第4話「畑の異常」

 翌日早朝に目が覚めたハクタは眠り続けているミカを起こさないように部屋の外へと出る。


 硝子窓の向こうでは鬱蒼とした森が深夜の雨で緑を濡らし、青青しい姿を見せていた。しかし地面には水溜まり一つなく、乾いて砂埃が立っているほどで、事態の深刻さをハクタは感じ取る。


 原因は精霊なのか、それ以外なのか。なんにせよハクタは剣士であり、騎士団所属の人間である。専門知識はないし、無駄に口出すべきことではない。


 早朝なので遠慮しようと思ったが、護衛なのでなにかあったら大変という理由から、まだ眠っているであろうヤーの部屋を軽くノックする。

 さすがに無遠慮に扉を開けたりはしない。一応相手は女性なのだから、ハクタ自身もそこは礼儀としてわきまえている。


 そして返事がないとはいえノックの音で微かに動く音や気配が感じ取れれば上々と思っていたが、予想に反して扉が開いてヤーがその姿を見せた。


 寝間着姿なのだが明らかに睡眠不足の顔に、虚ろな瞳の輝き。背後には紙が大量に散らばった床。徹夜で仕事していたのかとハクタは驚く。


「あによ……こちとらにゃむいんだけど」


 呂律が回っていない辺り本当に眠気を我慢しているのだろう。陽光が痛いのか何度も瞬きを繰り返している。

 ハクタはとりあえず内心落ち着かせてから悪かったと謝り、なにをしていたのかと好奇心で尋ねる。


「きにょう深夜、ミカが起きてて廊下、えー、森を視てた」

「昨日? あいつ、俺に気付かせずに廊下を出たのか……」

「んで、ちょっと一言聞いたことが妙に引っかかって、あとアタシもあいつの周囲に集まった精霊が、あー」


 話している内に意識がわずかながらも明確になったのか、呂律は治ったが単語や言葉の並べ方が曖昧でわかりづらい。

 ハクタはとりあえず後で詳細を尋ねるから少し寝ていろ朝飯には起こしてやると告げ、ヤーの部屋から出る。内心ではミカが一言とはいえ喋ったことに動揺を隠せなかった。五年間、ハクタはミカの声を確認していない。


