4.3

 壁にかけられた時計の振り子が五往復した頃、応接室の扉が再び開いた。

 ジャックに負けず劣らずデカい女、その背後に隠れるブラッドリー。女には見覚えがない。右手にM一九一一を握りしめ、割合とがっしりとした骨格で、濃いめの化粧をした美女だ。

 が、目鼻や顎まわりの形が左右対称に整いすぎている。おそらく整形――いや、骨格から作り変えているのだろう。

 女はボソリと呟いた。


「なんだ、やっぱりグッドマンもタマナシじゃないか」

 

 おいおいマジかよ、とカトーは片頬を引きつらせる。


「……お前、まさか、イワンなのか?」

「そう。リュウが死んじゃって、俺は一人になった」


 妙に悲しげな声音である。だがイントネーションの間抜けっぷりは変わらない。


「なんで性転換してんだよお前は! てかお前、全身改造したのかよ!」

「だってボスがタマナシって言ったから!」

「違うだろうがバカが! 俺はお前もタマを狙われてるかもしれんから変装しろと言ったんだよ! 俺がタマを切り取れなんていうわけないだろう!」


 ブラッドリーが腹を揺らして、涙目のイワンをどやしつけた。

 ジャックとジェシカは顔を見あわせ、ほとんど同時に首を振った。


 そして。


 およそ一月前に起きたコトのあらましを聞き終え、ブラッドリーはソファーにふんぞり返った。そのまま天井に向かって煙を吐き出す。


「お前の話は、まぁ分かった。随分な賞金かけた割にキングスの連中がのんびりしてやがったのも納得だ。てめぇらの親玉はホテルの最上階にでもいたんだろうからな」


 ブラッドリーは躰を起こし、葉巻の灰を応接テーブルに置かれた灰皿に落とした。


「それで、俺に何をしてほしいんだ? グッドマン」

「なんだよブラッドリー、いつのまにそんな話が分かる奴になったんだ?」

「いつの間にもクソもねぇ。長年ついてきた部下はやられる。カジノで稼いだはずの金もお前が持ち逃げしたとかいう。残った部下に念のため顔を変えろと言ったら性別ごと変えてきやがる。死にたくもなったが、あの世の婆さんが怖くて自殺もできん」


 よくある下らないジョークに、ジェシカは口を真一文字に結んだ。だが、目だけはごまかせないらしく、笑いをこらえているのが丸わかりだった。

 カトーは葉巻に手を伸ばした。


「それで聖者の列に加わることにしたわけだ。おれの意図が伝わって良かったよ」

「フン。イワンのバカが洗いざらい報告してきたよ。気が付いたら内ポケットに二〇〇〇ダラーも詰め込まれてたってな」

「二〇〇〇ダラー!?」


 部屋の中を見て回っていたジェシカが頓狂な声をあげ、カトーに詰め寄った。


「アタシには『もうこれが限界だ』とか言って一五〇ダラーしか払わなかったくせに、自分に追い込みかけてた金貸しの手下に二〇〇〇ダラー!?」

「おい、後にしてくれ! 会ったばっかの頃は信用できなかったんだよ。カタがついたら倍付以上で払ってやるから、それで勘弁してくれ」

「そう言う話じゃ……いい。もういい。いまさらだしね。一五〇で契約したんだし」


 言って、話を続けてとばかりに手をひらひら振った。

 イワンを呼びつけたブラッドリーは、カトーの葉巻に火を点けてやるよう促した。


「なんだグッドマン。半年の間に随分大人になったじゃねぇか」

「ああ、おれも同意見だよ。ジェシーと話してると大人にならなきゃって思うからな」


 ジェシカが顔も向けずにカトーに中指を立ててみせた。

 ブラッドリーは葉巻を咥えたまま鼻を鳴らした。鼻息で千切れた灰が宙を舞った。


「それじゃ話を戻そう。俺に何をしてほしくて二〇〇〇ダラーもイワンにもたせた?」

「ひとつ目はもうやってくれただろ? あんたなら理由が聞きたくておれを生かしたまま捕まえたがるはずと思った」

「気づいてたんなら、さっさと戻ってくればよかっただろうが。お前が戻ってきたら賞金を取り下げて、それで終いだ。あとはゆっくり奴らの足元を狙えばいい」

 

 カトーは背もたれに体重を預けた。足を組み替え、身振り手振りを交えて話を続ける。


「保険だったんだよ。あんとき、おれは同じように他の客にも狙われてるんだと思ったからな。で、飛び出してみたら生死問わずの賞金額がデカすぎたらしくてな。このおっさんくらいしかマトモに話を聞いちゃくれなかった」

