4.7

 ファランクスが構えるミウラ折シールドに当たった火炎瓶もどきは、どごん、と床に落ちた。

 破裂せず、割れもせず、口から青白い火がついた舌を出し、カトーを挑発しているようですらあった。


「あぁ?」

「高い酒の瓶は固いんだろ!?」


 以前、本人の口から言われた言葉を投げ返し、ジャックは照星を瓶に向けた。


「それに同志イワンは食らった側だ!」


 引き金を切った。弾は瓶を正確に撃ち抜き破裂させる。中に残る酒が飛び散り、運良く燃えるハンカチに引火した。酒であるゆえに糖分が混ざり、粘度も高い。炎がそこら中に広がる。

 しかし、所詮は酒だ。

 炎の温度は著しく低く、床をなめるように広がった青い炎は、ファランクスを数歩だけ後退させたにすぎなかった。


 ――そう。後退したのだ。


 ファランクス隊は素早く後退しようとしたのだろう。通路を塞ぐ盾の内、右側の一枚は引き摺って下がらず、持ち上げたのだ。

 ジャックは一瞬だけ露出した足先を見逃さなかった。

 一発。最も酒瓶に近かった右足、そのつま先に命中した。痛みのせいで右足が引かれて盾が傾く。左足が露出した。親指で撃鉄を起こサミングし、足首を狙う。


「がっあぁぁぁ!」


 撃たれた男の叫び声を聞くより早くしゃがみ込む。怒りを込めて降り注がれる弾雨をやり過ごしつつ、ジャックは言った。


「よくやった! これで一人だ!」

「どこがいいんだよ! 俺は一気に終わらせようと思ったんだ!」

「いいから時間を稼げ! リロードする!」

「リロード!?」


 何を考えてるんだよ、悠長な。

 レッグポーチからフラスクを取りだしたジャックは、本当に悠長に弾倉に火薬を注ぎ入れている。どうやって時間を稼げというのか。

 カトーは目の奥の痛みで、視界が真っ赤に染まっていくような気がした。


「ああくそ! 一張羅だってのによ!」


 ジャケットを脱ぎすて、背中を守る防弾テーブルに引っ掛けた。


「次は何する気?」

「向こうが古代ギリシャ式なら、こっちは古代ローマ式だ!」


 再び開いたライターに火を灯し、ジャケットの裾に差し向ける。

 少し腰を浮かせて足を曲げ、ジェシカに叫んだ。


「テーブルを押せ!」

「よく分からないけど分かった!」


 呆れ顔をしていたジェシカだが、出された指示には従った。

 『ときたま』のグッドマンが現れた。そう考えたのかもしれない。

 ジェシカは短く息を吐き出し、テーブルに背中を押しつけた。倒してしまわないように重心を低くとり、足を伸ばす。

 床にこすりつけられた分厚い防弾テーブルが盛大に鳴いた。ブタの悲鳴に似ていた。

 話を聞いていなかったのか、テーブルが滑った拍子にジャックが転びかけた。弾を一発取り落としたようだ。まだ一発しか再装填を終えていない。


「なにしてるんだ!?」

「時間を稼いでるんだよ!」


 なにをバカなと言わんばかりに、ジャックは鉛玉を薬室に乗せて弾倉を回転、ラマーを押し下げた。パッチを仕込む時間もグリスを塗る余裕もない。ようやく二発。全弾装填するには時間がいくらあっても足りない。連鎖爆発チェーン・ファイアが起きたら運が悪かったと諦めるしかないだろう。

 弾雨の中、再びテーブルが動き、止まった。


「でぇっ! いってぇぇぇんだよ! クソが!」


 その悲鳴に、ジャックとジェシカは弾かれたようにカトーに顔を向けた。

 カトーのシャツが、左肩が、赤色に染まっていく。

 とうとう弾丸がテーブルを貫いたのだ。

 焼けるような痛みとはよく聞くが、それほど熱は感じなかった。

 ただただ、痛い。それが正直なカトーの感想だった。

 

 顔を歪めたジェシカが「大丈夫か」と聞いてきた。まさか心配されるとは。

 ジャックが歯を食いしばりつつ、ラマーを押し下げていた。冷静すぎて、逆にムカつく――いや、あるいは心配しているからなのか。

 カトーは痛みを堪えてテーブルを押した。死ぬほど頭にきていた。


 一張羅だって言っただろうが!


