第15話 動物園では見かけないタイプ

 次の現場は家の外らしい。

 うなだれて廊下を歩いていると、サササッ、逃げる野良猫みたいにグラさんと杵丸が俺の横を追い抜いていった。

「おい……」

 呼び止めるとビクンッ、過剰に反応する二人。


 奴らへの怒りでアドレナリンが駆け巡り、弱っていた心はどこへやら、全身に力が漲って来た。

「俺達はチーム梨園だって言ってたよな……。にもかかわらずお前達は、俺を置いて逃げ出すわ、進んで拷問に参加するわ、一体どういうつもりなんだ? ふざけんじゃねぇぞ」

 ストレートに怒りを込めた俺の言葉に対し、杵丸がしゃあしゃあと言い放つ。

「いやぁ……。気のせいですよ……」

「気のせいって事無いよッ! 思いっきり殺されかけたよッ! 間違い無くッ!」

「まぁまぁ、喧嘩は止めろよ、俺達はチームなんだから。互いに助け合わないとな」

「グラさん、それアンタの事だよッ! その言葉をアンタにそっくりそのまま返すよッ!」

 まさかの第三者ヅラで場を収めようとしたグラさんに俺が激高すると、

「何やってんだい! 時間が無いって言ってるだろ! 早く来な!」

 ドアから顔を出した濱さんに、またもや怒鳴られてしまった。


 またこのパターンである。

 一時休戦し、急いで玄関に向かうと、

「梨園さん。本当すいませんでした。でもあの状況じゃあ仕方ないですって。本当に助けようと思ってましたし、拷問だって僕、水入れてないじゃないですか。あれは演技ですよ、演技。僕らはチーム梨園なんですから。信じてくださいよ」

 申し訳なさそうな顔で杵丸が言い、グラさんもそれに続く。

「梨園、悪かったな! 俺の事じゃねぇから、まぁいいかって感じのノリだよ。なっ、分かるだろ!?」

 かなり嘘臭いものの、杵丸の言い分は理解できる。が、グラさん。アンタ、何言い出してんだ……? 『まぁいいか』じゃねぇよ……。


 今は取り込み中なので、チームって言っときながら全然チームじゃない問題は保留にするが、こいつらが信用できない事は良く分かった。今後十分注意する必要がある。


 そんな事を考えながら玄関を出たので、家の前にあった何やら巨大な物体へぶつかりそうになり、

「ヒィッ!! 何だ……、これ……?」

 俺は思わず悲鳴を上げてしまった。

 

 岩石のような塊。それが道のど真ん中に置いてあったのだけれど、その表面が黒と灰色の太い毛でビッシリと覆われている。

 この家に来た時、こんな得体の知れぬ物は無かった。至近距離から詳細を観察していたら、突然モゾモゾ動き出す謎の物体。

 えっ……。何、何、何……!?

 そして、四足歩行を始めた……。

 岩石じゃなかった……。 

 まさかの……………ゴリラだった……。


 驚いて棒立ちになった俺を残し、濱さんと鹿乃さんの後をせっせと追いかけていくゴリラ。

「ほら、アンタ達も早く来な。こっちだよ!」

 ゴリラの姿を見ても濱さんはノーリアクションだ。濱さんのペットなのだろうか……。凄い……。半分側ではこんな事もアリなのか……。


 ゴリラはこぶしを地面に押し付けるという、例の歩き方でのっしのっしと移動している。それにしてもゴリラの背中はデカく、丸く、剛毛に覆われてフッサフサだ。

 興奮せざるを得ないが、杵丸とグラさんは『ちょっと大きめの犬がいる』ぐらいの冷めた反応。ゴリラがうろちょろしているのは半分側において当然の事らしく、はしゃいでゴリラと自撮りできる雰囲気じゃなかったので、俺も皆に合わせて気の無いフリをする。

 さりげなく近付いてそっと背中を撫でたら、物凄くサラサラしてた。


 ゴリラと共に家の裏手へと連れてこられ、

「これ、うちの倉庫だから」

 軽い感じで濱さんが指し示した建物に、俺はゴリラ遭遇以上の衝撃を受けて絶句した。

 それは流通センターと言われても納得できるほどの、あまりに馬鹿デカいプレハブ施設だったのである。

 

 小さなシャッターが一つあるだけで内部の全く見えない謎の巨大施設。それが塀もフェンスも無く、住宅街と道一本挟んでドーンと建っているのだから、周囲へ放っている威圧感と違和感が尋常じゃない。

 何よりこんな施設を所有しているなんて、この婆ァは一体何者なんだと動揺していたら、半分側の建物だからと杵丸に説明された。それにしたって、コレは凄い事なんじゃないの……?

