第10話「マリエル・カルディナ」

 ミカは倒れてから目覚めるまでの間、意識の内側で太陽の聖獣レオンハルト・サニーに寄りかかっていた。

 意識では実体に近い姿をとることができ、記憶に基づいた姿形になるのだろうとレオは考えていた。そしてミカと記憶を共有していないと確信する。

 記憶保存が別であるため、一つの魂で二つの意識。黄金の獅子を形とするレオの意識と、金髪金目の十五歳の人間を形とするミカの意識。


 記憶の量ではレオが圧倒的に上回っている。それに倣って意識の強さや知識、経験もレオの方が上のはずである。

 だがミカは意識の戦いでレオに勝った。自分を殺そうとした獅子に対して、手を伸ばして協力を求めたユルザック王国の第五王子。

 死を恐れた獅子と、生きようと努力した少年。冷静になって考えれば、勝てるはずもないとレオは自嘲する。


 意識が浮上した五年前から、昨日まで。レオは悲しみと絶望に向かって吼え続けた。だが今は穏やかに眠る少年の行く末を案じる。

 聖獣を前世とする人間、獣憑き。強すぎる魂故に精神や体に異常が現れる。ミカのあらゆる物が視えすぎる目も、獣憑きであるからだ。

 そして昨日の朝。傷ついた左目から精霊と瘴気を取り込み、操る術を手に入れた。視えすぎる目から、精霊や瘴気を素から操るという独自の手法。


 やがて大きな力になるであろう術は、ミカの目とレオの知識がある限り、あらゆる事件に対抗できるだろう。

 同時に多くの人間がミカを求め始める。強すぎる力は戦禍の種が芽吹く時代において、あまりにも魅力的だ。

 それを十五になったばかりの少年に背負わせるということ。レオの毛皮に埋もれて安らかに寝言を呟くミカは、迫っている危機に気付いていない。


 第五王子には王位継承権はない。だが現在ユルザック王国と関係が悪化している西の大国、有名な騎士一家の血を引き継ぐミカ。

 政治的にも多大な効果を持つ身の上。さらに精霊を内部まで見通す目だけでなく、魂を姿として感知できる能力。

 太陽の聖獣であるレオの記憶と意識が鮮明に残っているのも、関係学者から見れば解剖したいと思わせるほどだ。


 レオはミカの立ち位置に溜め息をつきつつ、安心して体を預けるミカの顔、そこに新しくできた傷が治るように分厚い舌で触る。

 意識の姿においてもミカの左目には瞼上から下まで一本に走った傷痕。消えるような浅い傷なはずなのに、力強く意識の姿まで浸食していた。

 おそらく素から操る術の使用に傷痕を進入口とした結果、癒えない傷となって残ってしまった。


 二度と塞がることのない傷。同時に手に入れた術。レオはミカの意識が深い眠りに落ちているのを確認してから、ひっそりと意識を浮上させた。





 ヤーは疲れた顔でミカが寝ている宿屋の客室へと倒れ込むように入る。実際に扉のところで床の上に倒れ、木の温もりに涙するほどである。


「大丈夫か?」

 

 脇腹に包帯を巻いたハクタはベット横に置いた椅子から動けない。上半身は裸だが、肩に黒の上着を羽織っている。


「食い物を……」 


 ヤーが地獄の底から這うような声を捻り出したので、ミカが起きた時のために用意しているパンを一つ投げる。

 すると俊敏な動きでパンを片手で鷲掴み、歯で噛み千切る食べ方でヤーはあっという間に平らげる。

 口横に付いた欠片を舌で舐め取りながら起き上がり、ミカが寝ているベット横まで歩いていき、残りのパンも食べ始める。


「喉に詰まらせんなよ?」

「ひょけいなおへわよ」

 

