ハンテッドハンターハンティングハント、あるいはコヨーテ

5.5

　船の調子が悪いからと先に別れの挨拶を済ませたジェシカを陸舟に残し、カトーはジャックの後について家まで向かった。

　見たかったのは古ぼけた木造の小さな家ではない。家の裏手の、トウモロコシ畑だ。

　残念ながら、すでに収穫期は過ぎており、畑に見てみたかった光景はなかった。

　カトーは黄金色の枯草広がる畑を眺めて、頭の中で緑の畑を重ねた。一度も目にしたことのない光景を重ねようと思っても、上手くいかなかった。

　予定とは違うが、別段悪い風景でもないさ。

　カトーはそう嘯いてポーチの手すりに寄り掛かり、咥えた煙草に火を点けた。

　家の裏口が開きジャックが出てきた。手には麻袋をもっている。

「見ても面白い風景じゃないだろう」

「そうでもねぇさ。おれはカイギャクの分かる男なんでね」

「そうかい。じゃあその手に持ってる酒はなんなんだ？　飲まなきゃやってられないってことじゃないのか？」

　おっしゃる通りだ。

　カトーはコルク栓を引き抜き、一口呷った。

「そんじゃ、おれは行くけどよ。ジャック、ほんとに来ないのか？」

「お前の実家についてって、俺にどうしろってんだ。もうまずい芋は食いたくねぇ」

「食わされたか」

「食わされたよ」

　じゃあ、後で吐いたりもしたかもな。

　そう思いつつ、カトーはジャックに酒瓶を差し出した。

「ほら、餞別だよ、くれてやる。嫁さんと飲んだらどうだ？」

　ジャックは受けとった酒瓶を空にかざして、苦笑した。

「ほとんど空じゃないか。飲み残しはいらないし、俺は酒を呑まないんだ。それに前も言ったが、あいつと会うつもりはない」

「……そうかい。まぁでも、今日くらいならいいだろ？　どうせ、せいぜい三杯くらいしか取れねぇしな。ジャックの体格なら酔うほどの量はねぇだろうよ」

「……頂いとくよ。代わりに、こいつをもってけ」

　言いつつ、ジャックは麻袋を差し出した。揺れた袋の中身はおおよそ想像がつく。

「トウモロコシか？」

「そう。集落の若いのが収穫しといてくれたんだ。ついでに――」

　ジャックは『フレンディアンズ・スピリッツ』の詰まった木箱を手すりに置いた。

「酒の飲めないミス・ジェシーに、こいつを」

「なんだこりゃ？」

「特製のルートビアだ。十二本入ってる。美味いぞ」

「見たことねぇラベルだな。ちゃんと渡しとくよ」

　答えて、カトーは木箱を足元に置いて、煙草の煙を深く吸い込み、吐き出した。

　畑を撫でる澄風が、淀んだ煙も攫っていった。

　ジャックは安楽椅子に腰かけた。躰を背もたれに預け、吹き抜ける風を眺めながら、ゆっくりと揺らし始めた。

　写真を渡すのなら、今しかない。

　カトーは煙草を足元に落として踏み消し、ポケットをまさぐった。あった。写真と、マネークリップの感触――。

　カトーは眠たげなジャックを見つめ、首を左右に振った。写真から指を離し、マネークリップをつまんで取り出す。挟み込んだ紙幣の束から、二枚抜いて、ジャックに差し出した。

「んじゃ、おれは行くよ。こいつはトウモロコシの代金だ。酒瓶代は抜いといた」

　ジャックは差し出された金を眺めて、肩を揺らした　

「餞別だと言ったろうよ。というか、この飲み残しは有料なのか？」

「もちろんだ。おれは金の貸し借りで苦労してきたからな。友達には金の貸し借りをつくりたくねぇんだよ」

「……友達。友達か。俺がか？　最初はお前を殺そうとしたのに？」

「なにを言ってんだよ。最初っから殺す気なかっただろうが。よく覚えてる」

「どうだったかな」

　そう言って、ジャックは目を瞑った。何を思い出したのか、失笑している。

　躰を少し起こしたジャックは妙に素直にカトーから金を受け取った。

「受け取っとくよ。もし困ったことがあったら、手紙でもくれ。手伝ってやる」

「いや。今度はトウモロコシ畑が実ってる頃に寄らせてもらうさ。またな」

「ああ、またな。ミス・ジェシーによろしく言っといてくれ」

「お断りだな。そういうのは自分で言うべきだ、ジャック。あと、次に会うときは一回くらいジェシカって名前で呼んでやれよ。ジェシーのやつ、ずっと気にしてたみたいだぜ？　結局アタシは他人なんだよ、ってな」

