氷水晶の神殿

王族嫌いの青年と人間嫌いの妖精

第1話「兄達の憂鬱」

 フィリップ・アガルタ・ユルザック。穏やかな亜麻色の髪を肩まで伸ばした、優しそうな面影を残す青年だ。

 今もユルザック王国王城で働く女中達が、日向で盤ゲームを興じている彼の横顔を見て、思わずため息を零すほどである。

 笑みをたたえた口元に指を当て、盤上の戦況を眺めて、青い目の輝きを困った様子で揺らめかせる。


 対戦相手は彼の幼馴染、王国騎士団第十三隊所属のハクタという青年であり、テーブルに肘をつけて暇そうに眺めている。

 二人がいるのは王城の中でも日当りが良いと言われる小さな中庭で、花と芝生で整えられた地面の上に白いテーブルと椅子が休憩用に置かれている。

 ハクタは髪も目も黒く、身にまとう服も黒一色である。白を基調とした淡い色相の服を着ている彼とは正反対と言ってもいい。


「ハクタは相変わらず戦略に弱いね。はい、王手」

「そういうのはお前に任せているからな。それよりもフィル、今日はお前に伝えたいことがある」


 決着がついたゲーム盤を片付けながら、ハクタはいつも通りユルザック王国第四王子であるフィルに敬語も使わず話す。

 フィルとしてもハクタに敬語を使われたら背中が痒くなってしまうので、気にせずに言葉の続きを待つ。

 二人の頬を秋風が撫でていく。太陽が輝く青空だが、少し肌寒い季節へと移り変わっている。


「俺はミカの護衛を辞め、お前の目的成就に専念しようと思う」

「それはまた突然だね。嬉しい言葉だけど、ちょっと不満かな」


 女中が持ってきたお茶菓子を笑顔で受け取りつつ、フィルはありのままの気持ちを告げる。

 ハクタは五年間フィルと腹違いの弟である、原因不明で人形のように動かなかった第五王子のミカルダ・レオナス・ユルザックを護衛してきた。

 それが約二週間前にミカは昔のように明るい調子で城に帰ってきた。兄のフィルへと無邪気に抱きついてきた弟は、まるで十歳の頃と変わらない子供のようだった。


 ユルザック王国の東にあるヘタ村で起きた水不足。詳しく語れば土が水を含まずに乾燥した件で、ハクタとミカ、そしてもう一人天才精霊術士の少女ヤーを国は派遣したのだ。

 自然が狂う時、精霊に異変が起こっていると認識するのが、精霊信仰を主とするユルザック王国である。だからヤーを派遣し、その護衛にハクタを推薦した。

 ハクタは当初ミカの護衛があるからと断ったのだが、フィルが笑顔で二人を護衛すればいいと押し切ったのである。実情としては、護衛に相応しい人材がその時点で不足していた、と言うのもあるが。


 しかしヘタ村で起きたあらゆる巡り合わせの末に、問題は解決した上に人形王子と呼ばれていたミカが健康体となった。

 フィルとしては想定していた中で三番目に良い結果になったと、多少満足していた。不満があるとすれば帰ってきたミカとハクタの負傷及び、ヤーが国王に提出した報告書の件である。

 ミカは左目に縦一直線の痕が残る傷を負い、ハクタは当分動くのも難しいほど深い脇腹の傷。ハクタの傷は大分癒えたようだが、やはり動きがぎこちない。


 一番の問題は帰ってすぐ提出されたヤーの報告書。精霊が凝縮して変化したエネルギーの魔素とも言うが瘴気の発見、魔人や魔物という妖精や聖獣と対をなす生物。

 おかげで現在は国王に仕える顧問精霊術師すらも城から離れて、現地調査という名の出張をしていた。国一番の精霊術師ですら駆り出さなければいけない事態なのである。

 五年間隔で起きている国を揺るがすほどの異常事態の頻発に、ユルザック国王が焦っている。今年がその間隔に該当する時期なのだ。


 十年前に起きた病「国殺し」の流行、五年前の大干ばつ。どちらも精霊関連で起きた事件であり、解決も精霊関連の方法だ。

 瘴気は精霊に悪影響を及ぼす。ヤーの報告書が真実だと判断するなら、今年はその方向性で起きるのではないかと国は危惧している。

 その不安は城下町に流布しており、怪しい噂や終末思想の伝播などが目立ってきている。特にフィルとして好ましくないのが、第五王子であるミカとの関連を示唆する噂だ。


 今年で十五歳のミカ。つまり彼が五歳の時に流行病、十歳の時に大干ばつが起きている。ただの偶然なのだが、不安に駆られた人心は原因を欲する。

 つまりミカのせいで国に不吉なことが起きているのではないか、という噂だ。悪いことにこの噂が現在関係悪化中の西の大国にも流れてしまったということだ。

 ミカの母親は西の大国で有力な力を持つ騎士の家系、レオナス家の息女である。彼女が国王と結婚した際は国交関係はまだ良好だった。ミカが生まれた時は両国で同時に祭が行われるほどだ。


 それが十年前の流行病でミカの母親が死んで以来、関係悪化は止まりそうにない。まだ戦争状態にならないのは、レオナスの血を持つミカが存命で、第五王子であるということだ。

