3.5

 渡された地形図を頼りに仮停泊地に向かうと、巨大なクレーターがあった。

 まるで大きな爆弾でも落ちたような穴が重なりあってできているらしい。周辺には崩壊前に立てられたビルの瓦礫や廃墟が段状に連なっている。教えられていた固定周波数を発信すると、すぐにビーコンの返答があった。


 穴と周辺の瓦礫に注意しつつ信号を辿っていくと、クレーターの中ほどまで続く、半ば人の手が入ったスロープに出た。そしてその先に、かなり立派な倉庫――いや、廃墟があった。横倒しになってしまったビルだ。


 新たなる澄風が吹いたとき何があったのかは分からない。でも、建物の基礎にダメージを受けたビルが、滑り落ちたのだろう。その後、時が過ぎ、雨が降り、土砂が流れ、横倒しのまま安定した。そして今では、内陸部と東海岸をつなぐ中継地点となった。

 

 ――全部想像。実際にどうしてそうなったのか、安全なのかも分からない。


 アタシは適度に風を逃がして速度を落とし、周囲を警戒しながら近づいていった。

 バブ爺の知り合いを疑いたくはない。けれどアタシは東海岸ではよそ者だ。それに、彼らが知らない間に野盗や危険な原生生物が住みついた可能性もある。

 瓦礫の間を抜ける風音は野盗の息遣いに聞こえ、陸舟の通ったあとに響く幽かな物音は獣の足音を思わせる。知らない土地では、心配しすぎるということはないのだ。


 ちらっと見ると、ジャックもちゃんと周囲に気を払っているようだった。一歩街を出れば、危険地帯だ。そんな状況でも手の平の上でサイコロを遊ばせるカトーは、実は大物なんじゃないかと思う。多分、一時の気の迷いってやつだろうけど。

 いずれにしても、街以外の場所で夜を一回飛び越えるのなら、やらなきゃいけないことがある。すごく単純で、とても大切で、それさえしとけばゆっくり眠れる。

 

 さぁ、安全確認クリアリングだ。

 マストを畳んだ陸舟を建物に押し込み、キーを抜く。

 安全確認に行くのはアタシ一人。誰が行くか選ぶとき、迷いはなかった。

 

 まず、カトーは陸舟の傍に置いていくしかない。

 カトーは役立たずな上に足手まといで、連れて行っても役にも立たない。でも彼は料理上手で、一度食べると、ついもう一度頼みたくなるご飯を作る。だからカトーの居残りは、今日までの、そして今後の道中でも決して変わらない選択だ。


 もちろん、彼を守りたいわけじゃない。

 アタシにしてみれば前金だけでも十分な額をもらっているし、元を正せば賞金首で同情の余地なし。陸舟の船長としても賞金稼ぎから守ってやるのは職務の外だ。


 しかもアタシは、エクス・マイアミのミセス・ホールトンが賞金稼ぎ狩りの犯人なんだと、すでに知ってる。カトーを守ってあげる利益も、後金を除けば他にない。だからカトーは居残りになるのである。他に理由はないはずなのだ。うん。


 次にジャックだ。今回に限っては彼にも陸舟の傍で待っていてもらうしかない。

 できれば一緒に行きたいけれど、そうはいかない。ジャックの得物は拘りの詰まった前装式の拳銃だ。いつでも撃てる弾丸は、すでに残り三発まで減っていた。可能な限り速やかに、再装填をすませなくちゃならない。そして求められる安全確認は、それを待ってはくれない。


