ミカミカミ

第３話「断続する降雨」

　五年前、ハクタが騎（き）士（し）団（だん）に入って三年目の夏。その年は酷（ひど）い干ばつに王国は襲（おそ）われていた。

　太陽の勢いが強すぎてあらゆる物が枯（か）れ果（は）てていき、王都ですら水不足で物価の高（こう）騰（とう）が激しくなっていた。

　原因はミカが生まれる五年前に太陽と月の聖（せい）獣（じゅう）が突（とつ）然（ぜん）死んだことに起因する。精（せい）霊（れい）は元素なので消（しょう）滅（めつ）となるが、魂（たましい）を持った妖（よう）精（せい）や聖獣は死亡する場合がある。

　人間ならば魂と肉体の間に精神が連結の楔（くさび）。聖獣や妖精は魂と体を構成する精霊のみで繋（つな）がっており、どちらかに大きな損傷を負うとすぐに死んでしまう。

　しかし死亡するほどの損傷を受ける前に空気中に分散する精霊を集めて回復するので、滅（めっ）多（た）にない事態だ。そもそも攻（こう）撃（げき）してきた相手に対して圧（あっ）倒（とう）的（てき）な力でねじ伏（ふ）せるので、怪（け）我（が）することすら珍（めずら）しいと言える。

　それでも生命の摂（せつ）理（り）に従う面が多い。

　太陽と月の聖獣は表（ひょう）裏（り）一（いっ）体（たい）の存在であり、また天の二大精霊として崇（あが）められていた。それこそ専用の大（だい）神（しん）殿（でん）が作られるほどに。

　だが死亡したという嘘（うそ）にも聞こえる真実を変えることはできない。聖獣は死ぬと魂は輪（りん）廻（ね）の理に導かれ、別の姿に転生する。

　そして空いた聖獣の地位には別の精霊と魂が選ばれ、担当分野に関するあらゆる決まり事を統治する決まりとなっている。

　本来なら聖獣は亡（な）くなる直前に跡（あと）継（つ）ぎを決めるものなのだが、太陽と月の聖獣二匹（ひき）は突然死んでしまったため指名されなかった。

　それでも人間達（たち）は精霊達が速（すみ）やかに決議し、自然を壊（こわ）すような事態に陥（おちい）らないだろうと高を括（くく）っていた。

　しかし天の二大精霊の頭となるだけあって、選ばれるのも時間がかかった末に聖獣の地位が空白なまま、十五年という月日が経（た）ってしまった。

　聖獣の地位が空白では担当分野で問題が起きた際、精霊や妖精すら異常事態に対処することができない。

　国殺しと呼ばれた病の時のように聖獣の力を借りられない。それが五年前の大干ばつ。

　ユルザック王国では太陽の神（しん）殿（でん）に祈（いの）りを捧（ささ）げて精霊達に早く聖獣を決めるように懇（こん）願（がん）、もとい切（せっ）迫（ぱく）させるつもりであった。

　そのため王国を統治する王と子息達大勢で神殿へと参拝することになり、ハクタはフィル殿（でん）下（か）の護衛兼（けん）幼いミカの御（お）守（もり）として付き従う任務を渡（わた）された。

　フィル、正式名（めい）称（しょう）はフィリップ・アガルタ・ユルザック。二つ目は母親の性、三つめが国王の子息であるのを示す性である。ミカはミカルダ・レオナス・ユルザック。フィルとは一番齢（よわい）が近い兄弟であるが腹（はら）違（ちが）いで、第五王子である。

　フィルは第四王子なので王位継（けい）承（しょう）権（けん）を持つが、穏（おだ）やかな容（よう）貌（ぼう）から上にいる三人の王子に相手にされていない。

　その温和な笑（え）顔（がお）の裏にある本（ほん）性（しょう）を把（は）握（あく）しているハクタは、知らぬが仏とはよく言ったもんだと溜（た）め息（いき）つきたい心境である。

