七夕

 陽菜と弥生ちゃんと遊園地に行ってからひと月ほどたち、これから夏本番とでもいうようなジンジンとした暑さが肌を刺激し、何もしなくても汗をかいてしまう。

 あの後陽菜に、『父の日のプレゼントは近いうちにあげるね!』なんて言われていたが、何事もなくここまできてしまった。

 暑さのせいで、本当は忘れてしまっているんじゃ? なんて考えが出てくるが、頭を横に振ってそんなわけないかと考えを改める。

 そんな事ないか。と思いながら、手で汗を拭い、俺は会社に向かった。


 会社の中はクーラーがガンガン効いていてとても涼しい。俺はこのくらいでいいと思っているが、女性社員の何人かは少し寒そうにしている。


「秋本〜。おはようさん」

「野田か。おはよ〜」

「にしても今日は一段と暑いな」


 そう言いながら、野田はワイシャツを掴んでパタパタとあおいでいた。

 よく見るとまだ顔から汗が出ているのがわかる。


「最高気温、30度越えだぞ。暑すぎるよな」

「30度?! どうりで暑いわけだよ」

「まぁ会社の中はクーラー効いてるから、快適なんだがな」

「そうだね〜。そんじゃ、仕事始めますか!」


 野田の掛け声で俺も仕事を始める。

 今日終われば休みだと思うと、随分と気が楽だし、ゆっくりやっていこう。ただ、残業はするつもりはないが。

 午前中の仕事も終わり、昼休憩を挟んで午後の仕事を始める。

 パソコンをカタカタとうちながら、これなら定時で帰れるだろうなと思いながら仕事をしている時、俺の携帯が鳴った。

 すかさず内容を確認すると、それは陽菜からだった。


『今日、七夕祭りがあるんだけど、一緒に行けないかな? 仕事忙しそうなら無理に行こうとしなくていいからね!』


 メールを見ながら、どうするか考える。

 ……いや、考える必要なかったか。普通に定時で帰れるんだし、行けるだろ。それに七夕祭りなんて、お母さんが生きていた頃に何回か行った事あるくらいで、ほとんど行った事ないしな。

 あれから10年くらいは行ってないんじゃないか? なら、久しぶりに行ってみるのも悪くないな。


『定時で帰れるし、その後でいいなら行けるよ。それまでは家で待っててくれ』


 簡潔なメールを陽菜に送り、また仕事を再開する。

 仕事に集中していると、水原さんが書類を持ってやってきた。


「秋本さん! できました!」

「了解。んじゃ少し確認するから、そこ座ってていいよ」

「いえ、確認が終わるまで席に戻ってますよ?」

「いやいいって。確認なんてすぐ終わるし、少しの間そこで休憩してていいぞ!」

「わかりました! それじゃ、隣失礼しますね!」


 そう言いながら、水原さんは俺の隣の椅子に座った。


「そういえば秋本さん。先月遊びに行きましょうって行ったのに、全然誘ってくれないじゃないですか〜!」

「悪い悪い。時間なくってさ。なら、明後日とかはどう?」

「明後日ですか? 明後日なら大丈夫です! というか、休みの日なんて家でゴロゴロしてるだけなので、いつでも大丈夫です!」

「へぇ、意外だな。休日になると買い物とかによく行ってるもんだと」

「そんなに買い物とかしないですよ! 服買うときとか食材買うとき以外はほとんど家から出ないですよ?」

「そうなんだな」

「秋本さんはどうなんです?」

「俺か? 俺も水原さんと同じで休日は家でゴロゴロして終わるな」

「そうなんですか!」

「おう。明後日の事はまた後で連絡するわ」

「了解です!」


 少し水原さんと雑談した後、資料に目を向けて確認する。

 いつもより直しが少ないが、一文抜けていたり、漢字ミスをしていた。

 まぁ前よりも直しが少なくなった事だし、よしとしよう。


「水原さん。ここ、一文抜けてるから書き足してくるのと、漢字ミス何箇所かあったから、それ直したらオッケーだよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます! 終わったら、また持ってきますね!」

