5.スポットライター

「あ、先輩。こんな所にも貼ってありますよ」

 シラガミが廊下の壁を指差す。そこには、茜が居る新聞部が発行している、校内新聞の今週号が貼り付けてあった。

『電撃科学研究部』という見出しの下に、私とシラガミのツーショットが載せられている。シラガミは慣れた人懐っこい笑顔を、その横で私はぎこちない笑顔を浮かべている。

「校内新聞と言うだけあって、至る所で見かけますね」

「うぅ……恥ずかしい……」

 顔をおおう。

 こういう、スポットライトに当たるようなことは、不慣れだ。

「せめて、もうちょい良い笑顔で撮ってもらうんだった……」

「撮り直さなくていいって言ったのは先輩じゃないですか」

「だって、あの時はとにかく早く終わらせたかったから……」

 後悔が体を襲う。私の知らない多くの人間が、私の醜態を目にするのだ。

「……そういう意味では、良い笑顔じゃなくてよかったかも知れませんね」

 その瞬間、私の第六感が働いた。

 確信する。シラガミは、次に恥ずかしい台詞せりふを言うつもりだ。そうして私を赤面させ、からかうつもりなのだろう。

 しかし、そのタイミングが予測できれば、むしろカウンターを決めることさえできる。

「お前。さては『先輩の良い笑顔を、独り占めできるから』とか言うつもりだな?」

「はい」

 シラガミは一切顔を赤くすることなく、そう答えた。

「……本当に言うつもりだったのかよ!」

「先輩。顔赤いですよ」

「うるさい!」

 第六感を使いこなしても、こいつに勝つのは難しい。

「というか、そもそも勝ち負けがある物じゃないですよ」

 いつものように私の心を読んで、シラガミが笑う。

 恥ずかしくて仕方がないので、話題を変える。

「えーと、そう。あれだな。この宣伝で、ターゲットが向こうから来てくれれば楽に仕事できるな」

「あぁ……まぁ、そうですね」

 歯切れの悪い返事だった。

「……何か、乗り気じゃないな」

 まぁ、部活動を装ってるとはいえ、シラガミにとっては立派なお仕事だし、疲れが溜まっていたりするんだろうか。

「いえ、別に辞めたいわけじゃないんです……どうせ、いつかやらなければいけないことなので」

 シラガミが少し思いつめたような眼を見せる。

「……シラガミ、それって……」

「おっ、イナヅマちゃんとシラガミ君やーん。どしたんこんな所で」

 通りがかった茜が、私の言葉をさえぎる。

「新聞を見てたんです」

 シラガミが新聞を指差す。

「あー、これなー。もうちょい良い笑顔で撮ってあげたかったんやけどなぁ。折角、一週間も掲示されるんやし」

 茜が渋い顔をする。

「逆に言えば、後一週間の辛抱しんぼうってことだな」

「そういえば、この新聞って、次週の物に貼り換えたら、前の週の新聞はどうするんですか?」

「えっとな、一枚だけバックナンバーとして部室にあるファイルに保存して、残りは全部捨てるねん」

「じゃあ、その捨てる分を一枚、僕に譲ってくれませんか?」

「んー。ええで!」

 茜は大して悩むことなく、了承した。

「お、おい!」

「いいじゃないですか。思い出として、一枚だけ」

 一度は抑えた赤色が、またふつふつと顔に戻ってくる。しかし、やられっぱなしの私ではない。ここいらでひとつ、先輩としての威厳を見せてやろうじゃないか。

「そ、そんな写真なくても、私の笑顔が見たくなったら、い、いつでも見せてやるよぉっ!」

 言ってやった、言ってやったぞ。顔の紅潮に拍車がかかるが、何だかそれも気持ちがいい。

 茜も手を口に当てて、あらま。という顔をしている。

 どうだシラガミ。私だって、これくらいのことは言えるんだ。

「……そうですね」

 しかし、私の予想とは裏腹に、シラガミは恥ずかしがるでもなく、私をからかい返すでもなく、ただ切なそうに笑った。



・・・・・・



「ストップ!」

 樺井かばい先生がパイプ椅子から立ち上がり、劇の練習を止めさせる。苛立ちのこもった、威圧的な声だった。

 しかし、舞台の上に立つ演劇部員は何も驚いていない。その苛立ちが自分へ向けられた物ではないと分かっているのだ。

 またあいつか。という表情で、体育館の廊下を見上げる。

月島つきしま。降りてこい」

 先生は重々しく、その部員を呼びつけた。呼ばれた部員は、姫役を照らす照明から手を放し、下へ降りてくる。

「……」

 月島。と呼ばれた生徒は、黙って何も言わず、先生の言葉を待っている。何を言われるか、もう分かっているという顔だ。

「……月島。何度言えば分かる。どうして私の指示通りにしない?」

 月島君は、まだ何も言わない。

「……そんなに難しいことは言っていないはずだ。『王子』にスポットライトを当て、幕が閉じるまで動かすな。……簡単だろう。どうしてできない?」

「……それじゃ、ダメだ」

 樺井先生の眉が、苛立ちにピクッと震える。劇の練習のために薄暗くした館内でも、それが分かった。

 一番近くの月島君もそれに気付いていたのだろうけど、無視してまくし立てる。

「あのシーンは『王子』じゃなくて後ろの『姫』にスポットライトを当てるべきだ!」

