1.4

 鉄火場に入ってきたのは『キングス』の兵隊さんたちだ。どいつもこいつも喪服みたいな真っ黒いスーツ着こんで、左肩が僅かに下がっていやがる。

 対しておれを含めた客はみんな丸腰。店に入る前に武器は全部没収されてる。

 まぁリュウはベルトのバックル裏あたりに暗器を仕込んでるんだろうし、イワンのばかはうすらデカい肉体だけで凶器になりうる。


 そのとき、『キングス』の兵隊たちがモーゼのつくった道のように割り開かれた。まさしくモーゼの如く歩いてきたのは、絵に書いたようなアウトローな男だ。シカゴアウトフィットでも気取っているのか上等なスーツを着ていて、リトルハバナで買いこんできたであろう太い葉巻まで咥えている。

 おれは直感的にアホだと断じ、ディーラーに言った。


「ほら、賽子よこせよ。いまおれに波が来てるんだからよ」


 周りにいた全員が、目をかっ開いておれを見た。

 ディーラーなんか、眉間のあたりをピクピクひくつかせていた。


「あんた、勝ちすぎてるみたいだな」


 ボスらしき男の言葉に、ブラッドリーが口を開いた。


「つまり、今日はここらでお開きってところか?」


 その一言で、男が一瞬怯んだ。明らかに立場は向こうの方が上なのに。ブラッドリーのD&Dに出てくるブタ人間じみた恰幅の良さが、威圧感を生んだのだろうか。

 いずれにしても、相手に隙を見つけたブラッドリーは強い。ケチな高利貸しでもギャングはギャングで、振り返ると同時に宣言した。


「じゃあ俺の清算だけは先にすませてもらおうか? 嫌とは言わねぇだろう? キングスのボスともあろう方が、そんな無茶をいうはずがねぇ。そうだよな?」


 つい最近、街の近くで二〇人を処刑したギャングのボス相手に、えらい啖呵を切ったもんだ。テーブルに残した右手が真っ白になっていなけりゃ、完ぺきだったと褒めてやってもいい。

 そして完ぺきなのは、キングスのボスらしき男にしたって同じだった。


「額が大きい。帳簿につけて、後日清算してくれ。もう十分楽しい夜を過ごしたろ?」

「――ああ、なら仕方ねぇか。これだけ稼がせてもらえればもう十分だ」


 くそったれのブラッドリーめ。ジャケットの襟を正して振り向いた。


「それじゃあ俺は帰るとしよう。お前ら――」

「はいボス」「ボス」


 イワンとリュウが、秒の間もなく言った。こいつら二人は本当に。なにも考えずにボスに従いやがる。まぁ前時代の遺産のような街と、腐った海と、あとは内陸に向かって広がる荒野しかない世界では、大事な才能なのかもしれないが。

 生憎、おれはそんな才能を持ち合わせていなかった。


「何してんだよ? ほら、賽子をよこしな」


 その瞬間、せっかくおれが温めてきた場に、新たなる澄風が吹いた気がした。

 ボスらしき男は真っ白い歯を見せ笑った。


「渡してやれ。そいつとの勝負だけ続行する。他のお客様はここで終いだ」


 観客たちは、おっかなびっくり記帳し、撤収し始めた。

 おれは惨めな後姿を横目で眺めて、新しい真っ赤な賽子ふたつを受け取った。こちらを見つめるディーラーの目が、まだ振るなと言っている。普段だったらおれはパスラインに賭け、とっとと投げていただろう。

 しかし、投げられなかった。


 緊張していたわけじゃない。ギャングに怯えてやるほどケツの穴は小さかねぇ。

 待ってたんだ。

 真っ赤なドレスを着た、色っぽい未亡人――ミセス・ホールトンを。


 足音は、右奥のスタッフオンリーと書かれたロープ柵の方から聞こえてきた。スティレットの高い踵が木床を叩き、男たちが道を作る。

 おれはクラップステーブルの端、丁寧に油の引かれたハンドレストに片肘ついた。


「やっぱり。オッサンがボスだとしたら、威厳がちっと足らねぇと思ってたんだ」

「飲み物は何にするのかしら?」


 声色はまるで変わっちゃいない。いや、もしかしたら少々熱を帯びているかもしれない。その熱がこの後を思っての熱ならどんなにいいか。

 おれは手の中で賽子を遊ばせた。ふたつの賽がこすれて軋んだ。


「あんたの選んだものなら何でもいいよ」

「嘘ばっかりね、あなた。本当の話はできないのかしら」


 言って、ミセス・ホールトンは、おれの手元に琥珀色の液体が入ったショットグラスを置いた。漂う甘い香りは、さっき頼んだダックウィードよりやや強い。もう少し年数がいったものを用意してくれたらしい。


「それで、どんな勝負をするんだ?」

「クラップスが得意なんでしょう? だったら、昔ながらのやり方でやりましょうよ」


 ミセス・ホールトンは悠然とテーブルを回り込み、ディーラー側についた。


「この勝負のディーラーはあなたで、交互にサイコロを振る。そんなのはどう?」

「変わったルールだ。どこらへんが伝統的なルールなのか教えてほしいね」

「元はハザードって名前だったらしいわよ? つまり、やるか、やられるかの決闘ね」

「それにしちゃあ、ファーストシューターが有利すぎないか?」

「一投目で勝利できたらね。まぁ私は、このゲーム、一度も勝ったことがないけど」


 ミセス・ホールトンはブラックオニキスのような瞳を輝かせ、テーブルを指先で叩いた。賽子をこっちによこせ、とでも言うかのように。

 その身震いしそうな瞳を見ながら、おれは七よ出ろと念じて賽子を投じた。

 ふたつの賽子はテーブル上でひとつ弾んで壁にぶつかり、小さく跳ねた。

 ミセス・ホールトンが少し身を乗り出して覗き込む。


「あら、いま七を出しても仕方ないじゃない」

「俺には神さまがついてるって言ったろ? それで、掛け金だけど――」

「ああ! 忘れてたわ!」


 ミセス・ホールトンは賽子に伸ばしかけた手を引っ込め、黒服の一人に合図した。


「あなたに賭けてもらうのは、今日あなたが挙げた勝利、全部よ」


 語尾にハートマークでもついていそうな声色と、少女のような笑顔のセットだ。

 おれの脊髄には電気がバシンと流れ、脳に到達するより早く唾を飲み込んでいた。


「それで一晩が買えるなら安いもんだ」

「まさか。そこまで私は高い女じゃないもの。あなたが勝ったら私をあげるし、お金も倍付であげるわ。あなたが望むなら、本当のキングにもしてあげる」

「願ってもない話だけどよ。自分を安売りするもんじゃないよ、ミセス・ホールトン」

「安売りなんかしてないわ? これはハザード。あなたにとっては一世一代の大勝負」


 言いつつ、ミセス・ホールトンは黒服からカクテルグラスを受け取り、こちらに掲げた。おれは霜がつくほど冷えたショットグラスを同じように掲げた。


「いい勝負をしましょう?」

「もちろん。いい夢をみさせてやるよ」


 おれとミセス・ホールトンは、同時にグラスを空にした。喉が焼ける。腹の底でくすぶっていた火種に燃焼材が投入されて、おれの目はきっと爛々と輝いていただろう。

 そしてミセス・ホールトンも、ようやく本性を現す気になったらしい。


「それじゃあ、勝負は、単純に。私は負ける方ドント・カムに賭けるわね?」


 そういや、ミセス・ホールトンは一度も勝ったことがないと言っていた。

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