第16話 ゴリラ祭り開催 in プレハブ
左の手のひら、その付け根から飛び出している銀色の突起物『俺のでっぱり』。この突起を押し付ける事で、対象を追戻しできるって代物だ。
今、改めてこのでっぱりを眺めていて気付いたのだけれども、これって鎖の先っぽ部分だ……。棺桶に繋がっていた鎖が俺の手の平から飛び出しているのだろうか……。
相手は体からピンクの霧を立ち上らせつつ、今現在ゴロンと横になって昼寝しているゴリラ。背後から近づけば、気付かれずにでっぱりを押し付ける事は可能かもしれない。と言うより、それしか方法は無い。
無いのだけれど……。
動物園で昼寝している猛獣の檻に侵入し、その背中を押してくるようなものだ。いや……、蛍光ピンクだし、口は裂けてるし、耳はとんがってるし、やたらデカいしで、ただのゴリラじゃなくてデビルゴリラなのだから、その恐ろしさは猛獣を超えている。
膝の震えが止まらない……。
女の子を助ける為とは言え、本当にナゼ俺は会社を休職してまでこんな事をしているのだろう……。そもそもマカレナでグラさんに出会った事が、全ての間違いだったんじゃないのか……。
余計な事を考えてしまい、モチベーションがどんどん下がってくる。
(ソォォォォオイ!!)
寝ているデビルゴリラを起こさぬよう、心の中で奇声を発してやる気を無理やり引っ張り出し、現実及びデビルゴリラと向かい合ったところで妙な事に気付いた。
デビルゴリラの上に10,000という数字が浮かんでいるのである。
印刷物のようにハッキリとした黒い数字が、空中で微動だにせず貼り付いている。
ありゃ一体何だ……。さっきまであんな物は無かったはずだ。
値段……? 戦闘力……?
考えたところで分かるはずがない。って状況にはさすがにもう慣れっこだ。謎の数字は一旦脇に置いておく事にして、自分の決意が揺るがないうちに、背後からデビルゴリラへ近寄っていった。
抜き足差し足で、デビルゴリラとの距離をジリジリ詰めていく。
怖い……めちゃくちゃ怖い……。
体から出ているピンク色の霧が禍々しい事この上ない……。
恐怖で呼吸が荒くなり、足が前へ進むことを拒否している。震える足を摺るようにして一歩一歩強引に前へ進め、どうにかこうにか、あと車1台分ぐらいの距離にまで接近した。
自分の事を褒めてあげたい。いや、冗談抜きで本当に。
寝息に合わせて上下しているデビルゴリラの体は、見上げるほどにデカい。蛍光ピンクのせいで膨張して見えるから、なおさら巨大に感じられるのだろう。
大きな深呼吸を二回した後、俺は覚悟を決めた。色々考え出すと恐怖で身がすくんでしまうから、頭を空っぽにしてクラウチングスタートの姿勢を取る。
「位置について……ヨーイ……。ドンッ!!」
自分で掛け声を発するや、デビルゴリラに向かって全身全霊の猛ダッシュ!!
ピンク色の霧が立ち上る巨大な塊、寝転んでいるデビルゴリラの背中が近付くや、掌底を喰らわせる形で手のひらを思いっきり叩き付けた。その勢いを利用して体をすぐさま反転、呼吸を止めたまま死に物狂いの全力疾走に入り、プレハブの入り口まで脇目も降らず一気に逃げ帰った。
手ごたえはあった!!
でっぱりをゴリラの背中へ押し付けた瞬間に、スイッチを入れたようなカチッという感覚、それが間違いなく俺の腕に伝わってきた。
「よっしゃぁぁあ!!」と腹の底から勝利の雄叫びを上げ、ガッツポーズと共に振り返る俺。
ところがである……。
そこには何事も無かったかのように、全く同じ格好で昼寝を続けているデビルゴリラの姿があるじゃないか。
あれっ……!?
デビルゴリラはどこかに消え去る物だとばかり思っていたのだけれど、ひょっとして横になったまま、お亡くなりになったのか……?
いや……相変わらずその巨大な体は呼吸で上下している。
困惑しながら観察してみたところ、先ほどとは一つだけ異なる点を発見した。
数字だ。
10,000だったデビルゴリラの上に浮かぶ数字が9,999に変わっている。
今回、俺が背中を押した事で数字が一つ減った。
これが意味する事……。
さっきは値段かと思ったけど、ひょっとしたらゲームなんかでよくある、体力表示的な物なのか……? 体力が0になれば、そのキャラクターは死亡するってやつ……。
仮にそうじゃなかったとしてもだ、現状あの数字を0にする以外、他にやるべき事は思いつかない。
つまり俺は、自分の左手をあと9,999回デビルゴリラに押し付けなければならないって事……?
