第25話 受け取れ向う側

 しばらくしてフロアにアナウンスが流れ、札に書かれた番号が液晶画面に表示された。

 ついに順番が回ってきた。

 眉間に皺を寄せ、俺なりの気合と緊張感をもって受付に向かうと、

「それではご案内させていただきます」

 細身スーツの男前なスタッフにフロアの奥へ連れていかれ、そこは両側に重厚なドアがどこまでも並ぶ、いよいよ高級ホテルの廊下然とした通路だった。

 三人でスタッフの後に続き、無言でやたら長い廊下を進んでいく。

 結構な距離を歩いた所で1148と刻印のされたドアの前で立ち止まり、そのスタッフから自分でドアを開けて中に入るよう指示を受けた。

 一体何が待ち受けているのだろうか……。


 ひんやり冷たい真鍮のドアノブに手を掛け、重々しい手ごたえを感じながらドアを引き開けると室内はかなりの広さがあって、布の掛けられた背の高い長テーブル、その前に三脚のスツールが置いてある。

 そして部屋の中央に立っていたのは、背筋をピンと張った目力の半端ない女性スタッフ。

「本日皆様の担当をさせていただきます、阪豪と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 若いのに、その阪豪さんはカジノのディーラーを思わせる隙の無さで、ヒリつくような気迫と威圧感だ。玄人オーラが半端ない。

 こんにちは……鴨がネギを背負ってやってきましたよ……。


 案内のスタッフがドアが閉めて立ち去ると同時、テーブルに掛かっていた布を阪豪が勢い良く取り除き、置いてあった物体を目にして俺達は息を呑んだ。

 札束だった……。

 100万の束が全部で10、総額1,000万円。

 ピン札の束がピラミッド状に積み上げられて、これ見よがしにその存在をアピールしている。

 なんて分かりやすいエサなんだろうか……。

 目の前の大金に目をくらませて、不幸になる向ウを押し付ける魂胆が見え見え過ぎる。金に困っている奴ならイチコロだろうが、内情を知っている俺達にそんな事をしても逆効果だ。

「どうぞ、お掛けください」

 一層気を引き締めながら、グラさんと杵丸が両サイド、俺が真ん中(もちろん強制)に腰かけると、

「こちらが、向ウ受け取りに関しての注意書きとなっております」

 一枚の書類を万年筆と共に、阪豪さんがテーブルの上に置いた。

 ゴリラの追戻しの時もそうだったけど、半分側ってのは契約書を書かせるのが大好きらしい。


「上の部分には注意事項、その下には本日お受け取りになる報酬の希望金額が書いてあります。確認の上、それぞれの枠の中へチェックをお願いできますでしょうか」 

 書類へ目を通すと、向ウを受けとった結果、何が起きても文句は言わない、サポートの為に自分の居場所を常に開示して呼び出しにはすぐ応じる、この件に関して一切口外しない、などなど、こちらに不利益な内容が難解な言い回し、かつ小さな文字で書いてあって、その小さな文字とは対照的にやたらとデカい【承諾します】のチェック欄。

 濱さんから言われた『とりあえず向ウをもらって来るだけ』という任務内容からして承諾する他ないのだけれど……。

 危険な匂いが書類から噴出していて、目に沁みるほどだ。


「報酬の金額ですが、通常は1万、3万、10万で、その金額に見合った向ウをお渡ししております。ところが初回のお客様のみ、なんと最大1,000万円! このテーブルのお金を全額お渡しできるキャンペーンコースがあるんです!」

 キャンペーンにもほどがあるだろ……。どうすりゃ最大10万円が1,000万円に跳ね上がるんだよ……。


「キャンペーンコースは、お客様が受け取り可能な向ウに応じて現金お渡しとなります。必ず1,000万円をお渡しできるわけではありませんが、通常コースの最高報酬額である10万円は保証します。つまり、お客様はなんの気兼ね無く1,000万円に挑戦可能となっております。ご安心くださいませ」