 もう一度マリに用意してもらうかとハクタが溜め息をつきつつも、忙しかったヤーの事情を鑑みて小言は出さない。


 フロッグが消えてから一週間。大雨の被害に見舞われたヘタ村は復興のために大忙しだ。

 浸水した家屋の確認に貯蔵庫に溜めこんでいる麦や特産ビールの出荷予定変更の連絡、同時に生命線と言える畑の耕作。

 土の精霊が森に集められていたことで水分保有機能を失っていたのと、地震と大雨による天災での荒れようは誰もが覚悟していた。


 しかし地震で荒れたはずの土が雨によってある程度ならされ、さらに土の精霊を解き放った直後に雨が降ったおかげで土が回復していたのだ。

 収穫を終えた後に土がおかしいと気付いて耕していたからか、作物や種に影響はないという奇跡的な結果が村人に待っていたのである。

 なので働き続ける村人達の顔は明るい。不幸が重なったものの幸せに転じてしまったという偶然に、人生楽あれば苦ありだねと笑い話にするほどである。


 ヤーは国からヘタ村の異様な事態を究明し、解決せよと依頼されていた。なので事後報告と今後の憂いをなくすために村中の土を見て回っていた。

 護衛であるはずのハクタは脇腹の傷で機敏に動くのは当分困難であり、ミカも睡眠と短い覚醒を繰り返しつつも覚醒しないので、ヤーは連日一人で働いていた。

 ついでにと村人達に床に浸水した水の除去や、土の確認に貯水池の精霊の濃度審査、その他諸々の雑用を受けまくって、今に至る。


「土の精霊が解放されて、村中の土に標準的な機能が戻ったわ。おかげで貯水池に溜まっていた異常なほどの水の精霊も分散して、バランスが保てている」

「つまりは事件解決、だな。後はミカと……マリか」


 フロッグが消えたことをハクタはマリに伝えていた。西の貴族カルディナ家からフロッグに誘われるまま家出した事情を慮り、教えるべきだと判断したからだ。

 マリは曇天の貴公子の真実に衝撃を受けていたが、村の復興があるからと考えるのを放棄して、今も宿屋の台所で作業している村人達に配るパンを作っている。

 それも長くは続かないだろうとハクタは理解しており、ミカが起きる前に決着をつけたいと思っている。ミカが目覚めて回復したらすぐに王都に帰るつもりだからだ。


 ミカは第五王子とはいえ王族の一員。あまり長く護衛一人という状況で遠出しているのは好ましくない。

 なによりミカについては獣憑きや消えない目の傷や、素から操る術について片付けなければいけない問題が山積みなのだ。

 しかしハクタは帰ったら出迎えるであろうミカの腹違いの兄であり幼馴染みのフィル王子の笑顔が怖いので、もう少し眠っていてもいいぞとミカの寝顔を覗きこむ。


 傷がついた左目を覆うように包帯を巻いており、それ以外におかしいところは見当たらない。呼吸も安定していて、寝顔も子供らしい安らかなものだ。

 たまに生理的な理由で短く目覚めることもあるが、自力で動くには程遠い状況だ。しかし人形のように動けなかったミカを五年間守ってきたハクタからすれば慣れた状況である。

 明るい日差しが窓から入り込んだ時、ミカは薄く眼を開ける。左目には包帯が覆っているので、右目だけである。


 だがミカは巻いていた包帯を勝手に取り始める。ハクタが手で制止しようと試みたが、ミカの左目の異変を目の当たりにして動きを止める。

 金色であるはずの左目が、今は夕暮れの太陽が如く橙色に輝いているのだ。注意深く観察すれば小さな橙色の炎が金の輝きに映り込んでいる。

 五つ目のパンを食べていたヤーが動きを止めて、眉根を寄せつつも尋ねる。


「その左目に宿る精霊の色……太陽の聖獣レオンハルト・サニー?」

「左様。お初にお目にかかる、というのも変だが……我はレオンハルト・サニー。レオでいい」

「っ、な、お前の意識だと言うならば、ミカの意識は!?」


