5.3
カトーは最初から四発連続で弾が出ないことを知っていた。弾倉を止める際に、二連続する雷管キャップを見定め、そうなるように止めていたのだ。
しかし、その動作を見ていなかったジャックは気づけなかった。うなだれたまま、自嘲するかのように薄笑いを浮かべている。
カトーの顔しか見ていなかったジェシカには分からなかった。緊張のせいか、柄尻に置かれた手が、真っ白になるほど強く握りしめられている。
ミセス・ホールトン。彼女には、難しくとも気付くチャンスがあった。
自らのこめかみを狙うカトーの手元、ジャックの銃の弾倉に目をこらせば、黄金色に輝く雷管キャップが見当たらないことに、気付けたはずだった。
だがそれも、カトーの死を求めるかのような勝負の熱に浮かされ、見逃してしまったのだ。
そしてカトーは、最後の勝負に挑んだ。
がちり、と撃鉄の目覚める音がした。ジャックがはっと顔をあげる。
カトーは銃口を自らのこめかみに押し当てた。その姿を見たジェシカは、慌てて柄尻を手放し、その手をカトーに伸ばそうとしていた。
ミセス・ホールトンは、彼女は、目を見開いていた。
カトーは、その双眸を爛々と輝かせたまま、引き金に指をかける。
とてつもない興奮だった。先ほど弾が入っていないと確信しているときでさえ、引き金を引くには多大な勇気を要した。
いまはそれ以上だ。引き金が重い。本能が引くなと言っている。
しかし、カトーは神と崇めるベルヌーイを信じ――いや、信じたことにして、さらなる興奮を求めて引き金を絞った。
撃鉄が落ちる――。
じぃん。
と、湿った金属音がした。
次の瞬間、ジェシカの手の平が落ちきった撃鉄に覆いかぶさり、銃口をカトーの頭から引きはがす。ほとんど同時に、
「どうだよ! 見たか!」
カトーは叫んだ。ジャックが呆然とそれを見ていた。
「言っただろうが! おれにはベルヌーイって神様が――」
言葉は続かず、代わりに乾いた打撃音が響いた。ジェシカが、カトーの頬を平手打ちしたのだ。すぐに彼の手から銃を奪う。
「なにがベルヌーイだよ! バカ! 不発だったから良かったものの、あんたがやったのはただの自殺だ! 死ななかっただけだ!」
カトーは右頬につけられた真っ赤なメイプルリーフを撫でつつ、吼えた。
「勝負の邪魔をするんじゃねぇ!」
「はぁ!? 勝負って、今のは――」
ジェシカは口をぐっと結んだ。続く言葉を見失ってしまったらしい。
気遣ってくれてのことだろうとは分かる。嬉しくなくもない。しかし、どうせ信じてくれるのなら、最後まで信じてほしかった。
ジャックにしてもそうだ。動こうとしたこと自体が腹立たしい。おれが何を見せてきたのかと言ってやりたい。だが、口に出しても伝わりはしないだろう。
勝負は、まだ終わっていないのだ。
「いいから、銃を寄越せ!」
ジェシカの手から銃をもぎ取ったカトーの目は、真剣そのものだった。決して狂気に染まってなどいない。ただ純然と勝負に向かう『ときたま』のグッドマンの目をしている。
ミセス・ホールトンを見据えて、カトーは言った。
「さぁ、あんたの番だ。弾は残り二発――といっても、おれが一発やり過ごしちまったから、あとは、あんたが、
勝負だ、ミセス・ホールトン。
胸裏で呟き、カトーは銃を投げた。ジェシカのバイオニック・アイがその軌跡を追う。拳銃は空中に緩やかな弧を描き、ミセス・ホールトンの手に収まった。
ジャックは跪いたまま動かない。いや、動けないのだろう。
ミセス・ホールトンは、かつて父を殺した拳銃をひとしきり見つめて、唇を震わせた。
「……グッドマン、あなた、本気で言っているの?」
「質問の意味が分からねぇんだけどな。俺たちは勝負をしてるはずだろ?」
こっちを見ろとばかりに、カトーは顔の横で指を二度鳴らした。
「そいつは、あんたにとって最後の勝負だ。自分で決めな。おれはジャックを連れて帰った。これで一勝一敗。テーブルから下りたきゃ銃を捨てればいいのさ。そんときゃ、おれの勝ちが積まれて、二勝一敗。おれに勝ちたいなら、同じことをすればいい」
カトーは指で銃の形を作って、こめかみに押し当てる。
「弾がでなけりゃ、あんたの勝ち。死んだら、おれの勝ち。単純な勝負だろ?」
「……むちゃくちゃな人ね、あなた」
ミセス・ホールトンは、雷管式の拳銃を見つめた。その銃把から、水の雫が一滴落ちた。
瞬間、ジェシカとジャックは、息を飲み込んだ。
鉄火場に立っていたのは、チンケなチンピラで、ギャンブラーで、向こう見ずな青年ではなかったのだ。また、『ときたま』のグッドマンでもなく、『料理のとき』のグッドマンでもない。
偶然と必然を繋ぐ男、カトー・ナカサキだ。
カトーが引き金を引けたのは、銃が水を被っていたからだ。
いまミセス・ホールトンの手にある雷管式の――古臭い前装式の拳銃に収まっている弾倉は、殴り込みのさなかに弾を込めなおした物だ。
あのときジャックは、少しでも時間を短縮しようと、グリスを塗らなかった。普段なら弾と火薬の間に置くフェルトパッチも挟まれていない。どちらも連鎖爆発を予防するための処置だが、別の意味もある。
