第5話 毒島武

 無事反省文を書き終えた俺は、食堂へと向かっていた。

 食堂は東側の校舎の最上階にある。

 俺たちの教室があるのが西側の校舎で、今歩いているのは、東側と西側を繋ぐ廊下だ。


「ふんふんふーんふふんふーん」


 俺は今自分で適当に作った鼻歌を歌いながら、上機嫌に歩いていた。

 反省文をやりきった達成感でエキサイトしているのだ。フゥワ!


 おや?

 前から誰か歩いてくるぞぅ?

 金髪オールバックのヤンキーだ!


 俺のちょうど真正面から、ちょっと金色にしたうんこみたいな色したオールバックの男が歩いてきた。

 染め上げたオールバック、制服はボタンを閉めずにこれでもかと言うぐらい着崩している。

 両耳と下唇の下にはぎらりと光る銀色のピアス。

 そして蛇のような鋭い眼光が特徴的だ。

 その風貌は素行不良気味の生徒だと一目で分かる。


「む?」

 よく見るとそいつの両の拳はテーピングのようなものが巻かれていた。



「あん?」


 どうやらその男は真正面から歩いてくる俺の存在に気づいて声を漏らしたようだ。

 しかし、俺に気づきながらも、そのまままっすぐすたすたと歩いてくる。

 どうやら進路を譲る気はないらしい。



「ふんふんふふふんふんふふーん」


 無論、俺も進路を変える気は無い。

 俺は変わらず鼻歌を歌いながら歩いていく。



 タッタッタッタッ……

 廊下には二つの足音が響き渡る。



 10メートル……5メートル……3メートル……と俺とうんこ色ヤンキーの距離は徐々に縮まっていく。



「ふんふんふふふふふんふふーん」


「(なんだこいつ?)」

 そいつは鼻歌を歌い続ける俺を「なんだこいつ?」みたいな目で見ている。



 だが俺もそいつも、止まる気配は無い。




「……………」

「……………」


 ……俺とうんこ色ヤンキーはついに目と鼻の先の距離まで来てしまった。

 正面から鋭い眼光で俺にメンチを切っているところを見ると、既に臨戦態勢に入っているようだ。

 その眼光は、調度俺の目の高さと同じ位置にある。



 ん……?

 おい……待てよ。このままいくと俺とこいつはキスするぞ……?


 一応言っておくが俺にそっちの趣味は無い。



 だが、俺は、止まらない。



「ふんふんふーんふんふふーん」

「ンダてめ?」




「ふんふんふ……おらあっ!!!」ブン!

「ぶべっ!」バキッ!


