第11話「村を去る」

 夜になってマリは、マリエル・カルディナと名乗っていた少女はスキップしながら宿屋を出ていく。

 宿屋の女主人には家に帰ると伝えている。今頃カルディナ家には失踪していた本当のマリエル・カルディナが帰っていることだろう。

 面倒が起きないように「帰る途中で頭をぶつけて記憶が曖昧だが、ヘタ村でお世話になっていた」と記憶を狂わせている。


 大体フロッグが出かけた先でかつての主人と面影そっくりの少女を見つけるという、偶然自体が狂っているのだ。

 その少女が出会った不審者に一目惚れして、なにも準備しないままついていくというのも狂いすぎている。

 西から東の果てまでついていき、人間とは思えない力を行使する存在に素直に従う少女。全く馬鹿げている話だ。


 貴族の娘で夢見がちとはいえ、それくらいおかしいと気付くものだ。目の前の異常に気をとられて、その底で狂っていた事実に適当な理由をつけて納得していたのは誰か。


「ふふ、あはははは、あははははははははははははははははは!!!! あー、面白かった」


 第五王子がやってきたのは予想外だったが、おかげで彼は目覚めた。それが彼女にとって一番の収穫だった。


 始まりは気まぐれ。ずっとずっと昔に起きた些細な発見からだった。


 最初に偶然見つけた永続的精霊術を施した石に細工し、泉の底を瘴気で満たしてミカミカミの噂を流す。

 そうすればミカミカミに惑わされた人間がやってくるからだ。ミカミカミは昔から便利な単語で、これで何度も玩具を集めることができた。

 思惑通りに都合よくやってきた二人の人間が泉に飛び込んだので、魔術を使って一人を殺し、もう一人を魔人に仕立て上げた。


 泉の中を渦巻かせたのは彼女の仕業だ。泉にあるはずのない流れを、魔術によって狂わせた。

 男の魂の方が弱くて彼女好みだった。だから命が潰れた瞬間、天に昇るはずの魂を瘴気で閉じ込めた。

 魔人も本来は強い魂の周囲に瘴気が集まることで妖精と同じように発生するが、魔術で狂わせてしまえばそれも関係ない。


 悲劇が増幅されるように魔人にした男の容姿は、殺した女の容姿の特徴が残るように狂わせた。

 ヘタ村ができた後は森の中にある玩具が早々に壊れるのが嫌だったので、石板には知ってはいけない単語があることを教える。

 そして従者と主という本当にあったことを、できた村に捻じ曲げて狂わせて伝えさせた。彼女は仕込みにだって手を抜かない。それが一番面白いと知っているから。


 その後残った男が狂ったのを楽しんでいたが、少し飽きてきたのでまた一つ遊ぶことにした。

 男が西の方に向かったので、丁度そこに住んでいた娘が一人家出をしていたので、それに成りすました。男が敬愛する女の姿に似た少女へと姿を狂わせて。

 肉体はそこらにあった死体を利用した。もちろん色々と狂わせているので、生きている体と比べられても支障はない。


 連れていかれた後はヘタ村に馴染みつつも、魔人の存在を世に知らせるため一年前に森に土の精霊を閉じ込める仕掛けを施した。

 水霊を奉る村だったのでそれを利用した。麦耕作が盛んなので畑、正確には土が狂うようにしたのである。

 おかげで村人は水が染み込まずか乾くのは水霊様が怒っているからと勘違いした。原因は土の精霊だとも知らないまま。


 精霊のバランスが崩れれば、自然の狂いとなって表面上に現れる。精霊信仰のユルザック王国において、おかしいと思えばすぐに精霊術師に頼るはずだ。

 森に住んでいるフロッグは瘴気を隠す気もない体で生きている。普通の精霊術師でもおかしいと思うだろう。さらにバランスが崩れた精霊はやがて瘴気へと変化する。