そうかそうか……なるほど……。
あの作業を9,999回ですか……。
「馬鹿言ってんじゃないよッッ!!」
張りつめていた緊張の糸がプッツリ切れてしまい、俺はデビルゴリラに背を向けてプレハブ隅の居住区画へ移動。椅子へ腰かけ、エコバッグから取り出したお茶のペットボトル、そのキャップを怒りにまかせて捻った。
あんな爆弾処理みたいな作業を1万回だと……!?
やってられるか、そんな無茶な事……。
そしてそれから一時間後。
デビルゴリラの背後に座り込み、マッサージ師のようにその背中を何度も何度も押している俺がいた。
椅子に座ってしばらくの間はふてくされつつお茶を飲んでいたが、監禁状態だからやる事がなにもない。デビルゴリラが近くで昼寝しているから、気の休まるはずもない。入り口のシャッターは当然の事ながら開かない。
ここまでないない尽くしとなれば、デビルゴリラを追い戻すぐらいしか、他にやる事なんてないじゃないか。
仕方なく、本当に仕方なく、再度デビルゴリラの背中へ決死の覚悟で俺のでっぱりを押し付けてみたのだけれど、何回やっても一向に奴は起き上がる気配を見せず、ずっと昼寝したまま。
そのうち俺もビクビクしている事が馬鹿らしくなってきて、今は大胆にもお茶のペットボトルを横に置き、あぐらをかいて黙々とデビルゴリラの背中を押し続けているのである。
今、数字は5,500。あと少しで半分に到達する。
腕が猛烈に疲れてきた。途中何度もストレッチと小休止を挟んでようやくここまでたどり着いたのだ。
かなりきつい作業だけれど、泊まり込む必要はなさそうだと判明したのが唯一の救いである。集中してやれば作業はあと一時間ちょっとで終わるんじゃないか。
デビルゴリラとの戦いと言うより、自分自身との戦いになってきた。
浮かぶ数字が、5,300、5,200、5,100、と順調に減っていく中、このまま3,000ぐらいまで一気に行こうと思った矢先。
デビルゴリラが何の前触れもなく、左腕を背後に回してきた。背中を掻こうとしたか、もしくは寝返りを打とうとしたのか、本当に何気ない所作で動かした左腕が俺の脇腹に触れた。
次の瞬間である。
左脇腹から全身を貫く、まるで体を爆破されたような凄まじい衝撃と激痛。
「ひぎッぃぃぃぃッッ!!!」
軽々吹っ飛ばされた俺は絶叫を上げて床をゴロゴロ転がり、猛烈な勢いで壁に叩き付けられてしまった。
終わった……。
致命傷という言葉が鮮明に脳内へ浮かんで、途轍もない絶望感が襲ってきた。
左半身が跡形もなく消し飛んでしまったんじゃなかろうか。自分の体がどれほどの大惨事に至っているのか、恐ろし過ぎて直視できない。ヒューヒューと漏れるような弱々しい呼吸をしつつ、薄目で自分の被害状況を恐る恐る確認してみた。
ところが……。
何ともなっていない……。
急いで服をめくって地肌の確認をしてみたけれど、傷一つ付いていない。
外傷が見当たらない事で若干冷静になってくると、死を覚悟したほどの激痛、それが嘘みたいに消えているのに気付いた。
全く……。何てこったにも程があるだろうが……。
安堵の溜息をついて結構な時間、寝っ転がったままプレハブの天井を眺めて放心状態。でもこんな事をしていたって状況は全く変わらないし、誰も助けちゃくれない。
めちゃくちゃ喉が渇いた……。立ち上がる気力は皆無だったので、居住区画の椅子まで再びゴロゴロ床を転がって移動、ゾンビのごとく椅子をよじ登ってなんとか腰かけ、エコバックから取り出したペットボトルのお茶を口に含んだ。
そして何気なくデビルゴリラの方をチラッと見た瞬間。
俺はそのお茶を全部吹き出してしまった。
デビルゴリラの上に浮かぶ数字、俺が時間と労力を費やして4,000番台まで必死に減らしたその数字が、見る見る増えているじゃないか。すでに値は6,000番台に突入済み。さらに増加し続けているデジタル表示。
6,500、6,600、6,700……。
冗談じゃねぇぞ!!
