第4話「焼き芋」

 氷水晶の神殿の出入り口は二つ。一つは入場者を迎える正門とも呼べる入り口で、こちらには台座に突き刺さった旗棒を抜こうとする挑戦者達が列を作っている。

 もう一つが氷水晶の神殿関係者や客人が滞ることなく入るための通用口。挑戦者達が列を作っているため両開きの大扉が閉じれない正門とは違い、通用口用の扉は小さく事務的だった。

 それすらも光り輝く氷水晶でできているのだから驚くしかないが、取っ手を触れば石らしい冷たさと触感が返ってくる。氷とは思えない触り心地に、これが氷水晶なのかとミカは納得する。


 現在護衛としてついてきたオウガがミカ王子の役割を与えられ、ミカが従者として振舞う状況だ。ヤーは二人の付き添いで、この神殿に一番用がある張本人だ。

 ミカは従者として扉を自主的に開けて先に入り、危険がないとわかってからオウガを室内へ入れるという手順で頭を一杯にしながら、扉を静かに開く。

 しかし扉を開けてすぐに舞い込む危険というのもある。この場合には飛び出すの方が適切だが、扉を開けた先には通用口を塞ぐように無造作に積まれた書類の山。


 いち早く危機を察したオウガがヤーを抱え、後方に飛び退く。ミカは手遅れだろうと判断したため見捨てた。なぜならば書類はオウガの手が届く前にミカの上に雪崩れ込んできたからだ。

 一枚自体は軽いとはいえ、紙は辞書の厚さともなれば重い物である。それが山のように積まれ、一種の瓦礫のように落ちてきたとなれば抗う暇もなく押し潰される。

 天才精霊術師で学者肌であるヤーには慣れた光景だが、蝶よ花よとまではいかなくても大事に育てられたミカからすれば初めての体験であり、対処の仕方もわからない異常事態である。


 しかしミカでも明らかに重みが違う物が乗っかった時は驚いた。肉の塊が衣服に包まれたような感触が顔面にぶつかり、鼻が潰れたと不安になるほどの衝撃。

 幸いにも紙の方が先に地面に落ちていったため、後ろ向きに転んだミカの緩和材となった。上下全てが紙に包まれ、しかしながら顔に乗っかる肉感のせいで呼吸ができない。

 ミカは顔に乗っかっている物だけでも横に退かそうと思い、両手で掴んで持ち上げる。紙が雪のように散らばり、秋空に輝く柔らかい日差しと霧の冷たさが解放されたミカの顔面をなぞる。


 ヤーとオウガは言葉を失くしていた。紙の海の中、いきなり女性が飛び出てきたのだ。細いとは言い辛いが、太っているというのも忍びない。肉付きの良い二十代前半の女性だ。

 その女性は丸眼鏡の奥で目を回しつつ気絶していた。そして彼女の豊満な胸を鷲掴みにして持ち上げている両腕。袖口に覚えがあるため、二人はどう声をかけたらいいかわからない。

 いきなりの急展開と狭い視界の中では判断できなかっただろうとは憶測できる。それにしても掴んだ感触でわからなかったものだろうかと悩む二人に対し、ミカが慌てて声をかける。


「な、なんか重い!ヤー、助けて!」

「アタシへの喧嘩かっ!?助けるけど、助けるけどさぁ!!」


 両腕を突っぱねて胸を鷲掴んだまま持ち上げているミカがヤーに助けを求める。ミカ王子の従者の振りをしていることが誰かに知られた時点で帰らなければいけない。

 フィル王子との約束を律儀に守っているミカにとって、ミカ王子の振りをしているオウガに助けを求めるわけにはいかない。

 しかし気絶している女性とは真逆の位置に存在する軽い胸を指摘された気分のヤーは、怒り半分で女性をミカの上から移動させ、倒れているミカに手を伸ばす。


 ミカは汗だらけの顔でヤーにお礼を言う。あまりの重さに胸を掴んでいるという事実に気付かなかったらしく、肩で息を整えていく。

 とりあえずオウガが気絶している女性の上体を片手で軽く持ち上げる。着ている法衣は首から足首まで覆う神官の装束であり、気絶している女性が神殿に仕える神官だということがわかる。