 前にミカはレオに意識を奪われないように体の主導権を渡せない、と話していた。レオが表に出た瞬間に意識を消される可能性が大きかったからだ。

 それを憶えているハクタは慌てるが、ヤーは少し思考してから目に視えているレオの輝きを確認して、首を傾げる。

 目に宿る太陽の精霊の輝きにしては色がわずかにくすんでいる。だが安定した色で輝いているので、ミカの意識を消すとは思えない穏やかさを感じる。


「以前の死を恐れて半乱狂になっていた我なら危ういが、今はミカによって安定を保つことができている。安心してくれ」

「ミカによって? というかあの素を操る術はなに? 他にも色々尋ねたいわ」

「まずはどこから語れば良いか……そうだな一つ頼みがある。それを受諾してくれ」

「いいわよ。聞くだけなら、ね」


 必ずしもその条件を呑み込むわけではない、とニュアンスを含ませつつもヤーはレオの頼みに耳を傾ける。



「実はミカが眠っているため無断に体を借りている。すまんが、それを黙っててくれ」



 太陽の聖獣レオンハルト・サニー。狂っている間は大分好き勝手していた割に、正気に戻った途端に礼儀正しくなってしまったらしい。

 ウインクしつつ両手を合わせて頼み込んでくる伝説の存在相手に、ヤーだけでなくハクタも脱力してしまい、その頼みを受け入れた。


 太陽の聖獣レオンハルト・サニーは月の聖獣ヴォルフ・ユエリャンと共にミカミカミを求めて死んだ。

 ミカとして転生したが、死への強い後悔からどうやら意識を残してしまったらしく、大干ばつの際に神殿で覚醒したのが五年前。

 目覚めてからはミカと意識を奪い合っていたが、一週間前にミカに意識の戦いで完敗した。ミカがそんなレオに協力を求めてきたことで安定した精神を得るに至った。


 そしてレオ自身はミカが生きていくために必要な助言する存在として、意識の中から助ける決意をしたという旨をヤーとハクタに伝えた。


「瘴気も怖くない。ミカが転化する方法を得たからな。そしてこの方法に関しては我も初めて見る物であり、ぜひヤーに名前などを付けてほしい」

「まー、素から操る術って長いし面倒よね。しかし名前ねぇ……転化とか言ってたけど、具体的にはなんなの?」

「瘴気も精霊も素まで辿れば同じ粒子であるのが視えたため、その粒子を操作することにより異なる二点を交互に変化させる術、といった方がいいかな」


 ヤーは頷いていたが、ハクタは全く理解できずにいたので口を挟まない。しかしミカの才能とレオという聖獣の知識のもとで成立するというのはわかった。

 その上で心配になるのがミカの今後だ。精霊術師ですら手の届かない領域による力を手に入れた、というのは嫌な予感しかしない。

 正しく使えばあらゆる物事を解決できるだろう。ミカならば問題ないと思えるが、本当の問題は周囲の反応である。


 もしも露見した際、王位継続権がないミカは政治での道具にされるだろう。もしくは戦争の道具か。

 関係が悪化している西の大国に住んでいる大貴族の血も流れているため、外交においても重要な働きをする。

 第四王子であるフィル王子が王になるのならば悪いようには扱わないだろう。ミカを一番可愛がっているのは彼なのだから。


 しかし他の三人の王子は見当がつかない。特に第一王子は病弱だが、フィル王子と同じ策謀家の匂いがするのだとハクタは感じている。

 第二王子は兄弟は敵ではないが、手柄が欲しいために戦争推奨派。武器開発に興味が向いている。

 残った第三王子は二人の兄が邪魔な上、下にはフィル王子がいることで排除しようと裏で動いている気配を隠そうともしない。


 ユルザック王国の王位継承事情は把握している限りではきな臭い物であり、まだ現ユルザック国王が健康体であるから表だってはいない。