 力が上手く入らず、ジェシカの押す側がわずかに前に出る。

 カトーは足を滑らせ、尻餅をついた。

 ヤバイかもしれないと顎を上げたカトーは、煙と、弾と、涙で滲んだ視界の奥に、ベルヌーイが差し出す救いの手を見た。


「スプリンクラーだ!」

「はっ?」「なんだと!?」

「ジャック! あれを撃て!」


 カトーは天井に据えつけられた円盤型の出っ張り、そのすぐ近くにある丸い穴を指さした。火災報知器である。

 ジャックは困惑顔をしながらも、火災報知機を撃った。

 途端、やかましいベルが鳴りだし、スプリンクラーが顔を出した。目をもたない水の女神は、健気にも、起きてるかどうかも分からない火災を鎮めようとしたのだ。


 世界の崩壊後、ホテル『ジャグラーズネスト』には、新たな火災報知器が採用されていた。新たなる澄風に対する恐怖からか、従来の熱感知と煙感知に加えて、衝撃感知もついた最新型だ。

 また、キングスは田舎のギャングといえども周辺地域ではトップにあり、彼らを象徴するホテルには貴重な水も優先的に引かれていた。それも、生活用水としてだけでなく、耐火、防火のために使用できるほどに。

 結果。

 スプリンクラーは恵みの雨をペントハウスに降らせた。


「うぉっ!? クソ! 火薬が!」


 ジャックの叫びを聞き、カトーはやっちまったかもと思った。しかし、悪いのは今どき雷管式拳銃なんて骨董品を使ってる未開人ロートルである。そう考えることにした。


「なに!? 雨!? 家の中で!?」


 そんなジェシカの叫びを聞いて、なにを可愛いことを言ってんだ、とカトーは思った。ずっと内陸部のド田舎で生活していたのだから仕方もないが、これが終わったら世の中ってものを教えてやるべきかもしれない。

 頭の後ろで、がちゃがちゃと金属音がした。

 弾が続くかぎり、そして銃が動くかぎり降り続けるはずの銃弾の雨が、止んでいた。

 カトーは唇の両端を引き上げた。


「ジェシー! 出番だ! 奴らの銃はジャムってる!」


 ジャムっている。つまり、動作不良だ。

 呆けたようにスプリンクラーを見つめていたジェシカは、待ってましたとばかりに、可愛らしく微笑んだ。何もできずにボコボコ撃たれるばかりで、頭にきていたのだろう。


 ジェシカは山刀を強く握りしめ、テーブルの陰から飛び出した。

 収まりつつはあるが、煙がひどい。加えて天井から降る水飛沫で、視界は最悪だった。左目を瞑り、バイオニック・アイを赤外線サーマルに切り替える。通路にあふれる煙がコンクリの粉塵とガンスモークだったのは幸いだった。並べられた盾、そして奥に身を隠す男の姿、青から赤までのグラデーションで手に取るように分かる。

 敵が気付いたのか、銃らしきものが動いた。


 しかし、弾は飛んでこない。代わりに金属質な擦過音がした。

 散々っぱら連続射撃させられてきた彼らの銃の銃身は、水飛沫で急冷却され、曲ってしまったのだ。開いたボルトは閉まらず、力任せに動かそうとしてもビクともしない。

 武器を失った集団に、ジェシカは真正面から駆け込んだ。


「わんみししっぴ」

 

 まず、盾に隠れた男の喉を薙いだ。やたらと練習させられたせいなのか、興奮していたせいなのか、なぜかカトーに教え込まれた時間の数え方を呟いている。

 銃持ちが慌ててナイフを抜いた。ジェシカの目が見逃すはずもない。


「とぅー」先に、両足から血を流して寝ている男の腹に、山刀の切っ先を押し込んでおく。「みししっぴ」


 横から突きだされたナイフをしゃがんで回避。


「すりー」思い切り太股を切り上げる。「みししっぴ」

 

 残り一人は拳銃を抜こうとしていた。


「ふぉー」ジェシカは切り上げた勢いで躰を捻り、俯いた男の頭を目掛けて振り下ろす。「みししっぴ」


 ど、と男たちが倒れた。通路をバイオニック・アイで見通し、敵性気配の有無を確認する。


「ふぁいぶみししっぴ、で準備万端」


 ジェシカは首をかくんと傾げた。何かがおかしい。


「できあがりだっけ?」

「どっちもあるんだよ。焼き物と煮物は分けて考えろって言ったろ!」


 ジェシカが左目を開けて振り向く。カトーが顔をしかめて立っていた。


「一度に言われても覚えられないってば」

「そうかよ。だからメシが上手くならないんだ。……まぁ、食えりゃいいけどな」

「俺はどうせ食うなら美味い方がいい。よくやったぞジェシー」


 言いつつ、ジャックも立ち上がる。濡れそぼった拳銃をホルスターに戻した。

 それを見て、ジェシカは言った。


「ジャック? 拘りはどうするんだっけ?」

「分かってる。だからしまったんだ」


 ジャックは転がる死体からハンドガンを抜き取りベルトに挟んだ。

 カトーは焼け焦げてボロボロになったジャケットを肩に担いで、首を鳴らした。


「さぁ、ミセス・ホールトンにご対面といこうか」

 

 ずぶ濡れ、血塗れのカトーは、顔に薄笑いをはりつけた。

 痛みは酷いが、顔を歪めたら勝負に勝てない。

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