 最後に聞いたのは十歳の頃だ。五年も経っているのだからおそらく声変わりもしているに違いない。


 一体昨日の深夜に何があったのか、雷雨なんて珍しくないし、ミカが声を出した原因はわからない。

 それでもわずかに見えた光明にハクタは小さくガッツポーズする。浮き足立ちそうになりながらも階段を下りて食堂の女主人に声をかける。


「昨日の夜はよく眠れたかい? あたしゃあ、もう爆睡しちまってねぇ」

「布団が心地よかったので大丈夫だ。そういえばマリは……」

「あの子ならお昼の買い出しよ。いつも前日の内に翌日の献立渡して買ってきてもらうの」

「ん? てことはマリは住み込みというか、おばさんの娘とか親戚じゃないのか?」

「そうよー。あの子は確か一年前くらいに村にやって来て、何でもするので働かせてくださいって。あまり事情を話したがらないから、家出の子かと考えてるの」


 妙齢の女性が噂話をする時の仕草として多い、片手を口元で押さえ、もう片手の手首を支点に振る動きを女主人は見せる。

 マリはヘタ村の出身ではないらしい。その割によく村に馴染んでいるとハクタは思った。


 女主人は深くは聞いていないのにマリの話を進めていく。良い子なのだが謎が多いので女性らしい好奇心が働いているようだ。

 ハクタが黙っていると女主人の話は膨らんでいき、最終的な予想は深窓の令嬢が恋人と駆け落ちした、という突飛な妄想話まで進んでしまった。

 話の聞き手役が得意なハクタも途中で飽きて背中を仰け反らせて暇を紛らわす体勢になり、それでも止まらない女主人のたくましい想像に辟易していた。


 結果として寝ぼけた様子で降りてきたヤーの姿を見て、慌てて朝ご飯の用意する女主人という構図が出来上がるまで解放されることはなかった。


 頭を揺らしながらもしっかりと香ばしい匂いのパンを運ぶあたり、ヤーの食欲に思わず感心してしまうハクタ。

 シチューを食べるための木のスプーンを行儀悪く煙草みたいに咥えるハクタは、そういえばミカを起こすのを忘れていたかと思案する。


 しかし昨晩ヤーが自分の意思で動いたミカを見たということから、試しに自分の意思で降りてくるかどうか見極めてみるかとハクタは賭けをする。


 ヘタ村は平和そうな村であり、到着してから今朝まで身の危険や怪しい視線を感じなかった。また宿泊客もハクタ達以外いない状況。

 今のところは誰もミカが王子だと気付いている気配も皆無。言葉に出さなければミカが王子だとわからないだろう、と多少の楽観も含める。


 なにせ王子と言うには意思がなさすぎる人形のような動きに、容姿も絵本に出てくる身分の高い人物と程遠い。

 逆にミカを一目見て王子と判別できる者がいたら賞賛しても良いと、ハクタは呑気に構えていた。


 ヤーはパンを頬張り、半分しか瞼を上げられない眠そうな顔のままハクタに視線を向ける。


「ん、ぐ……今日の昼、調査するわ」

「何処をどうやって?」

「畑と、溜め池……最終的には森について調べたいけど、その前に村人から最近の天気も聞きたいわ」


 言いながらシチューをスプーンですくって口に含み、飲み込んで一息つく。サラダも綺麗に食べ尽くし、欠片一つない。

 マナーは完璧なのだが、大量にあった朝食の痕跡を残さず平らげていくヤーの姿と食欲に恐怖を感じた。


 ハクタの食事量は成人男性平均の二倍。剣士として体を動かすために必要な量である。しかしハクタよりも体が小さい少女はさらに二倍の量を胃袋に収めた。

 女として大丈夫なのだろうかとハクタが口に出さない不安も知らず、ヤーは背伸びをしてから軽く上半身を運動させて意識を覚醒に向ける。

 歯による咀嚼運動によって脳に糖分や栄養が行き渡ったのか、大分瞼が上がっていて今では少し眠そうな顔まで発展していた。


「一つ確認。十年前の国殺しの病、原因である体内に残留した火の精霊を見つけたのはミカだった」

「そうだ。公にしてはいないがな」

「もう一つ。これはアンタも無視できないはず。ミカが今の状態になったのは、精霊信仰の神殿?」


 ヤーの言葉に思わずハクタは立ち上がってしまう。すぐに失態だと気付いて顔を背けるが、もう遅い。今の様子でヤーの問いかけが当たっていると言っているようなものだ。

 そしてヤーはそれで納得していた。口許に指を当てて考え込む仕草をして、十五の少女には似合わない強い意志を瞳に宿らせる。


 身軽な動作で椅子から立ち上がってヤーはハクタについてくるよう指示する。ハクタは無言で剣を片手にヤーの背中を追いかけて歩く。

 女主人がテーブルの上の食器を片付けながら、そういえばもう一人の客を見ていないと天井を見上げる。


 しかし二階でおそらく人形のように動かない客人は姿を現すことはなかった。



 ヤーは麦畑の土を耕す年老いた農夫に頼んで、土に空気を含ませるための作業を観察する方針にした。


 ハクタの視点からは鉄の鍬によって地面に刃先がめり込み、腕を振り上げると同時に土が舞い、一部地中が見られるくらいだ。

 空中に浮かんだ土は乾いているせいですぐに土埃へと姿を変えてしまい、風によってさらわれていく。目や口に砂が入りそうだとハクタは腕で口元を押さえる。農夫は落ち込んだ表情で水気のない土を見る。


 このままではユルザック王国の主食に使われる麦が不作になってしまう。そうすればヘタ村のような小さな村は潰れてしまう可能性が大きい。

 小さい村とはいえ豊かな土と水の精霊信仰によって目立った不作はなかった村において、前代未聞の危機だろう。照りつける太陽が水分を奪っていく錯覚を味わいつつ、汗一つ流す様子も見せずにヤーは農夫の動きを観察している。


 しかし視線の先を辿れば農夫が動かす鍬の刃先、畑の乾いた地面に向けられている。ハクタには何も視えない。だがヤーには何かが視えている。それは明確な違いである。


「昨日の雨は酷かったけど、それでも畑の土が乾くの?」

「ん? ああ、そうだべ。最近は土砂降りみたいな雨が毎日のように続くってのに、難儀な話だぁ」


 地方の訛った話し方をしつつ農夫は動かしていた口を閉じて、再度作業に戻っていく。

 汗水たらしながら働く姿は真剣そのもので、落ちた汗が地面に染み込んでもすぐ跡が消えていくのが切なさを感じさせる。


 畑の傍にある水の精霊信仰の依代である祠には今日もお供え物が山のように積まれている。

 村人達はどんなに畑が乾いたとしても、精霊を疑うことはないらしい。むしろ縋る勢いだ。


 ヤーは祠と空の雲、そして農夫が耕す畑の地面の順で目を向けてもう一度尋ねる。


「毎日あんな雨って、ここ最近とか具体的に知っていたら教えてほしいわ」

「ん? んー、ここ半年ほどだべ。でもオラァが思うに一年前くらいから雨が降ってるような気も……あ!」

「なによ?」

「そうだそうだ、宿屋のマリちゃん。あの子がこの村に来た日も丁度雨だったんだぁ。ずぶ濡れでまぁ可哀想でなぁ」


 顔の皺を動かしているような表情で染み入るような思いを告げる農夫。

 ヤーは少し首を傾げていたが、ハクタは知っていた。宿屋の女主人にマリという少女が村の人間ではないということを。

 しかしあまりにもヘタ村に馴染んだ様子で生活しているので、どうしても誤解してしまう。それくらいマリは村の住人として通用していた。ハクタは女主人から聞いた話をそのままヤーに伝えた。


