6.ideal……理想的な

 最近、シラガミのことをよく考える。

 別に意識しているつもりはないのだが、朝起きてすぐの時とか、登校している時とか、黒板を写し終えた時とか、夜寝る前とか。日々に散りばめられた『なんとなく』の時間が、気付けばシラガミのことで染まっている。

 シラガミと話がしたい。シラガミと手を繋ぎたい。シラガミに抱きしめられてみたい。そんなことばかり考えてしまう。

 もしシラガミが居なくなったら、私の日常は、どれだけの時間が虚無にすり替わってしまうだろうか。そんな恐怖すら覚えてしまう。

 いつからこんな頭になってしまったかなぁ。と、考えてみる。出会ったばかりの頃は、こんなんじゃなかったはずだ。

 シラガミは優しくて、気さくで、かっこよくって、素敵だ。だから、シラガミと同じ時間を過ごすだけで、私はどんどんとシラガミに惹かれるようになった。

 その時間の中で、あえて転換点を。こうなったきっかけを探すのであれば、それはおそらく私があだ名を付けてもらった時だ。今までの私を表した『イナヅマ』という名前をもらった時。

 私は初めて、家族以外の誰かに、自分の存在を受け入れてもらえた気がした。

 それがきっかけで、私はどんどんシラガミにのめり込んでいったのだ。

 ああ、そうだ。私はこの感情から逃げも隠れもしない。できない。

 私は、シラガミのことが大好きだ。



・・・・・・



「だから、ちゃんと数値増えたんだからいいじゃないですかーポイントくださいよー」

「俺も、早く帰りたいんだが」

「そんな簡単なことじゃないんだよ……これは」

 部室の扉を開くと、月島君が私の知らない男子生徒と共に、卯木先生に怒られていた。

「あのー……これは一体?」

「ああ、新妻か。悪いが部室、借りてるぞ」

「はぁ……」

 謎の男子生徒が、私を指差す。

「あっ、ほら!何も知らない人が来ちゃいましたし、この話はまた今度にしませんか?」

「いいんだよ。こいつは私達を知ってる」

 卯木先生が私を親指で差す。

「その言い方……先生、もしかしてこの人……」

 謎の男子生徒に目を向ける。よく見ると、腰にシラガミのと同じ光線銃を差していた。

「ああ。私と同じ、レビウル星人だ」

「……へぇー」

「名前はシリス。よろしくね」

 シリスと名乗った男子生徒は、はにかんで私に手を振った。子犬のように人懐っこい笑顔だ。

 当たり前のことだが、シラガミや先生以外にもいるんだなぁ。宇宙人。シラガミのように白い髪ではなく、ふわっとした黒髪だった。

 珍しそうに彼の姿を眺めていると、彼も私のことを眺めていた。

「ふーん……じゃあ、君が……」

 興味深そうな、彼の視線と私の視線がぶつかる。……私が、何だと言うのだろう。

「話はまだ終わってないぞ」

 卯木先生が、シリスの目線を戻すように言う。

「えー。先生話長ーいー」

 シリスは足を折りたたみ、椅子の上で体育座りをして、不満げに頬をふくらませた。

 月島君は耳をほじって、まるで興味がないという顔をしていた。

 卯木先生に怒られているということは、何か悪いことをしたのだろうか。月島君が同時に拘束されているのが謎だが。

「それだけのことをやらかしたんだよ、お前は。機密漏洩きみつろうえい。それも我が星の技術に関することを……」

 機密漏洩。そして月島君。

「……あーっ!月島君に光線銃のこと教えたの君か!」

 この前、月島君が何でシラガミの光線銃を迷いなく取り扱えたのか。ずっと不思議だったが、その謎が解けた。宇宙人の共犯者が居たのだ。

「ご明察ー」

 シリスは悪びれることなく微笑んだ。怒られるわけだ。先生は呆れてため息を漏らしていた。

「何でそんなことしたんだよ」

「そりゃ、そうした方がいいなって思ったからだよ」

 確かに、結果的には八木さんの才能の開花に繋がった。私達ではできなかったことだ。彼は有能な人間なのかもしれない。

「でも、それなら君自身が君自身の光線銃を使えばよかったじゃないか」

「それだと失敗した時、俺に責任がくるでしょ?」

 前言撤回。こいつは無責任な奴だ。

 そんな中、月島君がしびれを切らしたように口を開いた。

「なぁ。もう帰してくれないか。あんたらに関することは誰にも口外しない。さっきからそう言ってるだろう」

「はいはーい!俺もそう思いまーす!」

「……なら、月島のみ、解放する。お前には指導を続ける」

「えー」

 シリスは目を細め、こともなさげに嘆いてみせた。

「じゃあ俺は帰る」

 月島君が扉を開き、廊下へ去っていった。

 これで、部室内の地球人は私だけになってしまった。

「……というかそもそも、なんでここで説教してるんですか?」

「他の人間に聞かれると面倒だからな。ここは中々都合がいい」

 思えば電科研は、地球人が私一人なのに対し、宇宙人は卯木先生とシラガミの二人。普段から宇宙人の方が多いんだなぁ。この部室。

 そんなことを考えていると、もう一度扉が開いて、シラガミがやってきた。これで3対1である。このままこの部室は宇宙人に侵略されてしまうのではないだろうか。

「おはようございます。イナヅマ先輩」

「おう。おはよう」

「おはよう」

「先生も、おはようございま……」

 シラガミは挨拶の途中でシリスを発見すると、目を見開いて硬直した。

「あっ、アールゴさんじゃーん!おひさー」

「シリス……さん……」

 シリスは、シラガミのことを『アールゴ』と呼んで、椅子から立ち上がって、シラガミの下へ近付いた。何とも馴れ馴れしい距離感だ。

「知り合いなのか?」

「……はい」

 シラガミの返事は、とても苦々しいものだった。シリスを警戒しているような……。

「えー?なんでそんな顔すんのー?こっちでも仲良くしよーよ」

 シリスが馴れ馴れしくもシラガミの肩に手を置く。

「……おい。話はまだ終わっていないと言ってるだろう」

 卯木先生がシリスを再度呼び戻す。

「もー、先生しつこーい。っていうか、機密漏洩ならこいつも大概たいがいなんじゃないですかー?地球人に色々バレてるみたいですけど?」

 シリスはシラガミの肩をぐいっと引っ張り、私の方を責めるように見た。

「なっ、シ、シラガミは君とは違うぞ!あれは私を助けるためで……」