「何度言えば分かる!脚本、演出は私だ!お前は黙って私の指示通りに……!」

「あ、あの、そんなに熱くならないで……」

 二人が喧嘩をしだすと、姫役の女子生徒が、ドレスのまま舞台から降りて止めに入る。

 ここまでがワンセット。周りの部員は、何度も見たその光景に呆れていた。

「……くまりましたね」

「くまったなぁ」

 私とシラガミは、クマの着ぐるみを着て、舞台袖からそう呟いた。



・・・・・・



 話は、一日前にさかのぼる。


「自己紹介しようか。樺井かばいだ。三年生の現国を担当している」

 樺井先生は、お茶を一口すすってからそう名乗った。前回のおっさんとは違い、自称ではない由緒ある本物の先生だ。私も校内で何回か見かけたことがある。

 四角い眼鏡をかけた三十代後半の男の先生で、卯木先生と同じくらい厳格なオーラを放っている。

 その樺井先生が、我が電科研の部室にやってきた。

「それで、用って何ですか?」

 何か怒られるようなことをしただろうかと、今までの活動内容を思い返す。

 ……うむ。おそらくおっさんの不法侵入の件がバレたのだろう。それ以外に怒られる心当たりはない。

 何日停学になるのかなぁとハラハラする。

「依頼だよ。この部活はお悩みを解決してくれるんだろう?」

「あ。おしかりに来たんじゃないんですね」

 胸をホッと撫で下ろす。

「……𠮟られるような心当たりがあるのか?」

 先生が私をぎろりとにらむ。私は慌てて目を逸らした。

「……まぁ、いい。私の依頼の話をしよう」

 先生はふところから何かの冊子を二冊取り出し、机の上に置いた。

 その冊子の表紙には『紫の森』という題字が、印象的なフォントで印刷されていた。

「これは……台本、ですか?」

「その通り。私は演劇部の顧問なんだ。演劇部は今度、それをこの学校で発表する予定なんだが……」

「なんだが?」

「役の数に、部員の数が足りない。そこで君達の力を借りたい」

「それって、私達も劇に出演しろってことですか?」

 先生はうむと頷いた。

「むっ、無理無理。無理ですよ!私が、劇なんて!」

 手をぶんぶんと振って、激しく拒絶の意を示す。

「君達に頼みたい役はただのエキストラだ。それでも駄目か?」

「いや、それでも……」

 スポットライトから離れていたとしても、舞台の上に立つ自分を想像するだけで恥ずかしくなる。もし足が震えているのを観客に目ざとく見つけられるかもと思うと、もう崩れ落ちたくなる。

「いいじゃないですか。やりましょうよ」

「なっ……!?」

 小声でシラガミと相談する。

(何でそんなこと言うんだよ!もしかして、この人も『分岐点』に立ってるのか?)

(いえ、別に。可能性が上がるきざしも下がる兆しも見受けられませんね)

 シラガミが樺井先生の顔をじっと見つめ、可能性の数値を確かめる。それに変化はないと言う。

(じゃあ尚更なおさらどうして!)

(だって、断る理由がないですし)

 シラガミが当然とばかりに頷く。

「なるべく、早く決断してもらいたい」

 先生が眼鏡をくいっとかけ直す。まるでもう私達が出演することがほぼ決まっているような面持ちだ。

「ほら、先輩」

 シラガミが背中を叩く。こういう態度を取られては、私がまるで駄々をこねているみたいではないか。

「……分かりました。やるよやります!」

 渋々、台本を受け取る。

「ありがとう。それじゃあ、この劇のあらすじを説明しておこう」


 その昔、赤の国と、青の国がありました。

 とある夜会で赤の国の姫と、青の国の王子は互いに一目惚れをするのですが、その数日後に両国の間で戦争が始まり、二人は引き裂かれてしまいます。

 それに耐えかねた王子は、姫へ伝書鳩を出しました。

いとしの姫よ。僕と二人で、国のしがらみのない所で暮らそう。紫の森で、待っています』

 二人は紫の森で落ち合おうとしますが、中々上手く行きません。紫の森には、不思議な魔法がかけられていました。

 その森では、あらゆる物が混ざってしまうのです。

 二人はその不思議な森で、様々な人間に出会います。

 数匹のクマを引き連れた森の魔女。二人の駆け落ちを阻止しようとする、互いの国の追手。既に死んだ人間の、失われた記憶と歴史。

 王子は戦争の過酷さと悲しさを知り、森の魔女に二つの国を未来永劫みらいえいごう『分ける』ようにお願いします。

 その願いは聞き入れられ、戦争はなくなりました。

 しかし、王子と姫は、二度と出会うことができなくなってしまいました。

 二人はその寂しさを胸に抱えながら、立派に平和な国を治めました。

 終わり。



・・・・・・



 私とシラガミは、魔女の手下の熊の役をつとめることになった。

 魔女役、兼、衣装係の人の手を借りて、舞台袖で熊の着ぐるみを着る。顔だけ外に出るタイプの物だ。

「まさか着ぐるみとは……熊の耳を付けるぐらいだろうと思ってたよ」

 白衣を脱ぎ、大きな熊の手に腕を通す。

「ははは。あんまり部費の多い部活じゃないんだけどね。何代前からかは知らないが、何故かこの着ぐるみが部室にあったんだ。それ以来、我が演劇部ではすべての舞台にクマの役を出演させるのが伝統なんだ」

