第6話 南条エリ(1)

 それは……俺達がまだ中学に入って間もない頃の話だ。

 豊満な初夏の風が、油蝉のやかましい鳴き声と共に吹き抜ける季節。

 そう。確か……制服がちょうど夏服へと移行した頃の話。

 照り付ける夏の朝の日差しを浴びながら、俺は学校へと続く道を歩いていた。



 俺の名は大滝春樹。どこにでもいる普通の中学生だ。


「あんたが普通の中学生? 冗談でしょ」


 隣にいた女に突っ込まれた。


「モノローグにつっこむなよ」

「なに訳のわかんないこと言ってんのよ。さっさと歩きなさいよ」


 こいつ。

 金髪のツインテールを揺らしながら、俺の隣を生意気そうに歩くこの女。

『南条エリ』

 まるで細工物のような目を奪われる綺麗な金髪。

 ビー玉でも入ってんのかってぐらい澄んだ蒼い瞳。

 洗いたての陶器のような白く艶やかな肌。

 容姿端麗、学業優秀、運動万能、才色兼備、品行方正、才貌両全、秀外恵中

、純情可憐、明眸皓歯

 と、上げればキリがない何拍子も揃ったこの女は、何故か俺の幼馴染だった。


「そ、そんなに褒めなくていいわよ。何個か意味被ってるし」

「モノローグに口挟むなって言ってんだろ」


 エスパーか?こいつ。


「はあ? さっきから意味わかんない。ブツブツ言ってんの聞こえてんのよ」


 まじで?

 どうやら声に出していたらしい。


「そ、それにあんただって結構何でもできるじゃない。……見た目だって、その、まあそこそこだし」


 エリは赤い頬でちらちらとこちらの様子を伺っている。


「あ? なに照れてんだよ気持ちわりぃ」

「な、照れてない!!フンッ!」


 そう言ってそっぽを向いてしまった。

 何故か知らんがとにかくこいつはよく拗ねるのだ。


「冗談だ。照れてる姿も可愛いぞ。たぶんな」

「あ、ありがとう。たぶんはいらないけど」


 そして何故かいつの間にか機嫌は直っているのだ。

 猫みたいなやつだな。


 幼馴染で家が近い俺達は、小学校の頃から毎日こうして一緒に登校している。

 そのせいで同級生からは何度もひやかされた。

 朝、黒板を見ると相合傘を書かれていたことが何度あったかは数えきれないぐらいだ。

 そしてその度俺はそいつらを殴ってきた。

 何故かエリは何も言い返さなかったけど。

 俺とこいつはただの幼馴染で、お互いを兄妹のように思っている。

 そこまでの関係に過ぎないんだ。


「急がないと遅刻するわよ」

 不機嫌そうな顔で言ってきた。


「俺はちょっくらそこの公園で遊んでから行くから先行っててくれ」

「はあ? 中学生にもなって何馬鹿言ってんのよ馬鹿」

 馬鹿と2回も言われた。


「うるせえなあ、滑り台で小一時間遊んだら行くっての。先行ってろ」

「とか言って、またそのままサボるつもりでしょ。わかってるんだからね!」


 ちっ、ばれたか。

 長い付き合いだけあって俺のやることは大体把握されているようだ。


「俺は今日はサボりたい気分なんだよ」

「今日はってあんたサボりたい気分の日しかないじゃない!」


 確かにそうかもしれない。

 俺は学校が大嫌いだった。そこにいる生徒も、教師も全部。


「うるせえ。俺は今日はサボると決めた。お前の言う事は聞かない」

「だめよ」


 ここまで言っても食い下がってくる。

 こいつはいつも俺にだけやたらとお節介だ。

 勉強も無理やり教えてくるし、俺が嫌いな食べものも無理やり食わせてくる。

 朝も寝てれば叩き起こしにくるしな。


「お前に関係ないだろ」


 俺は冷たく突き放すように言った。

 誰かに縛られるのは俺が最も嫌いなことの一つだった。


「なっ……」


 エリは俺の言葉を聞いて泣きそうな顔になる。

 ていうか少し涙が滲んできた。

 悪いが泣いたところで謝らないぞ。俺は。

 女の涙なんてガキの頃から腐るほど見てきた。


「なら私も今日はサボる。一緒に公園で遊ぶ」


 しかしすぐにまた怒ったような表情に戻って言ってきた。

 そういえばこいつは強がりな性格だったな。


「はあ?馬鹿かお前。中学にもなってまだ公園で遊びたいのか?」

「あんたが言ったんでしょ! …………ハルの行きたいとこについてく」


 こいつはいつも俺のことを「あんた」とか「お前」と呼ぶことが多いが、こうして弱気になると「ハル」と呼んで縋ってくるんだ。

 今もこいつは弱々しく「ハル」と呼んだ。


 分かっていたよ。

 幼い俺でも。

 こいつが俺にお節介を焼いてくるのは俺のためなんかじゃない。

 エリは俺に依存しているんだ。

 両親を亡くしてから。


「わかったよ仕方ねえな。学校いきゃいんだろ? 泣きそうな顔すんなよお前」


 そう言って俺はエリの頭を撫でてやる。

 こいつには両親がいなかったからか、『頭を撫でる』とか『手を繋いで歩く』みたいな、父親がしてやるような事を俺がしてやると喜ばれた。


「わ、わかればいいのよ……えへへ」


 ほらな?

 兄妹のような関係と言ったが、こいつは俺を父親のように見てるのかもしれない。

 だったら俺もそれに応えてやりたい。


「ん?」


 頭に手を置いて上から見下ろした時、ふとエリの胸元に目がいった。

 夏服の白いブラウスの隙間から、少しだけ中が見えた。


「ん? なに? どうしたの?」

 エリが尋ねてきた。


「お前……いっちょまえにブラつけるようになったのな」

 熱くなった目頭を押さえながらそう言った。


 涙の滲む目元を、腕で覆い隠すようにして続ける。


「一向に大きくならないならないと思っていたが、やっぱりお前も女だったんだな……」


 エリの肩に手を置きながら

 俺は、娘の成長を祝う父親のような気持ちで祝福した。おめでとう。


「なっ……」


 エリはプルプルと震えている。うんうん。お前も嬉しいんだな。


「なんであんたってそんなデリカシーないのよっ!!!」


 俺はそのまま不機嫌になったエリと共に学校へ向かったのだった。

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