「……新妻の言う通りだ。廃ビルでの発砲の件は、事後承諾だが私が認可を出している。こいつに非はない」

 卯木先生がシラガミをかばってくれた。シリスはつまらなさそうに目を細めた。

「あー……先生って『そういう人』かぁー……」

 シリスはめんどくさそうに頭を掻いたあと、おとなしく先生の命令を聞く態度を取った。

 彼が言った『そういう人』という言葉の意味を私が知るのは、もう少し先のことだ。



・・・・・・



 廊下で茜を見つけたので、恋愛相談をしてみることにした。

「茜。ちょっと相談したいことがあるんだけど……」

「イナヅマちゃぁーん!ウチの話聞いてぇー!」

 茜が私の声をはるかに上回るテンションで相談してきたので、私の相談は後に回すことにした。

「なんだよ。話って」

「えっと、その、テツのことやねんけど……」

 どうやら、茜も恋愛相談をしたいらしい。

「鉄也君がどうかしたのか?」

「その……ウチとテツって、付きうてるんやんな?」

「……そうなんじゃないの?」

「やんなぁ!せやんなぁ!ウチ告白したもんなぁ!」

 茜が前のめりになって私に顔近付ける。

「何でそんなこと私に聞くんだよ」

「いや……何か、付き合ってるって感じがせぇへんねん。距離感とか……今までと同じやし、手ぇ繋いだりとか、キ、キスしたりとかせぇへんし……」

 姿勢を直し、茜はもじもじと恥ずかしそうに指を突き合わせた。何だかこっちまで気恥ずかしくなる。

「そ、それは、そういうのはその、人それぞれなんじゃないの。知らないけど」

「でも、何かもしかしたら、テツは別にそういうつもりじゃないんかも知れへんって、最近思うねん」

「そういうつもりって?」

「だから、その……別にウチと付き合ってるつもりじゃない……かも知れへん」

「ええ?それはないんじゃない?」

「でもやで!?よう考えたらウチ、テツから返事もろてへんし!」

 そう言われて、あの時の二人の会話を思い出してみる。確かに、そういえば鉄也君は明確な返事を返していない。

「ウチもウチで、『お嫁さんになりたかった』……って過去形で言うてもうたし、テツには昔の思い出の話~みたいに捉えられたかも知れへん」

 ……そういう可能性もある気がしてきた。

「前、それっぽいこと言うてみたけど、無視されたし……」

 私が鉄也君にアドバイスを聞きに行った時のことを思い出しているのだろうか。茜はネガティブに、顔を悲愴ひそうに歪ませていく。

「……もっかい聞くで?ウチとテツは、付きうてるんやんな?」

「……分かんない」

「もー!」

 茜は牛のように憤慨ふんがいした。

「どしたらええねん!どしたらええねんこれ!」

 茜は闘牛のようにどたばたと地団駄じたんだを踏んだ。

「直接聞いたら?」

「イナヅマちゃんは鬼か!?もしそれでフられてみぃ!恥ずかしすぎるやろがい!ウチもう立ち直られへんぞ!もう学校行かれへんぞ!」

「うーん。じゃあ……」

「デートしてみたら?」

 その声は、私のでも茜のでもなかった。

 私の後ろから声を発した主は、シリスだった。

「うわっ、君、いつの間に」

「えーと……誰?」

 茜はキョトンとした顔で、シリスを見つめていた。

「俺は利尻リシリスバル。2年1組に転校してきた転校生。シリスって呼んでね」

 シリスは私に見せた時のような、人懐っこい顔で茜に笑いかけた。彼の偽名は、利尻スバルというらしいが、その後に本名を名乗ってしまっている。いいのか?

「俺も電科研の一員だから、イナヅマと一緒に茜の悩みを解決してあげるよ」

「えぇっ!?」

 私は驚いた。

「いや何でイナヅマちゃんが驚いてんねん」

「いや、だって、何で電科研のこと知ってるんだよ!」

「卯木先生から色々聞いたんだー」

「でも、君が電科研に入部するなんて聞いてないぞ!?」

じゃなくて、って名前で呼んで欲しいなー」

 シリスが私に詰め寄る。シリスもシラガミに勝るとも劣らない、端正な顔立ちをしており、そんな顔を間近に持ってこられると少し心臓がはやる。

「……シリスが電科研に入部するなんて聞いてないぞ!」

 私は距離を置きながら、言い直した。

「ん。じゃあ後で入部届持ってくね。それでいいでしょ?」

「いや、まぁ、そうだけど……」

 私が彼の入部を渋るのには別の理由があった。

(シリスが入部したら、シラガミと二人っきりじゃなくなっちゃうじゃないか……!)

「いやぁ、その心配は的外れだと思うなー」

「うわっ」

 私の小声の独り言が聞こえていたのか、またシリスが顔を近付けてくる。

「あいつ、もうすぐだと思うし」

「は?もうすぐ。って、何が……?」

「……まぁ、あいつのことはいいじゃん。今は茜ちゃんの話でしょ?さっきまで付き合ってるとか、いないとか、話してたよね?」

 シリスは顔を離し、茜に向き直ってそう言った。

「それで俺思うんだ。デートすれば分かるんじゃないかって」

「デート?」

「うん。デートに行って、そのテツって人が『そういうこと』をしてきたら脈あり。してこないなら脈なし」

「うーん……せやけど、デートに誘ってる時点で何かもう、告白してるようなもんやんか。断られたらウチ立ち直られへんわ」

「よし。じゃあ誘いやすいように、俺達も一緒に行くことにしよう」

 シリスが馴れ馴れしく、私と肩を組む。

「ひゃあ!?」

「俺達、電科研がさ」



・・・・・・



「……どういうつもりだよ」

 茜と別れ、シリスと二人で部室へ向かう。

「どういうつもりって?」

 シリスは記入済みの入部届をひらひらさせてそう言った。

「何で電科研に入部するんだ?」

「ダメなの?」

「ダメとは言わないけどさー……」

「俺にも『可能性の発達の促進』っていう任務があるからね。この学校は、部活に入る義務があるし、それなら俺の正体を知ってる君しか居ない部の方が、何かと都合がいいでしょ?」

 私がシラガミを誘った時の言葉そのままだった。こう言われると断りづらい。しかし、こいつはあんまり信用できない奴だ。月島君の件から考えても、失敗のリスクをシラガミに押し付け、成功した時には手柄を主張する。そういう性根が腐った無責任な人間であることがうかがえる。