 水色の装束に白い模様が複雑に描かれているため、神殿内でも有力位置にあるということだ。正式な場で着用する細長い法衣帽を被っているため、客人を迎える者だったのだろう。


 髪は柔らかい質感の薄い茶色で、太いおさげが肩の下あたりまで編まれている。肌は白く整っているが、肉質が多いせいで饅頭と間違われそうだとオウガは感じる。

 彼女が着ている法衣は内側からの圧迫で糸が悲鳴を上げている。ゆったりした構造の法衣のはずだが、女性は見栄を張る生き物だからなと遠い目をするオウガにヤーとミカは気付かない。

 なんにせよ彼女から話を聞かなくては始まらない。オウガが優しく片手の甲を使って、女性の頬を叩く。餅をつくような音が数回した後、女性は目を覚ましたかと思われた。


「う、ううぅ……ちがうんですぅう、これは重要書類ではなく焼き芋用のぉ……」


 盛大な寝言により彼女が悪夢を見ているようだと判断できた。しかし内容としてはかなり自業自得であり、さらには山と積まれた紙の使用方法が残念な目的であることが判明した。

 確かに秋になりつつあるこの気候。氷水晶の神殿周囲にの異常な冷え。それらを鑑みて焼き芋の誘惑は強いだろうということはオウガやミカにもにもわかる。

 しかし仕事で使うであろう通用口を書類の山で埋めるのは職務怠慢と言わないだろうか。ヤーが呆れた様子で女性を放置しようと提案する。


「こんなことに時間取られるくらいなら、さっさと中に入って研究しましょう。時間が経てば彼女も一人で目を覚ますだろうし」

「でも王族としては神官を見捨てるのはちょっと。それに神殿周囲は地面が冷たいし、凍死とはいかなくても霜焼けとかお腹壊すかも」

「王族様は優しいこった。その優しさが平民にも十分に配られたら良かったのによ」

「今はアンタが王族でしょう?ちゃんと仕事しなさいよ。お金を貰っている以上、私情は挟まない」


 ミカの意見に対して嫌味を言ったオウガに、ヤーが手厳しい言葉と現在の状況を改めて思い知らせる。今のオウガはユルザック王国のミカ王子なのである。

 もしも無償で無理矢理というのならば多少は見過ごすが、オウガは依頼人のフィルから多額の報酬と条件を提示している。ならばそれに見合うこと、職務を全うする義務がある。

 ヤー自身も国の命令とはいえ仕事をいくつもこなしている。だからこそ仕事の重要さと賃金の価値を知っている。オウガの発言はそのままミカ王子の発言となることを意識しなければいけない。


「ミカの評判を貶めたいなら見捨てるのもありよ。ただしそれを本人の前でできるのかしら?」


 ヤーに言われてオウガは立ち尽くしているミカを見る。まだ十五歳の少年に見える、世間の苦労を知らないような純真無垢な瞳がオウガを映す。

 魂まで視通すミカの前では嘘をついてもばれてしまうことを知ってしまった。そしてオウガがミカを貶めようとすれば、視られている魂にも変化が現れるらしい。

 実感が湧かないオウガだが、正直に言えば人を見捨てるのは性に合わなかった。特に女性ともなれば、なおさらだ。結局は本音で行動するしかないか、とオウガは溜息をつく。


「俺が担ぐよ。お前だと押し潰されるのがオチだしよ、ヤーは体格的に引きずるしかないしな」

「ありがとう、じゃなくて、感謝しますミカ王子……って、すごい変だよな」


 改めてオウガをミカ王子と呼ぶことに、ミカ自身が微妙そうな顔をする。オウガも呼ばれ慣れてないため肩を落とすが、女性は目が覚めないほど安定した姿勢で背負っている。

 曖昧な距離感の二人にヤーが苛つく態度を見せるが、追及はしない。二人の仲が良くても悪くても、ヤーには一切関係ないことなのだ。重要なのはここに来た目的を果たせるかどうか。