 受け取り可能な向ウ……? それって、いきなり自分の限界ギリギリまで不幸を押し付けられるって事じゃないか。サラッと物騒な事を言いやがって、どこが安心なんだよ……。

 でも生活に困っている人は、ろくに理解しないで目の前の大金に目が眩み、キャンペーンに申し込んでしまうのだろう。悲しい話だ。


 最も程度の低い1万円分の向ウを受け取って、すぐにここから退散しよう。そう判断して万年筆を取り、1万円の欄にチェックしようとした矢先。 

 両脇から同時に伸びた手が、俺の右腕をグッと掴んだ。

「えっ……? 何……?」

 驚いて顔を上げると、真剣な表情のグラさんと杵丸が左右から俺の事をじっと見つめている。

「お前は、そんな小さい器じゃねぇだろ……?」

「梨園さん。行くしかないでしょう」

 2人が何を言っているのか、良く意味が分からなかったので、

「行く……とは……?」

 そう尋ねると、グラさんと杵丸は声を揃えて言った。


「1,000万だろ」

「1,000万でしょ」

 

 なんて事だろう……。目の前の大金に目が眩んでしまい、現実を見れなくなった悲しい人、それがごく身近にいた……。しかも2名……。


「お前ら、分かってんのか? 1,000万円のコースって、不幸を目一杯、受け取れるだけ受け取るって事だぞ? 廃人になっちまうじゃねぇか!!」

 至極真っ当な発言をする俺に向かって、

「梨園さんッ!!」

 杵丸は咎めるように声を荒げた後、阪豪さんに聞こえないよう背後を向いて、耳元でヒソヒソ声を出した。

「濱さんが持って来いって言ったんですから、どんなに大量の向ウでもきっと濱さんが何とかしてくれますよ。それだったら貰える金額の多い方が良いに決まってるじゃないですか」

 間髪入れず杵丸を援護するグラさん。

「1,000万だぞ。こんなチャンス二度と無いじゃねぇか。ここは四の五の言わず1,000万だろ。どうかしてるんじゃないのか!?」


 どうかしてるのは、お前達だよ……。

 金に目の眩んだ人間に何を言っても意味が無いと諦め、俺は二人の拘束を振りほどいて1万円の欄へチェックしようした。

 ところがである。

 万年筆が全く書けない。

 インク切れかと思って書類の端で試し書きをしてみたら、スラスラといくらでも書く事ができるのに、なぜか1万円の欄にチェックする時だけ、どんなに力を入れてもインクが出ない。

 その上、とんでもない事態が勃発した。


「あれっ!? 1,000万円の欄にチェックが入ってるじゃないですか!! 俺、書いた覚えないんですけど!!」

 驚きの声を上げた俺に、キョトンとした顔で言い放つ阪豪さん。

「チェックは意思表示の結果ですから、三人中お二人の意思表示があれば、勝手にチェックは付きますよ」

「はぁ!? 何だそりゃ!? 万年筆の意味無いじゃねぇかッ!! 勝手にチェックされるって、そんな馬鹿な話があるかよッ!!」

 俺は立ち上がって猛抗議したが、

「半分側の書類って大概そういうもんなんですよ」

「まぁ、ギャァギャァ言わねぇで大人しくしとけって事だ」

 などと阪豪さん同様、杵丸とグラさんまで、やたら冷静かつ冷たい目で上からモノを言ってくる。


 俺は何度も万年筆で1,000万の欄にバツ印を付けて取り消そうとしたが、これまた書く事ができない。こうなったらチェック欄を破ってやれと、万年筆を書類へ突き刺す強硬手段に出た。

 しかし書類が布みたいに丈夫で、万年筆の先は全く書類に刺さらない。

「何なんだよコレッ!!」

 俺の抵抗空しく、気付けば【承諾します】の欄にまで勝手にチェックが入っており、書類を半ば強引に回収されてしまった。

「ありがとうございます! 1,000万円コース承りました!!」

 心底嬉しそうな満面の笑みで阪豪さんが宣言すると同時、それを待っていたかのように奥にあったドアが勢いよく開く。

 その瞬間、絶対無事には帰れないであろう事を俺は直感的に理解した。

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