雪女の話

奉納舞いを見るための特別な席を設けてもらった雪解けの巫女の隣に、しずしずと一人の女性が座った。数年来の付き合いの女性は涼やかな美貌を持っており、愛嬌たっぷりの雪解けの巫女と並ぶと、まるで白と黒のように正反対な印象を与えた。


「にゃはー、やっぱり雪女の吹雪小袖って便利ねぇ」

「血でしか動かない妖し着物なぞに頼ってばかりいては、次代は担えぬ」


そう言ってぐびぐび酒を飲む雪解けの巫女に、女性は毒を吐く。本当であれば、自分があの小袖を羽織って奉納舞いを舞わされたはずなのだ。雪解けの巫女には分かるまい。自分の意思とは関係なく、小袖によって動かされるその気持ち悪さよ。


「それでー。可愛い娘を手放してこちらの里に預けていた理由をお聞かせ願いましょーか、先代さま?」

「ふん……主には分かるまい。人にも雪女にも成りきれぬ子らの気持ちなぞ……」


氷のように冷えきった眼差しで雪解けの巫女を睨み付けた女性は、つと目の前に置かれた膳を見る。香ばしいお味噌の香り。平たい餅にかけられた特製のタレは、我が愛し子を預けたあの夜に味わったときと同じで。

……雪女の血筋は代を下る毎に、その力を失い、とうとう申子の代では雪を呼ぶ力を失った。雪を操れなければ山向こうにある雪女の住む雪里では生きてはいけない。赤子にその力はないと悟った彼女は人里に預けることに決めた。そしてもう一つ。


「ほんに……やきもち一つ焼かせられんとは、なんと情けない」

「まぁでも? あなたが今回ヘマをした結果としては大団円として収まりそうじゃないのー」


ぷいと美貌の女性はそっぽを向いてしまう。


神隠しに遭ったとされた先代雪降ろしの巫女の真実。

それは巫女が雪女でなくなってしまったことに由来する。

雪女は生来、感情の起伏があまり見られない。以前であれば感情一つが昂ったところで問題はなかったが、血が薄まった現状においてはそれはあまりにも危うい橋となる。


「やきもち一つで、全身に流れる雪女の血が全て蒸発するとか……笑えないわよねぇ」

「逆じゃ。やきもち一つ焼けさえすれば、申子は只人の子になれた。わらわ自身はその感情の程度が分からず……今回やらかしてしまったわけじゃが」

「あはは。こちら側の里へ来る直前に、旦那が他の女といる現場を目撃して山を渡る間ずっとやきもきしてるとか、可愛いじゃなーい」

「それでこちら側に着いた途端、只人になってしもうたとか笑えぬわ!」


はいはいと適当に返事をして、雪解けの巫女は杯から餅へと手を伸ばす。五兵衛の焼きもちは上手いと、他の村でも噂となっているくらいだ。

その餅を見て、先代巫女は半眼になる。そういえば。


「あの社守、妾が赤子にやきもちをやかせておくれと言ったのを正しく理解せなんだな。この十四年、焼き餅を焼かせることばかりで、やきもちを妬かせてはくれなんだのがその証拠じゃ」


ぷんすかと怒る先代巫女に、雪解けの巫女は何も言わないで黙々と餅を食す。やきもちなんて人の心次第。妬かせようと思って妬かせられるものではない。


この焼き餅の味が五兵衛にしか作れないように、やきもちを妬くほどの感情は申子自身にしか作れない。


十四になっても未だに雪女の血が蒸発していないことを見れば、彼女の感情はやはり常人と比べ起伏がないのだ。そんな彼女の感情を表に起こすなど、とても他人には無理だろう。


舞台の上で袖を吹雪かせて舞う申子。

舞台の下で秘伝の餅を振る舞う五兵衛。


お役目か、家族か、それともはたまた別の関係か。

雪解けの巫女が春告げの舞いを踊る頃、二人の関係はどうなるか。


雪解けの巫女は二人を見て酒杯をあおぐ。


焼き餅がヤキモチに変わるかどうかは。



また別のお話───。

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やきもちおもち 采火 @unebi

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