「ふん。デスハンド・ジャックだっけか」


 ブラッドリーはジャックの女装姿をつま先から顔まで眺めた。


「俺はあんたに賞金がかかってるって話は、聞いちゃいないがな」


 ジャックは肩を竦めただけで、何も答えなかった。


「とにかくだ、ブラッドリー。おれはもう一度ミセス・ホールトンと勝負がしたい」

「バカも休み休み言え。賞金をそっちのジャックと――ジェシーだっけか? に払ってやって、全部忘れちまえよ。足りない分は俺が融通してやる」

「バカを言ってるのはそっちだよ、ブラッドリー」


 カトーは応接テーブルに足を投げ出し、口に含んだ煙を吐き捨てる。


「大人になったのはいいが、丸くなられちゃ困るぜ。元々二人しかいねぇ手下でも、大事にしてた手下だろ? 殺されたまんまでいいのかよ?」

「……いいか悪いかの問題じゃない。どうやって攫われたことになってるミセス・ホールトンを引きずり出すのかって言ってんだ」

「ジャックがおれを捕まえて、あんたに引き渡したことにする」

「なに?」


 イワン以外の人間が、カトーに訝し気な目を向けた。

 当然だ。

 カトーはこの瞬間まで、頭で考えてきた計画を誰にも話さなかった。


 元々は一人で勝負を挑む計画だった。負けた借りを返して、ついでにリュウの弔い合戦をしてやる。その程度の考えしか持ち合わせていなかった。

 しかし、逃走の途中に賞金稼ぎ狩りに怒るジェシカに出会う。彼女が望むなら、という条件で手伝ってもらうことにした。次にジャックに出会い、事情を聞いたら随分と根の深い話らしいと知った。だったら自分の勝負の後でいいならと条件をつけ、計画に組み込んだ。


 元より、カトーは勝負師である。

 それも重いベットを好む、向こう見ずハイローラーだ。

 自分とブラッドリーだけでなく、ジェシカとジャックの人生が絡む勝負を用意できるなら、それを選択しないはずがない。カトー自身の勝敗に他人が人生を賭ける。


 こんな面白い勝負が他にあるか?


 それは、クラップスでシューターを務める時と、まったく同じ構図でもあった。


「ブラッドリー、あんたが、賞金をジャックに払ったことにして、連中に商談を話を持ち掛けるんだよ。生死問わずの三十万より、生け捕りのはした金を選んだ賞金稼ぎだぜ? 元・嫁さんなら気づくだろうよ」

「ああ、このジャックは、私のジャックだわってか?」

「ミスタ・ブラッドリー。俺の女房はそんな喋り方はしない」ジャックが言った。

「ああそうかい。そいつは失礼したな。知ったことかよ」


 ブラッドリーのふざけろと言わんばかりの態度に、ジャックはブタという評価を取り下げたことだろう。ブタにしては下品すぎる。

 カトーはジャックをなだめようと、葉巻をイワンにもってこさせた。


「怒んなよ、ジャック。ブラッドリーは頭にきてんのさ。まだ勝ち分をもらえてねぇからな」


 カトーの言葉に反応し、ブラッドリーは目を輝かせて葉巻を灰皿に押し付けた。


「……お前、わざわざそれを口にするってこたぁ……」

「もちろんだよ。手伝ってくれたら、キングスからあの日の勝ち分、全部いただこうじゃねぇか。なんせ向こうは狂言誘拐で支払いを渋ったんだろ? キングスなんて名前は吹っ飛んじまう。どうする? やるか?」


 しかし、ブラッドリーは、この期に及んで尻込みしているようだった。


「まずは計画を聞いてからだよバカ野郎。どうせロクな計画じゃねぇだろ?」

「いやだねぇ、守りに入っちまってよ。まぁいいさ。いいか? ミセス・ホールトンはここにおわすジャックを殺したいんだ。ジャグラーズ・ネストに『ジャックって野郎がカトーを生け捕りにして連れてきた』って伝える。するとどうなるか」


 ブラッドリーは口の端を下げて、背もたれに体重を預けた。


「まぁ、確かめに来るだろうなぁ」

「ところがミセス・ホールトンは攫われてるから動けない。誰か人を寄越すはずだ」

 

 カトーが口角を釣り上げる。


「そのとき、『ジャグラーズ・ネスト』の守りはどうしたって手薄になる」

「どうしてミセス・ホールトンがその……なんとかってとこにいるって分かるのさ。どっかに旅行に行ってたりしたらどうするの?」


 ジェシカが薄気味の悪い四つ目鹿のはく製をつついて言った。

 カトーは背をのけ反らせ、彼女の素朴な疑問に答えた。


「キングスの連中がこっちに来なきゃ、そうかもな」

「どうしてそうなるわけ? アタシだったら部下に確認させて、それで終いにするよ」

「こんだけ金を賭けて命を狙ってるんだ。そんなあっさりした恨みのはずがない。少なくとも自分の目でジャックが死んだ証拠を見たがるはずだ。」


 ジャックは葉巻を灰皿でもみ消す。


「部下がお使いに来た隙に、俺とジェシーで押し入るわけだ」

「そうだよ、ジャック。ただ、忘れるな。おれを連れてだ」

「問題は――」ブラッドリーは太鼓腹を叩いた。

「俺の取り分はいくらなのかだな。お前の三〇〇〇ダラーの借金からイワンに渡した二〇〇〇ダラーを引いて、あれから一か月と少しだろ?」

「……おい、マジかよ」

「――冗談だよ。お前に吹っ掛けたところで、いくらも持ってねぇだろうが」


 そう言って、ブラッドリーはエサをもらったブタのように高らかに鳴いた。どうやら聖人の列に並んだのは本当らしい。これだけ綺麗なブラッドリーなら、ブタと呼んでもジャックは怒らないだろう。

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