雪降ろしの巫女

毎年、村中の茅で葺いた屋根の補強が終わると祭りを迎える。祭りはもう雪を降らせても自分たは平気だと天に伝えるもの。

雪降ろしの巫女が雪を降らせるために舞いを奉納し、雪解けの巫女が春を告げるために舞いを奉納する。

二人の巫女によって担われる年越しの祭り。

これには誰にも知られていない裏事情がある。

それは巫女と社守にしか伝わらない伝説。


雪降ろしの巫女は雪女の子孫。

雪解けの巫女は春一番の化身。


事実、雪解けの巫女は姿形を変えないで、ふらりと村へやって来る。そして雪降ろしの巫女だが、彼女たちは死に際に何も残さない。水となり、大地に染みる。神隠しと称されるこの現象はもう何度繰り返されたあやかし故の定め。数代前までは雪女が雪降ろしの舞いを奉納していたが、人間と交わったことにより、あやかしの運命をもった人の子が雪降ろしの巫女となった。

社守の血筋は本来、人里よりさらに奥山の、暗がりに住む妖であった雪女の接待役なのだ。その祖は天つ春風の化身。この奥山一帯の村々に居を構えており、雪解けの巫女が一年後毎に村を移動しながら滞在しているのがその証拠。彼女の美貌は衰えを知らない。

こうして雪降ろしの巫女と雪解けの巫女は、奥山に時のうつろいをもたらしている。


…………とかなんとか云々を知らない申子からしてみれば、突然、嫌いな陰口に信憑性をもたらすだけの言葉だったわけで。

五兵衛がどう言い繕おうとも、五兵衛が本当の親ではない故に下手な言葉は慰めにもならない。だからこそ、五兵衛はかける言葉が見つからず、大福状態で沈黙を保つ申子を持て余していたのだが、村長がいい加減に祭りの準備を始めろと玄関で騒ぐので、ぽんぽんと頭がありそうな辺りを撫でてから家を出た。


暫くして、もぞもぞと布団から顔だけ這い出た申子はその無表情の中にほっと安心した表情を浮かべた


「こんなはしたない格好してきたのに、五兵衛が怒らなかった……」


客人の前だと叱られるかなーとか思ったけど、五兵衛は何も言及してこなかった。だからといって布団をこのまま放置しておけば、帰ってきたときにうるさいので片付けておく。

それからささっと着替えて、祭りの様子を見に行こうかと土間に降りる。そこで、おや?と、一つの木箱を見つける。これはここにあってはいけないものなのでは……?

ぱかりと木箱の蓋を開けると、昨夜一生懸命作った餅の山と、村人に振る舞う餅にかける特製のタレの詰まった壺が入ってた。やはり五兵衛はこれを置いていったらしい。

持っていってあげようかと思うけれど、はたと止まる。


「そういえば、さっきの巫女さんが雪降ろしの巫女がいないって言ってたけど……お祭りできるの?」


雪降ろしの巫女の跡継ぎとして自分を指名してきた巫女さんの話だと、つまりはそういうことなのだ。雪降ろしの巫女がいなくては祭りができない。この村だけでなく、他の村でも。

雪女云々の下りは五兵衛が気にしているだけで、実際、申子にとってはどうでもいいけれど、祭りができないと、新年はきてくれるのだろうか。

不安になって、どうしようもないから、申子は木箱をそのままに外へと飛び出した。飛び出して、五兵衛の姿を探す。


「五兵衛っ」


五兵衛は自分に秘密にしていることがある。雪女の玄孫。あの意味を五兵衛はきっと知っている。自分に後ろめたく思ってることだけは分かった。申子は雪女と言われることを気にしてないって五兵衛は知らないから、五兵衛はずっと後ろめたく思ってるに違いない。そうでなければ、雪女どうのこうののくだりであそこまで否定的になるわけがないし、それに申子だって長年五兵衛と一緒にいるのだ。それくらい分かる。

ぱたぱたと村を駆け回って、申子は五兵衛の居場所を探す。村長の家の回りが人混みになっていたから、そこに割り込む。きっと、事情を知った村人に詰め寄られ、責められているんじゃないか。そうなったら自分が本当に雪降ろしの巫女になってでも、五兵衛を助けないと。自分をここまで育ててくれた五兵衛への恩返しになればと。

だけれども、申子の目の前に飛び込んできた光景はそうじゃなかった。


「ご、へぇ……?」


なんだこれ。どうして五兵衛はお祭りの準備をしないで、村長さんの娘さんと杯を交わそうとしているの?


