1.2

 おれの話を静かに聞いてくれてた美女は、こう言った。


「それなら、あなたは、なんで借金を背負う羽目になったの?」


 ごもっとも。普通の男だったらぐうの音も出ないだろう。しかし、おれは違う。ベルヌーイの信徒だから、同じ台詞を言うにしたって、他の男の三倍魅力的になる。だったら強気で攻めるのが勝負師の使命だ。

 それに、ついさっきまで勝ちを積んできていて、懐だって温かい。


 なぜなら、おれはそのとき、鉄火場にしばらく立った後だったからだ。

 街は同じくエクス・マイアミで、ブラッドリーの指示に従い裏路地をふらふら歩けばたどり着く、照明と経営者の経歴と客層が薄暗い店だ。

 半月型のタワーホテル『ジャグラーズ・ネスト』の地下二階。カジノバー『ダウンウォッシュ』。いまどき店名を印刺した紙マッチを置いてる珍しい店さ。


 ただし、おれがいるってことは強烈な賭場であり、ブラッドリーが紹介したからには保安官に黙認されてて、経営者は敵対してるか、それに準ずる。

 ブラッドリーがカモると決めたそいつらは、『キングス』って名乗っていた。ホテルとカジノバーの経営者で、いま怒り心頭になってもいる。


 その証拠に、おれの背中にはキングスの殺気づいた視線が絡みついていた。肩越しに覗けば獣の群れだ。けどまぁ、飼い犬よろしく首輪もついてる。

 たとえばそれはブラッドリーで、イワンとリュウの監視だ。


 ともかく、いまは勝負の波間で、おれはもうじき鉄火場に戻らなきゃならない。

 つまりいまを逃せば、ヤクザな店に出入りする肌理細やかな白肌をした黒髪妙齢の美女なんていう、いまどき人体改造のひとつもしてなさそうな絶命危惧種と会話する貴重な機会が、損失されてしまうというわけだ。


 またプロポーションがいいんだ。

 胸は豊かに膨らみ、細腰は折れるほど強く抱きしめてやりたくなる。深紅のスティレットを履く足は、ついでで紹介するには失礼だとすら思った。

 おれはインターバル中に口説き落として、あわよくばそのまま、と考えていた。

 彼女はおれが黙っていた借金に興味を示しているから、勝機も十分。


「ねぇ、さっきから自分は好き勝手に話しておいて、私の質問は無視するわけ?」


 おれの左隣に座っていた女は、呆れているかのように片肘をついた。

 長々と語った成果あり。とうとう女のふっくらとした唇に笑みが乗った。

 おれは真っすぐ笑顔を見つめ、渾身のキメ顔を作った。


「やっとこっちを向いてくれただろ? そしたら、君の目にやられちまった」


 最高級の口説き文句だ。いままでこれで落ちなかった女は……山ほどいたが、星の数ほどになる前には成功するはず。おれには、ベルヌーイがついているから。


「私が聞きたいのは、そんなクサい台詞じゃないわよ? あなた、大ボラ吹きなの?」

「口説いちゃいるけど、嘘吐きじゃねぇよ」

「それなら、私の質問に答えてもらえる? なんであなたは借金まみれになったの?」

「些細なことに拘るってのはいい兆候だね。おれに興味が湧いてきた証拠だ」


 完璧なタイミングでの挑発だ。ノッてきたとこで煽られると大抵の女は拗ねる。その時点で第二関門突破だ。あとは動いた感情のベクトルを陽極に向けてやればいい。

 やったぜ。そう言ってやりたいくらいの完璧な食いつきだった。


 おれはバーテンダーを呼びつけ、『ワイルドグラス・ダックウィード』を頼んだ。

 バーテンダーは、左眉上から飛び出た強化プレートを固定するためのボルトのせいか、せっかくのバーボンを先細りのテイスティンググラスで出してきた。せっかくローレンスバーグの地で着けられたワザとらしい甘い匂いも、とりあえず喉を焼けばバーボンなんだろって感じの雑なキックも、全部が台無しになっちまう。