 そのおかげで危うい部分は多いがバランスを保っていると言ってもいい。それも今後の動きでいつ崩れるかわかったものではない。

 特に今回ミカが得た力によっては争奪戦が起きるのは必然の流れだ。ハクタは身の振り方とミカを守る一番の方法を考える。


 十年前にフィルとミカに出会ったことで騎士への道を選んだのだ。二人の傍にいるために自分で選択した。

 だから思案するべき内容も二人の利益を優先した選択。しかしハクタの体は一つである。同時に二人を守ることはできない。

 特にミカに襲い掛かる脅威を案じれば自分の剣の腕では不安だと、痛む脇腹を押さえる。その間にもヤーとレオは話し続けている。


「精霊術でも魔術でもない……素粒子術と喩えるからには精霊と瘴気の素しか操れないのよね?」

「そうだ。その二つは素が同じだが、それ以外に当てはまるかと言われたら不明だからな」

「あの時視えたものとしては、ミカの目の中に宿った輝きが精霊と瘴気による明滅で炎に視えたのよね」

「外側からはそう視えたのか。我は操るのに精一杯だったが、丸い流れを作って二つを転化させて安定し続ける、としていた」

「転化術はどうかしら。一番覚えやすいし、下手に弄りまわしても恥ずかしくなるだけだからね」


 ヤーが提案した名前にレオは頷く。ミカだけが使える素から操る力、転化術、ということになる。

 ハクタはようやく長い話が終わったかと改めてレオに視線を向ける。五年間、ミカの人生を奪った存在。

 一週間前はその知識のおかげで九死に一生を得たわけだが、許したつもりはない。レオもそれを悟り、ハクタに真剣な目を向けて頭を下げる。


「すまない。我のせいでミカは長い人生を損失してしまった。謝れば済む問題ではないし、我では償うこともできない」


 ミカの体を借りているレオは、ミカの手を眺める。十五歳の少年の手、これからまだまだ大きくなる体。

 レオはその体に宿った意識だけの存在に過ぎない。どんな手段を講じようとミカの体を経由するしかない。

 無力に相当する。ハクタ自身もなにかしらの報復を行おうにも、相手はミカの内部にある意識である。


 ならば下せる判決は無罪放免。有罪実刑など下してしまえば、必ずミカが被害を受けるからだ。

 しかしケジメはつけなければいけない。ハクタはレオの謝罪を聞いて、それも終わったと納得に努める。

 溜め息をつきつつもレオに向かってハクタは大事なことを告げる。なにがあってもミカの傍にいる存在に向けて。


「悪いと思うなら、ミカを守れ。俺はそいつが無事なら、それでいいんだ」

「承知した。ではそろそろ我は意識内部に戻る。ミカはあと半日ほどで目覚めるだろうから、ご飯でも用意してもらえると嬉しい」


 空になったパンバスケットを横目で見やり、レオは淡々と告げる。ハクタがバスケットの中身を全てたいらげたヤーに視線を送るが、彼女はそっぽを向いて頬を動かしている。

 レオとハクタが話している間にヤーは残っていたパン全てを食べたのだ。どうせ当分ミカは目覚めないだろうと決めつけていたからである。

 苦笑しつつもレオはミカの体を横たえて瞼を閉じる。するとすぐさま寝息が聞こえてきたので、体の主導権はミカに戻ったらしい。


 包帯が解けた左目の傷は、痕は残ったがかさぶたも取れた。開く様子はない。

 ならばもう一度巻くのも包帯の無駄だろうと余計な手出しはしない。ハクタはゆっくりと立ち上がる。

 深く突き刺さった脇腹の傷はミカの傷ほど簡単に治る類いではなく、定期的に清潔な包帯を巻かなくては化膿する危険性が高い。


 ハクタはヤーにバスケット渡して、包帯を替えるから出て行けと部屋から追い出し、マリからパンをもらってこいと指示する。

 急ぐことではないので小腹がすいたヤーはついでにスープなどの食事をしようと、意気揚々と宿屋の階段を下りていく。