 王位継承権はないが、王族として政務の中で重要な役割を持つ立場である。ユルザック王国、西の大国、どちらからでも干渉できる存在がミカなのだ。

 歯車の動きを小石を挟んで無理矢理止めているに過ぎない。その小石が今にも割れそうになっている原因が噂なのである。


 ユルザック王国側で流れる噂として、西の大国に住んでいる民の血を引いた王子がいるから不吉なことが起きている。

 西の大国側で流れる噂として、ユルザック王国はレオナス家の血を引く王子を蔑ろにしている、というものだ。

 意図的な動きを感じる流れだ。おそらく戦争を起こして手柄を上げたい第二王子あたりが画策し、部下を使って広めているのだろう。


 一番王座に近いのは第一王子だが、彼は病弱な上に母親も第六王妃。没落貴族の娘が働けずに嫁いだ結果なため、後ろ盾がない。

 逆に第二王子は由緒ある貴族の家柄を持つ第一王妃の息子であり、文武両道だ。しかし人望、というよりは功績がないのだ。

 ここ十数年は戦争は起きていない上、事件が起きても解決するのは精霊術師。今一つ押しが弱いため、彼は手柄を手に入れ、人民からの熱い推薦を得るつもりなのだ。


 第三王子は上に二人いる状態で、王位継承権は第四王子まで与えられるため下に一人という、越えられない壁と迫りくる脅威にさらされているようなものだ。

 母親の家柄も貴族ではあるが第二王子には勝てず、性格はヒステリック気味であまりいい話は聞かない。しかし野心だけは高く、虎視眈々と王座を狙っている。

 今も裏で動き回っている気配が漂うので、墓穴を掘りそうだとフィルはあまり相手にしてないが、注意は欠かさない。


 第四王子であるフィルにも当然王位継承権がある。母親は第二王妃で身分は第三王子の母親に劣るが、歴史の中でも重要な政務をこなした家系である。

 穏やかな容姿と聡明な機転から、人望は三人の兄王子よりも上である。現在も国王の補佐として拝命役を請け負ったりしているので、あとは積み重ねだ。

 第五王子であるミカを最も可愛がっているのもフィルである。年が一番近く、母親同士も深い親交があったためだ。


 フィルは幼少の頃より戦争に反対の姿勢で動いている。戦争など起きてしまえば国の多大な浪費に繋がり、人民という財も理不尽に奪われてしまう。

 例え勝利によって土地を得ても、戦火で焼かれてしまえば立て直しに財政を酷使しなければいけない。さらに現在でも広い国土を持っているのに、これ以上増やしては管理の目が届かなくなる。

 つまり戦争で生じる利益と、その後の不利益を合わせて計算すると損してしまう結果になる。第二王子は焦るあまり、後始末を考えていないのだ。


 そこにミカを巡る噂は非常に良くない。もし戦争に負けた際、交渉役としてミカはうってつけの人材であるのに、その価値が損なわれているのだ。

 もし彼が命を失う事態まで発展してしまうと、西の大国はユルザック王国を目の敵として長い衝突が始まることになる。それだけレオナス家というのは西の大国では重要な存在なのだ。