「何、あいつと二人きりになれないの。気にしてるの?別にいいじゃん。代わりに俺とおしゃべりしよーよ」

 シリスが私の顔を覗き込み、私の手を握る。

「なっ、馴れ馴れしくするなっ!」

 腕を勢いよく動かして、シリスの手を振り払う。

「照れてるんだ。初心うぶだねー。かーわいい」

 シリスは振り払われた手でそのまま、私の頭をおざなりにくしゃくしゃと撫でた。

「や、やめろって言ってるだろうが!」

 そんなこんなでシリスとわちゃわちゃしながら、部室の扉を開ける。

「あ、おはようございます。先輩……シリス君も」

 部室には先にシラガミが居た。そして苦々しい顔でシリスにも挨拶する。昨日も同じような顔をしていたので、あまり仲は良くないのかもしれない。

「おう。おはよう。シラガミ」

「……シラガミ?」

 私がシラガミの名を呼ぶと、シリスが首を傾げた。

「ああ、あだ名だよ。君……シリスには耳慣れないだろうけど。白い髪だから、シラガミ。分かりやすくていいだろ?えっと……そういえば、シラガミの本当の名前って、何て言うんだ?」

「アールゴさん。だよ」

 シリスがシラガミをアールゴと呼ぶ。ただ、さん付けなのが少し気になった。同い年に見えるけど。

「へぇ……白い髪だから……ね。いい名前をつけてもらったね?アールゴさん……いや、

 シリスはシラガミに向き直り、そう言った。

「アールゴ。か……今まで元の名前何か気にしたことなかったな……まぁ、いいよな。シラガミはシラガミだし。これからもシラガミでいいよな?」

「……はい、もちろん。僕はずっとですから」

 シラガミも私が付けた名前を気に入ってくれているようだ。

 私もシラガミがくれたイナヅマという名前を気に入っている。それを思うだけで、二人の絆。みたいな物を感じて嬉しくなる。

「ふーん……二人とも、仲良いんだね……」

 シリスは、私達をじっと見つめた。

「……それで、シリス君はどうしてここに?」

「ふふーん。これ」

 シリスが入部届をひらひらさせて、シラガミに見せつけた。

「俺もここに入部するんだ。ターゲットだってもう見つけてるんだよ?」

「ああ、茜から相談があって……」

 シラガミに今度の作戦を説明しようとすると、シリスがまたもや肩を組んできた。

「ひゃあ!?」

「デートするんだ。俺達」



・・・・・・



「どうも!イナヅマちゃんとラブラブカップルのシリスです!」

「破局させに来たシラガミです」

「ちょっと待った」

 私達が茜と鉄也君のデート場所に選んだのは、茜の自宅だった。

 デートとは言い辛いが、他の人間を交えない閉鎖的空間にすることで場をコントロールしやすくし、また、勉強会という大義名分を作れば鉄也君を誘いやすいだろうという判断だ。

 というわけで今茜の部屋のテーブルをシラガミ、私、シリス、茜、鉄也君の順番で取り囲んでいるのだが、茜がシリスとシラガミの自己紹介にストップをかけた。

 茜が私の背後に回り、小声で話しかけてくる。

(ラブラブカップルて……どういうことなん?)

(私が聞きたい)

(俺とイナヅマがイチャイチャすればさ、そういう話も振りやすいし、茜もアピールしやすくなるでしょ?)

 シリスがひそひそ話に混ざってくる。

(僕はそれが気に入らないので邪魔しに来ました)

 シラガミも混ざってくる。

(何?シラガミ。俺に嫉妬してるの?)

(してますよ。恋人の振りをするだけなら、別に僕でもいいじゃないですか。ねぇ先輩?)

(えっ、いや、その)

 シラガミはシリスをにらんだ後、真剣な顔でこちらを見た。その問いかけに、少しドキっとしてしまう。

(なに人んで修羅場始めとんねん。頼らせてもらってる身でなんやけども、もっとちゃんと作戦決めてから来てくれんか?)

(じゃあ、今ここで決めちゃおう。イナヅマは、恋人にするなら、俺とシラガミ。どっちがいい?)

(ど、どっちって……)

 今ここで言えるわけないじゃないか!

(イナヅマ)

(先輩)

 二人が私に詰め寄る。

「……お前ら何の話してるんだ?」

 鉄也君が怪しむ声を出して、私達を見る。鉄也君以外の人間全員でひそひそ話をしていたので、当然の反応だと言える。非常に助かる。

「いや別に!何も話してないよ!ほら、今日は勉強会だろ!?さぁさぁ皆で勉強しようじゃないか!」

 鉄也君の声をきっかけに多少強引に流れを変え、鉄也君に問題集を広げるようにうながす。

「せ、せやな。ほなぼちぼち始めよか。テツはどこが分からんのやったっけ?」

「問題集のここの……」

「ああ、ここはな。まず主人公である『僕』の台詞せりふに出てくる……」

 そしてそのまま二人は身を寄せ合って勉強を始めた。肩が触れ合いそうな距離だ。多少ごたごたしたが、雰囲気作りの第一段階は成功したと言えるだろう。

 同時に、シリスの質問からも逃れられたはずだ。

「……さぁ!私も頑張って英単語覚えよーっと!」

 ダメ押しに、高らかに声を上げる。体を捻り、白衣の内ポケットから単語帳を取り出してみせる。

「essential……不可欠な。catalyst……きっかけ。brightness……輝き。ideal……理想的な」

 これ見よがしに単語帳を口に出しながらペラペラとめくっていく。ここまできっぱりした態度を取れば、シリスもわざわざ話を蒸し返してきたりはしないだろう。

「それで、俺とシラガミ。どっちと付き合いたい?」

「喰らいついてくるなぁ君!」

 私の小賢しい策を、打ち壊すようなストレートだった。

「君。じゃなくてシリスだって。ちゃんと本名で呼んでほしいなぁ」

 さらにシリスがその場で本名を明かしてしまう。

(ちょっ、今はそれがあだ名って設定だろ!機密漏洩には気を付けろって𠮟られたばっかりだろうが!)