 魔女役の人の衣装を見る。三角帽子に、黒いマントをそれらしく加工しているだけで、どう考えてもこの着ぐるみの方が高価だ。

「そんな伝統の熊の役を、別の部の私達がやってもいいの?」

「まぁ、モブだし」

 魔女さんが後ろのチャックを閉める。

「でも、じゃなくてね。そこんとこ間違えないで」

「あっはい」

 扱いはおざなりな割に、何だか妙なこだわりを持っているようだ。

「はいっ。着付け完了。どう?きつくない?」

 手足をばたばたさせたり、その場でぴょんぴょん跳ねてみたりする。

「うん。問題なし」

「先輩。着ぐるみ可愛いですね」

 隣のシラガミも着付けが完了したようだ。大きな着ぐるみからシラガミの端正な顔が露出しているのが、何ともシュールで可愛らしかった。

「おうシラガミ。お前も可愛いぞ」

 二人でお互いの着ぐるみをぼふぼふする。何だか無性に楽しかった。

「じゃ、通し練習始めるから。私が背中を叩いたら、舞台で台詞を言ってきて」

「え?もう始めるの?台詞とかまだ覚えてないんだけど……」

「大丈夫大丈夫。君達が出演する所、ページにしたら1ページくらいだから。すぐ覚えられるよ。台詞も『クマクマ』しかないしね」

 本当におざなりな伝統だなぁと感じたが、口には出さなかった。

 そして体育館の照明が落ち、代わりに廊下の照明係が舞台を照らす。魔女役の人も、舞台袖の奥の方で待機を始めた。

「スタート」

 体育館中央から舞台を見据えながら、樺井先生が開始の指示を出す。ナレーションが始まり、劇が進行していく。


『ああ、愛しの姫よ!僕らは、どうして……』

『何故かしら……この森、とても不気味に感じるわ』

『させるものか!お前には、自分の国へ帰ってもらう!』

『いかにも、私は魔女。この魔法も解除することができる。しかし、そのまま逃げてしまうのは、あまり賢い選択だとは思えないな』

『クマクマ』

『ここはどこなんだ?どうしてあの人に出会えないんだ!?』

『声が、聞こえる……これは、お爺様の記憶……?』

『理由なき戦争などない!あいつは、母上のかたきなのだ!……殺すしか、ない!』

『何故か人間は、理想と現実を、私が魔法をかける前から混ぜこぜにしてしまう』

『……最後に、精一杯抱きしめさせて、キスをさせて欲しい』

『赤は赤へ、青は青へ……早く行け。この森は、二つを断絶する壁となる』


 舞台の上で、部員達が入り乱れる。ストーリーは予め台本を読んで知っていたが、実際に舞台で動いているのとでは違うなぁ。と感心した。

 私の『クマクマ』が浮いていなかったか心配だ。

 そして、物語はついにラストシーンへ入る。

 台本によると、王子が膝をつきながら独白を始め、その周りを姫が舞うというシーンのはずだが……。

「ストップ!」

 樺井先生がパイプ椅子から立ち上がり、劇の練習を止めさせる。苛立ちの籠った、威圧的な声だった。



・・・・・・



「月島。お前ちょっとこっちに来い」

 樺井先生が体育館を出る。月島君は黙ってそれに付いて行った。

「はぁー。まーたこれか」

 王子役の人が、呆れたように舞台の上に仰向けで寝転んだ。さっきまで膝をついていたので、サッカー選手のゴールパフォーマンスのような体勢になっている。

って、前にもこういうことがあったの?」

 魔女役の人に問いかける。

「うん……この劇をやるって決まってから、何回もね……」

 そういえば先生も、何度言えば~と言っていた。

「樺井先生の決めた演出だと、最後のシーンは王子にスポットライトを当てる段取りなんだけど……裏方の月島君は、どうしてもお姫様に光を当てたいらしい」

 そのお姫様が、ドレスをはためかせてこちらへやってきた。緩くウェーブがかかった、薄い茶色の髪をしている。

「ごめんね、クマさん。二人は初めての練習なのに、お見苦しい所見せちゃって」

 姫役の人が、申し訳なさそうに頭を深々と下げる。そして次に、ガバっと体を縦にした。

「でもね。月島君も悪気があってやってるわけじゃないの。月島君なりに、劇のためになるようにやってることで……頑固で聞き分けがないけど、その、嫌にならないであげてね?」

「クマ役やめないでね?」

 お姫様は真摯しんしに私の瞳にうったえかけ、魔女はあざとく瞳をうるませた。

 別に姫役の人のせいではないのだが、代わりにわざわざ謝りに来た所を見ると、そういう性格の人のようだ。

「いや別に、もうやるって言っちゃったし、今更やめようとは……」

(先輩。先輩)

 クマの大きな手を振っていると、シラガミが私に小声で話しかけた。何を発見したのか、もう分かるようになってきたけれども、あえてシラガミの口から聞くことにした。

(何だよ)

(この姫役の人、分岐点に立っています)

(……結局、今まで通りすることになるのか)

(……そうですね)

 二人で姫役の人を見る。

「何話してるの?」

 姫役の人は、不思議そうに首をかしげた。ここは、単刀直入に聞くとしよう。

「えっと、姫役の人は……」

「あ、八木やぎです。八木やぎ由香ゆか

「……八木さんは、何か悩み事とかある?」

「悩み事?何で?」

「えっと……そういう部活なんです」

 八木さんは、不思議そうな顔をしながらも答えてくれた。

「……そうだなぁ。やっぱり、月島君の意地っ張りが、悩みかなぁ」

 耳をすますと、体育館裏から先生と月島君の言い合いが聞こえる。もう少し長引きそうだ。八木さんは苦笑していた。

(あの月島君とやらのせいで、劇が失敗しちゃうかも知れないってことか?)

