5.4

『エクス・マイアミの王様達キングス、失墜』。

 古新聞の見出しには、そう書かれていた。

 記事によれば、エクス・マイアミを牛耳るギャング『キングス』の頭領、ミセス・ホールトンことジェシカ・ホールトンが、自身の所有するホテル『ジャグラーズネスト』のペントハウスで拳銃自殺を遂げた、とある。


 その後、匿名の情報提供者から、自殺していたジェシカ・ホールトンと見られる女性遺体は、別人のものであると判明した。

 女性は、本名をベル・ブリッグスといい、十年前に中西部を震撼させた盗賊、ジョン・レイザー・ブリッグスの娘であることが分かった。

 本物のジェシカ・ホールトンの行方は、提供された情報を元に捜索が続いているという。

 カトーは何回読んだか分からない古新聞を畳むと、大げさにため息をついた。


「なんでおれの名前が出てねぇんだよぉ。だいたい、なんだよ『拳銃自殺を遂げた』で終わりってのは。あんだけ死人が転がってて、どういうわけなんだよぉぉぉ」


 ジェシカが空飛ぶ駝鳥号のメインシートを引っ張りながら答えた。


「あと何回その話を繰り返すのさ。いい加減に分かったろ?」

「分かってるっての、分かってるけどよ、つまらねぇじゃねぇか。なぁジャック?」


 水を向けられたジャックは、波打つ砂海をぼんやりと眺めていた。


「……そうやって手を打っておかないと、お前も追われ続けることになったぞ」

「……あぁぁぁ、くそう! 分かってるけどよぉ……」


 カトーは甲板の縁にぐだりともたれかかり、穏やかに流れる風に身を晒した。永遠に濁っていそうな空に、延々とつづく灰色の荒野。空と地上の境界はくすみ、地平に線など見えない。

 ジェシカは横目でカトーの様子を窺い、微かに口元を緩めた。


「あんまり乗り出すと危ないよ。この辺、サンド・ワームが出てきたりするから」

 

 僅かな間があった。

 ゆっくりとカトーが振り向く。


「なんだ、その聞きなれない生き物の名前は」

「名前の通り、砂地に生息している虫さ。穴もないのにボコっと出てきて、躰ごと一口にばっくり。ほら、昔は海に鮫ってのがいたんでしょ? あれと同じ」

「マジかよ……」


 カトーがそっと縁から離れた。

 途端、ジェシカが吹き出すように笑った。


「ただの冗談だよ。なんでそんなところはビビりなまんまなのさ」

「ジェシー! 下らない冗談言ってんじゃねぇ!」


 カトーの怒声にジェシカは肩を竦めた。ちらとジャックに目を向ける。

 視線に気づいたジャックは片笑みを浮かべて、四角く畳んだ新聞をカトーに投げた。


「じゃあ、こっちの記事を読んだらどうだ?」

「……くっそ! なんでそんな嬉しそうなんだよ! おっさんは!」


 カトーは受け取った新聞を即座に投げ返した。その新聞には、何度も読んでも腹立たしくなる記事が載っていた。


『ジェシカ・ホールトン、発見される』

 かつて西部を震撼させたレイザー・ブリッグスことジョン・ブリッグスの根城から、エクス・マイアミはホテル『ジャグラーズ・ネスト』のオーナー、ジェシカ・ホールトンの遺体が発見された。ジェシカ・ホールトンはおよそ一年に渡る監禁によって衰弱死していた。見つけ出したのは情報提供者でもあるジェシー・デスハンド・グッドマンを名乗る男性で、全ての報酬を拒否して立ち去ったという。

