雪解けの巫女
ぱちくりと目を瞬いて、申子は起きた。誰かが言い争う声がうるさくて、惰眠を貪れやしない。
もぞもぞと布団を被ってゆきんこのようにまんまるになって寝間を出る。隣で寝ていたはずの五兵衛がいないから、きっと声の主は五兵衛に違いない。というかどうでもいいけど、この寒空の時期に裸足で床を歩くのはつらい。
「ごへぇー、うるさーい」
寝間から囲炉裏の部屋まで出て、明かりの透ける障子を開く。するとどうか、見知らぬ女が五兵衛を押し倒しているではないか。
普段表情の動かない申子が一瞬、驚いた顔になる。
それから何かを心得たように、奥の部屋を指差して、
「寝具、あっちにあるよ」
「あらー、気が利くじゃなーい」
「じゃねーよ! いい加減退きやがれ年増巫女!!」
「あらー、幻聴かしらー。やーね、歳とると」
「あ……い、や……言葉……過……ぐぇ」
「やーん、五兵衛ー!」
自らの失言によって、まさに読んで字のごとく首を絞められた五兵衛の意識は、朝早くからお休みしてしまった。さすがの申子も表情を変えて五兵衛に駆け寄る。もちろん布団は被ったまま。
そんなゆきんこ申子を見て、五兵衛にのし掛かっている巫女が笑い出す。
「だいじょーぶ。諸々を含めた、かるーいお仕置きだから。まったく、社守のくせして不甲斐ないんだから……」
やれやれと言った体で五兵衛から降りると、女はくんくんと申子の匂いを嗅ぐ。知らない人に突然匂いを嗅がれた申子はは被ってた布団に顔を引っ込めた。申子は基本的に人見知り。でもこの女の人、何か見覚えがあるような……?
「あや?」
「知らない人とは話しちゃいけないって五兵衛が言ってた」
「その五兵衛の知り合いがあたしなんだから、無問題! さあさ、可愛いお顔をお見せなさい」
「やーんっ」
くるんと大福のように布団を被って防衛体勢になった申子を見て、女は大笑いする。
「あはは、おんもしろい」
「人の娘に何さらしとる……?」
「あらー。起きるの早かったわね」
そりゃあれだけ大声で笑われればおちおち寝ていられないに決まってる……じゃなくて。
五兵衛は居住まいをただして、女に向き直る。
「何しに来た雪解けの巫女。奉納舞いには早いぞ。雪すら降ってねぇよ」
雪解けの巫女。その言葉で申子は思い出す。毎年、冬が明けてからすぐの祭りに、舞いを奉納しに来る人だ。
「何しに来たって失礼じゃないの。新しい雪降ろしの巫女を選定しに来ただけよー」
「選定?」
雪解けの巫女は生来の垂れ目をキリリと吊り上げて真面目な顔を作る。そう、彼女は選定をしに来たのだ。
「雪降ろしの巫女が神隠しに遭われました。それと同時に既に次代の雪降ろしの巫女が生まれていると占に出ました。五兵衛、その娘は誰から預かったのかしら?」
自分の話だと気づいた申子が大福からだるまになる。頭だけだして、話の成り行きを見守る。
五兵衛はむすっとふくれ面になって、雪解けの巫女に言い返す。言葉に伏せて、もう既に特定はしているのだという脅しに屈せず。
「申子は俺の子だ。それは変わらん」
「そーゆー御託はいらないのー。そこの大福っ子が雪女の
雪女の玄孫。
五兵衛はばつの悪い顔をする。よりにもよって本人の前で、本人すら知らないことをいうのかこの年増巫女。さすが歳を重ねてるだけあって容赦ない。
そろりと大福に戻ってしまった申子の様子をうかがう。少なくとも、彼女が陰口として雪女と言われてそれを快く思っていないこと考えたら、彼女の前で言うべきことじゃない。
「雪解けの巫女、お前本当に最低だな」
「その雪解けの巫女が社守の祖なのよー。五兵衛もほんとは絶対服従しないといけないのよー。ほらほら、雪女の玄孫を差しだせーぃ」
「生憎だが、大福娘はいても雪女はいないな。おら、祭りの支度の邪魔だっての」
「あらー、いけずぅ」
ぐいぐいと五兵衛が雪解けの巫女を玄関にまで押し出せば、渋々と雪解けの巫女は土間に降りて自分の下駄を履いた。カランコロンと音を響かせて、玄関を潜る。その時に五兵衛に付け加える。
「何はともあれ、あの玄孫にはやきもちをやかせてはだめだからね」
「……」
いつか、ある人が言った言葉とは全く反対の言葉を残して、雪解けの巫女はこの場を去る。
春が来るのにはまだ早い。
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