 茜と鉄也君の様子を見る。鉄也君は勉学にはげみ、茜はその横で鉄也君との至近距離を楽しんでいる。どうやらさっきの失言は聞かれていなかったようだ。

 そして同時に、茜の助け舟は期待できない。

「他の人のことはいいじゃん。今は、俺のこと見て?」

 シリスが少し乱暴に私の頬に触れ、見つめ合うように動かす。

「う、うぅ……っ!?」

 あまりに直接的なアプローチに、心臓が不規則な鼓動を立てる。座りが悪い緊張が体をおおう。

 昨日から薄々思ってはいたが、その、こいつは、も、もしかして、私のことが好きだったりするのだったりするのだろうか?昨日会ったばっかりなのに?いやでもそうでもないとこの行動や態度に説明が付かない。

 私人生史上初の出来事に、体と脳が硬直して動かない。こういう時どうすればいいかなんて、私の経験則にはない。

 シリスの、今すぐにでも私を食わんとする獰猛どうもうな表情に、ひたすら目をぐるぐるさせていると、シラガミが間に入り、私とシリスの目線をさえぎった。

「シ、シラガミ」

「……なんだよ。シラガミ。邪魔しないでよ」

「イナヅマ先輩が困っていたので、止めただけです」

「ふーん……随分ずいぶん、生意気言うようになったね……」

「……」

「……」

 二人は無言でにらみ合った。バチバチと視線で火花を立てる音が、本当に聞こえてくるようだ。

 何て思っていると実際に、バヂィッ。っという音が聞こえた。

 そして、シリスは糸の切れた人形のように倒れた。

「あれ。シリス君どないしたん?」

「寝ちゃったみたいです。すいません、折角せっかくお招き頂いたのに」

 シラガミは光線銃を腰に差し直しながら、爽やかな笑顔で答えた。

(いや、お前がやったよな。今)

(仕方がありません。正当防衛です。やらなきゃやられていました)

 シラガミは後ろ手で、シリスの手を指差した。彼の手もばっちり光線銃を握っていた。

(……何だ。レビウル星人っていうのは、光線銃を打ち合うのが常識なのか?)

(いえ、単に僕とシリス君の仲が悪いだけです)

(あ、やっぱ仲悪いんだ)

 こちらも薄々感じていたことだ。

(向こうがこっちを一方的に嫌っているだけですけどね……)

 シラガミは溜息を吐きながらそう言った。その溜息には諦念ていねんと呆れが混じっており、それなりの付き合いの長さを思わせた。

(まぁ、とにかくありがとな。助かったよ)

(助かった……ですか)

「ん?」

 私がお礼を言っても、シラガミはなんだか浮かない顔だ。

「今までも、迷惑でしたか?」

「今まで……って?」

「僕も先輩のことからかったりしてきたじゃないですか。その、あんな感じの」

「ああ……うん。あんな感じの」

 シリスの物よりかは、もう少し柔らかいけど。

「そういうのも、迷惑でしたか?」

 シラガミが自信なさげに、目をせ、視線をらす。

 彼のそういう表情を見るだけで、胸がときめくのを感じる。

 余裕たっぷりにからかってきたシラガミが、今はあんな顔をしている。本当は今までの行動だって、どこまで許してもらえるのか、探り探りでやってきたのだろうか。そしてあんな顔をするってことは、私には迷惑だと思われたくないってことなんだろうか。

 そんなことを考えると、もうたまらなくなる。

「め、迷惑だなんて思ったことなんかないさ。むしろ、その……」

 喉と心が発声の準備を整えるのを、シラガミが私と目を合わせるのを待って、私の気持ちを伝える。

「お前にからかわれるのは、心地良い……っていうか」

 そこで口が動くのを止めてしまう。他にも伝えたいことがあるのに、うまく言語化できない。そもそも恥ずかしすぎる。今の私にはこれが精一杯だ。

 それでも、シラガミには全て伝わったのか、彼は安心したような顔をしていた。

「……先輩」

 シラガミが私をじっと見つめる。その瞳に囚われるように、私は体を動かせないでいる。

 のに、シラガミをずっと近くに感じる。そのまま引き合うように

「あっ」

 カタン、とシャーペンがテーブルに落ちる音がした。その音を目覚ましに、私とシラガミは我に帰った。

 振り向くと、鉄也君と茜が気まずそうに、私達から目を逸らしていた。

「茜、もう帰ろう」

「いやここウチの家……いや、そうやな。帰ろ帰ろ。邪魔んなるとあかん」

 二人はそそくさと部屋から出ていった。そして部屋には真っ赤な顔をした私とシラガミが取り残される。

 わざわざをする気持ちにはなれなかった。

 っていうか続きってなんだよ!続きって何!?うわああああもおおおお!



・・・・・・



「はい反省会」

「すみませんでした」

「すみませんでした」

「いや~ごめんね」

 結局、勉強会はあのままお流れ。鉄也君の真意を確かめるという作戦はもちろん失敗に終わった。

 その反省会が、電科研で始まった。茜は眉を腹立たし気に寄せ、椅子にふんぞり返っていた。

「ウチの恋愛相談やっちゅーのに!何でおどれらがいちゃついとるんじゃいっ!」

「いやいちゃついてるなんて、そんな……」

 その時を思い出して体がむずがゆくなる。と、同時に幸せな気持ちにひたる。一生忘れないだろうなぁ。

「何気の抜けた顔しとるんじゃいっ!」

「ねー。ほんと。お前がそうやってイナズマちゃんに色目使うから失敗しちゃったんだぞ?シラガミ」

 シリスが意地悪そうにシラガミを見た。シラガミは不服そうな顔をしている。

「いや、シリス君も寝とっただけやんか。大概たいがいやで」

「仕方ないじゃーん。シラガミに気絶させられてたんだしー?やっぱりシラガミくんが全部悪いと思いまーす」

「は?気絶て……何?何の話?」

「それはねー……」

「わああああ!」

 流れるように光線銃の存在を明かそうとするシリスの口を、あわてて押さえる。そしてシリスは私の手をがして、そのまま手の甲に唇を

「わああああ!」

 さらに慌てて手を離す。

「あーん。逃げられちゃった」

「な、何しようとしてるんですか!」

 シラガミが私とシリスの間に入る。私はシラガミの後ろで、ぎょっとした心臓を押さえるのに務めた。

「いーじゃんか、手の甲ぐらいさぁ。シラガミは昨日、イナズマちゃんと二人きりだったんでしょ?じゃあそれなりのこともしたんだろうし、俺にも分け前がないと」

「してないから!」

「……してませんよ」

 二人でシリスの勘繰かんぐりを否定する。

 っていうかそれなりのことってなんだよ!それなりのことって何!?うわああああもおおおお!