 宿屋の食堂は昼飯や夕飯の時間は村の復興で動き回っていた村人達によって賑やかだが、今は時間外なので多少静かである。


 そんな食堂の客用テーブルに頭を預けて、マリは椅子に座りながら明らかに落ち込んだ様子でいる。

 忙しい時は何も考えないでいられたのが、途端に暇になったせいで思い出して思考の迷路に陥ってしまったようだ。

 マリを慰めようと村人達が視線を向けているが、声はかけづらい状況である。ヤーは気にせずにマリへと近寄る。


「まーだ決めてないの? 今後のこと」

「うう……だって私が家を飛び出たきっかけ、が曇天の貴公子様と駆け落ちするためで、その人も今は亡き人。家からはこれが届きました」


 そう言って萎びた青菜のような手つきでヤーに手紙を差し出すマリ。差出人は確かに西の貴族カルディナ家当主、つまりマリの父親のようだ。

 書かれていることは簡潔だ。なにか訳あって家を飛び出たと思ったので一年間様子を見ていたが特に何もないなら今すぐ帰ってこい、と。

 どうやら定期的に様子を窺いに来ていたらしい。細々とした田舎に貴族の娘が宿屋の看板娘として働くとは嘆かわしいといった説教も書かれている。


 正直ヤーはマリの父親の意見に賛成である。マリの家出理由は夢見がちな少女の逃避行だ。それを一年も様子を見ていられた父親の忍耐強さに感服するほどだ。

 家出した本人であるマリはどんな顔と理由を持ちかえれば良いのかわからず、本当のことを話せば怖い目に会うのは自明の理だ。

 だからといってヘタ村に居続けるというには理由が足りない。村人とは良好な関係を築けたが、それ以上はなにもない。


「宿屋のおばさんにはこのことは?」

「全部洗いざらい話しました。そしたら自分で決めなさいと朗らかに背中を叩かれました」


 豪快で明るい宿屋の女主人らしい対応である。下手に口出ししないのもヤーとしては好感が持てる。

 どう足掻こうと、誰に相談しようとも、これはマリが決めなくてはいけない事情なのだ。馬鹿をやった自分の責任を果たさなくてはいけない。

 マリは少しだけ縋るようにヤーを見上げるが、頼られてもヤーは助言をするつもりはない。


 貴族の娘として戻るか、田舎村の宿屋の娘として働き続けるか、それとも選択肢以外を見つけて選ぶか。

 人生の分岐点と言ってもいい。他人が決めることではないし、選択を委ねてもいけない。選べるだけ、まだ恵まれている。

 貴族社会においてここまで選択肢を得られるのは珍しい。そう考えるとマリの父親は優しいと言ってもいいだろう。


「マリがどっちを選んでも関係ないわ。今は宿屋の娘なんだから仕事してよ。スープやサラダお願い」

「は、はいぃいい……うう、どうしよう」


 嘆きつつもヤーからバスケットと注文を渡されて、マリはゆっくりと動き出す。

 すぐにサラダとスープがやって来て、ヤーは食べ始める。その間にも報告書にまとめるべき項目を頭の中で整理する。

 今回の件で新たに見つかった魔人という存在と、魔素とも言うが瘴気という存在、それを操る魔術。獣憑きによる事例と、転化術について。


 しかしヤーは一つだけ気にかかっていた。泉の底にあった石の内部に精霊術の陣を刻んだという技術。

 そんなのは歴史外と言われる時代、神がこの地に降りていたという伝説が残る神世の技術。それだけならばまだよかった。


 問題は、明らかにあの石内部に干渉した、何か、があるということ。


 ミカは気付いていなかったようだが、ヤーは壊した後に目撃した。砕けた宝石によって欠片から断片的ではあるが確認できた。

 その陣にひっかいた傷が残っていたのだ。かなり荒く、意図的に傷つけた痕だ。放置されていた宝石にしてはおかしい。

 しかも地面に埋め込まれていたはずなのに、誰かが発見できるように土から露見していたというのもひっかかる。まるでわざと見つけられるように置いていたかのように。


