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 カトーの作ったジャガイモ入りチリコンカンの普通すぎる味にジャックがため息をついてから二週間と少し。言い換えれば、エクス・マイアミのギャンブラー、カトー〝ザ・グッドマン〟ナカサキが賞金首にされてから一か月と少し経ったころ――。

 ジェシカの操る双胴の陸舟、空飛ぶ駝鳥号は、エクス・マイアミを目前とした荒地を、足で走るよりはマシ程度の速度で航行していた。


 風が凪いでいるのではない。空飛ぶ駝鳥号の操船を担う船長、ジェシカ・フォルトゥーナ・パラッツォのやる気がないのである。

 同船しているジャック――本人曰くデッドマンズハンドのジャック――との別れが迫っている。それが理由の一割ほど。残る九割は、第六ニューイングンランドを出てから数多くありすぎた、ジャックにまつわるショッキングな悲劇の影響である。


 また甲板上でカトーと向き合う賞金稼ぎのジャックは、苛立たしさを越え、絶望の淵を渡り切り、諦めの境地に達していた。

 理由は、しつこく追いかけて来る賞金稼ぎ狩りを欺くための、変装のせいだ。


 ジャックは、女装をさせられていた。しかも、ここ一週間ほどの間、ずっとだ。

 いい加減に脱ぎたくなっていたが、エクス・マイアミ目前のいま、そうもいかない。そのくせ、船の航行は、どうやらジャックのせいで遅くなっているらしい。

 そして到着が遅くなっているせいで、カトーはテクスメクスやけ酒パーティを開催したくなるほどに苛ついていた。

 結果としてエクス・マイアミ到着直前の空飛ぶ駝鳥号は、


料理上手の不機嫌な青年勝負師が一人、

真顔で女装をしている伝説の賞金稼ぎが一人、

失恋一歩手前にして自身の女子力の低さを嘆く傷だらけの少女が一人、


 そんな、劣悪きわまる環境になっていた。

 少し時間を戻そう。


 まず第六ニューイングランドの騒動から二日後に訪れた街で、一行は賞金稼ぎ狩りに遭遇した。カトーによる『鉄道で北へ逃げたと装おうぜ作戦』自体は半成功といった様子で、現れた賞金稼ぎは一人だけ。それもジャックが睨みつけたら消え失せた。つまり賞金稼ぎ狩りは、完全にジャックを狙って現れたのだ。


 カトーたちは小さな町を半壊させつつもこれを撃退。街を出る際に、ジャックに変装を要求した。ジャックは街の惨状を鑑み、不本意ながらもこれを承諾した。

 しかしそれは、女装だと思っていなかったからこその話だ。


「五〇に迫る中年男に女装をさせるとは、イカれているとしか思えない」


 ジャックの至極真っ当な主張は、笑いすぎて腹筋をつったカトーの、


「誰も予想できねぇなら完璧じゃんか」


 との意見によって、採用を免れなかった。そして実際、上手くいってしまったのだ。


 次に不幸が訪れたのはジェシカだった。

 発端はやはりジャックだ。

 頻繁に、というかほとんど毎日のように出されるカトーお手製の普通で素朴すぎる味のジャガイモ料理群に辟易として、ジャック自ら料理役を買って出たのである。


 結果は、少なくともカトーにとっては、味見するまでもなかった。ペンシルヴァニアで大量に買い付けられたジャガイモは、彼の両親が運営する農場から出荷された芋だったからだ。比喩でもなんでもなく、路傍の石と同じ味がするジャガイモである。

 ジャックは自らの浅はかさを知り、カトーの料理の腕を認めた。

 それがジェシカにとって面白くなかった。


 ジェシカ自身、料理が苦手なのは熟知していた。育った孤児院ではいかにして安くて不味い食事を楽しめる精神を養成するかに心血を注いできたし、陸舟見習いとなってからは船長がすべてをやってくれた。代替わりで自身が船長になってからは、行く先々で保存食を買い込むのが常だ。しかし、一〇年越しに出会えた憧れの人の胃袋をふざけた男が掴むなど、到底認められるものでもなかった。