 事態が危うい天秤の上に乗っている最中、ハクタがミカの護衛を辞めるというのはフィルの計算では良い結果を生まない。


 気持ちの方では幼馴染のハクタが自分の目的のために力を注いでくれることに、この上ない喜びを感じている。

 しかしハクタは長い間ミカを守り続けた腹心である。彼の代わりとなる騎士はそう簡単に見つからない、どころが信用できない。

 国に仕える騎士達も支持する王子が異なるため、下手に第二王子の息がかかった騎士がミカに付けば、ここぞとばかりに開戦の材料にされるだろう。


 ハクタもそのことは承知のはず、とフィルは思いつつ、どうしてその考えを口に出したのか。彼の答えを待つ。

 少し苦渋を滲ませた顔でハクタは口を閉ざしていたが、観念したように開いて、言葉を選びながら出す。


「弟……弟子が師範の予定では、十八歳で全ての剣術を引き継ぐんだが、今年がその年だ。あいつをミカの護衛に推薦しようと思ってるんだが」

「師範って確かハクタにあの胴がら空き剣術を教えた人だよね?大丈夫なのかい」

「背中で守る剣術と言ってくれ。なんにせよ師範はそれも含めたあらゆる剣術を習得していて、その全てを受ける後継としてあいつを育てていた……みっちりとな」


 少しずつ重い雰囲気を漂わせるハクタに、フィルは苦笑いを零す。ハクタが騎士として城に来る前、ある半年間。師範と出会い、剣術を朝昼晩と学んだのだ。

 帰ってきたハクタの様子にフィルは声も出ないほどだった。まるで世捨て人のような見る目も当てられない布切れを纏っただけの姿に、手の豆が潰れたまま治らない赤い手の平。

 それなのに目だけは強い輝きを灯し、血に塗れた柄とは反対に、金属特有の鋭い切れ味を感じる、剣刃から漂う冷気。


 それが約八年前のことで、ハクタは当時十代半ばの子供だったはずだ。それが大人顔負けの剣術を半年で会得したのである。

 しかし相当強烈で地獄のような苦しみを味わったのか、ハクタは修行のことについて一度も語ったことがない。語ろうとすると、唇が青白くなるほど顔色が悪くなるのだ。

 半年で一つの剣術を学んだとすると、ハクタの弟弟子というのは何十倍もの苦しみを味わっているということである。


 その弟弟子に思い当たる人物がフィルにはあった。確か十年前の流行病の年、ハクタが国の補償申請で城に来ていた時のことだ。

 国民による申請の長い列の中、ハクタの傍に寄り添う少年がいた。当時のミカよりも多少年上の八歳の男の子だ。

 今年で十八歳というなら計算も合う。しかしその時はハクタとは友達になれたが、少年はハクタの背に隠れるようにずっと押し黙っていたはずだ。


「弟弟子って言うけど、昔ハクタの後ろにいたよね?両親はあの病で死んだって聞いたけど、まさか」

「いや。師範に弟子入り、正確には俺が騎士になると決めた際に家族の縁を切った。お前なら、わかるよな」


 フィルは首肯だけを返す。ハクタが騎士になると決めたのは、王族の政争に巻き込まれると知りながら、友達であるフィルとミカの傍にいるためだ。

 つまり弱みを見せればそこを突かれる危険性が高い場所に居続けるため、大切な物を守るために残った唯一の兄弟という縁を切ったのだ。

 師範に一緒に弟子入りしたということは、彼に少年を預ける目的もあったのだろう。フィルですらハクタの師範という人物の所在を知ることができない。


 仙人のような人物らしく、人智未踏な場所へと出入りしているという、あやふやな目撃情報は手に入れているが、確かではない。

 王族ですら情報が掴めない人物ならば、そう簡単には手が出せないと同義だ。大切な物を預けるには確かにうってつけかもしれない。

 ただしハクタの表情が一向に晴れやかにならないのを見ると、良いことばかりでもないそうだ。


「なんにせよ、あいつは俺より剣の、正確には武闘の才があった。師範が一騎当千の才覚があると告げるほどだったからな。しかしあいつはなぁ、本当に迷っている」

「ハクタより強い、か。それは僕の配下に欲しいところだけど、なんか問題があるのかい?」


 深いため息を一つ吐いて、重苦しそうにハクタは呟いた。


「王族嫌いなんだよ、あいつ」






 ユルザック王国の北から納税用の作物を、首都であるヘルガントへ届ける途中の幌馬車が数台。

 村から出た直後のあぜ道は狭い上に石が多く散らばっており、荷台を大きく揺らした上に、馬達も不満そうな顔をしていた。

 しかし城が遠目からも確認できる現段階の道は土を均して整備された広い公道であり、配達役の村人は嬉しそうに馬車の中にいる青年に話しかける。


「兄ちゃん、やっと首都ヘルガントが見えてきたぜ。あれがユルザック王国の名城カルドナだ」

「知ってんよ。幼い頃に嫌って程見たからな。それより気ぃ抜いてんじゃねぇよ。一昨日も山賊に襲われたばかりなんだからよ」

「がっははははは!その山賊を一人で倒したのは兄ちゃんだろうが!おかげで今回は安心して危険な近道を使えたってもんよ」

「道理で何度も危ない目に会うわけだ。ったく、乗せてくれって頼んだのは俺だが、釈然としない」


 唇を尖らせながら、揺れる馬車の中で青年は首都ヘルガントと中央に聳える巨大なカルドナ城を眺める。

 城を中心とした円状に広がる城下町で、城壁、貴族街と市民街を隔絶する壁、最後に侵入者を防ぐための壁、という三つの壁で街を区切っている。

 高低差がある土地なので街の中は坂道が多く、自然と城が一番高い場所となっている。戦争の際に坂道を利用した戦術が使われたと、歴史でも綴られるほど計画された街並みだ。


 ユルザック王国は今でこそ広大な土地を保有する大国ではあるが、最初はやはり小さな国から始まった。

 首都ヘルガントは初代国王が戦術家であったため、三つの壁と坂道を利用した対策を考案し、城にも様々な機能を備えていると言われている。

