3.6

 いくらアタシのバイオニック・アイが万能でも、目に見えるものしか分からない。だから、険しい顔したジャックが、どんな声色で昔話を始めたのかは分からなかった。



 十年前、パレオ・ネバダ――。

 かつてUFOだの宇宙人だのを研究していたとかいう公然の秘密基地があったらしいネオ・アラモで、俺はある賞金首を追っていた。

 レイザー・ブリッグス。もちろん本名ではない。その男は、喉笛を直刃の剃刀ストレイト・レイザーで掻き切るからレイザーと呼ばれていた。罪状は強盗殺人で、字面だけならよくある話だ。


 しかし、数が尋常ではなかった。その日までに殺した数は、関与が確実なものだけで七四人おり、生存者は二六人いた。生存者が多いと思うだろうが、おそらく想像とは違う。生き残ったのではなく、生かされていたのだ。


 生存者はいずれも十歳にもならない少女だった。全身を剃刀で細かく切りつけられていた。しかし、絶対に命はとらない。初期は手元が狂ったのか臓腑にまで傷が達していたこともあったが、その場合は応急手当が施されていた。


 レイザーはまず家族を殺し、金品を奪う。その上で被害者家族に少女が含まれていれば切り刻む。決まって最後には、少女の右目を跨ぐように、縦に二本、平行に傷跡を残していく。その傷だけは常に深かった。動機はともかく、奴の偏執的な残虐行為には、ならず者たちでさえ不快感を抱いていた。


 かけられた賞金額は、連邦保安局と被害者遺族のものを併せて、総額八万ダラーと少しだ。大金である。当然のように、誰もがレイザーの足取りを追っていた。もちろん俺も、その中の一人だった。


 当時の俺は結婚して間もない頃で、まだ若い女房のジェシカのためにも、金はいくらあっても困らないと思っていた。

 また、賞金稼ぎという仕事に終わりはない、とも。


 世界が新たなる澄風によって洗浄されてから、毎日のように賞金首がでた。政府が力を失い国が秩序を失った以上、賞金稼ぎという商売がなくなるはずがない。

 もし終わるとすれば、自分で引退を宣言するときだけだ。


 俺は、そんな風に考えていた。


 手に持つ得物は今と変わらない。六連発の雷管式リボルバーだ。

 弾倉に五発の弾丸を詰め込み、空いた一発の上に撃鉄を安置する。腰のガンベルトに予備弾倉が五個。準備は万端だった。


 俺はレイザー・ブリッグスが潜伏しているという小屋の位置を確認した。俺の親友で、当時は情報屋をしていた、カスパーが見つけだした小屋だ。

 仕掛ける寸前、俺は一人だけだった。移動に使った陸舟すら遥か遠くで待たせ、コトが済んだら呼びつける手はずにしていた。


 理由はふたつ。

 ひとつ目は、せっかくの一〇万ダラーを、カスパー以外に分け与えたくなかったからだ。カスパーはレイザーの情報を集めるために結構な経費を使っていたし、俺は俺で、若い嫁に楽をさせてやりたかった。


 そんな状態だからこそ、俺は慎重に慎重を重ねて行動した。なにしろ雷管式拳銃は殺し合いには向かず、代わりに相手を生け捕りにするのは得意分野だ。

 それが理由のふたつ目でもあった。


 あの日の俺は、レイザーを生け捕りにしようと考えていた。

 かけられた賞金は生死問わずで支払われる。まして相手は大悪党で、生存者も、生存者を引き取ることになった人間も、八つ裂きを願うほど憎んでいた。

 だからこそ、他の数多の賞金稼ぎとは違って、レイザーを殺したくなかった。つまり生け捕りにして、連邦保安局と被害者たちに任せるべきだと考えていた。


 なぜか? 

