1.3

 熱狂。そんな単語を知っていても、実際にどんな状況を示すのか知っている奴は少ない。鉄火場に戻されたおれは、まさにその中心にいた。


「カムアウト・ロール」


 ディーラー側のチンピラは射殺さんばかりの視線をおれに向け、レーキを取った。赤いクリスタルガラスの賽子が、おれの前に突き出される。

 本日二十七回目のシューターだ。一度負ければ賽子を振る役シューターは別の奴に回る。そうなれば傍観者にしかなれない。同時に、ベルヌーイも力を貸してくれない。


 しかし、おれは、勝ちまくっていた。


 客の誰もがおれの勝利を信じてベットする。スティックマンが別の奴を指定しても断られる。勝ちが積もったところで負けの率が上がるわけではない。

 勝ちに勝って、ディーラーをイラつかせ、客を熱狂に巻き込む。

 俺はさらに観客を煽るため、周囲に群がるギャングを睥睨した。


「おれの賽は、いつだって勝利を示すんだ」


 呟きが取り巻きの声を一層大きくさせる。おれは賽をつまんだ右手にスナップを利かせた。手放した賽子は緑のラシャが張られたバンクにぶつかり跳ねて――。


「ウィナー」


 ディーラーの苦々しい宣言でに応じて、周りが叫ぶ。

 賽子の目は、ナチュラル――つまり三と四、合わせて七の勝利を示した。ベルヌーイのご加護はかかってないが、勝利は勝利。会場の熱はさらに高まり、勝利にベットした客にも配当がつく。ブラッドリーも大満足で、イワンのばかとリュウの阿呆も小遣い増やしてご満悦。高まる信頼は次のシューターもおれだと示す。


 対してディーラーは面白くない。苦虫噛み潰すどころの騒ぎじゃないらしい。場の管理者であるボックスマンが中の一人に耳打ちした。すぐに走っていった。

 おれはそれを横目に見つつ、賽子を受け取った。


「まだまだ勝つぜ、今日のおれはさ」


 言って、投げつけてやる。今度は観客たちが小さなため息を漏らした。

 出た目は五と一の六で、ポイントだった。以降は同じ数字か、七が出るまで続く。

 観客たちの声が高い。シリーズが始まっただけだってのに、おれが勝つと確信しているらしい。暢気なもんだと思いはしても、六なら余裕でおれも気が乗ってきた。


 おれが賽子を持つと、案の定ブラッドリーは三のゾロ目ハードラインに多額を賭けた。イワンとリュウも続いて、観客は六と八に分かれて賭けだした。

 この一体感もクラップスの醍醐味のひとつだ。他の客たちと一緒になって、ディーラー側をぶっ潰す。これが楽しい。どいつもこいつも、おれを英雄のように崇め奉り、勝利を願う。期待に応えてやる。脳には強い快感が迸る。

 おれは賽子ふたつを手に取って、観客たちオーディエンスに宣言してみせた。


「俺は超えるパスするぜ? ベットは終わってんのか?」


 ディーラーは喚く観客たちに睨みを利かせ、おれに賽を振るよう促した。


「おれにはベルヌーイがついてんだ。負けたところで勝つんだよ」


 薄緑の柔らかいラシャの上をサイコロが舞う。バンクにぶつかり宙高く。落ちて二回、三回と転がって、上を向いたその目は――。


「スリー、ダブルス」


 三のぞろ目。俺の勝利だ。歓声は火の粉が飛んだ火薬樽のように爆発した。

 賽子を引き寄せたスティッカーが観客を見回し舌打ちした。ディーラー側らしからぬ態度だ。ディーラーなら、いつだって淡々と勝負し続けなければならない。それができないのなら、そいつはもう敗者の側になる。


 おれは煙草を咥えて、自然と上がってくる口角を押さえこんだ。いまの時点で二二六六ダラーを稼いだ。端数は切り捨て。倍率を丁寧に考えて賭けていけばもう少し勝ちは積めたが、いまさらだ。おれは我らがベルヌーイ神と同じく、勢いとか流れってもの自体を、氷の入った安っぽい合成ウィスキーの次に嫌う。