 ウラノスの民。歴史外の神世時代に存在したと言われる者達。氷水晶の神殿を作るほどの民達が、何故天空に姿を消したのか。発見できればいいとヤーは願った。





 氷水晶の神殿内部は事務的な空間だった。働く者達が休む小部屋や資料室などが立ち並び、廊下一つでその全てに繋がっている。

 祈りを捧げる祭壇らしき部屋と、今も挑戦者で溢れる台座に突き刺さった旗棒の部屋だけは広い空間となっていたが、余分な飾りはない。

 ミカ達は旗棒がある部屋に佇む老人に話しかける。オウガが背負っている女性よりも刺繍が細かい水色の装束を着ているため、彼女よりも高い身分の神官である。


 氷水晶の神殿内部は外と違い一定の気温が保たれ、目の前の老人が頭髪もない頭を晒していても脳が冷える心配はないとヤーは見当違いの感想を抱く。

 身長は十五歳のミカと同じくらいの小柄な体格だが、背筋は伸びていて横から見れば確かな筋肉の厚みが凝縮している、鍛えられた体躯だということがわかる。

 なんで禿げなのに髭は生えているんだという疑問をオウガは頭の中に浮かべ、ミカは近寄りがたい熟練さを感じさせる眼差しに好感を持つ。


 そんな三人に気付いた老人は目を見開く。まずはオウガの背中で寝ている女性に目が向かい、次にオウガへと視点を当てて後退りする。

 年齢に似合わない機敏な動きに判断力はまだまだ現役と思わせるほど鋭い。体の重心がずれない動きにオウガは感心するが、それにしても老人のリアクションは理解しにくい。


「そ、その噂に違わぬ金髪に黄金の瞳……貴方様がミカ王子!?」


 老人の神官は驚いたように、むしろどこか怯えるようにオウガを見る。ミカ王子の振りをしているとはいえ、王族扱いされたオウガは口元が引きつりそうになった。

 ヤーとミカが揃ってお辞儀し、その通りと老人に説明する。ヤーは精霊術が問題なく発動され、ミカが従者として紛れ込ませることに成功したと安堵した。

 大袈裟なほど大きい声に目を覚ました女性は、目の前の金髪に驚いて眼鏡の位置をずらして凝視する。老人の神官はそんな女性に怒りの声を飛ばす。


「テトラ!!ミカ王子の背中をいつまでお借りするつもりだ!?大体お迎えを頼んだはずなのに、何故背負われている!?」

「はひゃあっ!?ハゼ神官長、でもミカ王子様って十五歳ですよね?この人大きくないですか?」

「成長期デス」


 テトラと呼ばれた女性神官の疑問に、ミカが慌てて慣れない敬語を使いながら説明した。多少片言になったが、女性神官はそれで納得したようだ。

 彼女は急いでオウガに感謝を述べつつ背中から降りる。揺れる胸元に、全体的にはち切れそうな衣服が女性らしい曲線を強調し、部屋の中にいた挑戦者の男達が桃色の声を上げる。

 しかしテトラはそれが恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまう。自分よりも体が小さいハゼ神官長の背中に隠れるが、はみ出るお尻が柔らかい肉感を覗かせている。


「身内が失礼した。私がこの神殿を任せられているハゼ神官長。後ろに隠れているのが副神官長のテトラです」

「こんにちはぁ。すみません、焼き芋をお作りして迎えようとしたんですが、紙の束に埋もれてしまいましてぇ」

「……テトラ。お前はまたもや処分書類で焼き芋を作ろうとしたのか!?だから太るんだ、この贅肉娘!!目の前の天才精霊術師であるヤー様を見習いなさい!無駄な肉など一切ないぞ!!」