 先手必勝。

 俺は俺の唇を守るためにそいつを殴らせてもらった。

 俺の拳は下あごを正確に捉えた。



「ぐっ……て、てめえっ!! いきなりっ、よくも!」


 俺の拳を貰ったそいつはやや後退し、倒れそうになる寸前のところで踏み止まった。

 フラフラとしながらも俺に立ち向かってくる。

 ほう……。立っていられるのか。


 だが、目の焦点は俺に定まってはいない。

 拳の衝撃は、その振動で脳を激しく揺さぶった。

 こいつが今見ているのはぐるんぐるんと回る世界だ。



「く、くそっ……」

 うんこ色ヤンキーはガクリと膝をついた。

 その表情は屈辱に歪んでいる。


「俺の進路を妨害したお前が悪い。またな」


「くそがっ!! てめえ! 覚えてやがれ!!」


 うんこ色ヤンキーはアニメの雑魚敵みたいな台詞を残して、廊下にばたりと倒れた。


 俺は障害物の無くなった道を再びまっすぐと歩き食堂へ向かった。



「(馬鹿なっ……この俺が、素人の拳を、避けられなかった……っ!!)」


 この男の名は『毒島武(ぶすじまたけし)』

 かつてプロボクサーの金の卵と呼ばれた男だった。


……………

………

……


 食堂に着いた。

 当然こんな時間に飯を食ってる奴はいなかったが、俺と同じ見学に来た1年がちらほら来ていた。

 こいつらも飯をたかりにきたのか。卑しい奴らめ。


「カレーは俺のもんだぞ」

「え?誰?カレー?」


 俺は見知らぬ男子生徒に牽制しておいた。


 食堂内をざっと見まわしてみたが、柊らしき人物はいなかった。

 まあ1時間近く反省文を書いてたからな。飽きてどっかいったんだろ。

 ……俺は心の中で少しだけ安堵した。



 食堂の内装はシンプルだった。そう、至って普通。

 縦長のテーブルが等間隔に並べられ、安っぽい椅子がそれに応じて並べられている。

 ざっと見て300人は座れそうだ。

 壁や床に特に模様があるわけでもなく、中は小綺麗に清掃されていて、落ち着いた雰囲気で食事ができる空間だ。

 そのはずだ。

 そう。内装は普通。内装はないそうなんてうすら寒いギャグは言わない。

 ただ一つ異常な空間があったのだ。

 厨房スペースだ。


「おらあ!! さっさと食器洗えやてめえらぁ!! チンタラしてんじゃねえぞお!!」


 そこにいたのは優しそうな厨房のおばちゃん達。

 ではなく、朝見かけたような黒服のいかつい男達だった。

 黒服スーツにサングラスの男たちが、スーツの上に白いエプロンを身に着け、食器を洗っていたのだ。


「なんじゃこりゃ……」


 俺はその異常な空間を現実として認識するのに時間がかかった。

 周りにいた生徒達も、それを見てギョッと目を見開き硬直している。


「あんたらが飯作ってんのか?」

 皿を洗っていたスキンヘッドの黒服Aに尋ねた。


「おうよ!! 優しいお袋の味を心がけて作ってるぜ!」

「そうか……」


 毎日こいつらを眺めながら食うのか……

 俺の食欲は失せたのだった。



 厨房の黒服に萎えた俺は、さっさと食堂から立ち去った。

 次はどこを見に行こうか。

 反省文を書くのに時間を食ってしまったせいで、回れるのはせいぜいあと一つか二つだろう。


 俺は現在の時刻を確認しようと、ポケットに入っていた携帯電話を取り出した。


「あん? そうだよ。ガラケーだよ文句あっか?」

「え?なに?ガラケー?」


 近くにいた生徒が馬鹿にしてきたような気がしたが気のせいだったらしい。


 携帯電話を開くとテンプレートの地味な待ち受け画面が表示された。


「ん……?」

 時刻を確認するよりもまず、バッテリー残量の横のマークが目に飛び込む。


「圏外……?」


 まじか?

 おいおい、いくら田舎だからってこのご時世だぜ?

 ここは電波も届かないような糞田舎だってのか?

 いや、そんなはずはない。

 外部と連絡が取れないと学園側にとって不便な点がいくつもあるはずだ。

 そんな場所に学園が建てられるとは到底思えない。

 故障か……?


 俺が疑念を抱いて立ち尽くしていると


 ガバッ!ぎゅっ!



「ハルっ!!やっと見つけた!!」



 後ろから何者かに抱きつかれた。

 違うな、衝撃からして飛びつかれたと言った方が正しい。

 誰だ……?

 いや……この声には聞き覚えがある……。

 頭にキンキンくるようなソプラノの声。

 生意気に俺のことをハルと呼ぶ奴の心当たりは一人しかいない。

 しかし……それは、ここにいるはずのない人物だ。

 ありえない。そう思いながらも振り向くと、

 そいつ、俺の幼馴染『南条エリ』が立っていた。

 この学園の制服を着て。


「なっ、おま、な……」

 いるはずのないそいつに驚き、まともに声にならない。


「ハルっ……怖かったよぅ……ハルぅ……」

 泣きじゃくって、顔を俺の背中にうずめてくる。

 金髪のツインテールを揺らしながら。


 その、弱々しく俺にすがりつき、頼ってくる姿には保護欲を掻き立てられる。

 しかし、言わなきゃならない。

 叱らなきゃならない。

 この馬鹿女を。


「な……」

「何でお前がここにいるんだっ!」


 食堂へと続く廊下に俺の怒声が響き渡った。

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