 だから賽子ふたつを指三本でつまみあげたら、こう宣言する。


「パスラインに五〇ダラー。ついでに宣言しよう。出目に同額でオッズ賭けだ」


 俺を取り巻く観客たちが「強気だな」だの「イカれてる」だのと喚きだす。

 それを見ていたブラッドリーは、調子に乗っているのか四〇〇上乗せしやがった。

 バカが。しくじったらそいつはお前の責任だからな。


 おれはオーディエンスを睥睨して煽るのを忘れず、サイコロを放った。出た目は四。観客たちの中には舌打ちをする奴もいた。しかし、おれはそんなことをしない。

 さすがにゾロ目を狙うハードラインには賭け足さないが、カムベットに積まれた一五〇ダラーが光って待ってる。三回分のおれが二回振る、つまりは六回分で、約一一パーセントの出目が約五〇パーセントとなる。


 おれが振った賽が出した目は――残念、九だ。

 サイコロがおれの元に戻ってくる。次に振るのが四を狙った第三投、常人で言ったら九投目になる。勝率は約六十四パーセント。


「イージー・シックス」


 ディーラが一と五、合計六を宣言した。と、同時に、


「きた! やったよ! イワン!!」


 と、リュウがもろ手を挙げて叫んだ。どうやらビッグシックスに張ってたらしい。


 ――バカだ。


 ビッグシックス及びビッグエイトは七の次に出やすい目だから、配当も低くカジノ側の控除率も高い。まぁ盤面上じゃ派手に六と八が書かれているから、素人だったら賭けることもあるだろう。けれど慣れてる客は絶対にそこには賭けない。

 じゃあ何故リュウがベットしたのかというと、イワンのバカに従うだけだからだ。イワンが先にチップを置いて、後からリュウがそこに乗せるというだけ。


 他の客たちは間抜け二人がどんな賭けをしていようが興味はないし、ブラッドリーからすれば二人が給料を使い果たしてくれれば、恩着せがましくタダ働きさせられるってわけだ。


「リュウ、後で一杯、奢ってくれ」とイワンが言って、

「ボス! イワン! いっぱい奢るよ!」とリュウが答える。


 アホが。お前、二○パーセントは資金を目減りさせてんぞ。

 それにいま賽を振っているのはおれ。一番出やすい目は四になっている。言い換えれば、イワンとリュウは、いまの勝利でもっと儲かる次の目を見逃したんだ。

 しかも二人は、今度はプレースベットの五に賭けた。なんでだよ。

 おれはこみ上げてくる可笑しさに頬を緩めた。狙っているのは四だけだ。


「オッズ。ハードフォー」


 言いつつ、百五十ダラー分のチップを投げる。

 ディーラーが鋭い目をしておれを見た。今日は負けに負けているから当然だ。追い出したくなってきた頃合いだろう。間髪いれずにブラッドリーが言った。


「オッズ、フォー」


 置かれる四〇〇ダラー分のチップ。ベルヌーイを信じていないのなら、本気かよ、と言いたくなるような賭け方だ。一般人の年収で言えば約三年分を一回のダイスロールに賭ける。たまらない興奮を味わえる。台の下で見えねぇが、ブラッドリーの一物はいきり立ってるに違いない。

 おれは押しやられてきた賽子を手に取った。伸ばした手が震えそうだ。無理もないさ――けれど、こいつがたまらないんだ。


「おれにゃ、ベルヌーイがついてんだ」


 賽子を対岸のバンク目掛けて投げつける。ぱしん、と跳ねてラシャを転がる。

 観客の視線が賽子に集中する――、

 四だ。二のゾロ目。ハードライン。


「フォー。ハードフォー」


 ディーラーがため息交じりに言った。

 観客はほとんど喊声と言ってもいい熱狂に包まれた。

 その場だけで普通の奴の年収でおよそ二〇年分。とんでもない額が飛び交っている。


 そりゃもちろん、本当に金があるハイローラーなら、こんなもんじゃないさ。ホエールなんて呼ばれる頭のイカれた奴らは桁ふたつは大きい。けれど、おれは借金を取り返すために鉄火場に立っていたんだ。すでに十分釣りつき、いま帰ったっていい。


 でもまぁ、特別な夜なら別だろう。

 ミセス・ホールトンが勝負をしかけてくるまで、夜は続く。

 なんて思ったその瞬間に、ドカドカ足音鳴らして、店内のおっかない連中密度が倍化した。

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