「胸の肉もないけどな」


 服の上からテトラの豊かな腹肉を摘んで叱るハゼは、見本と言わんばかりにヤーに手を向ける。オウガはその内容を聞いて余計なことを呟き、背中をヤーに抓られた。

 神殿内にいる者達にとってこれは日常茶飯事であるため、通り過ぎる他の神官達は微笑ましい親子喧嘩を眺めている目で次の仕事場へと向かっていた。

 ミカは旗棒がある台座を眺めていた。お椀のような緩やかな円を描いた台座に、先端に球体をくっつけた棒が突き刺さっているのだ。それら全ても氷水晶でできている。


 思っていたのは四角い台座に剣のような棒が突き刺さる物だったが、実際に見てみると大分違う。しかしそれ以上にミカの目を惹きつけたのは別の物だ。

 おそらくヤーにも視えていない、ミカしか捉えていない存在。透き通るような水色を宿した銀髪は地面まで届き、深海のような藍色の目は吊り上がっている、ミカより少し年上の少年。

 彼の服装は海月クラゲのレースをいくつも重ねたような白いコートを着用しており、肌の色も人間とは思えないほど透き通る美しい白。


 実際に人間ではない。ミカの目には彼の体は水の精霊で構成された、妖精であることが視える。内部にある魂は白くて丸いが、輝きが薄いように視える。

 白いといっても多少陰りがある。丸さもどこか凹みを感じさせるような形だ。迷っている、もしくは目標が叶えられないと落ち込んでいるようだと判断できる。

 少年は腕組みをしてひたすら挑戦者が旗棒を抜こうとすることに舌打ちしている。明らかに見下した目をしており、失敗して帰る相手には馬鹿にするように鼻を鳴らす。


 ミカは意識内部のレオに相談しようと思ったが、先程のショックで塞ぎ込んでいるようで声をかけられる状態ではない。その上、今はハゼ達と会話をしている。

 会話の大半はオウガとヤーが引き受けているためミカが後ろで目立たないように控える。しかしハゼの一言に肩を跳ね上がらせた。


「そちらの従者殿……エカテリーナ王妃の面影があるような?」


 いきなり出てきた母親の名前にミカは思わずハゼの顔を見る。どうして神官長である彼が西の大国の貴族であり、結婚して王族になったエカテリーナを知っているのか。

 動揺するミカを隠すようにヤーが気のせいじゃないかと話しかけ、オウガも大分昔の話なので記憶違いではないかと曖昧な笑いを浮かべる。


「いや失敬。戦場での苛烈な指揮を思い出しまして……彼女が率いる軍勢に何度窮地に追い込まれたか」

「ハゼ神官長は過去に武官として戦場に立っていたんですよ。エカテリーナ王妃に何度も負けて、武官から神官に転向したんですよね?」

「ま、負けてないもん!い、いや負けておらぬ!勝敗が付く前に現国王が嫁として迎え入れたのでな。美しい女性だったが、それ以上に強く、まさに獅子と呼ぶにふさわしい御方だった」