　ジャックは空に向かって笑い声を飛ばしながら、安楽椅子を揺らした。

「勘弁してくれ。元妻の名前なんか呼びたくないだろ」

「たしかに。そりゃそうだわ。忘れてくれ」

　カトーは苦笑いを浮かべて、足元のルートビアを抱え上げた。

　それを待っていたかのように、ジャックは抱え上げられた箱の上に、慣れ親しんだ相棒をホルスターごと置いた。手製の革鞄も一緒にだ。

「おい？　なんだよこれ。こいつは大事なもんなんじゃねぇのか？」

「『大事だった』もんだよ。もういらん。向こう見ずのグッドマンにくれてやる」

「いらねぇよ、こんな扱い辛そうな銃は。だいたい、くれてやんなら、ジェシーにしろってんだ。あいつなら泣いて喜ぶぜ？」

「だからだよ。だから、お前にやると言ったんだ。こんなもんをもらって喜ばれたら困る。どうせなら、お前さんくらい、絶対いらねぇってツラしてくれてる方がいい」

　カトーは鼻で笑い、小さく肩を竦めた。

「まぁなんか事情があるんだろうが、年よりの言うことは聞いておかないとな」

「真面目になったじゃないか。その調子でギャンブルから足を洗え。そのうち死ぬぞ？」

「死なねぇんだよ、俺は。ベルヌーイのご加護があるからな」

「またそれか。お前はコヨーテにでもなったつもりか？」

「コヨーテ？　なんだよ、あんなショボくれた犬っころと一緒にすんなっての」

　カトーが不満げにそう言うと、ジャックはニヤリと片笑みを浮かべた。

「しょぼくれた犬っころだって？　とんでもない。コヨーテってのは精霊なんだよ」

「精霊ぃ？」

「そう。フレンディアンたちのな。なんでもかんでも利用して、引っ掻き回す、嫌な奴さ」

「おいおいおい。ここまで運んできてやったってのに、そいつは失礼じゃねぇか？」

「しょうがないだろう？　お前の、その、薄気味悪い笑いかた。コヨーテにそっくりだ」

「そうかよ。まぁいいさ。向こう見ず（ハイローラー）よりゃいくらかマシだ」

　小さく肩を竦めたカトーは、お決まりの笑顔を顔にはりつけた。

「じゃあな、ジャック」

「ああ。おっかねぇ精霊はさっさとどっかに消えてくれ」

　ジャックは遠ざかる足音を聞きながら、もらった酒瓶のコルクを引き抜いた。

　これでいい。過去は捨てたと嘯いて、未練がましく銃を持ち続けていた。

　そんなだから――。

　ジェシカ。彼女は、別れたときには、すでに前を向いていたのに。

　カトーが陸舟に戻ると、船長は難しい顔をして、砂海を眺めていた。

「んな顔するなら会って来いよ。待っててやっからさ」

「いい……って、なに？　その袋と、箱は」

「こいつか？　トウモロコシと……なんでも、ルートビアとかいう飲み物らしい」

「へぇ？　お酒？」

　カトーとジェシカは崩壊後世代で、ルートビアという存在そのものを知らなかった。生産工場はとうの昔に失われ、渡されたルートビアが世界中を見渡しても希少なものとは分からない。

「いや違う。酒が飲めない、『ミス』ジェシーにってよ」

　カトーは木箱を渡して、空飛ぶ駝鳥号に乗り込んだ。

　と同時に、ジェシーが肩を小突いた。

「気にしてるって言ったよね？」

「叩くくらいなら――」

「行かないし、言わない。奥さんの名前で呼んでくれなんて、絶対言えない」

「『元』だろ？　おれにはない感覚だな。別れたんなら、もう関係ねぇだろ」

「そんなんだから、いつまでたっても女に相手にされないんだよ」

「ほっとけ。てか一本くれよ、そのルートビアってやつ」

　ジェシカは物憂げな息をつき、木箱から二本抜き取り、一本をカトーに手渡した。

　王冠のついた飲み物なんて、久しぶりだった。

　ジェシカは山刀の柄尻に王冠の端をあてがい、叩いて開けた。

　ポン、と小気味いい音がして、中身が少し溢れ出た。

　カトーは船長の許可もとらずに甲板の縁で叩いて開けていた。後で仕置されるかもしれない。

「それじゃ、おれとジェシーの、旅の安全を祈って、乾杯だ」

「アタシとしては、ジャックの前途を祈りたいんだけど」

「なんでもいいさ」

　カトーはルートビアの口をつまんで、ジェシカの前に差し出した。

「ＫＡＮＰＡＩ！」

「なにそれ？　またお爺ちゃんの台詞ってやつ？　まぁいいけどさ……乾杯」

　二人はルートビアの瓶をぶつけ合わせて、一口飲んだ。

　途端、顔を見合わせた。

「美味いな、これ」「美味しいね、これ」

　ポケットに手を入れたカトーは渡せなかった写真を折りたたみ、ジャックの家があるであろう方角を見やった。

　遥か先、安楽椅子を揺らしたジャックは、熱を帯びた息をついた。

「意外と美味いじゃないか。ありがとよ、コヨーテ」

　コヨーテ――神から火を盗み出したとも言われる、不死身の神の名前だ。

　フレンディアンたちの神話では、最初の男女はトウモロコシから生まれたという。そして光のない世界には、二人の他に、ペテン師のコヨーテがいたという。

「……カトー・ナカサキ……カスパー……ペテン師は、どっちなんだ？」

　ジャックは片笑みを浮かべて、酒瓶をテーブルに置いた。中には、何も残っていなかった。