 ジェシカは、「たまにはアタシが料理を作りたい」と提案し、すでに一度食べたことがあるカトーは「まだ死にたくない」と止めに入った。

 ジャックは紳士的態度を貫くべく、間をとりなそうとした。


「カトー。女が料理を作ったら、とりあえず食って、美味いと言えばいいんだ」


 そう言って、ジェシカの愛情たっぷり手料理を食べたジャックは、二秒も耐えた。その後、もちろん、見事な噴水芸を披露した。

 もっとも、ジャックが嘔吐した原因の大半は調理方法ではなく、独創的な、あまりに独創的な味をしたジャガイモのせいであったのだが――。

 ジェシカの心はあっけなく砕け散り、カトーはまたしても腹筋を粉砕された。


 話はそれで終わらない。

 すっかり気分がお父さんモードに移行したジャックは、ジェシカに提案した。


「カトーから料理を習ったほうがいい。ミス・ジェシーの手料理を食べたら、どんな嫁の貰い手も物理的にいなくなる」


 ジェシカが涙目で拾い集めた心の欠片は、粉になるまで念入りに磨り潰された。


 そうして最後に、カトーを、全ての不幸の皺寄せが襲った。

 つい一週間ほど前まで陽気な口喧嘩をしていたジェシーは恋破れかけて絶望している。操船は注意散漫となり航行日程は遅れる。さらには晩飯がてら料理を教えてやれば、ジャックが見てないところでスンスンと鼻をすするのだ。辛気臭いことこの上ない。だというのに、彼女はありとあらゆる調理を腕力によって解決しようとした。


 剛の花嫁修行者に付き合うのに疲れたカトーは言った。


「肌艶も美しい太もももがあるし、思わず手が伸びそうになる尻があるじゃねぇか」


 口は災いの元。次の瞬間、カトーの目の前でトマトの水煮缶に山刀が突き刺さった。撒き散らされる真っ赤な雫。脅しなのか、缶切りがなかったのか。どちらでもいい。死にはしなかった。


 そして。


 朝日に照らされる甲板では、真っ赤なロングスカートに金髪のカツラを被った不機嫌なジャックが待っていた。胡坐をかいて見せつけられる毛だらけの太股とウェスタンブーツに辟易とする。もはや見慣れて笑いにもならない。

 カトーは鼻でため息をついた。

 ジャックはそれが我慢ならなかったのか、カトーに賭けで勝負をしかけた。


「おいカトー。お前、ベルヌーイってのがついてるのなら、俺に勝てるか?」

「はぁ? 当たり前だろ? 少なくとも長期戦なら負けはしないね。なんせおれは普通の奴らの三回分の――」

「それはもういい。勝負だ。エクス・マイアミまでに、どちらが多く勝てるか」

「……正気かよ? あれだな? おれの話を信じてないんだな? やってやるよ」


 カトーはもちろん勝負に乗った。

 最初の一週間、カトーは勝ち越していた。持っていた賽子ふたつによるクラップス。賞金を懸けられた夜と同じ勝負をして、勝ちまくった。

 虚ろな目で見ていたジェシカが、ジャックへの意趣返しとばかりにカトーの勝ちに賭けてしまう位に勝った。


 勝敗表や出目をメモしていたジャックは目を疑っているようだった。百を優に上回る二人の勝負の行方も、出目も、カトーはたしかに計算上三試行分の出現率を示していた。

 しかし、そこで調子に乗ったカトーは、バカな提案をしてしまった。


「なんなら、カード勝負でもいいぜ?」

「そいつはありがたいな。じゃあそれで頼もうか」


 ジャックはあっさり承諾した。なにせフレンディアナでは――もちろん自嘲をこめてだが――デッドマンズハンドを自称するほど若い連中とカードゲームに興じてきた男なのだ。カトーが人の三倍ほど運がいいからと言って、負ける気はしなかったのだろう。