俺は即座にデビルゴリラの元へ駆け寄ったが、一体どうすれば数字の増加を止める事ができるのか全く見当もつかない。
とりあえず、俺のでっぱりをデビルゴリラの背中に押し付けてみた。
止まった……。
数字の値は7,757。
ドウイウコトなの……?
その後、俺なりに色々な検証をやってみて、以下の事が判明。
①デビルゴリラの上に浮かぶ数字はしばらくの間(約15分)何もしないと回復し始める。
②数字が5,000より少なくなるとデビルゴリラは、くすぐったいのか、何か違和感を覚えるのか、背中を掻いたり寝がえりを打ったりする。
③デビルゴリラが腕や体の一部を俺に接触させると、尋常でない激痛と衝撃に襲われる。
④激痛は後に残らず、すぐに消失する。しかし俺の体力を奪い取っているらしく、痛みに代わって泳いだ後のような全身の疲労感、眠気に襲われる。
以上。簡単に説明したが、判明するまで俺は計5回ゴリラに触られており、その度に絶叫、床を転がされ壁に打ち付けられている。比喩無しの死ぬ思いで得た情報なのである。
そして今現在、体のダルさと眠気が半端ない。
こんな状況になるまで必死に頑張ったのは、数字を約半分まで減らした自分の努力を無駄にしたくないという、妙な貧乏人根性のおかげだ。
これ以上デビルゴリラに触れられて体力を奪われると、立っている事すら難しくなってしまう。長期戦は絶対無理だ。
一気にやるしかない。
5,000を切ってからのゴリラの動きも分かってきた。背中を掻く、寝返りを打つ、背伸びをする、と言った単純な動作を単発で行うだけなので、集中していれば十分に避ける事ができる。
今回で絶対に終わらせる。
「シャッラッ!!」
俺は掛け声と共に気合を入れ、デビルゴリラの背後に近づいた。座り込みはしない。デビルゴリラの動きに素早く対応できるよう、中腰の姿勢で構えを取った。
数字は今5,500。
デビルゴリラの背中押し作業スタートッ!!
ひたすら無心でピンクの背中を押し続ける。すっかりこの作業にも慣れてきており、かなりのハイペースで数字は5,000を通過、4,000番台へと突入。
デビルゴリラが寝返りを打とうとしている!
それに合わせて素早く距離を取る俺。寝返りの時は手や足を不意に動かすので無理はせず、離れていたほうが安全だ。なぜか必ず丸まった姿勢を取るから、寝返りが終わると同時、俺は素早く定位置に戻り、背中押し作業を再開。
今度はデビルゴリラが背中を掻く動作に入った!
デビルゴリラが腕をお尻の方から背中に回してきた時は肩の近くにいれば触れられる事はない。逆に頭を掻くような仕草で腕を後ろに回してきた時は、お尻の方にいれば問題ない。安全地帯に屈み込んでひたすら背中を押し続ける。
数時間デビルゴリラと格闘を続けた結果、俺の動きは完璧にプロの域へと達していた。
華麗にデビルゴリラの動きを回避しているうち、ランナーズハイならぬ、ゴリラーズハイと言える境地に達し、妙なテンションになってきて体が軽い。疲れも感じない。何だか背中押しが楽しくなってきた。
すごいぞ俺! いける! これはいけるぞ!!