「だから!そのぐだぐだをやめぇって言っとるねんこっちは!修羅場は私のんが終わってからにせぇ!そしたらもうめっちゃ撮ったるから!」

「いや撮るなよ!」

 茜にツッコみ、それを一区切りとして流れを切る。シリスは悪戯いたずらっぽく笑っていた。こいつと居ると疲れるなぁ。何を考えているのか分からないのも不気味だ。

「じゃあ、とりあえず。第二回作戦会議!」

 茜が手をバッと上にあげ高らかに宣言する。

「って言っても、今更会議することなんかあるか?もっかい同じことやるだけだろ?」

「まぁ、今度はシラガミが我慢すればいいだけだしねー」

 シリスが意地の悪い笑みを浮かべながらシラガミを流し見る。我慢って一体なんの我慢……いや、もうこの話はよそう。

「うん、じゃあそういうことで会議は終了……」

「いや、ちょっと待ちぃな。もっかい同じことやるって、もっかい勉強会に誘うってことか?……不自然やろ。テツもなんか勘付くんちゃうんか?」

「そうですね……次は何か別のことに誘いましょう。デートっぽい、何かに」

「ふーん。何かって、何に?」

 私がそう尋ねると、他の三人は黙って私を見つめた。

「……いや、ウチにも分からへんからここに相談しに来てんねん。イナヅマちゃん、考えてくれ」

「僕もこの街に来て数か月なので……どこに誘うのが適切なのか分かりかねます。イナヅマ先輩、考えてください」

「右に同じ」

「えっ、ええっ!?いや私にも無理だって!その、そういう経験ないし!デートスポットなんて知ってるわけがないだろ!?」

「だからウチも知らんのやって」

「僕もそういう経験はないです」

「右に同じ」

 あっ、シラガミも誰かと付き合ったりしたことないんだ。ちょっと安心……じゃなくて!

「う、う~ん……」

 デート……と言えば、なんだ。映画とか、水族館とか……?いやでもありきたりすぎないかこの答えは。いかにも誰とも付き合ったことがない初心な少女が思い浮かべがちなデートスポットっていうか……いや今更つくろうつもりもないんだが、でも、もし可能ならデキるセンスのいい女を演出したいっていうか……ほら、あんまりあからさまだと鉄也君にもデートだと気付かれちゃうし……。

「ク、クレープ屋さん……?とか?」

 一瞬、三人が顔を見合わせる。

「へぇ~クレープ屋さんかぁ……イナヅマちゃんはそういう所に誘うんやなぁ……うん、ええんちゃう?」

「はい。いいと思います」

「可愛いよね」

「ああ駄目だ何言っても恥ずかしい奴だこれ!」

 次の作戦実行地は駅前のワゴンのクレープ屋さんに決まった。



・・・・・・



 茜と二人で校庭へ降りる。部室の鉄也君をクレープ屋さんに誘いに行くのだ。

「なぁ、私付いて行く必要あるか?」

「ウチ一人やとデートのお誘いみたいなってまうやん」

「実際そうじゃん」

「それがバレたらアカンって話やったやろー?」

「それなら、私だけじゃなくて他の二人も連れて来た方がよかったんじゃないか?」

「それやと電科研ぐるみの何かってバレるかも知れへんやん」

 茜はを隠すことに徹底していた。

「……なぁ、茜。今回の作戦はあくまで『確認』だろ?別にそこまでびくびくすることないんじゃないか?」

「そら、ウチかて付き合うてると思っとるで?でも……もしそうやないのに、ウチがテツのこと……そう思ってるんがバレたら……」

 茜はそこで口をつぐんだ。その怯えは収まらないようだった。

 正直、もし鉄也君が付き合ってるつもりじゃないとしても、そしてその上で茜の想いがバレてしまっても問題はない気がする。二人はお似合いだ。幼馴染のカップル。字面だけでも理想的だ。改めてお付き合いを申し出れば、それで丸く収まるのではないかとも思う。

 だが、まぁ、そんな無責任なことは口に出せない。私が茜の立場だったら、そんなことを言われても告白には踏み切れないだろう。事実、シラガミに想いを伝えられないでいるのは私も同じだ。

 けれど、茜の怯えようは私のそれとは一段違った。

「だって、好きでもない奴から告白されても、迷惑なだけやろ……」

「め、迷惑って、それは言いすぎじゃないか?そりゃあ付き合うかどうかは別にしても、好きって言われたら嬉しいだろ。普通。誰でも」

「普通はな……でも、ウチとテツは、ちょっと複雑やから」

 そう言って、茜は切なそうに笑って右の手首をさすった。そこには傷がある。鉄也君が、茜につけてしまった傷。

「おーい、テ……」

 野球部部室の前、茜が鉄也君を呼ぼうとして、やめた。

「?どうし……」

 そして私の口をふさぎ、物陰に隠れた。

(な、なんだよ。どうしたんだよ)

 茜は物陰から部室を見つめている。その視線の先を追ってみると、そこには鉄也君と、女子マネージャーが居た。

「先輩っ、これレモンのはちみつ漬けですっ」

「……食っていいの?」

「はいっ!」

 鉄也君はそのレモンを一切れ口にし、美味いと言った。マネージャーの女の子は顔を赤くして喜んだ。

(うー……あれウチがやりたかった奴ぅー……あの小娘め)

 茜が恨めしそうな顔をして呟いた後、顔を切り替え、私に向けてこう言った。

(今、『じゃあなんでマネージャーにならなかったんだよ』って思ったやろ)

(いや、別に思ってないけど)

(……思ったていで聞いてくれ。ウチが、野球部のマネージャーにならんかった理由……テツと向き合う自信がなかったんや)

 茜は声を震わせ、目に影をたたえて語った。

(普通に喋ることはできる。でも、野球を通してテツと一緒に居る自信がなかった。あいつのためにタオル用意したり、球拾いやったりしてる内に、もう許したはずの恨みが、もっかい出てくるんちゃうんかって。『なんでウチの野球終わらせた奴のために、ウチがこんなこと』とか、そんなとんでもないこと考えてしまいそうで怖かった……いや、十中八九そうなってたと思う。……無理なんや、なんも気にせず、二人で野球の話するなんて。加害者のあいつは、多分ウチよりもっと)

(……でも、それはもう決着が着いただろ?あの時、二人で思ってること話し合って、なんていうか、こう、スッキリしたんじゃないのかよ!)