 これで調査に来た人間が魔人と瘴気の存在に気付き、それを国に報告する。祭りのような狂乱が起きるのを彼女は楽しみにしていた。


 森の結界を二段仕掛けにしたのは、もし魔術だと気付いて結界の仕組みを理解して壊したとしても、驚くようにしたかったからだ。

 きっと壊した者は起きた地震を自分のせいだと思い込み、苦しむだろう。だから森から出てくる三人には期待していた、特に精霊術師の少女に。

 思ったより普通の様子だったが、やはり動揺していたのか目線を合わせなかったことに対し、笑みを堪えるのに必死だった。


 泉の中にある石にも多少細工した。触れた瞬間に偽の記憶が混じって真実が狂うように、好き勝手に弄りまわした。

 つまり全てはフロッグと宝石と瘴気のせいであり、それ以外に問題はない。泉の結界も、第五王子が入った後の泉での水流操作もそうなるように仕掛けた。

 思惑通り進みすぎて腹がよじきれるほどだ。視力を狂わせて遠目で眺めていたとはいえ、我ながらタイミングも上手だった、と彼女は自画自賛した。


 全てを男に擦り付けて、長く遊んだ玩具を捨てることにした。中々楽しめたが、最後のオチはつまらなかった。

 本来なら寂しく魔人は死ぬはずなのだ。望みもかなえられず、愛しい女性へ捧げるための情報も手に入らず、自分を愛しているはずの少女も現れないまま。

 予定は狂い、男と女は魂で再会して幸せに天へと昇ってめでたし、吐き気がすると思った。しかし演技として愛しい男が死んだ衝撃へと誤魔化した。


 それも全ては第五王子が魂まで視えていたということだ。体内部まで視る目があるのは知っていたが、それ以上とは。

 おかげでここ一週間は姿を見せないようにするのが大変だった。一応体内部の異常に気付かれるのを避けるため、なるべく瞼を閉じている時に傍にいる二人と会話したが。

 しかし肉体という壁と、肉体の中にある瘴気もなるべく抑えていた。そう簡単にはばれないだろう。


 なによりすでに宿屋から出て、ヘタ村からも出た。今は隣村に通じる街道を歩いているところだ。


「ふふふ、馬鹿な女を演じるのも大変だったが、人間おかしいと思いつつも辻褄を合わせようと勝手に人の性格を仕立て上げるから、楽だったわー」


 何度もおかしいと思っただろう。ただそれよりも怪しい奴がいれば、自然とそちらに目を向ける。

 フロッグは良い隠れ蓑だった。これによって魔人という存在も、ようやく世間に認知させることができる。

 そのための事件だった。精霊術に詳しい者が来るだろうとは思っていたが、まさか第五王子とは。


 精霊達や妖精達の動きを見ていれば自然とあの少年に何かあるとは知ることができた。

 詳しく調べればすぐに太陽の聖獣レオンハルト・サニーを前世とした獣憑きと判断できた。それ故に優秀な目を持ったことも。

 それがまさか神世時代ですら貴重と言われた転化術を手に入れるとは思わなかった。おかげで彼は魔人を殺せる。彼女も、殺せる。


 この一週間すぐ逃げなかったのは、本物のマリエル・カルディナを家に戻そうとする気配に乗じたかったからだ。

 カルディナ家は王族に通じる貴族だ。もし偶然にもヤーとハクタが本物と出会ってしまったら記憶の不都合が生じる。そこから辿られるのを防ぐためだ。

 本物に届くはずの手紙を奪って色々書き加えて利用したが、これも用済みだ。手で勢いよく千切って風に流す。


 まだまだ遊び足りないのだ。今ここでミカに殺されるわけにはいかない。神世時代から生きてきた魔人として、暇だが死にたくない。