 瘴気が強い魂を嫌がるから、泉の底で水が荒れたのも納得ができない。レオも推測混じりと言っていたが、ヤーは違和感を覚えていた。

 それならば他にもあの宝石を見つけた者がいてもいいはずだ。そしてフロッグよりも先に魔人になった者が出てきてもおかしくない。

 一番はフロッグと戦っていた時に泉の周囲を雨から守っていた結界。そんなのは石内部に刻まれた陣で、できない術、であるということだ。


 だがまるで石がその結界を張っていたかのように、壊れると同時に消えていた。

 あくまで水の精霊を集めて緑と水を復活させる永続的精霊術の陣。結界や集約などの機能は最初から備わっていない。

 レオはミカの目を通して宝石から流れ込んできた映像と推測を交えて話していた。つまり確たる証拠が皆無だ。


 ヤーはフロッグのことも思い出す。瘴気が弱い魂を好んで魔人とする、というのも筋が変な気がするのだ。

 確かに精霊は強い魂に惹かれる。肉体を持たない魂に集まった場合はそれが妖精へと変化し、位が上がると聖獣になるのだ。

 瘴気、魔素は精霊とは異質で反対に近い物である。だが弱い魂を好んで取り込むのであれば、そこら中に魔人が発生しているはず。


 しかしヤーは今回初めて魔人という存在を確認した。そもそも魔人という言葉もヤーが思いついた限定的な物である。

 他にも肉体から魂を引きずり出して魔人として形成すると言うのもおかしい。精霊にはそんな力はないし、瘴気にもそれほどの力があるとは思えなかった。

 通常生きている者は魂を精神で繋いで肉体によって保護している。精神を断ち切る力、というよりは意思がエネルギーであるはずの瘴気に宿るのか。


 そう、今回の事件に関しては意思を感じるのだ。弱い魂を、好んで、など。ヤーはようやく違和感の正体を掴みとる。

 石の陣に干渉した傷も、泉の周囲に張られた結界も、不自然な瘴気の動き方も、フロッグだけが狂ったことも。

 ヘタ村の事件に直接的な関係ではないが、裏で糸を引いた意思がある。ヤーは王都に帰ったら本格的に追求しようと決意する。


 そしてマリからパンを詰め込んだバスケットを受け取り、考え事をしながら階段を上がっていく。

 思考を続けて集中していたせいでヤーは気付かなかった。マリが浮かべていた笑顔に。



 レオの宣言通りミカは半日ほどで目が覚めた。ハクタは安心した顔で、一息つく。

 ヤーもようやく起きたかと呆れ顔だ。しかしミカは二人ののんびりした様子とは反対に慌てた様子で起き上がる。

 部屋を見回してみるがマリに顔立ちがよく似ていた幽霊のセリアはもういない。フロッグの魂と一緒に天へと消えた。


「ど、どうしたんだ、ミカ? 腹が減っているならパンが……ヤー、つまむな」

「一つくらい良いじゃない。それにしても本当に変な様子ね、ミカ」

「忘れてたんだ……俺。フロッグとセリアの件は終わったけど、もう一つ大事なことがあるんだ!」


 頭を抱えてミカは失敗したという顔で、ベットの上で大の字になる。外は真っ暗で、星が輝いている。

 もう一週間経っている。遅いと思いつつもミカはハクタに尋ねる。


「マリは? 既にいなくなっちゃった?」

「いや、決めあぐねているようだ。家に帰るか、宿屋にとどまるか」

「へ?」

「本当に優柔不断よねー。でも今日あたり決めるんじゃないかしら」


 二人の言葉にミカは顎に手を添えて考える。二人にわかりやすく説明するにはどこから始めればいいか。

 下手な説明をして時間を無駄に消費するのは避けたいが、時間をかけ過ぎて大事なことを逃してもいけない。

 意識の内部でレオがミカに向かって、なにがあった、と優しく問いかけてくる。ミカ試しにレオに、目を通してどれくらい視えるか、を尋ねた。


(ほぼ同じだと思うが。ただお前と意識の争奪戦や寝ている時は、なにも視えていなかった)