 茜がなんだか、諦めてしまったような表情をしていて、私は焦って少し声が大きくなった。それでも、茜の声はより影に似ていく。

(せやな……あの時決着は着いた。やから、これ以上蒸かえすようなことはせん方がええんかもしれん……ウチ、思うねん。もしテツが付き合ってるつもりじゃないなら、ここが二人にとって『良い思い出』で終われる、最後のラインなんやないかって)

(蒸し返すって、そんな言い方……)

(だってそうやろ?『友達』から『そういう関係』になるんはわけが違う。傷付けた女から告白……断るのも辛いやろうし、受けるにしても、負い目でそうしてるだけかもって疑いも湧くやろ。事実がどうであれ、内外から……でも、テツもあの娘とやったら気兼きがねなく野球のことが話し合える。『お前が支えてくれるおかげで、今日も良い球が投げれた』……とか……そういう……理想的な愛の言葉が……)

 茜は、まるで手の届かない美しい星空を見るかのように、二人をじっと見つめた。

(ウチみたいなんは新聞部らしく、遠くから二人を眺めてるんがお似合いなんかもな……)

 気づけば、また彼女の手を引っ張っていた。

「んんんっ!鉄也君!」

「わわっ、だ、誰ですか!?」

「に、新妻さんと……茜」

 マネージャーちゃんと共に鉄也君は、突然現れた私達に目を丸くしていた。

「鉄也君!明日私達と一緒にクレープ屋さんに行きませんか!」

「え、あ、おう……行く」

「……」

「……?」

「……帰るぞ!茜!」

 目的は達成したので、なかば引きずるようにして茜と来た道を戻る。

「……もう、イナヅマちゃんは強引やなぁ。何でそこまでしてくれんの?」

 二人から充分離れたところで、茜が口を開く。

「……友達だからだよ!まだ鉄也君が付き合ってないって思ってるって確定したわけじゃないだろ!?まだ、終わってない!」

「……友達かぁ。嬉しいなぁ……せやな。まだ終わってない。こっちもちゃんと、決着を着けんとな……」

 茜の表情は、まだ諦めたままで変わらない。

 違う。違うんだ。そんな顔をして欲しいんじゃない。



・・・・・・



「……って、茜が言っててさ」

 茜は家に帰り、私は部室に戻った。そして先程の茜の言動について相談する。電科研緊急会議だ。

「なんか……完全に諦めちゃってるんだよな。私は、普通に両想いの可能性の方が高いと思うんだが……」

 いや、それも私の恋愛経験のなさから来る思い込みなのかも知れないけれど、それでも完璧に脈がないと決まったわけではないはずだ。

「肝心の本人があんなので『そういう雰囲気』にできるのかなぁ……」

「それは困りましたね……」

「それは困ったねぇ」

「……」

 シリスも困るのが以外だった。

 シラガミは分かる。責任感が強いし、彼のレビウル星人としての仕事とは関係なくても電科研としての活動にはげ気概きがいがある。しかし、シリスはどうだろう。奴に責任感など高尚な物はない。電科研に入ったのは仕事がしやすいからで、お悩み解決云々うんぬんについては興味がないはずだ。

「……シリス。何で、茜の相談を受けたんだ?」

「ん?シラガミから聞いてない?それが俺らのお仕事だからだよ」

「いや、だから茜の恋がどうなるかはそのお仕事には関係ないだろ?『可能性の発達の促進』には」

「いや、関係あるよ。だってカップルができれば子供ができるでしょ?」

「うん……子供っ!?」

 唐突だったので、反応が遅れてしまった。

「子供ができるって……あの子供?」

「子供が持つ『可能性』は高いって説明されなかった?それもあの鉄也とかいう将来有望なピッチャーの子供でしょ?他の凡人のよりも良いのが産まれるんじゃないかな。そういうわけで、子供を産むっていうのはそのまま『可能性の発達の促進』なんだよ。その前段階のカップル成立でも、それなりのポイントが貰えるわけ……聞いてる?」

「……えっ!?き、聞いてるけど!?」

 茜と鉄也君が、こ、子供……いや、そりゃ付き合って、結婚すれば……ゆくゆくはそうなるよな。ってことはそういう行為もするわけで……。いや、何を考えてるんだ私は。なんか最近自分の脳内のピンク色が強くなってきた気がする。恋してるから……?

「と、とにかく!それならより一層茜をどうにかしないとな」

「そうですね。今度こそ、三人で協力してどうにか茜さんと鉄也さんが二人きりになれるようにしましょう。三人で協力して」

 シラガミが『三人で協力して』と二回言って強調しながら、シリスをじろりと睨んだ。

「いやー。俺は茜ちゃんが言うことにも一理あると思うけどなぁ。『好きでもない奴から告白されても、迷惑なだけ』、『ここが二人にとって「良い思い出」で終われる、最後のライン』……お前もそうは思わないか?シラガミ」

 シリスもじろりと睨み返す。元より険悪だった中は、あの勉強会光線銃事件をさかいにより険悪になってしまったようだ。

「な、仲良くしろよぅ……」



・・・・・・



 放課後、駅前のクレープ屋さんに行くためにで道を歩く。

 メンバーの内訳うちわけは私、シラガミ、シリス、茜、鉄也君。そして……。

「えーっ!鉄也先輩、クレープ食べるの初めてなんですかぁ!?」

「おう……思い返して見れば食ったことねえわ」

「もったいなーい!美味しいですよ~。私があーんしてあげますねっ」

 昨日鉄也君と一緒に居た、マネージャーの女の子。鉄也君に引っ付いて来てしまった。断ることもできず、同行を許してしまっている。

 想定外のイレギュラーだ。鉄也君以外の全員が結託けったくしている前提で建てた作戦なのに、これでは実行できないかもしれない。

 今からでもこっそり作戦を伝えてあの子にも協力してもらうか……?いや、でも多分。

(多分、あの子もテツのこと好きやんな……)

 茜がマネージャーちゃんに聞こえないぐらいの小声で私に話しかける。

(じゃ、じゃあ私達で無理矢理引き離す!絶対に作戦は成功させる!)

(そんなんあの子が可哀想やろ。そんなえこ贔屓ひいきしてええんか?電科研は誰のお悩みでも解決するんちゃうんか)

(うーん。まぁ優秀な遺伝子を持ってるのは鉄也君の方だし、別に産むのはどっ)

 シラガミがシリスをきちんと取り押さえたのを確認してから会話を続ける。

(い、いいんだよ!あの子からは相談受けてないし!それに……私が個人的に、茜には幸せになって欲しい)

(……ありがとうな。でも、ウチはテツに幸せになって欲しい……ウチじゃ、あかんねん)

(茜……)

 茜は、二人の会話を聞きながら、切なそうに笑った。

(でも、ええねん。自分のことはかえりみずにおとなしく身を引いて、ただただ相手の幸せを願う。……これも、理想的な愛の一つやろ?)