　ハクタは国殺しという病が流行した際に両親を失い、病による国からの保証を受ける申（しん）請（せい）のために城へ向かった時にフィルと出会っている。同い年の友人が欲（ほ）しいという王子にハクタは最初は頬（ほお）が引きつるのが止められなかった。

　下町生まれのハクタにとって、王族など雲の上の存在である。無視して帰ろうとしたのだが、フィルに付（つ）き添（そ）っていたミカが小走りで近づいてきて目の前で転んでしまう。

　そのまま泣きそうなくらいに頬を赤く膨（ふく）らませたので、ハクタはやむなく抱（だ）きかかえてあやせばミカは満面の笑顔で抱きついてきたのだ。

　そうすると背を向けることもできず、フィルの話に付き合う羽目になり、納（なっ）得（とく）する暇（ひま）もなく二人の王子と友人に位置づけられてしまったのだ。

　二年間は下町の住人として肩（かた）身（み）の狭（せま）い思いを味わい尽（つく）したハクタは、生活のためとして騎士団に入ろうと決意した。騎士団ならば王国に仕える、つまり王子達と知り合い扱（あつか）いされてやっかみを買う立場でも堂々としていられる。

　少なくとも下町の住民のまま王族と友好関係にある、というよりは幾（いく）分（ぶん）か楽であったのだ。

　そして幼いミカが大泣きすればハクタが呼ばれ、フィルが無（む）茶（ちゃ）なことを言えば押（お）しつけられての関係が騎士団の中でできあがった。

　太陽の神殿への参拝で三年勤めのハクタが王子二人の警護となったのも成り行きのような、フィルが密（ひそ）かに作り上げた人（じん）為（い）的（てき）な流れからだった。

　十歳（さい）のミカはよく笑って泣いての大はしゃぎ満（まん）載（さい）の子供で、ハクタとフィルは常に振（ふ）り回（まわ）されていた。しかも好（こう）奇（き）心（しん）満載で危険な物にも躊（ため）躇（ら）いなく手を出してしまうので、目が離（はな）せないほど手を焼いていた。

　太陽の光を取（と）り込（こ）むように大理石を組み立てられた神殿は迷（めい）路（ろ）のように複雑で、また変わった形をしていた。それだけでミカという子供の冒（ぼう）険（けん）心（しん）に火をつけるには十分で、それを嫌（いや）というほど理解していたハクタは常に目を光らせて見張っていた。

　もちろん兄であるフィルも注意していたのだが、干ばつによる神殿内の混乱や王族来訪による慌（あわ）ただしい警備体制や伝達不足。神殿を管理する神官達の国王に対するささやかな食事会、国民の中でも神殿に近い住民達から押（お）し寄（よ）せる苦情の嵐（あらし）。

　ありとあらゆる状（じょう）況（きょう）が、ハクタやフィルの意識をミカから離してしまう。

　その一（いっ）瞬（しゅん）の隙（すき）に、ミカは二人の前からいなくなってしまった。

　迷路のような構造の神殿とはいえ子供の足では遠くまで行かないだろうとハクタは考えて、最初は軽い気持ちで消えたミカを探した。

　しかし一時間、二時間、と時間が経過する中で一向に見つからない。その内にフィルだけでなく騎士団や神官まで総動員しての神殿内捜（そう）索（さく）事件へと発展してしまう。

　半日かかってミカが発見されたのは神殿の奥（おく）深（ふか）くに位置する、神官でも厳しい立ち入り制限されている聖獣の間と呼ばれる部屋だった。

　真上に太陽が来ると部屋の中央に座する水（すい）晶（しょう）が陽光を乱反射。部屋中に飾（かざ）られた鏡に投射し、太陽の精霊の力を活発化させる仕組みの特別な場所である。

　水晶はかつて太陽の聖獣が神殿が作られた際に贈（おく）ったと言われる秘宝で、台座によって奉（たてまつ）られていた。

　その台座の足元で倒（たお）れているミカが見つかったのだ。最初は発見された歓（かん）喜（き）と、立ち入り厳禁の部屋に入ったことによる叱（しか）りの声などが乱（らん）舞（ぶ）した。