 しかし他の魔人、特に最近台頭してきた若い魔人は目障りだ。彼らは急激に増えるわけではないが、少しずつ数を増やして徒党を組み始めた。

 それらを減らすための魔人の認知だ。しかし彼が転化術を手に入れたからには、減るのも早くなるだろう。


 満月と星空が輝く。まるで魔人である彼女を祝福しているようだ。もう一回大声で笑おうとした時だった。





「待て。魔人」




 背後から聞こえてきた声に足が止まる。それは一番喜ばしい結果だが、一番会いたくない人物の声。

 左目に傷をつけた金髪金目の少年、ミカルダ・レオナス・ユルザック。ミカと呼ばれる少年で、この国の第五王子。

 彼の横にはハクタとヤーが並んでいる。どちらも険しい目つきをしており、どうやら気付いたようだと知ることができた。


「いつから気付いていた?」

「最初からおかしいとは思っていたけど、声を出すのも思考を使うこともできなかった。でも本格的にわかったのはフロッグと出会ってから」

「やはりその目は忌々しいようだ。魂まで見通す目とは」


 ミカは目の前で立っているマリと名乗った魔人を冷静に観察することができた。その内部すみずみまで見通すことができた。

 歪んだ強力な魂から溢れ出る瘴気が体を動かしている。肉体によって閉じ込めているから、ヤーは気付くことができなかった。

 強い魂だが、精霊は魔素とは相容れない。だから精霊は集まらない、だから強い魂を持っているとは気付かれない。


 最初からおかしいとは思いつつも、ミカはあまりマリの姿を見たことがない。大体人形のような状態か眠っている時だけ近くにいたようだ。

 ヤーとハクタはよく出会っていたようだが、ミカはそうではない。途中フロッグにさらわれたのも原因だ。

 そのせいでヤーやハクタもフロッグがこの事件すべてを仕組んだと誤解してしまった。


「でも一番の違和感はやはり森の結界だ。土の精霊を閉じ込めたあの結界を作るための小道具や、その後の仕掛け……ただの従者であった、一般人のフロッグが知っているはずがないんだ」

「アタシも迂闊だったわ。フロッグは瘴気で狂ったと判断して、やることなすこと筋が通ってないと決めつけていたもの」

「なるほど……策士策に溺れる、といったところですね」


 初めて出会う魔人だから、なにがあってもおかしくないと思っていた。それでも結界の作り方が明らかに玄人めいている。

 ミカがヤーに確認してみれば、ああいった結界構成方法は精霊術にもあるが、学ぶまで知ることはないだろうという技術だということ。

 それでもフロッグは長く生きているようだから学ぶ機会があったのではないかとヤーは尋ね返した。


 フロッグは確かに長く生きていた。だがその多くを森で過ごしていたし、時たま外に出てもミカミカミの情報を集めるくらいだった。

 なによりあんな大掛かりな仕掛けを作った割に、目的が曖昧すぎる。狂っている思考の中で、あんな技術を使って村を困らせる意図が見つからない。

 しかも二段構えの仕掛けなど、明らかに目的があるようにしか思えない。フロッグが仕立て上げた、というには矛盾が生じるのだ。


 なによりマリとミカを連れ去った目的をフロッグは持っていた。それならば仕掛けを作る際も目的があるはずだ。

 つまりもう一人、事件に噛んでいた者がいる。しかもフロッグよりも魔術に詳しい誰かが。

 ミカはそれがマリだと思った。自然な振りをしているようで、どこか狂っている少女。誰よりもフロッグに近かった者。


「他にもある。ビールに催眠薬を仕込んだのもフロッグの指示とはいえ、マリだろ。そしてハクタの首を絞めた際の異常な力もおかしいんだ。西からヘタ村への異様な長距離移動も」