 違う。私が見たい茜の笑顔はそんな笑顔じゃない。

(茜にそんな悲しい顔させるなら、そんなの全然理想的じゃない)

(もー……イナヅマちゃんは子供やな)

 そんなことを話していると、駅前のクレープ屋さんに辿り着いた。メニューや屋根などで可愛くデコレーションされたワゴン車から甘い匂いがただよい、その周りには簡素なテーブルが二つ並べられている。そこに向かってマネージャーちゃんが鉄也君の手を引っ張って突撃していく。

「鉄也先輩っ、何味食べたいですか?」

「えっ、味とかあるんだ。全部一緒だと思ってた」

 そのまま二人はメニューの前で会話を続ける。マネージャーちゃんのきゃぴきゃぴした声が駅前に華やぎをもたらす。

「はは……手ぇ繋いで吞気のんきなこと話して……お似合いやなぁ……」

 少し離れた場所から、茜が二人を眺めてかわいた声を出す。茜の気持ちは変わらないようだ。

 ……いや。もうこの際茜の気持ちは関係ない。とにかく無理やりにでも二人きりに……と考えた所で、どこかから自分を呼ぶ声が聞こえた。

「……新妻さん、新妻さん」

 その声はクレープ屋さんのテーブルの一つからだった。

「あっ、やっぱり新妻さんと山田君だ」

「あぁ……あの助っ人の」

「八木さん、月島君」

 私を呼ぶ声の主は、先の件で知り合いになった演劇部の二人だった。八木さんがクレープ片手にこちらに手を振っている。

「そういえば、劇に出ることんなったって言うとったっけ」

「月島君久しぶり~」

「……久しぶり」

 シリスが共犯者の月島君に手を振る。なんでにこやかに振舞えるんだこいつ。何も知らない八木さんは『知り合いなの?』と首を傾げていた。

「お前らはまた誰かのお悩み解決か?ご苦労なことだな」

「月島君!助けてくれた人達に失礼でしょ!あの時はありがとね、新妻さん、山田君。それで、今は誰の相談を受けてるの?」

 八木さんが体を傾けて、私の後ろの茜を見る。

「……いや?今は誰の相談も受けてない。ただ皆でクレープ食べに来ただけだよ。八木さんはどうしてここに?」

「ふふ。月島君にお礼。月島君のおかげで、すごい演技ができたから」

「俺はただスポットライトを浴びせただけだがな」

 月島君が口にブルーベリーソースを付けながら謙遜けんそんする。

「本当はもっと早くお礼する予定だったんだけどね。この前月島君が遅れちゃって」

「……悪かった」

 月島君がシリスをちらりと見上げる。八木さんの大ファンである月島君が彼女との何かで遅刻するなど考えにくい……もしや、その遅れた日とは電科研の部室で拘束されていた日ではなかろうか。

「ダメじゃん月島く~ん。女の子との約束を破ったりしちゃあ」

 シリスが月島君をからかう。どの立場で言ってるんだ。

 そんなことをしている内に、もぐもぐと月島君はクレープを食べ切った。

「さぁ、お礼はこれで終わりでいいだろう。学校に戻って練習だ」

 月島君がテーブルから立ち上がって、ぶっきらぼうに言い放つ。ここで過ごすことは本意ではないようだ。

「え、えぇー。折角のお礼なのに……別にそんなに焦って根を詰めなくても……どうせ、これからずっと二人で頑張っていくんだし」

「駄目だ。人生は有限なんだからな。……それに、ずっと二人とは限らないだろ」

「えっ」

 八木さんが一瞬、言葉を失う。

「それって……どういう意味」

 にこやかな空気が一転、張り詰める。

「……単純なことだよ。俺以上に裏方が上手い奴が居れば、俺の仕事はない。お前はそいつに照らしてもらえばいい。そっちの方が相応ふさわしい。世界一の女優には世界一の裏方を。それが理想だろう」

「どうしてそんなこと言うの」

「俺の最優先事項はお前の女優としての成功だ。お前が誰よりも輝くことだ。それが果たされていれば、照らす役目が俺である必要はない」

「……なんで……二人で、って約束したのに。なのにどうして、そんな言い方」

 八木さんもがたりと音を立てて立ち上がる。その声は震えていて、その表情は裏切りに傷付いていた。その顔を見た月島君が、『仕方ない』とでも言いたげなため息を吐いてから口を開いた。

「照らす役目が俺である必要はない……ただ、その役目が、いつまでも俺だったらいいなと思う。……それが本当の理想だ。俺の動かす光の中で踊るお前を見て、強く、そう思った」

(……理想……)

 後ろから、誰かがそうつぶやくのが聞こえた。

 月島君の言葉を聞いて、八木さんの表情がぱぁっと輝く。それからすぐにちょっと怒り顔になった。

「ど、どうしてそっちを先に言わないの!私、何か寂しくなっちゃったじゃん!」

「途中の言葉だって別に噓じゃないからな。俺より上手い奴が居れば、俺は本気で役目を譲るつもりでいる。だからこそ、俺はだれよりも上手くなるために、もっと練習を……」

 言葉の終わりを待たずに、八木さんが肩をつかむ。

「……うん。うん!じゃあ今すぐ学校戻って練習しよう!月島君が私に付いて来れるように!」

「……言うようになったな」

「あっ。いや、今のは……」

「いや、いいんだ。本当のことだからな。……付いて行くよ、どこへでも」

 そして二人は帰っていった。

「あっ、ちょっと待って」

 と思ったらもっかい戻ってきた。

「新妻さん。食べかけだけど、私のクレープあげる。それじゃ、バイバイ」

「ば、バイバイ……」

 そして今度こそ二人はクレープ屋さんの前から姿を消し、私の片手に押し付けられたクレープだけが残る。断面からストロベリージャムがのぞいていた。

「いやぁ、とにかく二人の会話が収まって良か……ってない!」

 そこで私は自分が茜の恋路を助けるためにここに居ることを思い出した。

「茜っ……あれ?茜は?」

 振り返ってもそこに茜は居なかった。さっきまでここに居たはず……。

「あっち行っちゃったよ」

 シリスが指差した方向はワゴン車の前。すなわちマネージャーちゃんと鉄也君が居る場所だ。

「み、見てたんなら言えよ止めろよ!」

「……いえ、先輩。少し待ってください」

 茜のもとへ走り出そうとする私の首根っこをシラガミが掴んで止める。

「多分……大丈夫です」

 そう言って、シラガミは茜と鉄也君をじっと見つめた。

「……テツ!」

 茜が叫ぶ。

「ウチ、テツのことが好きや!昔っから、今までずっと!……お前がウチに付けた傷はもう二度と治らんけど!テツに対する恨みがまた出てくるかもしれんけど!テツも負い目感じていちゃつくなんてできへんかもしれんけど!今更ウチに言われても迷惑なだけかもしれんけど!ウチなんかよりもテツにお似合いの女の子も居るかもしれんけど!……っけど!ウチやないと嫌や!テツの隣に居るんは、支えるんは、幸せにするんはウチがいい!ウチの役目やないと嫌や!せやから!」