 しかし今は首都まで攻め込まれるほど弱いわけではなく、戦術として作り上げられた壁は住人にとって格差の象徴となってしまった。


 十年前の病の流行では貴族が薬を占有し、貴族街の壁を用いて一般市民を見捨てたのは青年にとって忌まわしい記憶だ。

 しかし原因は北の火山噴火による強力な精霊の流布であり、貴族も多くの者が死んだ。薬など意味がないと、事態が終わってからそれらを捨てていた。

 その薬を手に入れようと一般市民はなけなしの金を絞り、探し求めていた物であったのに。それに対し国は、王族は、なにも処罰を下さなかった。


 五年前の大干ばつも同じである。やはり貴族は水を買い占め、時には一般市民が努力して泥水から浄化した物を奪ったこともある。

 各地で水不足に嘆き悲しんでいた時に王族が取った策は、聖獣という精霊の最高位に座す存在への祈祷だった。

 その後に雨が降ったことで水不足は解消されたが、王族は祈っただけだ。確かな結果など出していない。


 そんな王族に兄弟子は仕えると言い、今は騎士となって活躍しているだろう。良い御身分だ。

 青年は馬車の中に置かせてもらっている、自分が信じている物を眺める。長い柄に剣に近い刃をつけた、パルチザンという名称の武器。

 突く、刺す、斬る、全てに特化した上に槍に近い長さを持っている。そのため遠心力や間合いの長さを生かした戦法が多彩に選択できる青年の愛用物だ。


 武器の特徴だけを聞けば、誰もが最強だともてはやす。だが先端に鉄の刃をつけているため、重量が偏っている上に柄の部分も足すと、持ち上げることすら最初は困難だ。

 筋力を身に着けた上で、長い得物を振るうための柔軟性や手首の動かし方、また戦法に合わせた体術の習得などが必要となってくる。

 振るうだけならただの力馬鹿でもできる。しかし扱い熟すという次元になった場合、この武器は人を選び始める。


 青年は、クソジジイと呼んでいる師範から全ての剣術を教わる際、この武器に相応しい体へと鍛え上げられた。

 そのことを思い出そうとすると思わず膝を抱えて青い顔をしたまま、言葉にもならない呟きを延々と垂れ流す羽目になるほど、鍛えられた。

 おかげで山賊二十人くらいなら一人で倒せるようになった。修行の際に人食い熊退治や断崖絶壁で三日三晩張りついて過ごすことに比べれば、幼子の手を捻るに近い。


 十八歳になってようやくその地獄修行から解放された矢先、青年は師範にユルザック王国にいる兄弟子の元へ向かえと言ってきたのだ。

 最初は断ったのだが、師範はすでに手紙を送った、北の産業国で指名手配犯として青年の貼り紙をした、など逃げ道を失くしていったのである。

 仕方なく十年前に噴火して以来、いつ再噴火してもおかしくない北の山を越え、国境を越え、ユルザック王国へと八年ぶりに戻ってきた。


 そこからは北の領地内にある小さな村へ立ち寄り、納税用の作物出荷に護衛として雇ってもらい、今に至る。

 北の産業国の中でも僻地、人の手が入っていない山奥、というよりは秘境で過ごしていた青年からすれば、ユルザック王国に流れる秋風は暖かい物である。

 黒髪を風に任せるがまま揺らし、黒い目を細めて次第に近づく故郷を面倒そうに眺める。


「おっちゃん、馬車は城近くまで行くんだよな?」

「おうよ。作物を城の倉庫に運ぶために、城門で検査するからな。いつ見上げても荘厳ながら堅実な城で、良い眺めだぞ」

「そこまでは聞いてねぇよ。大体俺は王族が嫌いなんだよ」

「王族に近寄るのが嫌なら、市民街で兄ちゃんを降ろした方がいいか?兄ちゃんがいないと帰りは安全な遠い道行くしかねぇんだよなぁ」

「城門前でいい。ていうか最初から安全な道を行けよ。納税用作物奪われたら村の危機だろうに」


 本来なら一ヶ月は優に超える距離を、三週間で首都に辿り着くわけだと青年は溜息をつく。

 おかげで早く着いたものの、正直兄弟子に八年ぶりに出会うのが気まずい上、野生の勘とも言うべき部分が危険を感じ取っている。

 青年は嫌な予感についてある程度予測できている。もし兄弟子のハクタがそれを出して来た場合、承知しているであろう事実を突きつけるつもりで、練習のように小さく呟く。


「王族を守る価値なんて俺は知りたくないんだよ」





 王国管轄の精霊研究所は座っている者がいないほど、新しい文献の添削や各地の未解決事件についての会議など大忙しだ。

 貴族街の中にある土地を使い、王城と直通の道も作られるほどの重要施設であり、外観は白い四角の箱に見えるため、スクエア研究所とも呼ばれている。

 内装も白い木材を基本としており、廊下を照らす明りは、研究途中の自動精霊術による、蛍のような金色の光球が天井近くに浮いている状態だ。


 その廊下を大人の歩幅に比べれば小さなものながら、早足で歩く少女、ヤーが進んでいた。片手に紙の資料、もう片方では三冊ほど本を抱えている。

 数日は寝ていないであろう目元は青く、綺麗な碧眼も充血で赤くなるほどだ。こげ茶の短い髪は手入れすらされていない。

 鬼の形相をしつつも集中しているヤーを追う男性が一人。柔らかい白のくせ毛に青い目を大きな丸メガネで隠した、マイペースそうな青年である。


「ヤーちゃん、そろそろ行水だけでもしようよ。年頃なのに臭うなんてお兄ちゃん悲しいよ」

「義理の、でしょう。アタシはいつか独り立ちしてやるために、今は休んでいる暇ないの!カロンも早くササメさんからの資料解析に取り掛かりなさいよ」

「酷い!血が繋がっていないからってお兄ちゃんと呼ぶどころが呼び捨て!父さんは敬称付けてるのに!あ、でも血が繋がってないから結婚は可能だよね」

「今すぐその眼鏡叩き割ってもいいのよ、お兄ちゃんばかやろう


 足を止めて睨み上げるヤーに対し、カロンと呼ばれた青年は嬉しそうに微笑むだけである。単語に込められた本来の意味を無視し、耳に届いたお兄ちゃんという響きが嬉しかったのである。