 そう言ってハゼは改めてミカとオウガの顔を見比べる。精悍さはオウガの方が上だが、ミカの眼差しは戦場で何度も背筋を凍らせた眼力を思い出させる。

 しかし彼にとっても大分古い記憶であり、鮮明に思い出そうとしてもぼやけた記憶しかない。そこで印象的なのは太陽の光を受け、砂埃が吹き荒れる戦場でも輝く金髪と金の瞳。

 ハゼの目にはオウガが金髪と金の瞳であり、ミカは黒髪黒目。エカテリーナの息子は彼女の色彩を受け継いだ第五王子、ならば金の髪と瞳をしているはず。


「あ、でもぉ。従者さんくらいが十五歳ぽいですよねぇ。もしかして従者さんがミカ王子の変装だったりしてぇ」


 テトラが呑気な口調で核心を突く。そう言われてハゼはさらに怪しむような目でミカを眺める。ヤーに視線で助けを求めるオウガだが、彼女は肩を竦める。

 ここまで疑われたら貫き通すのは難しい。やはりこの作戦は無理があったのではないかと、発案者であるフィルの顔を思い出す。優男の笑顔が脳裏に蘇えると同時に気付く。

 あの男がこれを見越していなかったとは思えない。政略渦巻く王族に身分を置いている者だ、疑われること前提でこの作戦を出したというのなら、そこに必ず意味があるはず。


「ちょっと、フィル王子の魂は嘘ついてたの?」


 ミカの目は魂まで視通す。それにより相手の性格や大まかな考えていること、嘘をついているかどうかを知ることができる。ヤーはそれを小声で尋ねた。

 しかしミカは渋い顔をして首を横に振る。それは昔から困っていることを引きずり出されたような子供の顔であり、いまだに解決の糸口が見えてないというのと同じ意味を持っていた。