(確証はありませんが、普通に考えたらそうでしょう)

(……じゃあ、今回の電科研のミッションは、月島君の暴走を止める。ってことだな)



・・・・・・



 ひとまず、今日の分の練習を終えた後、私達は校門で待ち伏せした。月島君とお話するためである。

「お話するだけで、素直にやめてくれるとも思えないけどな……」

「でもまぁ、やらないよりはマシでしょう」

 と、思って数十分校門に張り付いていたのだが、一向に月島君が来る気配がない。

「……先に帰っちゃったんですかね?」

「いや、私達より先に帰った部員は居なかったはずだが……一応、体育館に戻って確認してみよう」

 校内を引き返し、体育館へ戻る。扉の鍵は、開いたままになっていた。

「失礼しまーす……」

 中に入ると、舞台の上で光が踊っていた。

「わぁっ……」

 誰も居ない空間を、縦横無尽に丸い光が動き回る。龍のように激しく、蝶のように華麗に、花びらのようにはかなく。

 色も形も変わらない、ただの白いスポットライトが、幾重いくえにも姿を変える。

 それはまさに、光が踊ると呼べる物だった。

 その途中で、光がピタッと止まり、意識が現実に戻る。

 光源へ目をやると、誰かが設置された照明に手をやっていた。その人影がぐるんと照明装置を動かし、扉の前の私達にスポットライトを当てた。

「うおっまぶしっ」

 思わず目を手のひらでおおう。

「おい、顔隠すなよ。誰だか分かんないだろ」

 上の廊下からわがままな要求が降る。

「わがままだなぁ!」

 その口振りと声で察する。あの照明装置を動かしているのは月島君だ。そして向こうも、私達が誰か察したようだ。

「その白衣……お前ら、助っ人の科学部の奴らか」

「科学部じゃなくて、『電撃科学研究部』だ」

「何しに来たんだよ。忘れ物か?」

 月島君が私の注意を無視するので、私も質問を無視して、質問し返す。

「月島君こそ、ここで何やってたんだよ」

「さっきの見てただろ?練習だよ。最後のシーンの」

 最後のシーン。月島君が命令無視を繰り返す、問題のシーンである。王子が舞台の上で独白し、その周りを姫が踊るという暗喩的なシーン。

 先生の指示では王子に。一方月島君は姫にスポットライトを当てたいと考えているらしいが。

「普通の人じゃ、その光に付いていけないと思うけど……」

 先ほどの光の動きは、美しい反面、複雑で素早い動きをしていて、踊りながらあの光に付いていける人間はまれだと思われる。

「付いてくるさ。八木なら」

 月島君は力強く答えた。薄暗い体育館の中で、その眼がぎらりと輝いた気さえした。

「……随分信頼してるんですね。八木さんのこと」

「ああ、あいつは天才だ。歴史に名を残す女優になる」

「……悪いけど、八木さんがそんなにすごい人には見えなかったぞ」

 シラガミの鑑定では、才能アリとのことだが、それも現実的な範囲の話だろう。

「それは、誰もあいつの才能に気付かないで、光を当てないからだ。どんな演者でも、光に当たらなければ応えられない……あいつ自身もその才能に気付いてないで光に当たろうとしないのが厄介だ。だから俺が無理矢理でもあいつにスポットライトを差して、気付かせてやるんだ。あいつに、世界に、八木由香という女優を」

 スポットライトを舞台の方へ戻しながら、月島君は熱の籠った声で語る。八木さんに対するその信頼は、尋常ではなさそうだ。

 月島君も悪気があってやってるわけじゃない……か。それはそれで性質タチが悪い。

 その演出を正しいことだと信じて、練習までして、命令に従うつもりはないという意思が見て取れる。

 しかし、だからといって何もしないわけにはいかない。ここはストレートに行こう。

「なぁ、月島君。もうやめにしないか」

「やめにする。って、何だ?樺井の言う通りにしろってことか?」

「そうだ。私みたいな余所者よそものがとやかく言うのははばかられるが……はっきり言って、君の行動はから回っている。君個人は劇のためになると思って行動しているのかも知れないが……」

「話にならないな」

 そう言って月島君は照明を切った。

「はっ、はな……!?」

 予想外の返しに私が愕然がくぜんとしていると、月島君が廊下から降りて、私達に近付いてこう言った。

「まず、俺は劇のためなど思っていない。というかそもそも、八木の女優としての成功以外、あまり興味がない」

「だ、ダメじゃないか!」

「ダメじゃないさ。八木の魅力を発揮させることは、結果的に劇の成功へ繋がるんだからな。なのに、それを理解しないバカばっかりだ」

 その絶対的に確信した口振りに、一瞬気圧けおされる。まるで狂信者を見ているようだ。

「……ま、お前らもそのバカの一人ってことだな。精々、八木の邪魔だけはしてくれるなよ。じゃあな」

 月島君はそう吐き捨てて去っていった。意思は、固いらしい。

「皮肉な話だな……才能に期待してるからこそ、その才能を潰すことになるなんて」

 月島君の行動を解決しなければ、八木さんは分岐点を、間違った方向へ進んでしまう。そうなれば月島君は、どれだけ自分を責めるだろう。

「二人のためにも、頑張りましょう」

 私はシラガミと一緒に、静かに頷いた。



・・・・・・



「……うーん。くまったなぁ……」

「くまりましたね……」

 私達は職員室へ向かって歩いていた。何と月島君が先に帰ってしまったので、私達が体育館の鍵を職員室へ返さなければならないのである。つまり押し付けられた。本当にくまった奴だ。