 精霊研究所前に捨てられていた赤子のヤーを、カロンの父である研究所責任者のササメ・スダが預かり、養子として育てたのだ。ただし一定以上の身分を表わす名字は与えていない。

 カロンの母親が死んだ直後に現れた赤子であったため、カロンはヤーを大変可愛がっている。指が眼鏡の硝子部分を突き破って目玉に刺さったとしても、痛くないと言うほどだ。


 ヤーは育てられた恩義は感じているが、精霊が視える才能は自前であり、天才精霊術師と名乗るに申し分ない結果を残している。

 ササメもヤーに才能がなければ孤児院に預ける予定だった。名字を与えていないのは、素性が知れぬ子供を、貴族であるスダへと迎え入れるには才能だけでは頼りないからだ。

 実利主義であるササメはカロン以外の子供は全て孤児院へと出している。実力がない者に与える家財は一切ないのだ。


 カロンが残ったのは、ヤーほどではないが精霊を視る才能があるためだ。そこから徹底的に教育され、今では一端の研究生として活動している。

 このままササメの元で研究を続けていても自分の将来はどこにもない、と理解しているヤーは精霊術師として確かな功績を積み上げ、最高位である顧問精霊術師になるのが目標である。

 王族に仕える顧問精霊術師は実力重視であり、過去において一般市民から顧問精霊術師に昇進した者の中には名字を受け賜った事例もある。


 確かな自分を手に入れるため、ヤーには立ち止まっている暇はない。それなのに五歳年上の、今年で二十歳のカロンは年頃の妹として扱ってくる。

 そろそろ本気で眼鏡を叩き割ってやろうかとヤーの苛立ちが最高潮まで上り詰めた時、視界を横切る精霊が、なにかに引き寄せられるように動きを変えた。

 ヤーの目には、精霊は色のついた小さな光が空中を漂うように視えている。そして精霊の特徴として、強い魂に惹かれる、というのは公の研究結果だ。


 つまり近くに強い魂の持ち主がいて、それに引き寄せられて精霊が動いているのだ。しかし引き寄せる量が異常なのだ。

 魂が強ければ強いほど、磁力と砂鉄の関係が如く、精霊は多く引き寄せられる。これだけの動きには他の研究生も驚いて足を止めている。

 光の洪水が、川となり、一か所へと集まる。廊下の曲がり角から顔を覗かせた少年を見て、ヤーは持っていた本を床へと落とす。


「ミカ!?アンタ、なんで研究所にいるのよ!?」

「実は五年間動けなかった分の勉強から逃げてきたのと、ヤーに聞きたいことがあったんだ」


 研究所には王城へと直接向かうことができる廊下がある。そこからやって来たのだろうが、第五王子の顔を見たことがない研究生は不法侵入者かと怪しんでいる。

 輝くような金髪と金目だが、少しぼさぼさとした髪型と幼い雰囲気が王子の像からかけ離れている。ヤーも王子と言われなければ、頭の悪そうな少年、としか思わないほどだ。

 第二王子は有名だが、ミカは王位継承権がない第五王子。しかも十歳から五年間ほど人形のように動けなかったため、国民に顔を見せる機会もなかった。


 左目にできた縦一直線の傷も、王子のイメージを崩していた。浅い傷なのだが、とある事情により痕が残ったのだ。

 研究所の守衛が来る前に、ヤーがどこかへ連れて行こうとした瞬間、カロンがミカに近づき笑顔で話しかける。


「君が噂のミカくんだね。妹から話は聞いているよ」

「妹ってことは、ヤーの兄上?ヤーも兄弟がいたんだな」

「正確には義理!結婚可能!ここ大事だよ、ミカくん!というわけで三人で仲良くお茶しよう」


 カロンはそう言って、ミカとヤーの肩を掴んで自分の研究室へと連れていく。その様子を見てスダ家の客人かと周囲にいた者は納得する。

 研究所責任者のササメ主任の身内が呼んだなら身分は保証済み、その上先程の精霊の動きから強い魂の持ち主とわかるので、研究対象かもしれないと憶測もできあがる。

 おかげでミカがユルザック王国の第五王子と知られることはなく、王族が急遽訪問という大騒ぎが起こることはなかった。



 資料や本が机だけでなく床にも積まれ散乱している研究室。その中で床に辛うじて置かれた座布団にミカは座っていた。