「了解」


 その後すぐに水原さんが直したやつを持ってきてくれたので確認し、無事オッケーをだした。


「あ、あの。他に仕事はないんですか?」

「ん? ああ、今日の仕事は終わりでいいぞ。もう定時だしな」

「わかりました! なら一緒に帰りましょう!」

「今日、この後用事あるんだ。悪いな」

「そ、そうですか。それじゃ、また明日ですね!」

「そうだな。あっ、どこか行きたいところとかあったら教えてくれ」

「わかりました!」

「おう。それじゃまた明日!」


 水原さんにそう言い、俺は会社を後にした。

 ギリギリだったが、定時に上がれたしよかった。これで時間どうりにならな。

 っと、その前に陽菜に連絡しとくか。


『今から帰るから、行く準備しておいてくれ』


 送信するとすぐに返信が返ってきた。


『了解です! 準備して待ってるね!』


 その内容を確認し、ポケットに携帯を入れ、家に向かった。





 自宅に着き玄関を開けると、そこには着物姿の陽菜がいた。


「パパお帰り〜!」

「あ、ああ。ただいま」

「どうどう、この浴衣! 似合ってるでしょ〜!」

「そうだな。似合ってるな。だが、俺は浴衣なんて持ってなかった気がするんだが」

「これ、弥生ちゃんに借りたんだ〜。それに着付けまで弥生ちゃんにしてもらっちゃった」


 陽菜は着物を見ながら、嬉しそうにしていた。

 確かにすげー似合ってるし、可愛い。

 女性って着物着るだけでこんなに変わるものなんだな。


「どう? 可愛い?」

「おう。すげー可愛いぞ」

「やったー! パパに可愛いって言われた〜!」

「いつも可愛いとかは言ってるだろ」

「何回言われても嬉しいものは嬉しいんだよ!」

「そ、そうか。そんじゃ、俺も着替えてくるから、少し待っててくれ」

「はぁーい!」


 服装なんて適当でいいだろ。無難に適当な半袖とチノパンとかでいいだろ。


「おまたせ〜。そんじゃ行きますか」

「うん! 行こっ!」


 浴衣姿の為歩きづらいのか、いつもよりペースが遅い。

 まぁ歩きづらいのは当然か。そもそも一歩を大きく出す事が出来ないんだし。


「ごめんなさい。こんなゆっくりで」

「気にすんなって。近所の祭りだから、後少しでつくし!」

「うん! 頑張る!」


 それから10分後、なんとか祭りの会場に着いた俺たちは、少ないながらも屋台が出ていたため、そこに向かった。


「たこ焼きとか、焼きそばも売ってるね! 食べたいなぁ〜」

「そんじゃ、買ってくるか」

「ありがと!」

「おう。ちょっと待っててくれ」

「うん!」


 陽菜に待ってもらい、たこ焼きと焼きそばを買いに行く。

 お客さんも少ないのか、すんなりと買うことができた。まぁ規模も小さいから、たくさん人が来るってこともないがな。

 本当は大きい笹があって、そこに願いを書いた短冊を飾るだけのはずが、それを祭り風にしたのが七夕祭りだ。

 屋台が少ないのも頷けるだろう。


「ほれ、買ってきたぞ」

「それじゃ適当なところに座って食べよ!」

「そうだな」


 丁度近くに階段があったため、そこに座る。

 陽菜が座るのを見て、シートとか持ってくればよかったなと後悔する。


「たこ焼き美味しい〜!」

「それは良かった」

「なんかこう、屋台で買う物って美味しく感じちゃうよね〜!」

「そうだな。なんか祭りの屋台ってだけで全部が美味しく感じるよな」

「うんうん! だよね!」


 陽菜は美味しそうにたこ焼きを食べていた。ちゃんと俺の分を残してくれているみたいで、半分食べたところで手を止めていた。


「パパ。焼きそばも食べたい!」

「そういや買ってきてたな。ほれ」


 さっきからずっと手に持っていた焼きそばを陽菜に渡す。

 今度は陽菜がたこ焼きを俺に渡してくれた。


「焼きそばも美味しい〜!」

「そうか」


 俺もたこ焼きを食べ始める。

 うん、確かに美味しい。なんでこんなに美味しくかんじるんだろうな。不思議だわ。


「……ほんとは、短冊を飾りたくて今日は来たんだ」

「まぁ七夕だから、そうだろうな」

「どうしても書きたい事があったんだ。それを書きにきたんだ」

「そっか。なら、早く書きに行こうぜ! 丁度俺も書きたい事あったからよ」

「えっ?! パパもあったの?!」


 陽菜は凄く驚いた顔で俺のことを見てきたが、そこまで驚く事でもないはず。

 というか、俺にも願いくらいあるっての。


「そりゃー俺にも願いくらいはあるさ」

「そっか! なら、書きに行こっか!」

「もう屋台の方はいいのか?」

「うん! 屋台は夏祭りの時に思う存分楽しむ事にしてるから!」

「そ、そうか。なら、書いて飾ったら帰るか」

「そうだね!」


 短冊を配っているのを受け取った俺たちは、お互い見えないようにして願いを書いた。

 俺は、表に『同居人がこれから先、ずっと幸せに過ごせますように』と書き、裏面に小さな字で、『これから先も、同居人と仲良く暮らせますように』と書いた。

 これが俺の本心であり、願いだ。陽菜がどう思っているかはわからないが、それでも陽菜が幸せになってくれればそれでいい。

 陽菜も書き終わったみたいだし、これは隠しとかないとな。


「そんじゃ、そろそろ飾りに行くか」

「そうだね! パパはなんて書いたの?」

「教えるわけないだろ。陽菜はなんて書いたんだ?」

「ふふっ、私も教えなーい!」

「まぁ飾れば見えるんだけどな」

「なっ! それはダメだよ! ルール違反だよ!」

「冗談だよ。そんじゃ飾ろうぜ」


 笹の前に行き、出来るだけ高い位置に俺は吊るした。陽菜は俺の近くではあったが、身長が足りないせいか低い位置に飾っていた。


「そんじゃ吊るした事だし、帰るか!」

「そうだね! 帰ろっか!」


 その時弱い風が吹き、短冊が回転していたが、それに俺は気づく事はなかった。










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