　だがミカはまだ幼い子供であったのと、王族が来たからと言って聖獣の間への監（かん）視（し）をおろそかにした神官への失態から、この事件は不問にされた。

　またミカが見つかった直後に新たな太陽の聖獣が神殿にお告げを残した。

　干ばつの原因となった太陽の力を弱め、水の聖獣の力を借りて雨を降らすと約束した。

　王国の水不足が解消される。国王が参拝した功績による解決から、国民支持が高まる期待感で神殿内は賑（にぎ）わった。

　国王も長く神殿にいるのは不必要とわかり、到（とう）着（ちゃく）してからの一週間後には帰り支（じ）度（たく）を始めていた。水不足解消から始まる政策に力を入れるのが先だからだ。

　しかしミカは発見されてから王都にある城に帰ってからの三日後まで、目を覚まさなかった。

　医者に見せてもどこも異常なしと言われ、太陽の神殿で倒れたことから顧（こ）問（もん）精霊術師にも様子を見てもらったが、問題ないと丁（てい）寧（ねい）に説明されてしまう。

　フィルとハクタが他に手はないのかと模（も）索（さく）した矢先、ミカは目覚めた。

　最初はそれだけで二人は喜んだ。だがミカは以前のような笑顔や泣き顔を見せず、無感情の瞳（ひとみ）と生気が抜（ぬ）けたような表情のまま必要最低限の動きしかしなくなった。

　五年間、そんなミカをハクタは守り続けてきた。いつか無（む）邪（じゃ）気（き）に笑っていたあの頃（ころ）が戻（もど）るように願いながら。もちろん私情だけではなく、幼（おさな）馴（な）染（じ）みのフィルの配（はい）慮（りょ）と、国王による思（おも）惑（わく）も絡（から）んでの護衛だ。

　ミカの第五王子という地位は、王位継承権がなくとも王族の中では高い。そして今のミカは自分で判断できるか怪（あや）しい状況だ。利用しようと近づく輩（やから）は後を絶たない。

　今はまだハクタだけでも守り切れているが、いつ崩（くず）れてもおかしくない。なにより王都から離れた現在、フィル殿下の後（うし）ろ盾（だて）も騎士団の仲間達の援（えん）軍（ぐん）も見（み）込（こ）めない。

　ついでにミカに好意どころが嫌（けん）悪（お）を抱く勢いのヤー。

　厄（やっ）介（かい）なことが起きなければいいと、ハクタは小さくため息をついてからミカに就（しゅう）寝（しん）を勧（すす）めた。

　月が弱々しい光を放っていたが、深夜に出てきた雨雲によって掻（か）き消（き）える。

　星すらも身を潜（ひそ）める静かな夜にミカは突（とつ）如（じょ）目を見開き、宿屋の裏にある鬱（うっ）蒼（そう）とした森が見えているかのように通路側の壁（かべ）に目を向ける。

　明かりもない暗い部屋の中で金色の瞳が輝（かがや）く。それは昼間や夜にて全く動きを見せなかった少年の眼光とは思えないものだ。

　ミカは静かに起き上がってハクタを目覚めさせないように足音を消して廊（ろう）下（か）へと向かう。廊下に取り付けられた硝（がら）子（す）窓に雨（あま）粒（つぶ）が叩（たた）きつけられた。