 賞金稼ぎなんて商売をしていても、俺自身は正義の味方でいたかったからだ。ガキくさい理由かもしれないが――。


 俺の父は元・軍人で、祖父も軍人で、その前も、その前も、ずっと軍人だった。

 だが俺だけは、崩壊の真っただ中に産まれたのもあって、軍を職場に選べなかった。だから、保安官に憧れた。


 しかし当時は、新たなる澄風に無力だったくせに世界を牛耳ろうとした軍人たちは、市民の嫌われ者だった。当然、軍人の系譜に連なる俺にも、市民は冷たかった。

 保安官というのは、上から下へと組織化される軍隊と違って、市民の側から上に向かって組織化される役職だ。まず市民の支持がなければ保安官にはなれない。

 俺の夢や憧れは、簡単に潰えてしまった。


 軍もダメ。保安官もダメ。他に悪党と戦える仕事は、賞金稼ぎくらいしか残ってなかった。無学な俺は、賞金稼ぎに身をやつした。もっとも、賞金稼ぎになればなったで、ならず者の一人にカウントされてしまったけどな。


 それでも俺は当時で二〇年も賞金稼ぎを続け、名前も結構知られたもんだった。殺したくて殺したわけでもないのに、いつのまにやらデスハンドなんて名までつけられたほどだ。俺は他の賞金稼ぎにくらべて、生け捕りにする率が高いってのに。


 だからというのか、そのことを知ってる奴は、俺に期待していた。

 死神の手先デス・ハンドがレイザーを捕まえ、神の御前に突きだすだろう、と。

 俺は、昂ぶっていた。必ず奴を捕まえる。そう市民に誓った。


 レイザーの隠れ家は、砂漠にある数少ない池の、すぐ近くにあった。家の周辺は貴重な緑に覆われていて、そのくせ、突然変異を重ねた野生動物の気配も感じられない。驚くほど牧歌的な風景の中に建っていた。


 よく憶えている。下草を踏みながら歩くのが怖かった。

 相手は何人もの賞金稼ぎに追われながら逃げおおせてきた、凶悪犯だ。ほんの些細な足音すら聞きつけ、逃げてしまうように思えた。


 俺は緊張で乾いた下唇を舐め、両手で包み込むようにして、そっと拳銃を抜いた。どうしたって音が鳴るから、家の近くで撃鉄を起こすのは避けたかった。

 不思議なもので、太陽はガンガンに照っているのに、暑さは全く感じなかった。緊張していたのか、レイザーを捕まえる正義の味方って想像をして興奮していたのかもしれない。


 俺は、ほとんどすり足で家に近づいた。

 ジメっとした木の壁は、ときおり吹きつける水臭い風に晒されていた。そのくせポーチは埃っぽくて、足を乗せたら小さく軋んだ。舌打ちしそうになった。

 足を動かすのを止め、家の中の気配を窺う。

 物音がした。話し声も聞こえる。だが話しているのは一人だけだ。


 しゅりしゅり、しゅりしゅり、と奇妙な音がしていた。

 何度か繰り返し鳴り、止まり、少し間を置いて、また鳴りだす。どこかで聞いたことがある規則的なリズムだ。

 どこで聞いたのだろうか、と記憶をたぐった。すぐに気づいた。床屋バーバーだ。髭剃りを頼まれた床屋のオヤジが、革砥に剃刀を擦りつけるときの、あの音だ。


 レイザーは、仕事道具の手入れをしている。

 俺の緊張の糸は限界近くまで張り詰め、口に溜まる唾を飲み込んだ。無意識的な動作だったからか、骨を通じて聞こえた喉の音が思いのほか大きくて――、


 俺は焦った。

 剃刀を研ぐ音がしなくなっていた。

 時間がないと思った。喉の音を聞かれ、逃げられたかもしれない。ありえない。しかし奴ならばやりかねない――。


 焦りと戦いながら、静かにドアノブを回した。細く開いた扉。蝶番がやかましく騒がなかったのは僥倖だった。

 俺は拳銃を顔の近くに寄せて両手で握りなおし、極悪人の住処に立ち入った。


 正直、拍子抜けするほど平和な家だったよ。

 廊下の床板はワックスをかけて丁寧に磨かれ、少女の小さな肖像画が壁にかけてあった。扉の隙間から見えるダイニングテーブルには、白い花が活けられた花瓶まである。どこからどうみても、田舎の、ごく普通の民家だった。