「兄上の魂さ……視えないんだ。輝きが強すぎて」


 魂まで視通すが、例外はある。ミカにとってそれは大事に守ってくれる兄のフィルだ。大事にしてもらってるのはわかるのだが、その正体が掴めたことがない。

 確固たる目標を持ち、迷うことなく進む人間の魂は輝きを放つ。目標が高ければ高いほど、その輝きは強くなって自分自身を光溢れる姿にしていく。

 しかしフィルの魂は太陽以上に輝いているのだ。己が身を焼き尽くしかねないほどの強い輝き。その理由をミカは知っている。


 フィルは上に三人も優秀な兄を持っている。王位継承権を持っているが、その序列は四位。それでも彼は国王になることを諦めていない。

 上三人の兄を出し抜いて国王になる、もしくはそれ以上の強く高い目標がフィルの魂を輝かせる。おかげでミカの目には輝きしか映らず、形も色も把握できないのだ。

 そのためフィルが嘘をついてもミカにはわからない。だがフィルが自分の不利になることをしないと知っているミカは、無条件で彼を信じると決めている。


「ここで例外!?ちょ、あの優男、腹黒かもしれないってこと!?」

「それもわからないんだよ。でも兄上ならばこの作戦が崩壊しても大丈夫なような仕掛けは施してると思う」


 ヤーの精霊術で誤魔化し続けるのも結構無理な内容だと感じていたミカは、少し早すぎるがネタを明かしてもいいと提案する。

 なによりミカ王子のフリをしているオウガ自身が精神的疲労の色を濃くしているのがミカには視えていた。彼の魂が、どうしてこんな目に、という感じで変化している。

 あまり長く続けると悪影響が出るかもしれない。とりあえず挑戦者がいる部屋から離れた場所で教えようと五人は揃って移動した。




 目の前でミカとオウガが元の目と髪色になる。その光景を見てテトラは手品を見たように拍手を送るが、ハゼは梅干しの種を齧ったような顔をする。

 オウガはやっと王族という肩書が外れたと心底安心した。ミカは特に変わらない様子で苦渋の表情を浮かべるハゼに困ったような笑みを向ける。

 ヤーとしても精霊術を継ぎ目なくかけ続けるのはお腹が減ることなので、少しは燃費が良くなったと思うが、神殿を管理する神官の態度次第では調査が滞る可能性を心配する。


「……エカテリーナ王妃にそっくりじゃわい。瓜二つと言ってもいいかもしれんの。よ、ようこそ氷水晶の神殿へ」

「王妃様はハゼ神官長のトラウマですもんねぇ、お酒で酔っちゃうといつもいつも戦場であの女傑ほど恐ろしい物はないと」

「テトラぁっ!!!いいからお前は先程の無礼を早く謝らんか!王子の従者殿に迷惑をかけ、挙句の果てに焼き芋作りまで失敗しおって!芋を用意した身になれ!!」

「あ、そうでしたぁ。改めて申し訳ございません。今から急いで歓迎用の焼き芋作ってきますので、案内はハゼ神官長にお願いします。それではぁ」


 気の抜けるような謝罪と意気込みを残してテトラは通用口がある方へと足を走らせる。その背中を見送ってハゼは呆れたように溜息をつく。

 なんにしても焼き芋を作るのかと、むしろ芋を用意したのは神官長なのかと、ヤーとオウガは色々言いたことがあったが、円滑な案内のために口を閉ざす。

 ハゼはミカへと向き直り、厳しくも優しい、だが少し緊張した目を向ける。それにもやはりミカは困ったような笑みを浮かべて彼の言葉を待つ。


「まずは宿泊部屋をご案内したいと思います。その……それでミカ王子と従者殿の服を変えた方がいいかと」


 言われてミカとオウガはお互いの服を確認する。先程まで従者と王子の位置を変えていた。それに併せて服装も相応しい物を着ていた。

 しかしオウガとミカの体格は違いすぎる。ヤーはミカが大きすぎる服を着る、むしろ着られる姿を想像し、反対にオウガがはち切れんばかりの服を着る姿を思い浮かべて吹き出した。

 オウガも同じこと考えていたため、顔を青ざめるが、これ以上王族が着る仕立ての良すぎる服を着ていると貧乏性が発動してしまいそうなので、どうするかと思考する。


「事前に届いておりました荷物は部屋に運んであります。それではこちらになります」


 ハゼは恭しく告げてから歩き出す。三人は行きの荷物を少なくするため、フィルと女中のリリィとミミィに頼んで先に必要な荷物を神殿に送っていた。

 案内されたのは事務的な造りの神殿内でも、少し格調が高い場所であり、挑戦者が集う広間からも一番遠いため怪しい人物は入りにくい場所であった。

 ミカとオウガは二人部屋、右隣の一人部屋にヤーの荷物が届いている。ハゼは無事に荷物が届いているか、中身は無事か確認してほしいと言う。


 ヤーはハゼに少し話したいことがあると言い、二人に早く着替えてくるよう告げる。部屋に入ったオウガは届いている荷物に驚く。

 行きの馬車には護衛がいたため、また今回は王子のフリをするため剣を届けてもらうよう手配したのだが、置いてきたはずの愛用武器であるパルチザンが壁に立てかけられている。

 ミカが荷物の梱包を解けば、ミカの服は失礼のない程度に華美を意識した王族仕様、オウガの服は動きやすさを重視した従者仕様の物だけだ。


「優男め、最初からばれること前提かよ!!」

「さすが兄上。あれだけの輝きを持つだけあるなぁ」


 逆ギレするオウガの横でミカは感心したように呟く。柔和な物腰と態度の割に、どこにも隙がない。それがフィルという男である。

 部屋の壁や天井は氷水晶でできているが、床には赤い絨毯が敷かれている。一定の気温を保つ内部だが、やはり水晶の床は多少冷えるということだ。

 四角い部屋に木製のベットが二つとテーブルが一つ。テーブルの上に燭台が置かれ、蝋燭には火が灯されている。氷水晶がその光を吸収して反射、部屋全体が淡い明るさで満たされている。