 懸念されるのは陸舟を盗まれることだけど、鍵は抜いていくから心配いらない。となると残る問題は、船をあれこれ調べられるかもしれないってことだけだ。

 アタシは、ひとつ、ふたつ、みっつと考えて、諦めた。


 見られて恥ずかしいのは、メインパネルに張った写真と、普段の野営で寝泊まりしている陸舟の貨物空間カーゴに貼られた写真だけ。

 ……あと写真に書いてたかもしれないLとOとVとEの文字列だけだ。多分。

 自信はないけど、命には換えられない。

 そう思ったアタシは、張り切って安全確認に出た――のだけれど、拍子抜けした。


 周辺には、生き物の気配すらなかった。

 もちろん倒れた建物内をあちこち歩き回ったし、持参した鉤付きロープを使って登ったり、降りたり、元は窓で現在は天井の割れガラスを超えて屋外も検索した。

 その頃には太陽はすっかり隠れていて、空にはポツポツお星さまが浮かんだ。


 当然、アタシは左目を瞑ってバイオニック・アイを起動し、暗視した。

 やはり生き物はいなかった。

 取り越し苦労に、ため息ひとつ。でもこれは我慢できる苦労のひとつ。

 アタシは足取り軽く船まで戻った。そして同時に、いつも澄ました顔して無茶ばっかりいうカトーの奴を、脅かしてやろうと思った。


 そのためには、ジャックが邪魔だった。いや、ジャックがいるのは嬉しいし、邪魔だなんてとんでもないけど、カトーを脅かしてやるには邪魔だったのだ。

 気づかれてしまうだろうか。気付かれたら笑われるだろうか。


 なんだかいつもよりふわふわした月明かりの下で、抜き足差し足、そろそろと気配を隠して歩く。わざわざ少し遠回りして音と気配を拡散してみたりして。陸舟から少し離れた位置に突き刺さってた雑貨店の看板に身を潜ませたりして。

 アタシはバイオニック・アイでズームをかけて、二人の様子を窺った。

 カトーとジャックは、陸舟のすぐ近くで焚火を囲んでいた。


 これまでそうしてきたからか、カトーは鍋を火にかけている。黒くて分厚くて重たい鋳鉄の鍋だ。フレンディアナに立ち寄らされた際に購入した、ダッチ・オーブンとかいう調理器具である。カトーが言うには、荒野を動き回るようなアタシらこそ使うべき道具なんだとか。ダッチ人とかいう生き物についても語っていたけど、そっちの方は憶えてない。

 ともかくカトーは、その万能調理器具で、夕食を作ってくれているのだ。


 ジャックの方は、大きめのレッグポーチから色々取り出し、銃の手入れをしている。

 そんなに色々持ち歩いてたんだ、と言いたくなるほど、あれこれ出てくる。ナスみたいな形の袋に、細くて小さな金属棒、布、青いキャップの小瓶、などなど。


 カトーが布バッグに手を入れ、チリパウダーの瓶を取りだした。ノーメックスの耐火手袋をはめて蓋を開け、これでもかとばかりに振っている。しっかりズームをしていれば、舞い散る赤い粉まで見えたかもしれない。

 ジャックの眉が歪んだ。口が開く。

 アタシはバイオニック・アイの推測機能も起動し、二人の唇を読みはじめた。


「おい、カトー、なんだその手に持ってる瓶は。それに、この匂いは」

「なにって、チリパウダーだよ。こいつがないと話にならないからな」

「……なにを作っているのか、聞いてもいいか?」

「おいおいおいおい! おっさん! 聞くまでもないないだろうがよ! 芋と、豆と、トマトの水煮とひき肉を入れたスープに、チリパウダーだぞ? 分かんだろ?」


カトーの唇の動きを目で追いながら、アタシは思わず笑ってしまった。今日までうんざりするほど――本当にうんざりするほど聞いた言い回しである。

 続く言葉は、


「テックス・メックスだ!」テックス・メックスだ!


 アタシの口から、ふひ、と変な笑い声が出た。ジャックには聞かせられない。

 頭を振って気を取り直し、観察を再開する。

 ジャックはアタシも何度かしたように、手の平で顔を覆って、夜空を仰いだ。


「……勘弁してほしいな」

「なんでだ? 嫌いなのか? テックス! メックス! 最高の料理じゃねぇか。我らがアッムェェェリカァ、が誇る、サイッコーに美味い料理群のひとつだろうが!」

「テクスメクスをアメリカの料理というかね? カトー、意味わかってるのか?」

「もちろん分かってるさ。認めたくねぇが、オレは農家の息子なんだよ。我らが愛すべきかどうか微妙な隣人が作った料理を、俺たちがパクった料理だ。美味いぜ?」


 カトーの言い分はともかく、料理の腕の方は本物だと思う。

 『ときたま』の他に、『料理を作る』グッドマンも、とってもいいやつなのだ。

  正直に言えば、カトーはギャンブラーなんて似合わない商売はやめにして、ぜひ旅人の胃袋を満たす食堂をやるべきだと思う。それだったらアタシも通うと思う。


 なにせ旧ペンシルヴァニアの田舎町であまりの安さに買い込んでしまった、口に含んだだけで目眩を覚え咀嚼するたび吐き気を伴うジャガイモを、普通に食べられるように調理してしまうのである。まさに神技ってやつなんである。