絶好調のまま、ついに数字が1,000を切って3桁台に入った時、事件は起きた。
デビルゴリラの背中からは終始ピンクの霧が立ち上っており、俺はその霧の中へ左手を突っ込む形で背中押しをしていたのだけれど、急に左手がガッチリと固定され、動かせなくなったのである。
どうやら霧に触れている部分が固定されてしまったらしく、異変に気付いて距離を取ろうとしたが、知らぬ間に床へ広がっていた霧のせいで足も手と同じく動かす事ができない。
これはまずいんじゃないか……。そう思いながら、ふと顔を上げた次の瞬間、恐怖で全身の毛穴が一斉に開いた。
仁王立ちのデビルゴリラが憎悪を煮詰めたような凄まじい形相で、俺の頭上、吐息を感じるほどの至近距離から睨み付けていたのである……。
無謀な行為を心の底から後悔したのと、デビルゴリラの太い腕が襲ってきたのはほぼ同時。自分の頭部を西瓜のように粉砕される感覚がまず最初にやって来て、その後は全身余すところなく叩き潰される、想像を絶する地獄のような状態が延々続いた。
無限ループって確かに怖いな……。圧倒的な苦痛の中、妙に冷静な事を漠然と考えているうちに俺の意識は飛んだ。
※ ※ ※
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◆
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※ ※ ※
「………っ! ……っかりしな! ……ほら! ……起きなっ!!」
遠くの方で誰かが叫んでいる。
続いて「ぺチン」「ぺチン」と何かを叩くような音が聞こえ、頬にヒンヤリした冷たい物が当てられる感覚。
何事かと思って目を開けると、濱さんのしかめっ面がごく間近にあって、俺を取り囲むように覗き込んでいる、グラさん、杵丸、鹿乃さんの顔。
再び「ぺチン」が聞こえた後に鋭い痛みが走って、濱さんが俺の頬を引っ叩いている音だと分かった。
「ちょっと!! 痛いっすよ!!」
俺が声を上げると濱さんはビンタをやめ、
「ほら、アンタ達、起してやんな」
グラさんと杵丸に指示を出して俺を椅子へと座らせた。
ぼんやりしていた頭が次第に動き始めると、ここがプレハブの中であり、今まで寝てしまっていた事に気付く。
俺は何をしていたんだっけ……。
「そうだ! ゴリラはッ!?」
自分の置かれている状況を思い出し、咄嗟に周囲を見回したら、
「相変わらずさ」
濱さんが顎で示した先に昼寝しているデビルゴリラの姿があった。浮かんでいる数字は10,000。数値はすっかり元に戻ってしまっている。
「家でアンタの活躍を皆と一緒にモニターで見てたんだけどさ、よく頑張ったじゃないか。見直したよ」
濱さんが俺の肩へポンと手を置き、続けてグラさんが、
「なぁ、これ馬鹿にしてる訳じゃねぇぞ。純粋に疑問に思ったから聞くんだけどよ。どうしてお前、ゴリラの攻撃受けると毎回必ず床を転がるんだ? 俺達はその動きを『梨園トルネード』って呼んでたんだけどよ」
そう言った瞬間、全員大爆笑。
「梨園トルネード凄かったですよ! アクロバティック感半端なくって、毎回盛り上がりましたよ!」
「ホントよね。何だろう、梨園さんって才能あると思うよ。エンターテイメント方面のね。そっちの道に進んだほうがいいんじゃない?」
杵丸も鹿乃さんも楽しそうな様子で、やけにテンションが高い。
どうやら皆、俺が必死でデビルゴリラと戦っている様子を、バラエティー番組感覚で鑑賞していたらしい。
言い返そうとしたら、突然凄まじい疲労感に全身が包まれ、一言も喋る事ができなくなってしまった。
「まぁ、アンタは偉かったよ。気絶するまで何度も挑むなんて、なかなかできる事じゃない。でもね、今回の挑戦はちょっと無謀過ぎた。数日で何とかなるような状況じゃないから、諦めるしかないね」
諦めるという言葉の意味が分からず、声が出せない代わりに納得いかない表情で濱さんの顔を見つめた。
「ゴリラがアンタと同化する期限は三日って言ったけどね、最長で三日って意味なんだ。明日の昼ぐらいまでならまず大丈夫だけれど、それ以降は徐々に同化される確率が上がってくる。明日の夕方かもしれないし、明後日の夜かもしれない。同化される前にアンタを追戻しすれば、ゴリラの影響を免れる事ができる。だから諦めるなら早い方がいいんだよ」
諦めたら女の子はどうなってしまうのだろう。彼女に被害が出るから、俺はこんな思いをしてまでデビルゴリラと戦っていたのだ。
俺の考えを見透かしたような回答が濱さんから返ってくる。
「向ウの前の持ち主なら気にする事はないさ。あの娘は遅かれ早かれ同じ目に合っていたはずだ。偶然それがアンタの番だっただけで、半分側じゃよくある話だよ。しかもアンタはそれを善意でやったんだ。感謝される事はあっても、恨まれる筋合いはないよ」
聞きたい事も言いたい事も山ほどあったが、尋常じゃない眠気が襲い掛かってきて目を開けていられない。全身が溶けて床へ流れ落ちそうな、有無を言わさぬ眠気だった。
「とにかく明日だね。一晩自分の家で寝れば、体調は元に戻る。結論はアンタ自身で出しな。これで終わりでいいって言うなら、私がアンタを普通側に追戻ししてやる。それで全部元通り、今まで通りの生活ができるようになるよ」
濱さんのその言葉を最後に、俺は再び気を失ってしまったのである。
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