「くまったくまった」

「……何か、ノリノリですね。先輩。最初は嫌がってたのに」

「ああ。着ぐるみがあれば、足の震えなんかバレないからな。何も恥ずかしくない。そう考えたら何か楽しくなってきた。クマ。可愛いしな」

「普通、着ぐるみを着る方が恥ずかしいと思うんですけど……」

 シラガミが苦笑する。

「まぁ、折角伝統ある役をもらったんだ。精一杯頑張るさ。クマクマ!」

 空に爪を突き立て、クマのポーズを取る。シラガミも同じポーズをして、クマクマと答えた。

「ふむ。やる気になってくれたみたいで嬉しいよ」

 後ろから声がする。振り返ると、そこには樺井先生が居た。き、気まずい。

「か、樺井先生……今の、聞いてましたか?」

「うん?聞いていたが、どうした?」

「そ、そうですか……」

 恥ずかしくなって、目を伏せる。

「……何故、顔をそむける?」

「だ、だって今は着ぐるみ着てないですし……」

「普通、着ぐるみを着てる方が恥ずかしいと思うんだが……?」

 樺井先生がコホンと一つ咳を払い、話題を変える。

「そういえば、ここで何してるんだ?もう下校時間だろう?」

「鍵を返しに、職員室へ行く途中なんです」

 シラガミが鍵を持ち上げ、樺井先生に見せた。

「体育館の鍵か。どうしてお前達がそれを?」

 そこで私達が鍵の返却を押し付けられるまでの経緯けいいを説明する。月島君との会話も合わせて。

 すると樺井先生は、嫌悪の表情をあらわにした。

「そうか……またあいつは、そんな事を……」

 どうやら月島君は、例の思想を度々口にしているようだ。

「ふん。あいつの言っていることはめちゃくちゃだよ。確かに、あいつの言う通りの演出をすれば、八木を目立たせることはできるだろう。だがそれだけだ。劇本来の流れを壊してしまう。結果的に八木の演技も台無しにしてしまうだろう」

 樺井先生が腹立たしそうに鼻を鳴らす。

「大体、最後のあのシーンは演出がとても重要な意味を持つシーンなんだ。スポットライトの中で王子がその選択についての前後、それに伴う様々な感情を吐露とろする。悲しさ、やりきれなさ、愛、勇気……その全ての感情に、姫への想いが映り込む。それを姫の舞いがスポットライトの中へ断片的に行き交うことによって暗喩的に表現し、今作のテーマである『混沌と別離』を過不足なく、情緒豊かに観客に伝えることが……」

 せきを切ったように、先生が劇について語りだす。方向は違えど、熱意は月島君に劣らない。

 ただ、正直私には、どちらの言い分も良く分からなかった。

「き、気合い入ってますね……」

「ああ、実は今回の公演には、あるテレビ局のディレクターさんが来ることになっていてな。私の才能を見出してもらえれば、私は夢の脚本作家に……」

 樺井先生が未来を夢想し、目を輝かせる。

 それに水を差すように、後ろから月島君が現れた。

「お前みたいなバカに、才能なんてあるわけないだろ」

 辛辣しんらつな第一声だった。

「月島君。どうしてここに?」

「体育館の鍵を返し忘れてたから、確認に戻ったんだが……お前らが代わりに返しに行ってくれてたんだな。ご苦労」

 どうやら意図的に私達に押し付けたのではなかったようだ。横柄おうへいな態度は変わらないが。

「……月島。今のは、どういう意味だ?」

 樺井先生がゆっくりと問いかける。言葉には隠し切れない怒気がはらみ、手の甲がわなわなと震えていた。

「言葉通りの意味だ。お前はバカで、才能がない。脚本作家を目指しているらしいが、無理だ」

 混じりけのない、純度100%の罵倒ばとうだった。敬語ですらない、完全に見下しているということが伝わる態度だった。

 樺井先生の周りの空気がギギギときしむ。先生にとって『脚本』をバカにされることは逆鱗げきりんだったらしく、教師と生徒という関係性がなければ、彼を殴り飛ばしていたのでないかとさえ思わせた。

 だが、先生はすんでの所で、自分の怒りを押ししずめ、さとすように言った。

「……まぁ、あの脚本を書いたのは私だ。ある程度の批判は受け入れよう。しかし、だ。舞台は皆の舞台なんだ。お前の匙加減さじかげん一つで好きに造り変えられては困る。もっと部員全員のことを考えて……」

「はっ。俺から見れば、あんたの方がよっぽど舞台を私物化しているように見えるけどな。部員達の能力を引き出してやることよりも、自分の脚本が評価されることばかり考えている。だから自分の考えた演出にこだわるんだろう?」

「……違う。そもそもお前の提案する演出は不可能だろう。踊る姫に合わせてスポットライトを動かすなど、お前にも八木にもそんな能力はない。これは八木を含めた部員達の総意だぞ」

「それだ。俺の能力を疑うことはまだしも、何故お前は八木の才能に気付かない?無能にも程がある。お前はもう教育者を名乗るな」

 月島君は、先生の諭しにもほだされず、責めるような言葉にもひるまず、一切ブレずに真っ直ぐに、樺井先生を否定し続けた。自分に間違いはないと主張し続けた。

 八木由香という女優を、信頼し続けた。

「……山田。鍵を、預かろう。私が返しておく」

 樺井先生が目尻を抑えながら、手を伸ばした。シラガミが手に持っていた体育館の鍵を先生へ手渡した。

「月島……職員室に来なさい」

 先程の練習の時と同じように、樺井先生が職員室へ向かい、月島君は黙ってそれに付いて行った。

「……くまりましたね」

「くまったなぁ」

 私とシラガミは、白衣をはためかせて、廊下の脇からそう呟いた。



・・・・・・



 そして次の練習の日。

 月島君は逆らうことなく、先生の指示に従っていた。昨日の説教が、余程効いたのかも知れない。

 暗転して幕が開ける。スポットライトは、王子を照らしたまま動かない。先生のストップがかからないまま劇は進行し、王子役の人が独白を始める。

「そして、二つの国は森によって断絶され、強制的に戦争は終結した……憎しみの連鎖はついえ、同時に、僕らが愛を育むこともなくなった……この選択は正しかった。国を守るべきの人間として、きっと正しかったはずだ。だけど…………えっと…………」