 茜は勢いよく腰を直角に折り、鉄也君に向かって手を差し出した。

「ウチと!付き合ってください!」

 鉄也君は、少しの間無言だった。その間茜は姿勢を崩しはしなかったものの、足をぷるぷると小刻みに震えさせ、過度の緊張にあることは想像にかたくなかった。私達も、少し遠くから二人を見守る。茜の心臓の音が、ここまで聞こえて来そうだった。

 そして鉄也君が、無言を破って口を開く。

「……え。俺達付き合ってるんじゃないの」



・・・・・・



 二人がクレープ屋から離れながら言い合っているのが見える。いや、言い合っているというよりも茜が一方的にガミガミ怒っているだけだが。

 茜は他の誰にも聞かれないようにとクレープ屋さんから離れているのだろうが、何を喋っているのかは大体予想が付く。大方『どうしてもっと恋人らしくしなかったのか』とか『ウチがどんな気持ちで』とかそんなことをのたまっているのだろう。自分のことは棚に上げて。茜はそういう奴だ。

 なにはともあれ鉄也君の真意を確かめることには成功した。それも最良の形で。電科研の仕事はこれにて無事終了だが……しかし、全ての問題が解決したわけではない。

 茜の手首が治ったわけではない。二人がそれを全く気しないでいられるようになったわけでもない。むしろ想いを確かめあったおかげで、それは二人の意識により色濃く刻まれたことだろう。この問題は二人がこれからずっと向き合っていく、解決することのない問題だ。

 けれどそれで構わないのだろう。それが問題である内は、二人でそれに向き合っているということだ。そして二人で向き合っている内は、二人は二人で居られる。それでいいのだろう。それがいいのだろう。

 きっとこれから何があっても大丈夫だ。二人が、隣に居たいと願うことを止めない限り。

 これこそ、

「『理想的な愛である』……なんつって」

「うんうん。そうだね……でも、あの二人が良くても、あの子はどうかな?」

 シリスがマネージャーちゃんの方に目をやる。彼女はクレープ屋さんの目の前で立ち尽くしていた。結果的に想い人が他の人間と付き合っ(ているのが発覚し)た瞬間を間近で見る羽目はめになったのだ。心中察する。いたたまれない気持ちになる。

「……私、行ってくる」

 こうなった責任の一端は私にもあるような気がする。ここは電科研の部長として、アフターフォローにいそしむとしよう。

「んんっ。マネージャーの子。今ちょっといい?」

「すいません。今忙しいので後でいいですか?」

「はい」

 マネージャーちゃんはクレープ屋さんのメニュー表を前のめりに眺めて、うんうんとうなっていた。

「ストロベリーか……ブルーベリーか……」

「鉄也君のことだけどさ」

「ですから今忙しいんですけど」

「はい」

 彼女は鉄也君よりクレープにお熱らしい。

「心配は杞憂きゆうだったみたいですね」

 ……いや、傷付く人間が居ないのならそれが一番なんだけど……何だか肩透かしを喰らった気分だ。

 私も何か食べようかなと思った所で、既に八木さんにクレープを押し付けられていたのを思い出す。断面からストロベリージャムがのぞいていた。

「……ねぇ。ストロベリーとブルーベリーで迷ってるなら……これあげようか。食べかけだけど」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 マネージャーちゃんは目を輝かせて受け取った。

「ああっ、でもそうなるとバナナも気になってくるなぁ……」

「……じゃあ私はバナナを頼もう。一口あげるよ」

「ありがとうございます!でもそれだとオレンジとドリアンも気になるなぁ……」

「シラガミ、シリス。オレンジとドリアンでいいか?」

「いいですよ」

「りょーかーい……ちょっと待って俺ドリアン?」

 そして皆で一口ずつマネージャーちゃんに献上した。マネージャーちゃんはご満悦まんえつだった。

「ありがとうございますっ!」

「どうしたしまして……ん?」

 シラガミが私をじっと見つめていた。

「どうした?お前もバナナ欲しいのか?」

「いえ、そうじゃなくて……先輩、変わったなぁって。出会った頃は見知らぬ後輩と話すなんてできなかったじゃないですか」

「ああ、確かに……」

 シラガミが電科研に入部して、間もない頃を思い出す。シラガミとさえろくに会話できずにいたのが、今では遠い昔のようだ。あの頃と比べれば、私のコミュ力は随分と改善されている。

「……多分、お前のおかげだな。シラガミ、私の『可能性』。あの頃から上がってるか?」

「……はい。順調に上がっていってます」

「よーし。お前の光線銃を再現できるようになるまで、後もうすぐかもな」

「……そうですね。先輩は、僕が居なくても、もう……」

 シラガミがうつむく。

「ん?何言ってんるんだよ。お前も一緒にやるんだよ。あの稲妻を再現するまで。再現した後も、ずっと一緒だ。電科研は二人で一人。だろ?」

 と、そこまで言った所で、少し恥ずかしいことを言ったかもしれないと気付く。

 ……いや、大分恥ずかしい事言ってないか。ずっと一緒。って、茜が告白した後だから、なんか余計にそんな感じに……。

「あ、いやシラガミ。これはだな、その、あくまで部長と部員としてっていうか」

 シラガミはうつむいたまま答えない。引かれた?引かれてしまったか……!?

「えー?二人で一人って酷くない?俺も居るのにさー」

 そこでシリスが話に入ってくる。よしたまには役に立つじゃないか。このまま話を有耶無耶うやむやにしてくれ。

「そういえば、『可能性』と言えばさ。あの二人の数値、安定したね」

 シリスが茜と鉄也君の方をじっと眺める。

「これは貰えるポイントも多そうだなぁ……なぁシラガミ?二人で終われるかもな」

「……終われる?何の話だ?」

 シラガミは答えない。

「あっ、来た来た。おーい!せんせーい!」

 シリスが道沿いに向かって手を振る。そこには、こちらに向かってくる卯木先生が居た。その姿を見た瞬間、シラガミの体がびくっと跳ねた。

「先生っ、どうしてここに……」

「報告のために俺が呼んだんだ。どうせだしさ、イナヅマちゃんの目の前で言ってもらおうよ」

「……っ!」

「言う?言うって、何をだ?」

 シラガミは答えない。

「卯木先生。俺達のポイント、どうなりました?」

「あぁ……既にこちらで確認している。可能性の安定に対し、利尻スバル、山田悠、両名の働きを認め、ここに相応の点数を贈与する。また、両名の点数が規定に達したことを認める……よって」

 卯木先生は一度喋るのを止めて、私を一瞥してから、意を決して続きを話した。

「利尻スバル、山田悠……いや、、両名の刑期を終了とする」

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