  

 濱さんがプレハブのシャッターを押し上げると、天井から吊るされた照明が一斉に点灯し、そこにあったのはだだっ広いフローリングの空間。入口すぐ横の一角にテーブルと椅子、ベッド、本棚、キッチンが設置されているだけで他には一切何もない、体育館の隅を間借りしてひっそり暮らしているような、かなり奇妙な光景だった。


 大仏の内部とか地下貯水槽とか、マニアックな観光施設に来た感覚で周辺を見回していると、濱さんからテーブル上にある書類、それを良く読んで記入するように指示された。

 

 言われるがまま、大人しく椅子に座って書類に目を通す。

 そこには、『指定された向ウを鹿乃玲より受領し、その保持者となる事を承諾します』という文面と、その下に日付、住所、名前を書く欄、印鑑を押す箇所があって、意味が分からず首を傾げていると、濱さんの良く通る声が背後からプレハブに響き渡った。


「今から、向ウを使った追戻しの練習をやるよ。あのゴリラは、その為に鹿乃が連れてきた向ウだ。ゴリラの所有権をアンタに移すから、何とかして、あのゴリラの追戻しをするんだ。いいね」

 この広大な施設は追戻しの練習会場で、どうやら俺の為に色々と準備してくれたって事らしい。

 あれ……。口が悪くて暴力的で人格的に問題のあるとんでもない婆ァだと思っていたけれど、ひょっとしたら濱さん、実は面倒見の良い人……? 

 濱さんへの印象を改めつつ、日付、住所、名前を書き込み、用意してあった朱肉で拇印を書類に押した。


 ところがである……。

 書類から親指を上げたと同時、今まで体験した事の無い、凄まじい恐怖感が唐突に押し寄せてきて、寒い訳でもないのに奥歯がガチガチと音を立ててぶつかり合い、全身の震えが止まらなくなった。

 ただならぬ気配を背後に感じて振り返ったところ、その恐怖の原因が一発で分かった。

 

 ゴリラだ……。

 ゴリラの体毛がけばけばしい蛍光ピンクに変わって二回りほど巨大化。目は吊り上がって口は裂け、凶悪極まりない顔へと変貌しており、全身から体毛と同じ蛍光ピンクの霧が立ち上っている。

 元のゴリラの面影は一切無い。

“悪魔”

 変わり果てたゴリラの姿を見て、思い浮かんだのはその言葉だった。


「ちょっと濱さんッ!! ゴリラがヤバい事になってます! なんかピンク色だし、絶対動物園にはいない感じになってますッ!!」

 恐怖の余り、椅子からずり落ちて叫んだ俺に、

「向ウの所有者となったアンタに、その真相が見えるようになっただけさ」

 当然じゃないかと言わんばかりの顔を向ける濱さん。

 でた……。また、とんでもない事を後から説明するパターンだ……。


「所有者って!? 俺が、あの悪魔みたいなゴリラの飼い主になったって事!? 一体何なんですか、あのゴリラ!!」

「時間が経ったら同化するタイプの向ウだからね。混ざり合って一つになっちまうから気を付けな。期間は三日ってところだから、頑張って追戻ししないと大変な事になるよ」

「ド、ドウカする……!? それってどういう意味ですかッ!?」  

「だから言ってるじゃないか。向ウが人や物と混ざり合う事さ。あのゴリラと混ざって何が起こるかは場合によるけど、今回はそうだね……。アンタの目には悪魔に見えているんだろ。ソイツにとり憑かれるって考えたら分り易いんじゃないかい。人格まで乗っ取られる事は多分無いと思うけど、不幸な出来事が立て続けに起きるとか、病気にかかり易くなるとか、そんなところじゃないかね」

 とり憑かれる、乗っ取られる、不幸、病気。超重量級の不吉ワードが特売状態でポンポンポンポン目の前を飛び交っていく。


「あの……一応、確認なんですけど……。混ざり合うのって……誰ですか……?」

 恐る恐る尋ねた俺に、あきれ顔で濱さんが言う。

「アンタ以外に誰がいるよ、分かり切った事を聞いてんじゃないよ」

 分かってた……。分かってたよ……。でも、現実を受け入れたくなかったんだよ……。

 チーン。鐘の音が脳内に鳴り響き、俺の思考は完璧に停止。


「ちなみに、同化した向ウを分離する方法は無いよ。追戻しを受けて普通側へ行っても同化したまま、その影響はキッチリ受け続けるからね」

 すでにフリーズしている俺の脳へ、さらに嫌な情報を容赦なく詰め込んでくる濱さん。そして死体蹴りの如き、杵丸とグラさんの追撃が入る。

「同化とは違いますけど、梨園さんが助けた女の子も向ウの影響を受けて苦しんでたじゃないですか。あんな感じです」

「すげぇな、半分出ちゃったばっかりで二つも向ウをゲットかよ! でも今回は完全にゲットしちゃいけない向ウだけどな。アッハッハ!!」

 