 すると深刻そうな顔をしたヤーは農夫にお礼を言ってから、村の溜め池に向かって歩き出した。

 急変した表情と行動に驚きつつもハクタは黙ってついて行く。自分は何か変なことでもいっただろうか、と反芻するが残念ながら思い当たる節はなかった。


 村の溜め池は秋によって土埃が舞うせいか、汚れている上に淀んで底が見えなかった。しかし畑を耕すために必要な分は確保されている水量に、どうして土が乾くのかハクタは理解できなかった。

 さらに昨晩の雨が毎日のように続いているなら溢れてもおかしくはないはず。疑問だけが渦巻いていく。


 ヤーは汚れることも気にせずに両手で器の形を作り、溜め息の水を掬い上げる。零れる水や池の表面、手の中にある水も凝視している。


 秋風で土埃が舞い、まだ夏の暑さが残る太陽が二人を真上から照り付ける。黒い服を着ているハクタは顔の表面を流れた汗を拭う。あまりの暑さに原因は太陽かと疑ったが、それではヘタ村だけ土が乾く説明にならない。


 太陽が原因なら国中が水不足に陥るはずだからだ。しかしヘタ村だけの奇妙な出来事、さらには毎日のような土砂降りに十分な水量の溜め池。考えることが苦手なハクタはこの時点で降参ものだ。


 ヤーは手に掬った水を溜め池に戻して、懐から手を拭うための清潔な布を取り出す。

 綺麗になった指先を空中に滑らせていく。指先に淡い蛍光が灯ったとハクタが感じ取っている間に、指先をペンのように動かして空中に文章を書いていく。


 これが精霊術かとあまり見たことないが知識として備わっているハクタは見惚れてしまう。白魚のような指先が泳ぐように光の文字を書き連ねていく。


 書き終わった光の文字列を吐息で軽く吹くと、光が散らばってハクタの視界から薄れて消えていく。何をしたかわからないハクタはヤーに視線で尋ねる。すぐに気づいたヤーは溜め息を零して説明を始める。


「精霊術ってのは空中に分散する精霊の中でも術に必要な精霊を凝縮して、命令文を描くことで発動できるの。アタシは基本文字だけど、陣っていうのもあるわね」

「俺には精霊が視えないはずだが、さっきの文字が精霊だとしたら視覚に捉えられないだろ? 矛盾してないか」

「視えないっていうのは基本空中に分散するほぼ元素に近い精霊を知覚できない、っていうだけ。凝縮すれば高エネルギー体として認知できるのよ」

「もうちょい簡単に」

「空中に飛んでいる塵はアタシには見えてアンタには見えない。でも塵も集めれば埃としてアンタも見れるようになる。どうよ?」


 一応信仰対象としての精霊を塵として表現するのかとハクタは内心茶々を入れつつ、自分でわかりやすいようにまとめる。

 先ほどの土埃を思い出して、そちらで簡潔に例を作る。空中に舞った土埃はハクタには見えない。しかし土塊なら見えるようになると同じ原理だろうか。


 なんだかんだいって自分もまともな例題が出せないな、と苦笑しつつ話の続きを促す。


「アタシがさっき発動した術は、風の精霊に働きかけたの。光も緑色だったでしょう?」

「ああ。そういえば蛍の光かと考えたが、色も関係あるのか」

「もちろん。火の精霊と水の精霊を凝縮して同じ色だと?」

「思わん」

「そういうこと。で、戻すけど今の術でおそらくこの村の奇妙な出来事の原因がわかる……げ!?」


 真面目な顔をしながら説明していたヤーの表情がいきなり崩れる。予想外の出来事に対面した時の顔だ。

 しかも内容的にはあまり良くない事のようだとハクタは読み取った。そしてヤーから出された言葉に同じように表情を崩すことになる。


「人形王子が、一人で森に向かってる」


 自分の意思で動けばいいと賭けはしたが、危ない場所に行って欲しいとまでは願っていないとハクタは朝の自分を恨めしく思った。

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