「王子様は出発前に女中どもの魂を視てなかったのかよ?」

「多分ミミィとリリィに俺達が役目を交代する作戦が伝わってなかったんじゃないかな。だから荷物をいつも通りにしてくれたんだと思う」


 あくまでミカの目は魂から得られる簡単な情報を判断しているに過ぎない。魂を視るには多少集中力が必要で、ミカもいつも魂を視ているわけではない。

 ただ癖で初見で相手の魂を視てしまうのだ。出発前にミミィとリリィが首を傾げていたのは知っていたが、二人とは旧知の仲なのでミカも魂を視るということまではしなかった。

 例えミミィ達の魂を視たとしても、二人は作戦を伝えられていなかったので、なんでオウガとミカの服装が逆なのだろうと困惑していることしかわからなかっただろう。


「でもこれでお互いの服交換なんて事態にならなくて良かった。俺もオウガみたいにもう少し身長と筋肉欲しいな」

「王族様は欲張りなことで。どうせすぐに伸びるだろうがよ、成長期なんだからよ」

「だといいな。でもどうすればそんなに筋肉つくの?」


 嫌味を受け流した上で輝く視線をオウガに向けるミカ。憧れの感情と自分の言葉から発生した罪悪感にオウガは黙ってしまう。

 着替え途中で上着を脱いだミカの体は生っちょろいと呼ぶに相応しいほど、筋肉が付いていない。摘むほどの肉はないが、指先で触れば柔らかいだろう。

 逆にオウガの上半身は傷だらけだが岩のように固く、銅像に近い肉体美を有していた。年頃の少年からすれば羨ましいと思える鍛えられた肉体。


「俺と三歳違うだけでこの体……触ってみてもいい?」

「断る。男に触られる趣味はないし、早く着替えないと部屋の外で待っているヤーに失礼だろうがよ」


 期待の眼差しをしたミカが近づくが、オウガは避けるように服を着替えていく。先程から扉の向こう側から感じる殺気に近い苛立ちも急ぐ要因だ。

 ミカもやっと気づいた様子で慌てて着替えていく。王族で女中がいるから一人で着替えられるか不安を感じていたオウガの思考とは裏腹に、ミカは流れるように着替え終えた。

 金髪が輝くような深い赤と黒の装束はミカのために仕立てられた物で、馬子にも衣装だとオウガは仕立て屋の腕に感心した。


 オウガの服は藍と黒を基調として、小物部分で金釦などが付けられた衣装だ。ミカと並んでも違和感がない意匠が施されている。

 壁に立てかけられたパルチザンを手に取るオウガは、横目でミカの黒いヘアバンドと左目の傷を見て、王子に似合わない物だと思う。

 どうもミカはオウガが考えている王族像とは外見も内面もかけ離れすぎている。しかも素直で子供っぽく、かといって油断できるような相手ではない。


 調子が狂わされたオウガは小さく吐息を零す。ヤーの怒りが頂点に到達する前に扉を開けようとしたオウガだが、ミカが小声で声をかける。


「ハゼさん、俺を目の前にすると緊張するみたいだから、ヤーと一緒にフォローしてもらってもいい?」

「なんでだよ?それも魂を視た結果か?」

「うん。輝きは若い人より小さいけど、逆に魂は洗練した白と磨かれた丸み。年の功を感じさせる素晴らしい人というのがわかるんだけど……」

「もしかして王妃様の話する時に大きい変化でも見えるのかよ?」


 オウガの問いにミカは頷く。ミカの母親であるエカテリーナの話題を出す時、ハゼの魂は棘に近い尖りの発生と青味が滲むのだ。

 緊張と警戒、怯えと恐怖。トラウマというのは本当らしく、ハゼは金髪と金目にエカテリーナを被せているようなのだ。それが視えていたからミカは曖昧な笑みしか浮かべられなかった。

 ミカ相手に嘘を吐いているわけでもなく、嫌悪しているわけではない。だが美しい魂が視ていて痛ましいほどの変化はミカも辛いため、オウガ達にハゼの相手をしてほしい。


「お前の母親は一体なにをしたんだよ?」

「お、俺もよくわからない。ただ兄上が言うには……多くの男性の心を鷲掴みにして虜にした後握り潰すような魅力溢れる人としか」


 それは魅力の範疇で収めていいものなのか。オウガはそれ以上の追及を諦めた。ミカはまず五歳の時に母親を失くしている。

 今も母親の人柄について腹違いの兄であるフィルが言ったことを伝えてきた。つまりミカは母親のことをあまり覚えていないと同義だ。

 仕方ないとオウガはヤーにも伝えとくと告げて、扉を開ける。やはりハゼはミカの金髪金目を見て多少体を強張らせた。魂を視なくてもわかる緊張だった。


 オウガはミカから意識を逸らさせるように自身の気配を濃く滲ませる。気配を消すとは逆に少しだけ大きい呼吸音と挙動の変化。元武人であったハゼはすぐにオウガの気配を察知し、視線を向けてくる。