 その対面にカロンが実験用硝子器具に注いだお茶を持ってきて、資料を適当に足で払いつつスペースを作って座る。

 ヤーは臭うからと研究所内に設置された簡易シャワー室に連れていかれたため、今は不在である。


「改めて初めまして。僕はヤーの義理の兄、できれば許嫁と名乗りたいくらい溺愛している、カロン・スダです」

「初めまして。俺はミカルダ・レオナス・ユルザック。ヤーから聞いているならわかると思いますけど、この国の第五王子です、一応」


 最後に付いた一応にカロンは思わず吹き出す。本人も王子に見えないと自覚してなければ出ない言葉だからだ。

 しかし笑い方に嫌味は一切含まれておらず、優しい雰囲気で微笑んでいる。兄のフィル王子に似ていると、ミカは少し親近感を覚える。

 柔らかい物腰に穏やかな眼差し、着ている白衣も清潔だ。人に嫌悪を感じさせないという第一印象だ。


 少し強気の性格であるヤーとは、また違った方向の青年だ。ただお茶容器が実験器具や、足で資料を払う仕草、部屋の乱雑さを見ると、無頓着なとこもあるようだ。

 ミカはお茶が入った実験用器具を受け取り、一口飲む。思ったよりも上品な紅茶で、ミカでも高級品とわかる味だった。

 入れ方も上手なのだろう、火傷しない程度に熱くした湯に、温めたミルクと砂糖が適量入っているため飲みやすい。


「ヤーが君やヘタ村でのことを楽しそうに話しているからね、よく知ってるよ。ただし新しい発見に君が関与しているのは、極秘扱いだけどね」

「俺としても相手が見つかるように細工していた場所に偶々行っただけなので、極秘扱いの方がありがたいです。それで実はヤーに尋ねたいことがありまして……」

「敬語はいいよ。僕も使ってないし、年も身分もこの研究所では無法地帯なもんだよ。それよりミカくん、君さっき兄上って言ってたよね?」

「俺も兄がいるから。特にフィル兄上のことは昔は兄様って呼んでたけど、兄上が良いって言われて」

「僕がヤーちゃんにお兄様と呼ばれるにはどうしたらいいかな!?むしろおにいちゃま!?少し幼く、様をちゃまとして、あのヤーちゃんがカロンおにいちゃまと呼んだら、僕は!僕は!!」


 ミカの言葉を遮って一人で妄想と萌という概念に振り回され始めたカロン。ミカが笑顔で思わず腰を引くほどである。

 最終的に猫耳のカチューシャとフリルスカートを装備した上で、上目遣いで朝起こしに来たヤーが、カロンおにいちゃま起きないとおこだよ☆、とまで思考がぶっ飛んだ頃。

 研究室の扉を勢いよく開けた白シャツと短いズボン姿のヤーが水気を含んだタオルを片手に、顔を真っ赤にして大声で叫ぶ。


「ミカになに馬鹿なことを吹きこんでるの!!大馬鹿野郎がぁあああああああああああああああああああああ!!!!」

「あん!待ってヤーちゃん、タオルを鞭代わりだなんて、そんな!鎖と首輪を用意した上でお願いします!」


 半分濡れたタオルで勢いよく頬や頭を叩かれるカロンは、なぜか頬を桃色に染め上げている。

 洗い立てのヤーから香る柔らかく甘い石鹸の匂いも吹き飛ばすほどの猛攻に、ミカはなにも言えないまま座り尽くしていた。

 ただミカの意識の内部に存在する意識、獅子の姿だが、かつて太陽の聖獣と呼ばれていたレオンハルト・サニーがミカに話しかける。


(ヤーも大変だな)

(に、賑やかでいいんじゃないかな。多分)


 衝撃で吹き飛んだ眼鏡が床を転がるのを横目に、ミカが体験したことのないような兄弟喧嘩は五分ほど続いた。

 ヤーは床の上に倒れ伏したカロンを放置し、ちゃんとした服に着替えてくると憤慨しながら研究室に置いてあった衝立の向こうに消える。

 聞こえてくる衣擦れの音も気にならないほど、ミカは倒れたカロンに声をかける。かなり一方的な展開であったため、怒っていないか心配なのだ。


 だがカロンは嬉しそうな様子で叩かれた部分を撫でているので、心配いらなかったとすぐに認識を改める。

 着替えたヤーの服装は術師らしい赤いローブだが、女の子用に改造されたスカートにも見える。収縮する張りつく素材の黒く短いズボンがわずかに覗かせつつも、彼女はミカの近くに座る。

