第☆話 それはいつでも夜空に灯って街路を照らしてくれる星

 アユムは夕焼けの観覧車を覚えている。そしてあの日より前の苦い過去は消えない。それでいいとアユムは思った。寄り添ってくれていたことを知った。横断歩道のこちら側で立ちすくむ中学生の自分に、孤独を持て余しうつむく高校生の自分に、ひとりで空を見つめる大学生の自分に、そしてそれからの自分にも、やわらかな祝福が降りそそいでいく。道は続いている。いつか辿り着けるという予感がある。誰かの為に生きる、その誰かをもっと見つけようと思った。あの星が照らしてくれているから。たぶん、末代まで。




















  ◆◆◆◆



 プレミアムフライデーという都市伝説がある。確かプレミアムなフライドチキンが売り出す日のことだった気がする。移動中、ケンタの店を見つけて涎をごくりと飲み込んだ。お腹が減った。脳内でCMが始まる。女優や俳優がおいしそうにチキンにかぶりついているのだ。うぐぐ。もうチキンのことしか考えられない。


 とか思いながらぼんやりしていると、北田さんに背中を叩かれた。


「ほら後藤君、行くよ」

「す、すみません北田さん」

「腹減ったの? 確か撮影場所の近くにマックがあったはずだ。時間があったらそこで晩ご飯を食べよう」

「はい!」


 僕は、暗くなり始めた夕空の下、北田さんの後に続いて歩いた。



  ◆◆◆◆



 高校卒業後にカメラマン養成スクールへ通い詰めたのち、僕は念願のカメラマン……になろうとしていた。

 まだアシスタントだ。そしてこのアシスタントという仕事が大変なのだった。機材が重いから肉体労働だし、仕事内容によっては炎天下を歩き詰めになることもある。そんな中でも、カメラマンの技術を盗むためにいつも気を張っていないといけないから、撮影が終われば心身ともにへとへとだった。


 救いは、北田さんが優しい人だということだ。


 北田さんはフリーランスのカメラマンで、この道十年のベテランだ。最近は出版社の人から依頼を受けて本の表紙に使う写真を撮る仕事が多いけれど、どこに属しているわけでもないので、請け負う仕事のジャンルは多岐に渡る。今日はクライアントの要求する写真素材を撮りに、車を走らせていた。


「いつもありがとね、運転」

「いえいえ、アシスタントの仕事ですから」


 当然のことをやっているだけなのに北田さんはお礼を言ってくれる。信号待ちで停まっている時、なんとなく気になった。


「北田さんって、ちょっとしたことでも感謝の気持ちとか、伝えてくれますよね」

「え? まあ、うん」

「すごいと思います」

「そうかな? ……些細なことでもやっぱ伝えた方がいいって思うんだよな。ほら、伝えられずに相手がいなくなっちゃったら、つらいじゃん」

「あー」

「俺はあまりにたくさんのことを伝えそびれた気がするんだよ」

「……それは」


 誰かが亡くなったとかだろうか?

 訊く勇気はなく、口をつぐんでいると、北田さんが笑った。


「あはは、いや、でも一番伝えたかったことは伝えたし、相手もわかってくれたと思うし、綺麗な思い出として残ってるよ。この話終わりな。ごめんね」

「あ、いえ! なんか……やっぱり北田さんって、優しいです!」

「そうかあ……?」


 釈然としていなさそうな北田さんだったが、すぐに「おっ、見えてきたね」と呟く。


 窓の外に、海が見え始めた。



  ◆◆◆◆



 北田さんが夕焼けをバックに、高速道路が通った海の上の橋を撮影している。

 今回の仕事はだいぶやり直しがきくからすごく楽だった。少なくともチャンスが一度しかない結婚式撮影とかよりは簡単だろう。


「休憩にしようか。腹が減った」

「どこで食べます?」

「そこのベンチで食べよう。なんだかそういう気分だ」

「じゃあ僕近くでマック買ってきます」


 ハンバーガーを買い、紙袋を持って海辺のベンチに戻ると、北田さんはスマホを見ながら微笑んでいた。


「なに見てるんです?」

「ん。昔、スマホで撮った写真だよ」

「見てもいいですか?」

「下手だよ?」


 画面を見る。遊園地の景色の写真だ。アトラクションを写したものや自撮り風のものもあったが、その全てに共通するのは、なにやら帽子とコートを着た少女が必ず写っているということだった。