 しかし、その独白の台詞は途中で中断された。どうやら台詞が思い出せないようである。

「……あっ、ああ姫よ。どうしても……」

「ストップ」

 樺井先生が、今度こそストップをかける。そして王子役の人をぎろりとにらんだ。王子役の人は声色を変え、平謝る。

「す、すいません!その、劇が普通に続くの久しぶりで、つい……」

 王子役の人が、廊下で照明を担当している月島君をちらりと見上げる。

「……まぁ、仕方ないな。残りの時間は最後のシーンを重点的に練習しよう。今までできなかった分……な」

 樺井先生が嫌味な言い方をするも、月島君は眉一つ動かさず、指示通りに、黙って照明の仕事をまっとうした。昨日の頑固な態度が別人のようだ。

 だが……何というか、反省した。というような雰囲気ではない。嵐の前の静けさのようにも思える。

「まぁ、もう明日公演だし、流石に月島君もこれ以上わがまましないでしょ」

 魔女役の人が安心した声を出す。

「えっ、明日?もう明日本番なの?」

「あれ?聞いてない?」

 ……やっぱり、何だか緊張してきた。月島君の心配をしている場合ではないかも知れない。

「でも大丈夫でしょ。二人ともクマ役完璧だし」

 眼前に親指が立つ。部員である彼女がそう言うのであれば、大丈夫なのだろう。

「それじゃ、衣装脱ごうか。多分もうラストシーンの練習しかしないだろうし、先に片付けとかやっちゃおう」

 魔女役の人がマントと帽子を外し、着替えを終える。非常に手軽だ。しかし私達が着ている着ぐるみはそうは行かない。一人では脱着が不可能な仕組みになっている。

「じゃあ、シラガミ君の方から行くねー」

 慣れた手つきで着ぐるみのチャックが降ろされていく。クマの形態から解放され、シラガミはいつもの美少年の風貌ふうぼうを取り戻す。何ともシュールなビフォーアフターであった。

「じゃ次は……」

 魔女役の人が私の首元に手を伸ばした所で、別の部員から声がかかった。

「ごめーん!ちょっとこっち来てー!」

「はーい!……ごめん、行くね」

 クマのままの私を残し、魔女役の人は呼ばれた方向へ行ってしまった。戻ってくるまで少し待たなければいけない。脱げないとなると、急に着ぐるみの中が熱くなってきた。

「じゃあ僕がやりますね。先輩。背中向けてください」

「うー……う、うん!?」

 一瞬、シラガミの言う通りに背を向きかけて、慌ててそのまま振り返る。一回転したことになる。

「お、お前がやるの?」

「うーん。やっぱり部員じゃない人間だけで扱うのはまずいですかね。伝統ある着ぐるみだって言ってましたし」

「い、いや、そういうことじゃなくて……」

 脱がすということだ。私を、シラガミが。

「……?そういうことじゃなくて?」

 シラガミがピンと来ない顔をして首を傾げる。そういう無垢な顔をされると、目を合わせづらい。まるで私が自意識過剰な人間のようではないか。

 いや、実際そうだろう。着ぐるみはあくまで着ぐるみだ。無論、直には着ておらず、着ぐるみを脱いだ所で素肌が晒されるわけではない。いつもの制服姿に戻るだけ。ただそれだけのことなのだ。

「……いや、何でもない。それじゃあ、頼む」

 冷静をよそおい、今度こそ背を向ける。

「はい」

 シラガミは何の躊躇もなく、私の背中のチャックに手を付けた。いや、躊躇がないのが当たり前だが、少し背筋が震えた。

「危ないですから、あんまり動かないでください」

「お、おう……」

 チャックが降ろされていく。ぞくぞくと恐怖にも似た浮遊感が体を襲う。心臓が不規則な鼓動を刻む。

 急に背後が不安になる。そんなはずはないのだが、ちゃんと制服を着ていたか不安になる。本当に制服着てたっけ?素肌に空気が触れているのではないかと感じる。蒸れた空気が外に出て行く解放感と錯覚しているだけだと頭では分かっていても、心と体は危険アラームをけたたましく鳴り響かせている。というか蒸れた空気が外に出ているってダメなんじゃないのか。私の匂いやらがこもったそれが今シラガミの眼前に放たれているということではないのか。ないのか!

「終わりましたよ」

「うわぁぁーっ!」

 着ぐるみから飛び出るように脱衣を完了する。

「……どうしたんですか?さっきから」

 いつも私のことをからかうくせに、こういう時、本当にシラガミは鈍い。……まぁいい。もう終わったことだ。

 呼吸を整え、舞台袖にかけておいた白衣を羽織り直す。

「いやー。クマもいいけど、やっぱ白衣の方が落ち着くな」

 と、言った物の何か違和感を感じる。

 丈が合わない。袖がぶかぶかだ。それに、匂いも違う気がする。舞台袖の匂いがうつってしまったのかと思ったが、それも違う気がする。どこかで嗅いだような匂いなんだが……いくら嗅ぎ直しても思い当たらない。