 しかし、廊下の先だけは、異様な気配に満ちていた。


 賞金稼ぎを長くやると分かってくる。咎人はある段階を超えると、獲物に飛びかかる直前の獣のような気配を隠せなくなる。その気配は普通の人々は察知できない。野生の勘というか、獣の気配を感じるには、自らも獣になる必要がある。そして当時の俺は、間違いなく獣の類だった。大物と呼ばれる連中より中途半端な奴の方が、よほど見つけ難いくらいだった。


 俺はレイザーが家の奥にいるのを確信した。銃把の感触を確かめ、廊下を一歩だけ進んだ。

 他に獣の気配はない。慎重を期すべきだ。

 そう思い、俺は開かれたままの扉を覗き込こもうとした。

 瞬間、小さな悲鳴が聞こえた。

 俺の頭の中で、悲鳴と剃刀を研ぐ音が繋がった。


 少女がこの家にいる。


 そして――、


 切り刻まれている!


 俺は足音など忘れて駆け出していた。急がないと、名も知らぬ少女の右目が、抉られてしまう。隠れ家は街から遠い。陸舟を使っても医者がいそうな街まで一時間近くはかかる。早く助けだしてやらないと、失血死もありうる。そうなれば、またどこかで家族が涙を流すことになる。


 早く、早く、早く! 早く助け出さないと!


 俺は廊下を突っ切り、扉を蹴破った。

 同時に、冷静さを欠いて走った自分を悔いた。

 照星越しに見たのは、血まみれの少女を盾に、銃口から身を隠すレイザーだった。


 レイザーは、まったくもって普通の男のように見えた。少々痩せてはいるが、どこにでもいそうな、農家か、あるいは牧童としか思えなかった。年は三十路手前というところで、尖った頬骨が印象的だった。しかし目だけが、爛々と輝いていた。


 その一方で、少女は酷い有様になっていた。すでに右目は潰され、縦に二本の切り傷があった。腕にも足にも大量の切創。場所によっては皮下脂肪すら見える。かろうじて残されいた左目から、涙が流れて落ちた。

 俺は銃を構えたままレイザーに言った。


「その子を離せば、お前を殺さないでおいてやってもいい」


 レイザーは首を伸ばして、血で汚れた少女の頬に、顔を寄せた。

 撃つなら今しかないと、俺は思った。


「天国に行こうね」


 レイザーの声がした。少女は小さく頷いたように思えた。奴の左手が少女に顎をあげさせ、細く真っ白い喉笛が露わになった。躊躇いなどなかった。


「行くのは、お前だけだ」


 銃声が部屋の空気を震わせる。額に〇.四四インチの穴を開けたレイザーは、後頭を破裂させた。少女の躰を手放して、子供用ベッドに倒れ込んでいった。

 ガンスモークが、部屋に立ち込めていた。


 少女はすでに失血状態だったのか、力なく膝を折り、その場に崩れ落ちた。

 俺は撃鉄を起こした。動かないレイザーに銃口を向けたまま、すり足で少女に近寄った。しゃがみ込んで、喉に触れる。


 とくん、とくん、と弱いながらも脈打っていた。


 俺は緊張の糸を張ったまま、立ち上がった。

 仰向けに倒れているレイザーの目は、見開かれたままだった。一見すると、血と共に力も抜け落ちているように思えた。

 だが、油断して首を掻き切られたら、元も子もない。


 俺は奴の右手から血の付いた剃刀を取りあげ、手首に触れた。

 レイザーは死んだ。

 俺は撃鉄を下ろして、額の汗を拭った。


 ――それでなぜ引退を決めたのかって?


 銃をホルスターにしまって少女を抱きあげたとき、耳元で囁かれたんだ。


「おじさん、なんでパパを殺しちゃったの?」


 俺はなんて答えたのか、憶えていない。



  *



 そこまでで、アタシはバイオニック・アイでの盗み聞き――というか、覗き聞きをやめた。あまりにも悲しい思い出話で、それ以上は覗いていられなかった。

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