 カトーの声に苦笑したジャックは、ナスみたいな形の袋の注ぎ口を指で押さえて逆さにし、戻してから、銃の弾倉へ差し込んだ。何の儀式か分からないけど、中身は多分火薬だ。


「それじゃ聞こう。お前のご先祖様は極東の島国に住んでたって知ってるか?」

「ああ、当たり前だ。知ってるぜ? おれは親父の親父のそのまた親父に教えられたね。なにが極東だよバカ野郎、って言ってたよ」

「――なんだって?」

「だから、『なにが極東だよバカ野郎』、って言ってたんだよ。『喧嘩にゃ勝ったが俺らが怖いんだよ腰抜けどもめ。だから一番遠くにいることにしたいんだアホどもは。性根が弱いんだこの国は。お間抜けのビビリ屋なんだ』とかなんとか、よく言ってたな」

「……お前の爺さんは、イカれていたのか?」


 カトーは眉をぴくりと跳ねて、鍋から引き上げた杓子をジャックに向けた。


「その点に関しちゃノーコメントだ。イカれてないって言ったら、おれの頭と品性が疑われちまう。だけどもおれは、口が裂けても、身内をくさすようなことは言わない」


 ほんとに家族のことが好きだな、カトーは。普段は一言も口にしないのに。

 まぁ生きてる家族を大事にするのはいいことだから、その点に関しては評価してあげてもいい。きっといまのカトーは、『ときたま』のグッドマンになっているのだ。

 ジャックは唇の両端を下げ、少し大きなパチンコ玉みたいなものを、弾倉の上に乗せた。あれが多分、弾丸だ。実物は初めて見たけど、ホントにただの鉛の玉らしい。


「言ってるようなもんじゃねぇか」

「いや、違うね。論理はともかく、おれにはひい爺さんの言いたいことがよく分かる。丸い地球の上で極なんとかって呼んでも、原点をどこに取ったかって意味しかねぇのさ。要するに、そう呼ぶことで誰かが納得したかったって、それだけなんだ」

「ほう? なるほど? つまりはこう言うわけだ。『ナカサキ一族は時計を捨てた』」


 さすがに時計は使うと思うよ、ジャック。農家だし。

 カトーは、つまらない冗談だな、と言わんばかりに杓子を宙に泳がせた。


「おれの話をちゃんと聞いてたのかよ? いいか? 新たなる澄風で世界は洗われちまったし、海は濁ったきりで誰も外に出られないんだ。おれから言わせりゃ、『みんなで決めた時間をみんなで守ろう』なんて発想、意味がねぇんだよ」

「だからお前の国は極東じゃないってのか? バカバカしい」


 ジャックは弾倉を回して、銃についてる棒を力任せに押し下げた。この作業は知っている。弾を薬室に押し込む、意外と力がいる作業だ。

 カトーはふいにジト目になって、杓子で鍋の縁を叩いた。


「視点が大事だって言ってんの。いいか? おれらが住んでるこの星の直径は約一万三千キロメートルで、円周は約四万キロメートルあるんだ。今おれから一番遠く離れてる人間は誰だかわかるか?」


 カトーは杓子を振った。トマトソースの飛沫がジャックの顔に飛んだ。


「あんただジャック。おれとあんたの間の直線距離は約二メートルさ。だが、おれはあんたに背を向け、地平線に言う。『よし、こんだけ逃げれば大丈夫だぜ』ってな。そういうことだよ」

「……ヤード・ポンド法で言え」

「……ああ、クソ。だから崩壊前世代プレアポカリプスは嫌なんだ。――ひい爺さん以外はな」

「俺はそこまで爺じゃない。崩壊中世代アポカリプスだ。崩壊後世代ポストアポカリプスの方が分からんよ」


 ジャックのツッコミには耐えたのに、最後の愚痴でアタシは吹き出してしまった。バブ爺と同じだ。それを言ってしまったら、お爺ちゃんの仲間入りだよ、ジャック。いつまでも『男同士のひみつの会話』ってやつを盗み聞いているのも悪い気がして、アタシも夕食前の団らんに加わろうかと思った。

そのときだった。

 カトーが、重大なことをジャックに尋ねた。


「その崩壊世代のあんたが、引退したきっかけは?」

「……しつこいな。どんな理由でもいいだろう」

「よかないね。なんせ、ジェシーに偽名を使ってたんだ。協力者としちゃ、理由が知りたいもんだよ。裏側を隠し続ける奴は信用できないからな」


 アタシも知りたい。


「お前が言うか。お前だって、本名は彼女に言ってなかっただろ?」

「おれは通り名を名乗っただけさ。あんたはおれには名乗って、ジェシーには名乗らなかった。どう考えたって、意味が違うんじゃねぇのか?」


 カトーがしたり顔でそう言うと、ジャックは深くため息をついて、話を始めた。

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