 カロンはそれに少し落ち込みつつも、事の本題に入ろうかと、姿勢を正す。ただしヤーは胡坐をかいているが、カロンにとってはいつものことらしく、注意は飛んでこない。


「ミカくんはヤーちゃんに尋ねたいことがあるそうだよ。お兄ちゃんは内容次第でブロークンハートだから、気を付けてね」

「は、はぁ。えっと、この傷なんだけど……髪の毛が邪魔すると、ちょっと」


 カロンに視線を送りつつも、ミカはぼかしながらヤーに左目の傷を見せる。ヤーも顔を近づけて傷を凝視する。

 精霊も瘴気も素から操る術、転化術を身に着けたミカ。しかし操るには一度傷から精霊や瘴気を取り込まなくてはいけない。

 侵入口の役割を得たため、消えるはずの傷は痕となって残り続けている。手で前髪をかき上げたミカは、試しに傷から空中に漂う精霊を吸収する。


 障害物がないため順調に吸い込まれて行ったが、前髪を降ろすと同時に精霊の動きが多少滞る。

 興味深い現象にヤーはさらに顔を近づける。傷が空気に晒されてないと、侵入口として充分な働きを見せないのだ。

 つい最近このことに気付いたミカは対策をヤーに聞きたかったのだ。それが研究所に来た理由の半分であり、もう半分は山のように積まれた勉強からの逃亡である。


「つまり前髪を切るか……なにか押さえつけるものをつければいいんじゃないかしら?カロン、アンタ確か昔使ってた額布なかった?」

「ヘアバンドと言ってほしいな。というか、ヤーちゃんそのままだとミカくんとキスできそうな距離で、お兄ちゃんジェラシー感じちゃうよ」


 カロンに言われて初めて至近距離にある顔に意識が向く。あどけないながらも、金目が輝く少年の顔立ちは悪くない。

 今はまだ幼い容貌だが、年取れば精悍さが浮き出て、男らしい顔となるだろう。それこそ獅子のように勇ましくなる未来が見える顔つきだ。

 ミカ本人は傷を見せているだけで一切の邪心はなく、今も訳がわからないと言った顔でヤーを上目遣いで見る。


 視線がかち合った途端、顔の熱が集まるのを感じたヤーはミカを思わず突き飛ばす。

 二人が離れたことに安堵したカロンはその間に、研究室の中でも私物入れとして活用している箱から黒いヘアバンドを取り出す。

 研究が続き散髪の時間が得られない時に使う物として、幾つか予備を持っているので一つくらい渡しても問題ない。


 突き飛ばされて床に強く頭を打ち付けたミカは、涙目ながらも起き上がる。軽く後頭部を手でさすれば、小さな膨らみが確認できた。

 ヤーは目線を合わせることができず、小声でミカへと謝る。詳細が理解できないミカはとりあえず謝罪を受け取り、それ以上は聞かなかった。

 黒いヘアバンドをカロンから受け取り、前髪をかき上げるように装着する。収縮する素材を使っているらしく、額から眉毛の上あたりまで保護してくれる大きさだ。


 丁度傷は眉毛の下から瞼の下までの長さのため、ヘアバンドに邪魔されることもない。前髪もヘアバンドの布上で揺れている。

 分厚いはちまきのようなつけ方だが、ミカは一発で気に入ったのか、嬉しそうにカロンから渡された鏡を覗きこむ。

 傷を隠すことはできなくなったが、転化術を使うにはこちらの方が都合いい。上機嫌でミカはカロンとヤーにお礼を言う。


「二人とも、ありがとう!それじゃあ俺はそろそろ帰らないと、ハクタが探し回ってるかも」

「あの過保護ならやりかねないわね。アタシもちょっと気になること集中的に調べたいし、気分転換できてよかったわ」

「気になること?過去において魔人の仕業かと該当する事例の洗い出しとか?」

「それは僕の方が管轄かな。ヤーちゃんは神世の時代、天空に消えたと言われるウラノスの民について調べてるよ。資料はこれだよ」


 カロンが和やかな笑顔でミカに一枚の紙を見せる。そこには氷水晶の神殿と呼ばれる場所について明記されていた。

 神殿と言っても神を奉るのではなく、神に最も近付いたという伝承が残る民族、ウラノスの民が残した法具を祀る場所だ。

 そこには選ばれた人間にしか抜けないと言われる旗棒が台座に突き刺さっており、何百年も抜かれないまま挑戦者だけが後を絶たないと言う。


「ウラノスの民は今も天空に建造した都市で生活していると言われてて、氷水晶の神殿は彼らが都市へと迎え入れる人間の選抜試験会場の説が濃厚なんだ」

「それをなんで精霊術師のヤーが調査してるんだ?今は魔人が一番話題なのに」

「人と同じ研究しても意味がないの。それにリリアンヌっていう魔物は神世から生きていると自供してたでしょ?」


 ミカは醜悪な外見と魂を持った存在を思い出す。ある主従を長い間弄び、一つの村を悪戯に壊滅まで追い込もうとした化け物。

 瘴気や魔素を取り込んだ存在を呼称する際に人の形は魔人、それ以外は魔物と呼ぶことをヤーは提唱し、今のところそれが通じている。

 しかしまだヤーが確認した事例一つしかないので、今後変更される可能性も高い。それでもミカが見たリリアンヌと言うのは魔物と呼ぶに相応しかった。


「神世を知る魔物ってことは、歴史外と呼ばれる時代から存在してた証。アタシ達が今まで知らなかったことも、神世では常識だった可能性を洗い出したいの」

「もしかしてヤーは氷水晶の神殿に行って、この旗棒を抜く試練をするつもり?」

「一応は。でも神殿内の建築様式や素材、伝承に使われた文字の構成をこの目で直接見たいのよ。あと法具がウラノスの民に通じる道具、っていう可能性も捨てがたいわね」

「有力説からすると、旗棒が交信器具かもしれないからね。実はこの旗棒は何百年も存在してるし、相当手の込んだ技術が使われているから妖精が宿っているかどうか検証したいんだ」