「……?なぁ、シラガミ……」

 振り返ると、何故かシラガミが真顔で硬直していた。

「……どうした?」

「いや、その……」

 シラガミは何かを言い辛そうに口をもごもごさせた後、こう言った。

「それ、僕のです」

 顔から血の気がなくなった後、すぐさま押し返す波のように顔に血が上る。

「ち、ちち違うぞ!わざとじゃない!わざとじゃあないんだ!匂いとか嗅ぎたかったわけじゃいや良い匂いだったけど!」

「わ、分かりましたから……」

 心臓に悪い数分だった。



・・・・・・



「……よし、今日の練習はここまで。各自、明日の本番に備え、しっかりと心の準備をしておくように」

 樺井先生が手を叩き、部員達は小道具などの片付けに入った。廊下の月島君も、廊下の下まで伸びた照明の配線などを巻き取っている。

「……八木さんの様子はどうだ?」

「まだ、可能性の数値は不安定なままですね。未来は決定してません」

 シラガミが舞台袖へ戻っていく八木さんを見つめながら答える。

「……ってことは、月島君はまだ完璧に諦めたわけじゃない。ってことだよな」

 月島君の眼には、昨日見たぎらつきがまだ残っているようにも見えた。

「うーん……どうするかなー……」

 腕を組んで悩む。月島君が土壇場どたんばで指示を無視して、八木さんが付いて行けないような動きで照明を振り回せば。月島君がそのつもりなら、劇は失敗してしまうだろう。

「いざとなったら、もう気絶させるしかないですかね。最終手段。ですけど」

 シラガミが腰の光線銃に手をかける。

「え。それ月島君死ぬんじゃないの」

 何とも物騒な。

「いえ、調整すれば、地球のスタンガンくらいまで威力を落とせます。死にはしません」

 それでも、月島君の体に大変なショックが襲うことは変わりないだろう。

 電科研の部長としては、是非ともそれを観察してみたい所だが、何というか、あの稲妻は私を救ってくれた物なのだ。あの光線銃が人を傷付けるのは嫌だ。

「……そうはならないように、今日も月島君に説得を試みよう」

「了解です」

 二人で頷き、月島君の下へ行く。しかし、月島君は私達に話しかけられる前に、舞台袖の端で八木さんに話しかけた。

「八木」

 短い呼びかけに八木さんが振り向く。

「月島君。どうしたの?」

「話があるんだが……」

 周りに聞かれたくない話なのか、月島君が首を回し、誰も居ないか確かめる。私達は二人の会話が聞こえる距離を保ちつつも、バレないように幕の間に体を挟み込んだ。

 月島君は辺りに誰も居ないことを確かめると、再び口を開いた。

「八木に言いたいことが二つある……一つ。まずは、ごめん」

「えっ?」

 月島君が姿勢を正して、八木さんに頭を下げる。八木さんはそれに困惑していた。

「今まで指示を無視し続けたせいで、ラストシーンの練習ができなかった。そしてその分だけ今日、八木にハードな練習をさせることになってしまった。本当に、申し訳ない」

「い、いいよ別に。月島君も悪気があったわけじゃないし、最後にちゃんとしてくれるなら……」

 月島君はそんな八木さんの言葉をさえぎり、裏切った。

「もう一つ。俺は本番で、お前にスポットライトを当てる」

 つもりだ。とも付け加えずにそう言い放った。確固たる意思がうかがえる。

「お前なら、わざわざ言わなくても応えてくれると思ったが……一応、言っておくことにした」

「何で……?」

 八木さんは、困ったように言った。

「何で、そんなに私にこだわるの……?」

 月島君の異常なまでの執着に、戸惑とまどい、怯えているようだ。

「才能ある者を応援することが、そんなに変か?」

 月島君は、真っ直ぐに八木さんを見据えた。

「八木。俺は『八木由香』という女優のファンなんだ。お前は、もっと大きな舞台に立つべきだ。お前なら、そこへ行ける。どこへだって行ける」

 対する八木さんは何度も首を横に振った。

「無理だよ……月島君がどうしてそんな勘違いをしているのか分からないけど、私にそんな才能なんてない。動くスポットライトの中で踊るなんて、月島君が言うような演出に付いて行くなんて無理なの。どうして、分かってくれないの……?」

「大丈夫だ。お前もすぐに分かる。自分に才能があることを。いや、俺が分からせてやる」

 月島君の態度は変わらない。

 確かに、異常な執着だ。八木さんの才能を一切疑わず、周りを振り回し、確信を持って八木さんのことだけを考えている。

 だがそれだけに、月島君はどこまでも真っ直ぐだ。

「……無理。無理なんだってば!」

 八木さんが声を張り上げる。まだ知り合って二日だが、それはとても珍しいことのように思えた。

 それだけ、月島君の期待が不気味で、重荷に感じたのだろう。

 月島君も黙り、一瞬、舞台袖に静寂が流れる。

「……とにかく、明日もちゃんと、先生の言う通りにして」

 そう言うと、八木さんは逃げるように舞台袖から出て行った。



・・・・・・



『理由なき戦争などない!あいつは、母上のかたきなのだ!……殺すしか、ない!』

『ダメーっ!』

 暗い体育館に、銃声の効果音が鳴り響く。劇はクライマックスを迎えていた。

 私達は舞台を尻目に、出番の終わったクマの着ぐるみを脱いで、体育館の廊下へ駆けあがっていた。

 月島君を、気絶させるためである。

「……結局、最終手段に頼ることになっちゃったな」

「仕方がありません。急ぎましょう」

 シラガミは光線銃のダイヤルを回しつつ、階段を上がった。舞台に音が入らないよう、注意を払う。

 そして廊下へ出る。月島君へ近付く。気が重いが、八木さんのためだ。

 バレないように、慎重に……と、足音を消して歩いていたのだが。

「来たな」

 月島君は振り向かないまま、後ろの私達の存在に気付いた。

「なっ……」

「俺を止めに来たか?」

「……や、やっちゃえ!シラガミ……」

 シラガミに指示を出しかけた瞬間、廊下の下で、ぶちっ。という音がした。

「えっ?」

 廊下の下を見ると、照明のコードが電源から外されていた。逃げていく人影も見える。

「……あいつの差し金か」

 月島君が廊下の向こうを見ながらぼやく。向こうでは、樺井先生が照明を設置していた。

「せ、先生」

 つまり、先生も月島君が指示に従わないことを見抜いていたのだ。そして最後のシーンは自分で照明を当てる策を練り、それは今、成功した。電源がなければ、月島君は何もできない。