 当社では彼の消息について、情報提供を待ち望んでいる。

 もし、山刀と雷管式の回転式拳銃で武装し薄笑いを浮かべる男の情報をお持ちなら、ぜひ当社に連絡されたい。報酬は応相談……。


 カトーは苛立たしげに寝転んだ。


「だいったいっ! なんだよ! ジェシー・デスハンド・グッドマンってのは!」

「謎の西部人に決まってるだろ? カスパーに感謝しろ。これで俺たちは追われなくなったし、ジェシカの無事も分かった。万事言うことなしだ」


 そう言って、ジャックは嬉しそうに灰色の空を仰いだ。第六ニュー・イングランドで会ったころの面影は、まるで残っていない。年相応と言えばそれまでかもしれないが、まるっきり隠居した老人だ。

 ジェシカは鼻を鳴らして、荒野の先を見つめた。


「……もう家につくよ、ジャック」 


 ぼやけた地平線の真ん中に、街の影が滲んでいた。


 ――あの日、ミセス・ホールトンとの勝負を終えてすぐ、ブラッドリーたちが現れた。あまりに帰還が遅いので様子を見にきたのだと言っていた。

 キングスを構成する兵隊たちは、ブラッドリーの事務所とホテルの二か所で、ほぼ全滅してしまったという。いくらか難を逃れた連中もいたようだが、力を失くした組織に用など無い。復讐するくらいなら別の組織に移る。

 ギャングの世界は、陽に焼かれた大地より乾いていた。


 ブラッドリーはカトーにかけられていた賞金――つまり、払われるはずだった客への配当金三十万ダラーを回収するのだと息巻いていた。一方で、カトーは裁判だの権利だの、そういった時間のかかるだけの勝負に興味はない。もちろん、金も、必要な分だけあればそれでいいのだ。彼が欲しているのは熱くなる勝負だけであり、それはすでに終わった。


 それでも、ペントハウス中をひっくり返したカトーは、手に入れた現金や宝飾品の類を、ジャックやジェシカと分配しようとしたのだ。

 しかし、ジャックが受け取りを拒否したため、今回一番の功労者――といっても本人の知るところではない――イワンに、色を付けて引き渡してしまったのである。

 

 なんのことはない。腕力と実直さくらいしか取り柄のなかったイワンが、今回の事件で一番得をしたのかもしれない。もっとも、彼も金には大きな興味をもたなかったが。

 その意味では、気の合う相棒を失ってしまったイワンは、一番の被害者ともいえる。


 カトーは追及してこなかったイワンに感謝の念を抱きつつ、あらためてジェシカに陸舟の料金を支払い、ジャックを連れて街を出た。名前が知れてしまったエクス・マイアミではもう勝負はできないだろうし、友人と言えるような奴は街にいない。街の外に出るのに、未練はなかった。


 ジャックは街を出る直前、カトーの勧めに従い、カスパーに電文を送った。もちろん内容は元妻のジェシカ・ホールトンがいるであろう場所――つまり、アラモのジョン・ブリッグスが暮らしていた家を調べろというものだ。

 それはジャックにとって、最初で最後の賭けだった。


 そして彼は、賭けに勝った。


 証拠は、先の新聞だ。

 もし、生存していたら、ジェシー・デスハンド・グッドマン名義で発見を報告する。

 三人のあだ名を繋げただけの、実在しない西部人を作り上げ、ジェシカ・ホールトンには正式に死んだことになってもらう。

 これで全てが丸く収まる。ジャックはそう言っていた。


 ただ、生存を知ったジャックは、ジェシカ・ホールトンとの再会を望まなかった。

 一行は一日だけジェシカの家に立ち寄り、ジェシカ曰く『バブ爺に尻を撫でられる前に』フレンディアナを目指して旅立った。


 空飛ぶ駝鳥号は、そこから一週間をかけて、フレンディアナに入った。

 フレンディアナのジャックが住む街に正式な『陸の港』はない。街の外れに何隻か留まっている陸舟に並べ停めて、ジェシカはメインパネルから鍵を引き抜いた。

 

 カトーは薄笑いを浮かべて、上着のポケットを撫でた。ペントハウスから持ち出してきた写真が入っている。ジェシカ・ホールトンと、もうひとりが写った写真だ。

 ジャックに話すべきかどうか、まだ決めあぐねていた。

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