 十八の青年がする気配の動かし方ではない。戦場でも実践できる者は少ない、覇気に似た視線の集め方。高名な武将が鍛え上げた末にできる所業を、オウガは難なくこなしたのである。

 ハゼはすぐさまオウガが手にしている武器を眺める。馬上からも扱える汎用性の高い長物、パルチザン。使う点で言えば重みだけが難所だが、扱い続けるとなると極みを難しくする武器だ。


 ハゼの隣に立っていたヤーはミカの服を一目見て、次に自分の服を確認する。そして慌てて隣の部屋に入っていき、大きな音と共に荷物がひっくり返るような衝撃が部屋の外まで伝わってくる。

 次にヤーが出てきた際に彼女も服を着替えていた。水色と白を基本としたローブに膝上まで隠すような靴下と、厚手のブーツ。先程よりは見た目に温かさを感じさせる素材だ。

 いきなり服装を変えたヤーにミカは目を丸くし、オウガはなぜそんな面倒なことをしたのかと目を向ける。ヤーは睨むようにミカに遠慮ない言葉をぶつける。


「アンタ王族なんだから従者とか付添人が同じ色を身に着けられないことを把握しなさい!!」

「ええ!?そうなの?」

「外交的には黒と白以外の色は被らないことが望ましいかと。特に先程のヤー様とミカ王子の服は赤味がよく似ていましたから」


 狼狽えるミカにハゼが礼儀正しく説明する。普段着やお忍びでならば特に問題ないが、今回氷水晶の神殿には第五王子のミカが精霊術師と共にやってくると布告されていた。

 色には様々な意味が込められ、時にはその意味を使った遊びが貴族内の社交界で使われることもある。外交においては相手国の忌避する色や好む色を考えて服を選ばなくてはいけない。

 氷水晶の神殿という神聖な場所で、公式として王子と名乗ったミカが赤い服を着たならば、それ以下の身分であるヤーとオウガは別の色を着なくてはいけない。


「もうこうなったらアンタは赤と黒の服だけ着なさい!そうすればアタシも服を選ぶのが楽になる!」

「え、ええええ!?俺、赤って派手だから少し苦手……」

「金髪金目に似合うからいいじゃねぇかよ。俺もその方が服を選ぶ時楽だしよ」


 ヤーだけでなくオウガもミカに今着ている色味の服を基本とするように言われ、確かに朝もう一度着替えるのは手間かと考え、折れた。それにオウガに似合うと言われたのはミカとしては少し嬉しかった。

 賑やかな三人の様子を見てハゼが微笑ましそうに笑いえ声を零す。エカテリーナ王妃に似ているミカを見てから何度か胃が痛んだが、それすら吹き飛ばすような明るさだ。

 王位継承権がない第五王子とはいえ、ミカは正式な王族である。それがこんなにも遠慮のない年の近い者達に囲まれ、笑っている。平和なことだとハゼは安心した気持ちで三人に告げる。


「ミカ王子。先程ヤー様から伝えられた通り、試練の間へ再度案内させていただきます」


 そう言ってハゼは挑戦者が集まっていた広間の方へ足を向ける。いつの間にそんな交渉をしたのかとミカがヤーに視線を向けるが、彼女は逆に聞き返すように小声で伝えてくる。


「この神殿に来た目的は二つ。一つはウラノスの民、もう一つが旗棒に妖精がいるかどうか。ついでにあれが抜けないか試すわよ」


 焼き芋騒動から交代がばれたせいで大分遠回りしたが、そういえば目的はそれだったと、ミカは本来の狙いを思い出す。と言っても氷水晶の神殿を気にしていたのはレオの方なのだが。

 そして興味を示していたレオはミカの意識内部でいまだショックを引きずり、多少不貞腐れていた。開き直る前の面倒な自己処理中だと判断し、ミカは今はそっとしとこうと声はかけない。

 太陽の聖獣であったレオンハルト・サニー。意外と繊細な性格であることを知っているのは、現状ミカだけであった。

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