第5話 4

 彼は私の帰りを待っているだろうか。とうに授業は終わり、窓からの眺め、校門を出る生徒の中から、いない彼の姿を目で追ってしまっていたことに気づいて、そんなことを考えた。

 白亜の校門は茜色に染まって、背筋を伸ばしてやって来た生徒も、猫背になって家路につく。

 一刻も早く彼の元に帰りたい私が、なぜこんなに学校に長居してしまったのか。

 それは、朝見た彼女が私を引き止めたからだった。

 

「純夏〜」

 授業が終わり、終業のチャイムが鳴る。席を立って帰ろうとすると、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

「純夏でしょ? 編集委員」

 振り向いた先には栗色のショートヘア。少し目線を下げるとそこには朝に見た顔があった。先ほどの必死な表情とは違い、少し微笑んで、こちらを見つめている。

「あぁ、あぁ……。そういえば」

 すっかり忘れていた。まあ、覚えていてもバックレる気満々だったが。

「覚えてないよね。私も確認するまで編集委員だって気付かなかったもん」

 少し笑っていて、でも少し申し訳なさそうで、そんな社会で生きていく上で必須な、微妙なフェイスパックを顔に貼り付けて、目の前の彼女に問いかける。

「茜、も編集委員だっけ?」

「そうだよ」

「ありがとう。声かけてくれて。そのままだと多分私、忘れて帰ってた」

 きっと、喉には胸の中から溢れ出た言葉を、真逆に変えてしまう薬品があるのだろう。これまた数多くある社会を生きる上で必要なものの一つだろう。女性の生きてく上での必需品は女性のバックの中の物と同じくらい多い。

「いいよいいよ。じゃあ、いこ」

「うん、うん……」

 そうして私は嫌々彼女についていった。


            ◇


 そんな半数以上来てない委員会を終え、校門を出たのだが、先に帰っていたはずの彼女は校門にいた。

「あ、純夏」

「茜、は帰らないの?」

「んとね、一緒に帰ろーよ」

「いいけど……」

 彼女は私を待っていたようには見えなかった。私がそこにいたから誘った、そんな感じだった。

「誰か待ってるんじゃないの?」

「そんなことないよ」

 これも嘘だとわかる。逸らした目は学校の方を向いている。

 すごく悲しそうな目だ。仲違いした友人か恋人か、そんな感じがする。

「私はいいからさ、待ってあげたら」

 友人か恋人か、そんな知らない彼女の待ち人を気遣って、私は笑顔を向ける。

「うん。そうするね」

 彼女は俯いてそう言った。

「んじゃ、また明日ね」

「そうだね」

 

 校門前で彼女と別れたのだが、もうすぐ家だというところで、後ろから彼女が走ってきた。

「純夏〜」

「あれ、待ってた人はいいの?」

「うん、もう帰っちゃったみたい」

 彼女は嘘がつくのが下手だ。昔からそうだ。その嘘はさほどわざとらしくはないのだが、なぜか嘘だとわかってしまう。人を騙す素質があるなら、彼女はその真逆の素質を持っているのだろう。

「そう……」

「純夏、新しいマンション、こっちなんだね」

 マンションに引っ越したのは数年も前なのに、彼女は『新しい』マンションと言った。

「まあね。駅の方だね」

「へえ。私は電車に乗らなきゃいけないから……」

「そういえば、純夏ってなんで編集委員に?」

 苦笑いが自然と出てしまう。理由なんてないからだ。

「いや、仕事少ないかな、って」

「茜、は?」

「私も、なんとなく。私、一応写真部だし」

「写真部だったっけ」

「幼馴染の部活くらい覚えておいてよ〜」

 そんな他愛ない会話をしていると、朝のことを思い出し、腕についているブレスレットについて聞いてみた。

「そういえば、いいブレスレットだね。それ」

 それを聞くと、彼女はまた、悲しい目をした。一瞬であったが、私の目はそれを捉えた。「そう?」

「うん。綺麗だし、似合ってるよ」

「ありがとう。……ありがとう」

「誰かにもらったの?」

「えっ、いや…… その」

「彼氏?」

「えっ、うん、まあね」

 焦りと困惑が彼女の顔からはっきりと見える。

「いい彼氏だね」

 そう言うと一瞬にして彼女に笑顔が戻った。

「そんなことないよ、この前ね……」 

 彼女の惚気話は駅に着くまで続いた。ブレスレットはプレゼントで実はペアルックであること、この間、映画を見に行ったこと、その他諸々の惚気話。

 私もそれに付き合って、家を通り過ぎてしまった。

「家、この近くなんだよね」

「そうだよ。だけどちょっと買い物していこうかな」

「買い物? CDとか?」

「日用品だよ」

「一人暮らし、大変?」

「少しはね。食材とかも買わなきゃいけないし」

「大変だね」

「まあね。一緒に行く? デパート。まあ、CDとかも見るけど」

 これを機に幼馴染の関係を戻せればいいと思った。今も彼女と話していると自然と言葉が出るくらいには距離感を取り戻しつつあった。

「ごめん。用事があるんだ」

「そう。彼氏?」

 少し残念だったが

「いやいや。違うよ。大した用事じゃないんだけどね」

「んじゃ、また明日ね」

「うん、また」


 私は別れて買い物の為に駅の地下に向かった。

 三十分ほどで終え、再び地上に出たのだが、偶然、目にしたのはビルの谷間でさっき別れた彼女、仁村茜と小太りの中年がキスしている姿だった。

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