「そこもばれていたのかー。上手くやっていたつもりなんですけどね」


 体の指示系統を狂わせる、というのは魔術の仕組みからも説明できる。だが筋力を狂わせるというのはズレが生じるのだ。

 筋力とは筋肉によって決まる。つまり筋力を狂わせてあげるのなら、筋肉も同時に狂ってなにかしらの異常が表に出るはずなのである。

 しかしハクタの首を絞めたマリの腕はいつも通りか細く、指先は白魚のような綺麗さを保っていた。それなのに男三人がかりで外せないというのはおかしいのだ。


 宿屋のビールが保存してあるのは食堂のキッチンから続く倉庫であり、よく入るのは女主人とマリである。

 忍び込もうと思えば誰でも入れる場所である。しかしフロッグは使える駒がすでに宿屋内にあるのだから、それを使うはず。実際に雷が轟く夜、マリを利用した。

 しかしいくら恋に盲目の少女とはいえ、睡眠薬を樽に仕込むというのは人道に反するはず。それなのに実際にハクタが飲んでいたビールだけでなく、樽自体に仕込まれていた。


 なにより西の領地から東の領地への長い移動に対して、誰も疑問を抱かなかったこと。マリ自身がおかしいと思っていないことだ。

 フロッグですらただ純粋についてくるマリに対して、主とは違う変な女性と気付くほど長い距離を移動している。

 魔人である彼が違和感を抱くなら、普通の少女はそれよりも早く異常に気付いて逃げ出さなければ、おかしいのだ。


 マリは普通の少女として生活していた。そんな娘が惚れた男に数か月もかかる距離を移動したことになにも言わなかった。

 言われるがまま村人も飲むビールに睡眠薬を仕掛け、魔術で狂わされたはずの体に一切変化がない。

 ここまでくると普通であることがおかしい。しかし表面上はヘタ村に住む宿屋のマリで、気付くのがかなり遅れてしまった。


「おかしいと思えば全部おかしいんだ。なのにどこか狂ってんのか、全部普通に見えてくる。見事な手際だ」

「褒めていただきありがとうございます。で、これから私をどうするつもりなのでしょう?」


 宿屋で浮かべていた明るい笑顔でマリの姿した魔人は笑いかける。ハクタは剣を構え、ヤーは精霊術を使うために精霊を集め始める。

 好戦的な二人を見て、魔人は笑みを深くしていく。どちらにも対処できるからだ。問題はミカだけなのである。

 だがミカは内部まで見通す目でいまだ魔人を眺めている。その視線に背筋が震え、魔人は一歩後退る。


 傷のついた左目は綺麗な金色だ。精霊や瘴気の光を宿しているわけではない。まだ転化術を使う気配はない。

 それなのに魂の奥深くまで覗き込んでいるかのような、獣のような瞳に、狩られると思ってしまう。


 肉体で実際の瘴気で形作った魔人の本体は保護している。転化術で滅ぼすには、まず肉体の壁を越えなければいけない。

 だがそれが安心材料にならない。肉体などハクタの刃で切り裂けるし、ヤーの精霊術で吹き飛ばすこともできる。

 もしミカがいなければすぐさま肉体を捨てれば、ヤーとハクタは魔人を殺す術を知らないので倒せるのに、それができない。


「俺さ、許せないんだ」


 静かな声で短い一言を呟きつつミカが一歩前に踏み出す。瞬きで瞼が下ろされ、上がった時には左目に銀色の光が宿っている。

 銀色の炎が明滅し、精霊と瘴気が循環している。魔人が最も恐れるべき術、転化術。精霊や瘴気を全て素から操り、消滅も再生も可能とする御業。

 今は夜なので月の精霊の力を借りたかと判断する。満月である空の下、この場で最も強い精霊の力である。


「フロッグも、セリアも、ヘタ村の皆も、ハクタも、ヤーも。一生懸命生きている。遊んでいい人達じゃない」

「ふ、ふは、あはははは……なにか勘違いしているわね。私は危険な存在である魔人を貴方達に教えてあげるためちょっとした余興を、がっ」


 言い訳で少しでも時間を稼ごうとした矢先、その減らず口を塞ぐようにハクタがミカの前に走り出して、上段構えで頭上から剣を振り下ろした。

 頭上から胸辺りまでかち割れたマリの姿は、可憐な姿など見る影もなく無惨であり、動くには支障が出るほどである。

 その間にヤーが指先に集めた凝縮した風の精霊で緑の光文字を描き、肉体を切り裂く風をマリにぶつける。


 肉体に意味がないと悟った魔人は本体である瘴気の塊と魂を動かして、肉体から脱出する。途端にハクタの目の前で肉体は腐り落ちて、地面に異臭と共に倒れた。

 魔人はすぐに元の姿へと戻り始める。不定形の濁った泥と水の塊、そこに腐った黄色い目玉と生臭い息を吐く口に抜け落ちそうな汚れた歯をつけた怪物。

 人と言うにはあまりにもおぞましく、魔の生物、魔物と言うに相応しい姿であった。魔物はなおも言い訳を吐き出す。


「私は魔人が嫌い! だってあいつら人の中に溶け込んで、いつだって貴方達を殺せるの! 酷いでしょう? だから私はそれを教えてあげたの! ねぇ、聞いてる!?」


 姿には不釣り合いなほど可憐な少女の声。それを無視してミカは少し距離が離れた魔物へと近付いていく。