「可愛らしいですね。娘さんですか?」

「神様だよ」

「へ?」


 北田さんは空を見上げる。つられて僕も仰ぎ見ると、さほど暗くはないのにもう星がきらめき始めている。


「俺が撮った中で、人生最高の写真なんだ。俺にとってはね。もちろん今の方が遥かに技術の高いものは撮れる。でも未だにこのスマホで適当に撮った写真に勝てたことは一度もないよ」


 北田さんは言葉をひとつひとつ足していく。「この写真は俺がカメラマンを志したきっかけなんだ。転職を繰り返して、苦しい時も、この写真を見てたらなんか元気が出てさ。それで思ったんだよな。他の人にとってのそういう写真を撮れる奴になれたら格好いいだろうな、みたいなことをさ」


 ベンチから立った北田さんが、ゆっくりと向こうへ歩き出す。

 もう陽は落ちかけていて、水平線が燃えるように輝いている。


「だとしたら北田さんは、夢を叶えましたよ。僕はあなたの作品を見ると元気が出ます」

「そう? ありがとう。まあ、まだ叶えていない夢はあるんだけどね」

「そうなんですか?」

「うん。今やってる仕事より、もっと難しいものを撮りに行きたい」

「挑戦するんですね」

「守り神がついてるからな」


 一陣の風が吹いた。

 僕はその風のせいか、眩しい夕陽のせいかは定かではないけれど、幻のようなものを見た。

 こちらを振り返って笑う北田さんの背中に、巫女服姿で狐耳をした少女が寄り添っている。


 夕焼け色に、光っていた。


「じゃ飯食べようか。おつかい、ありがとう」

「今のは」

「そういえば来週の日曜、趣味で星を撮りに行くんだけど。後藤君も来る?」

「え? あ、はい。ご一緒していいんですか? 是非!」

「暇だったらでいいからね。あと他の写真仲間もいるから」

「コネ作れますね~」

「身も蓋もないな!」


 沈んでいく夕陽を眺めながら、そんな話を夜まで続けた。


















  ☆☆☆☆



 後藤君と別れた俺は、自宅のマンションに帰っていた。玄関扉を開けて、暗い部屋に明かりをつけ、たったひとりのリビングで缶ビールを開ける。思い立って、ベランダに出た。


 都会の空に星は少ない。

 けれど。


 俺がビールを飲んでいると、あの日のことが降ってきた。

『わらわはケダマリン星からやってきた喪怖喪怖もふもふの神。地球を恐怖でほろぼす者じゃ!』

『わらわの膝枕で甘々な気分にしてやろう……ッ!』

『今日のおぬしは、なにもかも自由なのだからッ!』『ぷらねたりうむ行かないと地面に寝転んでイヤイヤしてやるのじゃー!』『見よ! アユム! 星空じゃ! まだ昼なのに!』『六等星というやつは、寂しい星なのじゃな……』『夢を語るおぬしが好きじゃった』『礼を言うぞ。ありがとう、アユム。包丁で指を切ってまで作ってくれて』『ひゃああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』『末代まで祝うのじゃー』『わらわはおぬしに見てもらえている。それだけで幸せなのじゃ』


『おぬしは誰よりも輝く一等星じゃ』


 俺はうまくやれてるよ。いつもきみがいるから。

 北田歩夢アユムとかいうガキが夢にひたむきだったことを、思い出せたから。

 暗い夜空を指でなぞり、モフモフ座なんて勝手につくって、遊んでみる。





〈了〉

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夕焼けに溶ける狐っ娘、夜空に瞬く北極星 かぎろ @kagiro_

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