメッセージに対する危機感からだったのかもしれない。

 魂を視ると言っても詳細までは辿り着かない。多くは憶測となってしまう。ミカも、自分はまだまだと、少しだけ目に頼る癖を反省する。


「とりあえず資料室に行く前にハゼ神官長に挨拶しましょう。改めて、ね」

「そうだね。俺達の推測が当たっているとして、どれくらいの時間が残っているか。そしてその間に神殿の秘密に辿り着けるか」

「全く面倒な話になったわけだよ。けど貴族が相手というなら、放っておけねぇよ」

「もちろん。戦う言い訳としての犠牲を許すわけにはいかない。テトラやハゼさんを、殺させなんてしない」


 ミカの金色の目が輝く。燃え上がるような、静かな意気込みを感じさせる力強さ。オウガはその瞳に肩を震わせた。

 これが嫌悪するべき王族なのか。守るような弱い存在なのか。オウガからミカに対する評価がまた揺らぐ。ただ、今までの府抜けた表情よりも好ましい輝きだった。

 オウガが求めていた王族は弱き民を守る存在。もしもミカがその位置につくならば、と考えてオウガは無意識に口角を少しだけ吊り上げた。


 貴族の横暴は許せない。それを諌めることができない王族は嫌い。ではミカが貴族の横暴を諌め、民を守る王族として立つならば。

 オウガにとってそれは固定観念を打ち砕かれる、新しい世界を予感させる淡い期待だった。そしてオウガは知らない内に待ち望む。


 自分の上に立つ、金色に輝く王子の到来を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る