第12話 その婆ァ狂暴につき
三カ月間社会から切り離され、訳の分からぬ世界での活動を強制的にさせらされる、免許合宿みたいな状況に追い込まれた俺ではあったが、不思議と気持ちは落ち着いていた。
色々あり過ぎて免疫ができてきたのかもしれない。人間の体って凄い……。
俺は執行猶予の三カ月間で、自分と同じ程度の罪を背負った奴、そいつを『追戻し』しなきゃならない。追戻しとは、半分出ちゃった状態から普通の状態へ強制的に戻す行為であり、今日は専門家にそのやり方を教えて貰う予定となっている。
具体的に何をするのかは不明だが、動きやすい格好で来るようにと、杵丸には言われていた。
チノパンにスニーカーで待ち合わせ時刻の10分前にマカレナ前へ行くと、意外な事に杵丸とグラさんはすでに到着済み。
雑談していた二人の元に駆け寄って、昨日の会社での出来事を興奮気味に伝えたら、
「お疲れ様でした。じゃあ行きましょうか」
「あっ、電車乗る前にチャージさせてくれ」
などと、やたら淡泊な反応が返ってきた。
これが地味に辛い。半分出ちゃって以降、奇想天外な光景や謎の規則がテンコ盛りで俺の心を激しく揺さぶるが、それは半分側の人間にとっては日常的な出来事。「そんなに騒ぐ事じゃない」という杵丸とグラさんの冷めた反応が、俺の孤独感を浮き彫りにしてくる。嘘でもいいから「えっ!! マジっすか!!」ぐらい言ってくれてもいいんじゃなかろうか。それが人としての優しさじゃないのかい……。
電車に乗って、『追戻し』とやらを教えてくれる専門家の元へ向かう道中も、窓の外を半分側特有のおかしな光景がガンガン流れていくが当然二人は無反応。俺も冷静を装っていたものの、ビルが一棟まるまる新聞紙で覆われていたのを見た時だけは、奇抜な現代アートの可能性があると思い、向ウなのかどうか杵丸に尋ねてみた。
やはりと言うか、当然の事ながら向ウだった。そりゃそうか……。
私鉄からJR、再び私鉄に乗り換え、一時間ほどで目的の駅へ到着。
緑の多い閑静な住宅街をしばらく三人で歩いていき、
「あそこですね」
杵丸が指さしたのは、入り口にミニバンの止まっているごく普通の一戸建てだった。
半分側の事だから、洞窟の奥深くとか、滝壺の中とか、探検家ばりに辺境の地を突き進む可能性も危惧していたから、とりあえず目的地が市街地にあってホッとした。
その家の玄関先を杖をついたお婆さんが歩いており、俺達と目が合うなりこちらへ歩いてきたのだけれど、何やら様子が変だ。
杖をついた年寄りとは思えない速度でグングン近寄ってくるし、異様な威圧感が全身から発されている。
そして俺はとんでもない勘違いに気付いた。
お婆さんが手に持っていたのは杖じゃない。日本刀だ……。
親の仇でも取るような表情でお婆さんは鞘から刀を抜き放つと、銀色にギラつく刀身を上段に構えたまま、俺達に向かって走り出した。
「えっ、えっ、えっ……!?」
突然の出来事でパニックに陥り、短い悲鳴をひたすら連呼する事しかできない俺。
ふと横を見ると、杵丸もグラさんもすでに逃げ出した後だった。
こんなところで通り魔に襲われて人生終了なんて、悔いが残るにもほどがある。俺も二人の後を追って即座に逃げ出そうとした。
ところが……。
「逃がしゃしないよ」
背後からしゃがれ声が聞こえたと思ったら突如、水の中にいるような抵抗が全身にかかって鉛のように重くなり、全く体が言う事をきかなくなってしまった。
半狂乱になって強引に足を交互に動かしたが、少しも前に進む事ができない。ゾッとする嫌な気配を感じて振り返ると、左手に刀、右手にリモコンのような機器を持ち、そのリモコンを俺に向けているお婆さんの姿が目に入った。
なにやってんだあれは!? 俺がそう思ったのとほぼ同時、外観からは想像もつかぬ鋭いステップで間合いを詰めるや、何の躊躇も無くお婆さんは俺の左手を刀で斬り付けてきたのである。
「痛てぇッッッッッ!!」
絶叫した俺を手慣れた動作で押倒し、馬乗りになって刀を俺の喉元へ押し当てるお婆さん。
あっと言う間の出来事で、抵抗する隙なんて1ミリも無い。気付いた時にはお婆さんの狂気的な目が俺の鼻先にあって、刀を少し横にずらすだけで殺されてしまう状況となっていた。
どうしてこんな事に……。
絶望感と激しい恐怖に圧倒され、俺は何もできぬまま固く目を閉じた。
しかし結構な時間が経過したにもかかわらず、一向に何も起こる気配が無い。
今、どういう状況なんだ……?