 人形王子と呼ばれるほどの体の動きが制限される昼間や睡眠時は、レオも気付いていなかったのだろう。

 最初に視た日はこんな人もいるのかと思うくらいで、人形王子として動いていたミカもあまり意識をそちらに割けなかった。

 ヤーやハクタも把握している様子はなかったし、ミカも瘴気という存在を聞いた後も実感が湧かなかった。


 だがフロッグと関わって、その姿を目の当たりにした。泉の底で転化術を手に入れて、ようやく理解した。

 問題がある程度終わったのに姿を見せなかった。ということは相手も警戒しているのだろう。そして目覚めた今とどまる理由はない。

 最後のチャンスなのだとハクタとヤーに、ミカはまだ解明していない事実があると告げた。


「森の結界は誰が作った?」

「そりゃあ、今回の騒動の張本人フロッグでしょう」

「違う。フロッグは森にいただけだ。それにフロッグがヘタ村を困らせる理由がないんだ」


 ミカの言い方にヤーだけでなくハクタも鋭い目つきになる。なにかがおかしい、と気付き始めた。

 意識の内部でレオも問題は解決されたが、その問題の原因を掴めていないと知る。誰が、なんのために、やったのか。

 魔人フロッグが原因ならば、目的は如何に。ミカとマリの件は解明されているが、村を困らせる理由が思い当たらないのだ。


 もしミカを誘き出すためならば時系列と脈絡が合わない。村の異変は一年前から雨が降り始め、半年前から激化。

 森に張られていた魔術結界は少なくとも一年前、マリが村に来たあたりから始まった。

 約二週間前に来訪したミカ達は一か月前。王からヤーへの調査依頼で偶然ハクタに護衛の件が通され、フィル王子の配慮でオマケとしてヘタ村へと赴いただけだ。


 つまりヘタ村が廃村になっても、その偶然がない限りミカがここへ訪ねなかった。誘い出す目的で結界を作ったというのは計算が合わない。

 フロッグがミカをさらおうと画策したのは、二つの意図があったからだ。一つは意識で眠っているレオからミカミカミの情報を引きずり出すため。もう一つは主を守護するハクタを狂わせようと目論んだからだ。

 マリを連れ出したのは主の面影がある、というだけだ。それ以上に深い理由は存在せず、さらった後もなにかに使えるかもとヘタ村に置いていただけである。


 要するにフロッグの思考で、ヘタ村の精霊バランスを崩す目的で土の精霊を閉じ込める結界を張る、というのはない。

 瘴気を作りたかったというのも泉の底にあった瘴気だけで事足りる。辻褄が合わない。さらに結界の仕組みも不自然である。

 小瓶に瘴気を詰め込んで森の周囲に埋め込み、それを土中で壊すことにより地震を発生させるという二段構え。そこまでする理由がフロッグにはない。


「俺が倒れる時、この事件はまだ終わりじゃないからあとはお願い、って言ったの聞こえなかった?」

「アタシの耳には事件は終わりであとは頼むとしか。伝言くらいしっかり残しなさいよ!」

「無茶苦茶な。それにしても事件はふりだしか」


 ハクタが考え込む仕草で他に変なところはなかったかと思い出す。しかしどれもフロッグが怪しいと思いながら行動していたため、いまさら何か思いつくかと問われたら皆無である。