 カトーは自信満々にトランプを切った。手つきだけは彼も手練れだ。


「どうせなら、少し賭けるか? 安心してくれ、俺は寛大だからツケも認めるぜ?」

「じゃあ、勝った方が何かひとつ命令できるってのは、どうだ?」

「なんだそりゃ? ガキのお遊びかよ。……まぁ、いいけどな」カトーは目を変わり映えしない空に向け、次に女装したジャックに下ろし、薄笑いを浮かべた。

「俺が勝ったら、明日っからは『マーサ・ジェーン・カナリー』を名乗ってもらうぜ」


 ジャックはニヤリと唇の端を上げた。


「いいだろう。お前が勝ったら、明日からカラミティ・ジェーンを名乗ろう。ゲームは……そうだな。それなら、ファイブ・スタッド・ポーカーにしようか」


 ファイブ・スタッドポーカーは、最初に配った一枚を伏せ、二枚目以降をオープンして配り、一枚ごとに下りるか続けるかを選ぶスタイルだ。五枚目が配られるまでに下りなければ伏せたカードを開き、役の強さで勝敗を決定する。


 かつて西部開拓時代の英雄ワイルド・ビル・ヒコックが殺されたときに興じていたルールだと伝えられている。そして、カラミティ・ジェーンは、ワイルド・ビルに憧れていた女の名前でもあった。


「なるほどねぇ。洒落てるじゃねぇか。それでいこう」


 だから、話の分かるカトーが、断るはずもなかった。

 最初の一枚目が配られたあと、ジャックは言った。


「ベット。一日」

「はぁ? どういう意味だ?」

「だから、一日をベットするんだよ。俺が勝ったら、言うことを一日聞いてもらう」

「……なるほどね。いいぜ。コール。一日だ」


 勝負は淡々と進み、四枚目が配られた時点で、カトーの手札は伏せられた一枚を入れて、スリーカードができていた。外から見ればワンペアだ。

 ジャックの手の内では、いくつかの『デッドマンズハンド』伝説のひとつが完成しようとしていた。つまりクラブとスペードのエース、クラブの十、伏せられたダイヤの九――ワンペアだ。

 そこまでに積み上げられたベットは、一週間の命令遵守だった。


「よしカトー、レイズだ。カードを寄越しな。一週間を追加する」

「なんだって? 強気だな。じゃあ俺はそこにさらに一週間加えて、二週間だ」

「コール」


 ジャックは間髪入れずに応じて、カードを引いた。現れたのはスペードの十。見た目にはツーペアで、伏せられた一枚を入れてもツーペアでしかない。

 しかしジャックは、カードの端をつまみ上げて確認し、鼻息とともに伏せた。


 カトーは、ため息を聞き逃さなかった。ばかめ、と思いつつカードを引く。カスだ。だがどうでもいい。本当にデッドマンズハンドを作ってしまったジャックは、驚いて確認したはずだ。つまりは、ただのツーペアだ。

 カトーは先週積み上げた勝利によって、調子に乗っていた。


「オープンだ。スリーカード」


 宣言しつつ、カトーが伏せられたカードに目を落とした瞬間だった。

 聞こえる声が気になりバイオニック・アイで観察していたジェシカは、目撃した。

 ジャックの手の平が伏せたカードを覆った瞬間、袖から別のカードが滑り出た。元々あったカードは表に返す際、袖の下へと吸い込まれていった。

 出てきたカードは、ダイヤのエースだった。


「フルハウスだ。お前の負けだなカトー」

「んな!」


 なにも知らないカトーは、まじまじとジャックの手札を見て言った。


「デッドマンズハンドじゃねのかよ! ……クソっ、もうひと勝負だ!」

「何度勝負してもいいが……これから二週間は、カードゲームだけだ。どうする」

「……は? テメッ! そんなんありかよ!」


 カトーはその日からカモになり、ジェシカは賭ける目をジャックの勝利に変えた。

 しかし、勝敗を自由に操りカトーをカモって溜飲を下げるジャックの姿は、最低にカッコ悪く思えたのだろう。いつしかジェシカは空とメインパネルばかりを見るようになった。

 航行日程は、当初の計画より、すでに三日は遅れていた。

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