心臓が破裂するほど鼓動する中、恐る恐る薄目を開けて様子をうかがってみると、お婆さんは先ほどと同じ刀を隙無く構えた体勢のまま、微動だにせずジッと俺の事を睨み続けている。
ひょっとしたら交渉の余地があるのかもしれない。俺は勇気を振り絞り、
「た、助けてください……」
蚊の鳴くような声で命乞いしてみた。
いきなり喉をカッ切られる可能性だってあった。
しかし、意外な事にお婆さんは刀を喉から遠ざけ、視線を前方へ送りながらしゃがれ声で言うのである。
「あっちを見てみな。あれはあんたの仲間じゃないのかい? 助けてもらえばいいじゃないか」
言われるがまま首を捻って確認したら、遠くからこちらの様子をうかがっているグラさんと杵丸の姿が目に入った。
「おーいッ!! 助けてくれー!! おーいッ!!」
藁にもすがる思いで、咄嗟に俺は腹の底から全力で叫んだ。
刀を持っていても相手は年寄りだ。二人掛かりなら、この状況を何とかできるかもしれない。
頼む!! お前達だけが頼りだッ!!
ところが……。
グラさんは横にあった自販機、そのラインナップを急に確認し始め、杵丸は太陽に手をかざして眩しそうに空を見上げるという、露骨に聞こえない素振りを演じ始める二人。
白々しいにも程がある。
「畜生ッ……。あいつらッ……」
仲間に見捨てられてヤケクソになった俺は、
「むんぬぅうううううううう!!!」
歯を食いしばって、狂ったように唸り声を上げ続けた。
もう、煮るなり焼くなり好きにすりゃあいいじゃねぇか!! 『通り魔に襲われ30代男性死亡』ネットニュースの一行見出しが俺の最後だ馬鹿野郎!!
そんな自暴自棄極まりない俺の姿を見たお婆さんは、
「向ウが使えないってのは本当みたいだね」
呆れたように言った後、なぜか刀を腰に差していた鞘へ納め、俺の体を跨いで、何事もなかったかのようにどこかへ歩き出してしまったのである。
ええっ……!?
状況が掴めず地面に横たわったまま、呆然となる俺。
見逃してやるって事なのだろうか……?
「ほら、いつまでも道端に寝っ転がってるんじゃないよ。ついて来な!」
鋭く怒鳴って、俺に手招きするお婆さん。
人の事を殺そうとしていたのに、今度はついて来いなどと言い出している。さすが通り魔、常人の理解を越えた行動をしてくる。しかしチャンスだ。隙を見て逃げ出すなら今しかない。
俺は警戒を怠る事なく起き上がり、全力疾走の体勢に入ったのだけれど……。
「モタモタしてんじゃないよ! 追戻しの方法を聞きに来たんだろ! アイツらにも早く来るように言いなッ!!」
衝撃の事実を聞いて、俺はその場にへたり込んでしまった。このお婆さんが目的の人物、追戻しの専門家だったのである……。
不思議な事に、斬られた左手は何の外傷も見当たらず、痺れも痛みも無くなっていた。しかし、斬られた事は事実だし、刀を喉元に突き付けてくるなんて、どう考えてもまともな人間のやる事じゃない。
あんな物騒な婆さんに物を教われと言うのか……。考えるだけで眩暈がしてきたが、俺だけがあんな思いをさせられた事が腑に落ちない。グラさんと杵丸にも絶対、あの婆さんの恐ろしさを味わって貰うわねばなるまい。
お婆さんが家の中へ入ってしまうと、遠くで警戒していた二人がジワジワと俺の方へ近寄ってきた。
公園の鳩をエサでおびき寄せる要領で、俺は作り笑いを浮かべて何事も無かった振りをし、二人を誘い込もうとしたのだが、あと数メートルの所で、
「ほら、早く入んな! 何やってんだよ!」
玄関からお婆さんが怒鳴った事により作戦は失敗。逃げ出した二人を死に物狂いで追いかけ、首根っこを掴み、俺は強引に家の方へと引っ張っていったのである。
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