 だがヤーは少しだけ思い当たる節があるのか、思考を整理するように瞼を閉じる。どうしても拭いきれなかった違和感。


「マリは、本当に被害者なの?」


 宿屋でよく働く娘で、フロッグに誘われるまま西の貴族カルディナ家から家出した少女。今後の身の振り方について頭を悩ませているだろう。

 マリエル・カルディナ。何度か怪しいと思ったが、その度にフロッグの影がちらついていた。けれど無自覚に操られていると軽視した。

 しかしタイミングがマリを起点にしてみると、繋がり合う。彼女が来た後に起こった村の異変、ハクタを弱らせるために仕掛けたビールの睡眠薬。


「でもマリを容疑者に持っていくには泉の結界がよくわかんないのよね。あれは魔術ぽいし、けどマリからは瘴気が視えなかったし」

「一緒に風呂に入った時、おかしいと感じる所はなかったか?」

「水を弾く綺麗なお肌に膨らんだ巨乳に、むしろどこを怪しいと思えばいいのか」


 宿屋に設置されている大浴場での出来事のことを思い出しながらヤーは唸る。どう見ても普通の人間だったとしか思えない。

 しかし瘴気を操る術を知っていれば、普通の人間でも魔術を使えるのか。思考を張り巡らせるが、カルディナ家の息女とはいえ精霊術さえ把握しているかどうかだ。

 ミカについて詳しかったのも、彼の母親が西の大国出身で、外交において重要な役割があるため、大国に最も近い貴族であるカルディナ家が知識として持つのは当然である。


 疑いをかけていこうと、逆に潔白になっていく。やはりマリは被害者側なのかと思い直すほどだ。

 ハクタも少女の笑顔を脳裏に浮かべてしまい、疑うのが申し訳ない。首を絞められた際も、あれはフロッグのせいだと考えている。

 綺麗な指先で妙に強い力で気道を押さえつけられたのは驚いたが、と思い出したところで微かな違和感が湧きでる。


「魔術っていうのは、力を変えることもできるのか?」

「アタシも簡単な特徴しかわかんないわよ。でも体の指揮系統を操れば可能だろうし、力も筋力を狂わせればいけるんじゃない」

「……ということは筋肉にも影響するのか?」

「確定的とは言えないけど、そうね。筋力って結局筋肉の質に左右されるし、筋肉を増大すれば力強くな……」


 ヤーも言いながらおかしいと気付く。マリはフロッグに操られてハクタの首を絞めた。男三人がかりで引きはがせないほどの力を発揮して。

 しかしマリの華奢な外見からは想像もつかない力であり、筋肉を狂わされたというならば、明らかに腕の太さや指先が変形するはずだ。

 だが彼女はどこも変わっていない。大浴場で見た時と同じ肉付きの良い体ながら、女性らしい曲線と細さを持った、か弱そうな少女である。


「俺は他の要素でマリがおかしいというのはわかるけど、二人にはもっと納得しやすいこと言っとくね」

「ミカ、まだなにか? これでも十分だとは思うんだけど」

「あるよ。いくらフロッグが魔人で美丈夫だからってさ、マリみたいな女の子が西の領地から東の果ての村にさらわれるって、相当な時間と労力だよね」


 王都から一か月かかって、ミカ達三人は東の領地の中でも果てに近いヘタ村に来た。西の領地から移動するとなると、さらに倍以上の時間だ。

 いくら一目惚れで熱に浮かれていたとはいえ、着の身着のままで馬車などを使っても二か月以上の時間が必要な距離を旅したのだ。

 魔人の力で多少短縮したかもしれないが、それでも服は擦り切れるだろうし、お腹は減るもので、生理的な現象もいくつか起こるであろう。


 その時のことをマリはヤーに惚気として語ったが、まるで夢物語の内容だ。一切降りかかったであろう苦労について話していない。

 大変だったけれど彼を想えば乗り越えられた、らしき言葉も告げなかった。むしろなにもなかったかのように、雨の中ヘタ村へ放り出されたことも苦にも思っていない。

 貴族の家で育てられた娘、にしてはたくましすぎる。一般家庭の少女ですら、耐えられるような内容ではない。愛の力と言えば聞こえはいいが、常軌を逸している。


「ミカ、お前が他の要素でおかしいと思うことは何だ?」


 もう確定した空気だが、ハクタはどうしてもその内容が気になった。

 ヤーとハクタはミカに指摘されるまで、マリについて疑問を抱かなかったが、ミカはあらかじめ知っていたかのように重々しい雰囲気を纏っている。

 黄金の目が輝く。物体内部に存在する魂や精霊も見通す、視える、というには優秀すぎるミカの目が硝子向こうの外へと向く。


「強く、歪んだ魂。そして肉体の中に収められた夥しい瘴気。マリは、人間に偽装した魔人だよ」

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