5.2
カトーは引き抜いたジャックの雷管式拳銃を小さく掲げた。
「ジャック。銃を借りるぜ?」
「……なにをする気だ?」
ジャックの声は、まるで老人のような、しゃがれた声になっていた。絶叫により喉が潰れてしまったのだろう。ほんの少しの間に随分と老け込んだものだ。
「私も聞きたいわね? ミスター……なんだったかしら。グッドマン?」
「安い挑発はやめろって。俺はもう、あんたに一回勝ってるんだぜ?」
「……ああ、なるほど。私が
「そう。おれはジャックをここに連れてきた。あんたの言う来ないってのは、ジャックのことだったんだろ? だったら、おれとあんたは一勝一敗のイーブンだ」
前日、ジャックとジェシカに言った字句そのままだ。そしてそれは、真実だった。一度目の負けを認めさせることもできた。
なら、勝負は次の段階に進めないといけない。
「ジャックはあんたを殺せない。恨みはねぇし、むしろ負い目を感じてるくらいだ。ジェシーもお前を殺しゃしない。どんだけ怒り狂っても、お前の親父みてぇな快楽殺人者じゃねぇからな」
「父は快楽殺人者なんかじゃない!」
ミセス・ホールトンが吼えた。やはり怒りの琴線は父にあるらしい。そして、感情が死んでいるわけでもないらしい。
それなら、勝機はある。煽るだけ煽って勝負に持ち込めばいい。
「おれにとっては、どうでもいい。どうでもいいが、引き分けってのがいただけないんだよ。ミセス・ホールトン」
カトーは進む。薄笑いの鉄仮面を顔に貼り付け、前へと歩く。
「だから、おれと、ひとつ勝負してくれよ」
「私はミセス・ホールトンじゃないし、あなたと勝負してあげる義理もない。断るわ。私を殺すつもりがないなら、帰ってちょうだい。賞金は取り下げてあげる」
「いや、勝負は受けてもらうぜ? おれは賭けに勝ったんだ。色んな奴らが迷惑した。特におれは、大迷惑だったんだからな。オールインで、もう一勝負といこう」
「お金が欲しいなら、ここにあるのをもっていけば? あなたが勝ったんでしょ?」
カトーは首を左右に振った。
冗談ではない。イーブンで終わりなんてのは、勝負師として許せない。
命を賭けて来たのに無視するなんて、カトー・ナカサキとして許せない。
振り返らせる。
必ず、勝負に目を向けさせる。
「まだだって言ってんだろ? 親父と一緒でイカれてんのか?」
つまらなそうにしていたミセス・ホールトンが、弾かれたように顔を上げた。
「……パパはイカれてない。訂正しろ。パパはママと私のために、仕方なくあんなことをしてたの。もう一度言うわ。訂正しろ」
「あんたが勝ったら、訂正してやる。おれが勝ったら、賞金は丸々いただきだ」
「どう勝負するって言うわけ? ここに賽子はないわよ?」
「ちゃんと持ってきたんだけどよ」
カトーはポケットから賽子ふたつを指に挟んで取り出す。後ろに放った。賽子が床で弾んだ。微かな水音。目を向けさえすれば、出目も分かるだろう。
だが、カトーは、
「残念ながら、失くしちまった」
ジャックの銃の撃鉄を
「だからこいつが代わりさ。ちょいと特殊な賽子でね。中には弾が二発並んで入ってる」
「……ロシアン・ルーレットをやろうっていうわけね? でも、私が勝ったらあなたが死ぬだけじゃない。訂正したことにはならない」
「いや、なるね。俺が死んだら、死をもって詫びたのだと、先に宣言してやろう。ジェシーと、ジャックが、おれの発言の証人になる」
ジェシカが真剣な目をしてカトーの顔を仰ぎ見る。止めるつもりだろうか。じっと顔を見つめたまま、黙って立ち上がった。
カトーはそれを了承したものとみなし、汗ばむ手で銃把を握りなおした。
「さぁ、どうする? 受けるか、ミセス・ホールトン」
「……いいわ。受けてあげましょう。あなたが死んだら訂正したと受け取りましょう」
イカれてるな。