 焦った魔物はさらに見当違いな方向へ、親しみが持てるようにと自己紹介を始めた。


「わ、私本当はリリアンヌっていう名前で、神世から生きてるの! 興味ない? あるわよね!? 私なんでも教えてあげるわ!」


 リリアンヌと名乗った魔物が言葉を出すと同時に吐き出された唾が、地面を溶かす。ハクタはミカの足を止めようとしたが、真剣な表情を見てとどまる。

 さすがにミカが怒っているとわかったリリアンヌは、逆に怒りが湧き始める。なんで自分がこんな人間の小僧に恐れなければいけないのか。


「なによ、なによっ!! アンタなんか守ってもらわなければ生きていけなかったガキのクセに!! こ、これでも食らいなさいよぉ!!」


 ヤーの目には魔物の口から吐き出される大量の瘴気がミカの体を覆うのが視えた。それがあっという間に精霊となって空気中に散っていくのも。

 ミカの内部ではレオが襲い掛かってきた瘴気よりも、怒っているミカの方が怖かった。瘴気はもう転化術でどうにかできる問題だが、ミカが怒ったのを見たのは初めてだからだ。

 なにせミカはレオに殺されそうになっても怒りはしなかった。それが今は言葉もなく、怒りの矛先を相手にぶつけるために止まることがないのだ。


「や、やめてぇっ! 死にたくない、死にたくない! 私はまだ遊ぶの! 他の魔人を殺して、私だけで遊ぶの!! だから、やめてぇええええええええええええええええ!!」


 寸前まで迫ったミカに命乞いをし始めるリリアンヌ。黄色い目玉から白濁色の涙をこぼす。吐きたくなるような異臭が広がる。

 左目に宿った銀色の炎が燃え上がる。光の明滅が激しくなりなら、その総量を増やしていく。まるで浄化の炎と言わんばかりの輝きだ。




 ミカの手が触れた途端に、リリアンヌという魔物は消滅した。跡形もなく、気持ち悪い異臭も消え去った。




 終わったと理解したヤーとハクタが近づこうとした瞬間、ミカはその場に蹲って盛大に吐き始めた。

 途中無言を貫き通したのは怒りもあったが、魔物から立ち昇る異様な臭いで吐きそうになるのを堪えていたからだ。

 それが消えたことで気が緩み、抑えが効かなくなった。満月が輝く空の下には不釣り合いな光景で、ヤーは完璧に立ち止まった。


 だがハクタはすぐに近付いて、背中をさする。騎士団の飲み会でこういったことには慣れているからだ。

 ミカも胃袋にあった物全て吐き出したことで、楽になる。しかし近くに綺麗な水がないので、ヤーに精霊術で出せないか尋ねる。

 転化術はあくまで精霊や瘴気を素から操り、変化や分散させるだけで、集めて操ることはできないのである。


 ヤーは溜息をつきつつミカの頭の上から洗い流すような水流を発生させ、吐き出した物を土の中へと流していく。

 頭から水を被ったミカだが、途中から手で水を掬い、簡単に口を注ぐ。一息ついてから、思い出したように呟く。


「そういえばリリアンヌだっけ? 神世から生きてたって言うけど、本当かな?」

「本当だとしても、あんな屑が俺達に素直に教えるとは思えない。消して良かったんだ」

「そうね。で、魂は? アタシ達はそこまでは視えないんだけど、アンタは視えるでしょ?」

「あ、うん。月の精霊のおかげで天には昇れたみたい。でも強く歪んでたから、途中で何かに呑み込まれて消滅したみたいな?」


 ミカが視えたのは、満月から差し掛かった光の柱の中に吸い込まれていく歪んだ魂。それが星空の向こうに届く前に、強大な闇の中に消えたのだ。

 もっと目を凝らせば暗褐色の巨大な梟が嘴で啄み、呑み込んだようだ。そのまま梟は星空に溶け込むように消えた。

 意識の内部でレオが、死を司る聖獣、と説明をしてくれた。悪しき魂はその内部で永遠に消化され続けるという。


 死の聖獣とは名付けたが、精霊達とはまた一風違う存在らしくレオもそれ以上は知らないらしい。

 ただ伝説のように語り継がれているらしく、レオは少しだけ背を逆立たせている。あまり好きではないようだ。

 ミカの説明にヤーとハクタは首を傾げた。しかし消滅、もう二度と現れないのなら問題ないと深くは追及しなかった。


「これでやっと王都に帰れるわね……ああ、長かったような短かったような」

「本当にな。俺は帰ったらフィルになに言われるかと思うと多少憂鬱だ」

「フィル兄上! そうだ、俺久しぶりに兄上と話せる! やったー!!」


 はしゃぐミカが明日の出発のために、宿屋で寝るため走り出す。それをヤーが追いかけ、ハクタが笑みを浮かべつつ早足で見守る。

 ミカの内部ではレオが尻尾を揺らして、和やかな気配に微睡む。今だけは全ての悩みを忘れて眠りたいほど、心地よい。


 こうしてヘタ村で目覚めたミカであったが、立ちはだかる事態の数々に気付かずに、その夜は爆睡するのであった。

 人形とも王子とも思えない寝相に、いち早く起きたハクタが苦笑するのはまた別

の話である。

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