 ミカはカロンの説明を聞きつつ、意識内部にいるレオに尋ねる。どうして何百年も存在していると妖精が宿るのか、という点である。

 妖精が凝縮された精霊と魂を持つ存在であり、そのため視えない才能の者にも視認が可能というのはミカも知っている。

 それ以上がわからないと言うと、レオは欠伸しつつ、精霊が強い魂に惹かれて集まる習性があることを告げ、その発展形が妖精に繋がると説明する。


 妖精は天に昇らずに漂う強い魂に精霊が付着し、一定量集まったところで発生する存在であること。

 この魂というのが様々な形で現れるのだ。例えば職人が、魂を込めた、道具というのは実際に魂が宿っているのだ。

 人間は無意識に自身の魂を強めることができ、それを物体に込めることが可能なのだ。ただし分離された魂に、込めた当人の意識や記憶は一切ない。


 物体に宿った強い魂は持ち主や扱いにもよるが、年数が経つほどに精霊を周囲から集め強まっていく。

 ある地方では付喪神と呼ぶこともあるが、そうやって物に宿った魂に精霊が一定数超えた段階で妖精が生まれる。

 生まれた妖精はそこから記憶と意識形成を始め、人格を持つ頃には一人前と言っていい、と説明を終えてレオは再度眠ろうとした。


 しかしミカは氷水晶の神殿は昔からあるのに、どうして妖精の存在が確認されてないのかと質問を深めていく。

 レオは妖精の意識が問題だと教える。ある地方で伝わる童話、小人の靴、では深夜に靴を作る妖精を目撃したという内容だ。

 これは靴屋の主人が愛用していたからこそ道具に魂が宿り、精霊が集まって妖精へと発展。


 主人がこの妖精を目撃できたのは、靴を作る妖精側が深夜という条件から見られないだろうと、姿を隠そうと意識してなかったからだ。

 逆を言えば姿を一切人間に見せないと意識している妖精は、視える才能を持つ者でも確認することができない。

 多くの妖精は自分の存在を隠したがるので、ヤーやカロンも妖精を確認したことはあまりないのである。


(つまり氷水晶の神殿にある旗棒に妖精が宿っていたとしても、姿を見せたくないと思っているんだろう。ただしミカ、お前は別物だ)

(なんで?妖精が見せたくないと意識してたら才能があっても視えないって)

(お前は内部の精霊まで見通すのと、魂を視る才能があるだろう。姿を消すことができても魂は消せない上、道具に宿る妖精はどうしても道具内部に姿を隠すしかないんだ)


 レオは呆れたように説明を続ける。ミカの才能は天才精霊術師であるヤーと比較にならないほど強力なのだ。

 体内部にある精霊や魂まで見通す目。壁を通り抜けて視ると言う透視能力はないが、それでも妖精側からしたら充分脅威だ。

 つまりミカの前ではどんな妖精も姿を隠せない。自然界で植物に宿った妖精なども同義であり、木々の中に姿を隠しても魂が見つかってしまう。


(ただ神世の時代に関わる法具、気になるな。ミカ、ヤーに興味があると伝えてくれ)

(わかった。ただ俺も一緒に行けるかはわからないよ)


 ミカは意識内部での対話を終えて顔を上げると、心配そうにのぞき込むカロンが眼鏡の位置を直していた。

 意識内部に干渉している時、ミカは体を動かすことができない。まるで人形のように数分間動かなかったのである。

 十歳からつい最近まで、五年間はこの状態が続いていたミカは、蔑称として人形王子と呼ばれていた。


「大丈夫かい?人形王子なんて誇張かと思ったけど……これが五年間続いていたとすると、仕方ないとも言えるね」

「俺そんなに動いてなかったか。やっぱりレオと長い会話するのは気をつけないと。あ、えっと、ヤー。俺も氷水晶の神殿に行きたい」

「なによ急に?アンタ第五王子ってこと忘れてんの?しかも過保護はまだ脇腹の傷癒えてないのに無茶させるつもり?」

「で、でもレオが行きたいって。俺なら多分妖精が宿ってるか視えるはずとも」


 その瞬間ヤーが思い出したようにミカの顔を両手で挟み、もう一度目を覗きこんでくる。

 ヘタ村でもミカの目はヤー以上に物事を捉えていた。さらに十年前の「国殺し」もミカは原因の精霊が視えていた。

 太陽の聖獣レオンハルト・サニーを前世に持つ「獣憑き」として、あり得ない才能を多数発揮させたのがミカなのである。


 ヤーは頭の中でミカを連れていく利点を見出し、手間を差引きして計算する。確実に連れて行った方がヤーとしては得である。

 意識内部にいるレオという聖獣が持つ知識も活用できる上に、転化術の新しい可能性を見いだせる機会もあるだろう。

 問題は王族側からの許可を取れるかどうか。特に今は専属護衛に近い立場のハクタという青年が傷で不調なのである。


「今日はアタシも城に一緒に行くわ。ハクタに聞くことできたし。カロン、いいわね?」

「いいけど……レオって誰だい?ま、まさかヤーちゃんの恋慕を受けるあれやこれとかだったら、お兄ちゃんは!お兄ちゃんである僕は!!」

「後で説明するわよ、ていうかアタシに好きな人はいない!恋する暇もないの!そんなの犬に食わせてやるわ!」

「それはそれで、お兄ちゃんと結婚、という嬉し恥ずかしイベントが遠ざかるじゃないかぁ!ミカくんで練習してもいいから、恋しようよ!」

「ふっざけんな!ミカにそんなことできるわけないでしょう!もう、勝手に行くから!」


 大声で喧嘩したヤーは大股で研究室から出ていく。ミカも慌てて追いかけ、出る際にカロンに一礼してから去る。

 一人残されたカロンは複雑な思いを表情に乗せながら、寂しそうに独り言を吐き出す。


「好きな人はいない、けどミカくんは特別……お兄ちゃんはヤーちゃんの無自覚ハートを知ってしまったのであるぅぅううう」

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