そう、カトーは思った。血縁者を大事に思う気持ちは、カトーにもある。面映ゆさもあって前面に押しだすなんてできないが、いつだって意識してしまう。
しかし――、
父の名誉なんていう形而上の存在でしかない代物と、自分の命を、天秤に掛けたりはしない。
もし、そんなことをすれば、それこそ、親父も爺様も怒り狂うに違いない。
カトーは弾倉に沿わせた手を、勢いよく弾いた。弾倉が音を立てて回りだす。
賭けるなら、デカく。自分の命だけでなく、全員の運命もベットする。
真鍮色の雷管キャップが残す光跡を目で追って、カトーは撃鉄を起こした。弾倉がピタリと止まった。
カトーは銃口を自らのこめかみに押しつけた。
ひやりとした感触に怖気を覚える。クラップスで大金を賭けて賽子を振るときも躰は強張るものだが、比べ物にならないほどスリリングだった。
「最初の勝負はあんたが先手後手を選んだ。今日はおれが先だ。いいだろ?」
「好きにしなさいな。頭が吹き飛ぶところを――」
ジン、と硬質な音が響いた。
答えを待たずに引き金を切ったのだ。
ジェシカが顔を歪める。ジャックの襟をつかみ、引き起こした。
ジャックの死人のようだった目が、カトーの姿を見た途端、生気を取り戻す。
すぐにカトーは撃鉄を起こした。
ミセス・ホールトンの顔に幽かな動揺が見て取れる。口がわずかに開いているのだ。
間を置かず、揺さぶる。
カトーはすらりと銃口を向け、言った。
「いちいち投げ渡すんじゃ面倒だからな」
「待っ――」
引き金を引いた。
弾は出ない。
ミセス・ホールトンが一歩下がって、机にぶつかった。カトーが撃鉄を起こす。
ジェシカの瞳が、不安そうに揺らいだ。ジャックの目が、カトーとミセス・ホールトンの間で往復する。
もう、銃口はカトーのこめかみに当てられていた。
「これで二巡目だ」
くぐもった金属音が鳴った。
元より白いミセス・ホールトンの顔から血の気が引き、青ざめていく。
机から飛び出していた帳簿の端を、水滴が伝う。
カトーはさらに追い込もうと、敢えてミセス・ホールトンに猶予を与えることにした。
四発目の銃口は、ゆっくりと向ける。緊張させる。焦れた瞬間を狙おうというのだ。
「これで四発目。次は三分の二で弾が飛び出すぜ? 下りるか?」
「お、下りるわけないじゃない。私は――」
小さな水音と重なり、撃鉄が落とされた。
弾が出ることはなかった。
四発。四発とも、狙い通り薬室は空だった。
「……ッフ。フフフ、フハ、アハハハハハハ!」
ミセス・ホールトンは狂ったように笑いだした。さも可笑しそうに、また勝ってしまったというように、あるいは最後の最後でやはり負けてしまったとでもいうかのように嗤った。
好きに嗤えばいい、とカトーは口角を吊った。
本当の勝負は、もう少し先に待っている。
「また私の勝ちね、ミスター・グッドマン。それで、どうするの? 私を保安局にでも連れていく? それとも殺すのかしら? 賭けに負けた腹いせで? ああ、あなたが私を殺す必要は無いわよね。そこの女の子、ジェシカって言ったっけ? あなたが私を殺してみる? 私は別にそれでもいいわよ? それともグッドマン! あなた、ちゃんと死んでみせる!? 勝負師らしく、死んでみる!?」
そう叫び、ミセス・ホールトンは腹を抱えて、カトーを、ジェシカを、ジャックを嗤った。そしてまた、自分の悪運を嘲笑っているようだった。
随分と饒舌になったと、カトーは内心でほくそ笑んでいた。待ち受ける余裕もないまま命を賭けさせられてきたのだから、当然のことだ。
緊張が極限に達したまさにそのとき、勝利を確信する。博徒が求める興奮のほぼ全ては、そこに集約するのだから。
ようやく、勝負に持ち込めた。第二関門突破だ。
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