おまじない程度の意味しかないが、火薬が濡れるのを防ぐ役割があるのだ。
その作業を省略した弾倉は、スプリンクラーの水を大量に浴びた。
だから、発火しなかったのだ。
薬室内は水浸しで、何度引き金を引いても弾は出ない。そう判断したからこそ、カトーはロシアン・ルーレットでの勝負を選び、また必死の引き金を引けたのだ。
そして、少しでも勝ちの目を増やすために、最後になって銃を渡したのである。
「どうしたよ、ミセス・ホールトン。あんたの番だぜ?」
余裕綽々――を装いつつ、カトーはしかし、未だ勝利を確信できずにいた。
正直、いまにも膝が笑いだしそうだった。銃が水に濡れているから弾は出ない。もちろん、頭では分かっていた。でなければ引き金は引けない。しかし確信できるものでもなかった。
実際に引き金を引くとき、顔には出さないようにこらえていたが、心底ビビった。心の奥底では、ベルヌーイ以外の天にまします神に祈っていたほどだ。
それがバレなかったのは、ジャックですら騙され、ジェシカのバイオニック・アイくらいでしか見破れなかった
大した親だとは思わないが、そういう顔に生んでくれたのだけは感謝してもいい。不味いジャガイモを食えるように、料理を研究してきた甲斐もあったわけだ。
あとはミセス・ホールトンが下りてくれれば、おれの勝利だ。
カトーにとって、ここが真実の勝負どころだった。
煽り立て、下りるようには仕向けた。しかし引き金を引かれてしまえば、それで終わる。おそらく弾はでない。すると勝負は引き分けで、今日まで苦労してたどり着いた勝負も、勝ち負けつかずになってしまう。
ジャックとジェシカがどう思っているのかは知らないが、それだけはゴメンだ。
下りろ。
カトーは口の中だけで呟き、ミセス・ホールトンを睨みつけた。
下りろ。
下りろ。
頼むから下りてくれ!
――がちり。
ミセス・ホールトンの親指により、撃鉄が引き起こされた。銃口が顎の下にあてがわれる。死を前にして運命を受け入れるかのように、瞼を閉じた。
なんて女だ。帽子なんざ乗せちゃちゃいないが、脱帽だ。
カトーがそう思った次の瞬間、
「――ッ!」
ジェシカが二人の間に躰を滑り込ませた。
ほぼ同時、ミセス・ホールトンは銃口を向けた。
――ジャックに。
この期に及んでおれとは勝負しないってのか!?
勝負が始まってから初めて、カトーの鉄仮面が崩れた。
ジェシカは迷わず山刀を抜き放ち、投げつけようとした。すかさず、カトーはジェシカの手首を握って止めた。
ジャックは跪いたまま、握った両手を膝の上に置き、向けられた銃口を見つめていた。
引き金が引かれる――。
じん。
やはり、湿った金属音しか鳴らなかった。弾は出ない。
ミセス・ホールトンは肩を落とし、俯いて、乾いた笑い声をあげた。
「……なによ、この銃。弾が出ないじゃない」
悲しげに言って、ミセス・ホールトンは銃口を覗き込んだ。
反射的にジャックが手を伸ばす。
「よせ!」
その叫びはしかし、
地の底まで響く重い銃声に、かき消されてしまった。
ミセス・ホールトンは、その場に沈み込むように倒れた。
ガンスモークはいつもより幾分か密度が薄く、燻るような匂いがした。
ジャックは止めようと伸ばした手を、力なく下ろした。
手首からカトーの手を引きはがしながら、ジェシカが呟く。
「弾が、遅れて出た?」
「……だな。予想外の結末だ」
カトーは倒れたミセス・ホールトンに歩み寄る。
「雷管が不良だったか、火薬の方がうまく着火しなかったのか……」
そう呟くカトーの足元で、溜まった水が紅く濁っていく。
ジャックが、かすれた声で答えた。
「……遅延発火だよ。代替黒色火薬の銃だと、たまに起きる現象だ。はっきり言うとな、お前が引き金を引いたときも、弾が出なかっただけ運が良かったんだ。鉛玉は縁が削れるほどぴったり薬室に収まるからな。少しくらい水が薬室に流れ込んでも、弾が出ることはあるさ」
「なら、おれはベルヌーイに感謝の祈りを捧げとくよ」
言って、カトーはミセス・ホールトンの手から銃を取り、美しい寝顔を眺めた。
「最後までおれを見なかったのが腹立つが、勝ちは勝ちだぜ。ミセス・ホールトン」
ミセス・ホールトンの右目は、父を殺したのと同じ四四口径で、撃ち抜かれていた。
血に濡れた手首には、十本の真新しい切り傷がついていた。
一年につき一本で、十年分。
執念と呼ぶに値する、長い年月――。
――妙だ。
十年前の事件に囚われた女が、父であるレイザーとやらを信奉している娘が、仇とはいえ妻に手を掛けるだろうか。
キングスはエクス・マイアミ最大のギャングだ。どうやって、ボスの女と入れ替わった?
「――おい、ジャック」
「……なんだ? 慰めの言葉なら――」
「誰が言うかよ。ただ、聞きたいだけだ。十年前、レイザーはどこに住んでた?」
誰か、全てを知っている奴がいる。レイザーと娘の存在を知っていて、キングスとキングスのボスの女だった本物のミセス・ホールトン――ジャックの元・女房を知っている奴だ。
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