『赤は赤へ、青は青へ……早く行け。この森は、二つを断絶する壁となる』

『さようなら』

 舞台でも一番の山場が終わり、暗転する。最後のシーンが始まるまでもうすぐだ。

「……私達が出る幕はなかったってことだな」

 最終手段に頼る必要はなくなり、ほっと胸を撫で下ろす。

「そうみたいですね」

 シラガミも安心した顔で、構えた光線銃を腰に戻そうとした。

 そこを、月島君が奪い取る。

「……え」

「ごめんな。これ、借りる」

「まっ……」

 シラガミの了承を待たずに、月島君は引き金を引き、向こうの廊下の先生を打ち抜いた。

 廊下から廊下へ、観客たちの頭上を稲妻がほとばしる。

 シーンは丁度、魔女が大きな魔法を使った直後。観客達は演出の一つだと思っているのか、稲妻の轟音にも光にも、驚いていなかった。

「お、おま……お前っ!?」

「死にはしない威力なんだろ?声を出すな。公演中だ」

 月島君はそう言いながら、手慣れた手つきで光線銃のダイヤルを回す。そして照明のプラグ入れに突きつけた。すると、光線銃の銃口がそのプラグ入れの形に呼応こおうするように、ぴったり収まる形に粘土のような動きで変形した。そのまま突き刺す。私すら知らない、光線銃の機能だった。

「電源よし」

 電源が復活。先生は気絶。光線銃も奪われた。

 もう、説得するしかない!

「や、やめるんだ!これで劇が失敗すれば、八木さんの才能は……」

「大丈夫だよ。どんな状況でも、光に当たりさえすればあいつは応える。誰よりも輝く。最高の女優だからだ。どこへだって行ける。俺が気付かせてやるんだ」

 月島君が、照明のスイッチを入れる。

「俺が、連れていくんだ」

 舞台に光が差す。八木さんが姿を現す。予想外の出来事に舞台が一瞬、硬直する。しかし、それは本当に一瞬だった。

 次の瞬間、姫は光と共に踊った。

 その光で全てが伝わったのか、姫の動きと表情には、一切の迷いがなかった。

 王子役の人の周りを、縦横無尽に光をまとって動き回る。龍のように激しく、蝶のように華麗に、花びらのようにはかなく。

 観客が、一斉に見惚れているのが分かる。ほぅ。というため息が、かぐわしき風になって舞台に吹いているようだ。

 その光と姫の動きには、全くブレがない。姫が光の源を抱えているのか、光が彼女に突き刺さっているのか、それとも、彼女自身が光なのかと見紛うほど、シンクロしている。

「すっご……」

 誰しもが自分が言った物だと勘違いしただろう。後から分かったことだが、この台詞は同じ舞台に立つ王子役の人が、つい漏らしてしまった物だったそうだ。

「あっ、いや、えっと……そして、二つの国は森によって断絶され、強制的に戦争は終結した……」

 王子役の人が慌てて独白を始める。だが、それをまともに聞いていた観客がどれほど居ただろう。そんな物を聞かずとも、彼女の舞いだけで全てが分かる。『姫』と『王子』が、どんな感情を抱いているのか。

 それに途中で気付いたのか、王子役の人も、独白をやめてしまう。雑音にしかならないので、賢明けんめいだと思う。

 視覚以外の他の五感を、全て閉じてしまってもいいと思えるほど、その場の皆が姫に釘付けだった。

『八木由香』に、スポットライトが当たっている。



・・・・・・



 舞台袖から、八木さんが衣装のまま飛び出て来た。

「あ、八木ちゃん!」

「さっきの子じゃん」

「すごかったねー!すごかった!」

「姫役の人だよね!?」

「八木さーん!こっちこっち!」

「ねぇ、八木さん、ちょっと……」

「月島君!」

 八木さんに群がる人達を押しのけて、八木さんは月島君に飛びついて、抱き合った。

「すごいすごいすごい!私踊れた!踊れたよ!」

「当たり前だ。お前は最高の女優なんだから。どこへだって行ける」

 高揚しきった八木さんとは対照的に、月島君は落ち着いて答えた。しかしその表情は、今までに見せたことのない、柔らかな笑みだった。

「うん!私、どこへでも行ける!どこまでも行ける!月島君と一緒なら、どこへでも!」

「……ああ」

 二人が、より強く抱き合う。二人とも、達成感に打ち震えていた。

 わざわざシラガミに確認してもらうまでもない。八木さんの可能性は、かなり高い数値で安定していることだろう。

「……結局。月島君の言う通りにするのが一番だったんだな」

 樺井先生が遠くから、歯がゆそうに二人を見つめていた。

「そうとは知らず、真逆のことをしてましたね。僕達」

「うむ。これはちょっと、反省しなければならないな……」

 深く心にいましめめる。鉄也君の時も、シラガミはこんな気持ちだったのだろうか。

「皆で月島君を胴上げだーっ!」

 私達がしょんぼりしている間に、向こうでは何やら楽し気なことが始まっていた。

「ちょっ、ちょっと待てっ、何で俺なんだ!するなら八木だろう!」

「その八木ちゃんが活躍できたのは、月島君がスポットライトを当ててくれたからでしょ?」

 魔女役の人が扇動して、もとい先導して。部員のみならず、八木さんに群がっていた観客達までも巻き込んで、胴上げを始めた。

「わーっしょい!わーっしょい!」

 規則正しいリズムで、月島君が宙へ舞い上がる。月島君の慌てた顔が見え隠れする。

「や、やめろっ!たたえるなら八木を讃えろ!」

 彼はこれから、きっと何度も八木さんにスポットライトを当てるのだろう。ならば、今日一日ぐらい注目されるのも、また一興ではなかろうか。

「……私達も混ざるか」

「はい。そうしましょう」

 シラガミと顔を見合わせ、部員野次馬ミックス集団に突入する。

「わーっしょい!わーっしょい!」

 窓から差し込む午後の太陽の柔らかな光をスポットライトに、月島君の体が空中で踊る。

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