 平常心をどうにか保っていた俺の理性が、脳内でプチンと弾け飛んだ。

「テメェらッ!! 『あんな感じです』じゃねぇし!! 『ゲット』でもねぇッ!! 何で俺だけなんだよ! お前らチームなんだろ!! お前らだって、あのゴリラにとり憑かれるべきだろうがぁぁぁッ!!」

 何がなんでもコイツらを道連れにしてやる。とりあえず生贄としてこの馬鹿二人を捧げるべく、奴らの腕を掴んでゴリラに向かって歩き出した。

 

 しかし次の瞬間、俺の背中へ焼きゴテを押し付けたような激痛が走って、

「痛ぁぁぁぁいッ!!」

 悲鳴を上げてエビ反りしつつ床を転げ回る俺。一体何が起きたのかと振り返ると、刀を構えた濱さんが立っていた。

「やかましいねッ!! 騒いだって仕方ないだろうが!! 」

「嘘でしょッ!? 斬ったのッ!! 血は!? 傷は!?」

「この刀は向ウだから、血なんか出やしないよッ!!」

 何て事だ……。やかましいって理由だけで斬り付けられたのだ……。向ウだろうがなんだろうが、もう訴訟しかない……。


「とり憑かれたくなきゃ、必死こいて追戻しな。それしかアンタに選択肢はないんだよ!! トイレは左奥にある。シャワーもあるし、着替えも置いてある。食事は鹿乃がスーパーで色々買ってきたからエコバックの中をあさりな。どうしても眠くなったらベッド使ってもいいけど、同化まで猶予は三日しかないって事を忘れるんじゃないよ。外には出られないから、逃げようったって無駄だ。じゃあ頑張りな」

 そう言って俺とゴリラを残し、皆を引き連れてプレハブから出て行こうとする濱さん。あまりにも無茶振りが過ぎるんじゃないか!?


 俺は濱さんの腕へしがみ付き、駄々っ子の如く泣き叫んだ。

「泊まり込みなのッ!? 監禁じゃないですかコレぇ!? 待って下さいって!! 勘弁してくださいよぉぉぉぉ!!」

 また刀で斬られるかと思ったが、よっぽど俺の訴え方に悲壮感があったに違いない。意外にも濱さんの顔に申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。

「何も意地悪で言ってやしないんだよ。保持している向ウの使い方なんて、本人しか分からないんだから、実際にやってみるしかないじゃないか」

 フルフルと首を振り『絶対にNO』の意思表示を継続していると、鹿乃さんが俺のそばにやってきた。

「梨園さんが、向ウの前持ち主を見捨てるならこんな事しなくてもいいんだけど、梨園さんはその人の為に罪を償う事にしたんでしょ?」

 

 その言葉を聞いてハッとした。

 いきなり刀で斬られたり、金魚鉢を頭に被らされたり、何度も死ぬ思いをしたせいですっかり忘れてしまってた。俺は棺桶を引き摺っていた女の子を助ける為、こんな目に合っていたのだ……。

 報酬がでない我慢大会に、理由無く参加し続けている気分になってた……。


 するとグラさんと杵丸が、

「梨園なら何とかなるって。手伝ってやりてぇが、ちょっと疲れ……いや……こういう事は一人で頑張らないと意味がないんだ。なぁ杵丸」

「はい。仕方なくです。あのゴリラがマジ、本当にシャレにならないほど危険過ぎるって事が理由じゃないです。近くにいるだけで具合が悪くなるぐらい危険って事が理由じゃないですからね。梨園さん……本当に……頑張って下さい……」

 声援らしき物を俺に送ってきたのだけれど、本音がダダ漏れな上、すでに二人はプレハブの外へ出てしまっている。

 アイツら……協力する気なんてハナから一ミリも無いじゃないか……。

 グラさんと杵丸の人を舐め腐った態度、それに対する怒りが女の子を助けたい気持ちへ猛烈にに拍車をかけた。

 

 ガタガタ言ったって仕方がない。上等だよ。一度決めた事なんだから、最後までやってやろうじゃねぇか。

 そしてグラさん、杵丸、テメェらは絶対に地獄送りだ。


「俺、ゴリラの追戻し、やります!!」

 半ばヤケ気味に腹を括り、キリっとした表情で皆に力強く宣言する俺。

「やるじゃないか!!」「素敵」「カッコいい」など、お褒めの言葉を貰えると思ったら、「はい」「じゃあ、またあとで」「入り口締めるよ」モゴモゴした言葉を残して、皆プレハブから即退出。

 ガラガラと音を立ててシャッターが降ろされ、気付けば俺はだだっ広い空間にゴリラと取り残されていた。

 毎回毎回……。反応がちょっと淡泊過ぎやしませんか……。

 

 こうして無観客、監禁状態、雑な扱いという、逆風極まりない環境の中、俺とゴリラの死闘は幕を開けたのである。


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