 おれは品性が足りない一杯を胃袋に流し込み、「次はショットグラスでくれ」と言い添え、美女の真似して片肘ついた。


「どうにもだめだね、この店は。酒については何も分かってねぇらしい」

「ギャンブルの合間に一杯飲めるだけマシよ、ギャンブラーさん。質問に答えて?」


 女は背筋が凍っちまうような薄笑いを浮かべてた。けれど、目だ。目が違う。

 黒い瞳の奥にはそこらのスレた女ではなく、百年ほど遡らなければ見つからない、草原で踊る少女がいた。右の眉毛を分断する縦二本のラインが玉に瑕だが、傷ひとつない玉に比べりゃ深みもある。

 おれは遅れて出てきたショットグラスに口をつけ、同じものをふたつ頼んだ。


「おれにはベルヌーイって神さまがついてるって言ったろ?」

「えぇ。確率の神様だっけ? それとも統計学の神様だったかしら」

「確率の神様さ。彼の名前を冠した聖典もある」

「女に数字の話をして喜ばれると思っているのは、面白いわね」


 彼女はテキーラ・サンライズを頼んだ。自ら足元を揺るがすカクテルを頼んでくれたのはありがたい。混ぜられているテキーラは荒野にうねり立つサボテンを使った紛い物だが、本当に足にクるんだ。


「簡単にいえば、おれにはベルヌーイに供物をささげる義務があるのさ」

「供物? 供物ってアベルとカインが神に捧げたとかいう、アレのこと?」

「それで正解だ。ただ正確にいえば、おれが捧げるのはアベルの方だ」

「つまり、お肉ってこと?」


 女は困ったように頬を緩めた。のイントネーションが可愛らしくていい。

 おれは三つ並んだショットグラスの左端を取り、一口に呷った。


「そう、肉だ。より正確に言えば、命がけの供物がいるんだよ」

「たしかに、おっかない借金取りに追われてるみたいね」


 女はおれを睨み続けるイワンとリュウに、痺れるような流し目を送った。羨ましい。


「でも、それじゃ答えになっていないわ」

「そうかい? なら簡単に言おうか。おれは勝ちすぎた夜は勝負をしたくなるんだ」

「勝負? 賭け事で、ってことなの?」

「もちろん。ベルヌーイがおれに囁くんだよ。『次も勝てる』ってな。神様が言うんだったら、オール・インするしかないだろう?」

「それで借金取りに追われる羽目に? そんなことで大金を失ったわけ?」


 女は下らないとでも言いたげに笑い、カウンターに置いていたおれの手を撫でた。

 おれは手を引き抜いて、上になるのはどちらか伝えた。


「なに、大した金額じゃあないんだ。おれにはベルヌーイがついてるからな。単純な理屈だ。返還率が五十パーセントを超えるなら、負けた額の倍を賭け続ければいい」

「『汝、神を試すなかれ』。聖書が好きなのに覚えていないの?」


 女は手を引き抜き、テキーラ・サンライズを飲み干した。


「でも、あなたにそんな悪癖があるなら、私もあなたと勝負をしてみたいわね」

「いいね。どんな勝負をお望みなんだ? 言っとくが、今日のおれは強いぜ?」


 手応えありにもほどがある。もう確実に女をモノにしたと思った。

 女は、おれの前に並ぶショットグラスの最後のひとつを手に取った。


「今日の最後、私があなたに挑戦するわ。そのとき私が勝ったら、あなたは私のモノになる。もしあなたが勝ったら、私はあなたのモノになる。どう?」


 願ってもないチャンス。話がうますぎやしないかと一瞬だけ警戒もした。

 とはいえ人差し指をつままれ、優しく撫でられてしまった。もう断れない。

 おれは女の手を取り、傷ひとつない白い肌に口づけた。


「先に言われちまったら断れないよ。ミス――?」

「ミスじゃないわ。ミセス。ミセス・ホールトン――まだ、ね」


 そう言って、女はおれが頼んだはずのバーボンを一息に呷った。

 おれはミセス・ホールトンの瞳に頭をやられていて、血の匂いに気付けなかった。

 だからそのまま、ゲームに戻った。

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