「おーい、五兵衛ー。雪降ろしの巫女がいないなら、社守の嫁が雪降ろしの巫女やればいいんじゃねーのー」

「なんでそうなるんだよ!?」

「雪降ろしの巫女って時たま、社守と結婚するんだろー? 今年一番に巫女が来るのは自分たの村なんだから、他の村にはバレないやら」

「いや、そういう意味じゃ……って、うわ、待って、無理やり杯持たせるなぁっ」

「わたくしでよろしければ……」


おずおずと杯を交わそうと酒を注ぐ村長の娘。回りの衆が次々と五兵衛と娘を祝福しようと口々に野次を飛ばす。

そんな中、一人、申子だけが冷静にその場を眺めていた。そんな屁理屈認めない。

ゆらゆらと重たい感情が心の奥底で生まれ出る。

なんだろう、形容しがたいこの気持ち───


「はい、止め」


目の前が突然真っ暗になった申子は慌てふためく。声の主によって視界を覆われたのだと気づくのに数秒かかった。


「全く。やきもちをやかせないようにと、さっき言ったばかりよ五兵衛。まぁ間に合ったから良いけれど、間に合わなかったなら祭りどころの話じゃなくなっていたわよー」

「雪解けの巫女さま……」


わらわらと集まっていた村人がしんと静まる。雪解けの巫女は、そんな彼らをおかまいなく咎める。


「雪降ろしの巫女はその血が大切なの。雪降ろしの巫女が社守と婚姻を結ぶのは、接待役である社守が妖と人を繋ぐためよ。むやみやたらに血族を増やさないように……あなた達が怖がる雪女ですものねぇ?」


妖しい笑みを浮かべて、雪解けの巫女は言葉を紡ぐ。まぁ、社守との婚姻の例はずいぶん昔に一度あっただけなのだけで、こんなの彼女がもっともらしくでっちあげた話なのだけれど。そんなこと村人が知る由もないか。

それから、申子の視界を覆っていた手を退けて、くるんと申子をこちらへ向かせる。

感情のなさげな表情の代わりに、不思議そうな目が物語っている。どういうことなの。


「あたしは申子を雪降ろしの巫女に指名したい。いいえ、今指名できるのはあなただけ。来年になれば別の巫女が奥山から来てくれるだろうけれど、今年はもう望めない。今年だけでも雪女のままでいて頂戴」

「おま、それを今言うのかよ……」

「どこで言ったって印象は変わらないものー。雪降ろしの巫女になった時点で敬遠されるのは変わらないわよ」


目をそらす村人たちなど一瞥すらくれず、雪解けの巫女は申子に語る。


「あなたはまだ雪女の血を持ったまま。全身に流れるその血を失う方法もあるけれど、なんとか今日まで保ってきた。運命の一つとして今年だけは雪降ろし行脚をして頂戴。雪女であることが嫌なら、後でその血を失う方法を教えてあげるから」


懇願するように言われて、申子はたじろぐ。そんな、自分に雪女の名前を負って奉納舞なんかできっこない。

助けを求めるように五兵衛を見るけれど、五兵衛も真剣な表情だ。それで申子は察する。そうか、きっと五兵衛は、いつかこうなることを知っていたんじゃないだろうか。

雪解けの巫女の言葉からすれば、雪女じゃなくなる方法が、つまりは雪降ろしの巫女にはならない方法もある。それを五兵衛が申子にさせなかったのは、申子に雪降ろしの巫女としてのお役目を、いつかさせるため?

五兵衛は申子に雪女であることを望んでる。そういうことなのかな。


「五兵衛は私が雪女のままでいることを望んでるのよね。それならいっそ、開き直って雪降ろしの巫女になってもいいよ」

「いや、違───」

「あらー、ありがとっ。これで今年も無事に冬が迎えられるわー」

「おいこら年増巫……ぐえ」

「あらー、幻聴かしらー」


同じ失言を繰り返そうとした五兵衛の頭をギリギリと掴む雪解けの巫女。今の今まで申子の目の前にいたのに、今は五兵衛のもとにいる。なんたる早さか。

手はギリギリと五兵衛の頭蓋をにぎったままで、村長の家を覗いていた村人に、雪解けの巫女が声を張り上げる。


「さあさあ皆様、祭りの準備に取りかからないと歳神の奴も呆れて帰っちゃうわよー」


村人は戸惑いながらも散っていく。

さーてさて、こちらも準備をしなくては。

雪解けの巫女はにっこりと微笑んで申子に向き合った。

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