　雨は少しずつ量を多くしていき、雷（かみなり）と共に唸（うな）るような水音が木でできた宿屋を揺（ゆ）らす。硝子窓は雨で外の姿をぼやけさせた。

　しかしミカの目にはもっと別な物が視えていた。ハクタには絶対視えない。ヤーですら捉（とら）えるのが難しいものを視ている。

　一番奥（おく）の客室からお手洗いに行こうとした寝（ね）ぼけまなこのヤーが、廊下に立っていたミカを見て悲鳴を上げそうになった。

　なにせ雷（らい）雨（う）の外を眺（なが）める人（ひと）影（かげ）が、扉（とびら）を開けた先の暗い廊下にいたのだ。驚（おどろ）くなというのが無理な話である。

　しかし悲鳴を上げなかったのは咄（とっ）嗟（さ）の判断ではなく、驚き以上に違和感を覚えたからだ。

　ミカが廊下に立っているのもそうだったが、なによりもミカが視線を向けている方角、窓硝子の向こう側に広がる森。ほんのかすかにヤーはなにかが視えた気がしたのだ。

　精霊、に似ていたが少し異質な存在を目の端（はし）に捉えた。

　答えどころが反応すら返ってこないとは思ったがヤーはミカに問いかけた。

「何が視えるの？」

　問いかけに答えるようにミカはヤーの方を振（ふ）り向（む）く。獣のような金色の瞳に射（い）竦（すく）められて、ヤーは思わず身構えてしまう。

　今まで見たことないミカの真（しん）剣（けん）な表情が雷に照らされて、不気味というよりわずかな高（こう）揚（よう）を感じ取る。

　そしてミカが口を開きかけた矢先、階段から姿を現したマリは片手に持った蝋（ろう）燭（そく）の燭（しょく）台（だい）を二人に向けた。

　そばかす顔に三つ編みにしていたせいか少しうねりを見せた赤毛。素（そ）朴（ぼく）な寝（ね）巻（ま）き姿なので、寝（しん）台（だい）から直接二階に上がってきたらしい。

「あのー。雷雨が酷いですけど、うるさくて眠（ねむ）れませんか？　よかったら温かいミルクなどご用意しますが」

「あ、違（ちが）う違う。ちょっとお手洗いに向かう途（と）中（ちゅう）なだけだから」

　ヤーは心配をかけまいと小声ながらも明るい声でマリに話しかける。マリは彼（かの）女（じょ）の声に安心し、何かあったら呼んでくださいね、と笑顔を向けて階段を下りていった。

　静（せい）寂（じゃく）がもう一度訪（おとず）れ、ヤーは改めてミカに問いの答えを聞こうとした。しかしミカはいつのまにかその場にうずくまっていた。

　今までほぼ動きを見せなかったミカを思えば、これも初めて見る姿だ。まるでなにかに怯（おび）えているようだった。

　もしかして雷が怖（こわ）いのかと目を硝子窓の向こうに視線を送るが、雨も雷も止（や）んで少しずつ月の光が雲向こうから射（さ）し込（こ）もうとしている。

　穏やかになりつつある外に恐（きょう）怖（ふ）を覚える理由はない。なら他に原因があるのかとヤーは視線を周囲に向けるが、普（ふ）通（つう）の宿屋の廊下である。わけがわからなくなった矢先、ミカを取り巻くような大量の精霊を視てヤーは何事かと凝（ぎょう）視（し）する。

　精霊は空気中に散布する元素のようなもので、妖精や聖獣のように魂や意志は持たない。しかし磁石に砂鉄が引き寄せられるに近い、特有の現象を起こすことがある。

　強い魂に惹（ひ）かれる、特に転生前は聖獣や妖精といった魂の周囲は集まりやすいという実験結果も報告されている。

　ミカの周囲に漂（ただよ）っているのは月光から発生した光の精霊に視えた。ミカは月が完全に雲から顔を出す前に小さな声でこう言った。

　土、と。

　月が輝きだした時、ミカはいつも通りの生気のない瞳で立ち上がり、静かな足取りで宿屋の客室に戻った。

　ヤーはいくつかの思案を重ねつつ、最初の目的を思い出して小走りでお手洗いに向かう。

　すっきりして宿（しゅく）泊（はく）している部屋に帰る前にミカとハクタの部屋内部へと続く扉を見つめる。そしてすぐさま部屋へと戻る。

　深夜とはいえ朝が来るまで少し時間がかかりそうな気配を感じ取りながら、ヤーは泊（と）まっている部屋の机の上に紙とペンを置き、思いついたことを片（かた）っ端（ぱし）から書き始めた。