リセマラベイビー【現代ドラマ・SF】

 命の定義とは何か。


 仕事柄、そんなことを最近よく考える。

 自由意思。自己複製。ウイルスは命と言えるのか。どうして生まれたのか。死とは……。


 どうやらこの問いに、決まった答えはないらしい。というより、そもそも答えなど必要ですらないのかもしれない。そんなことが決まっていなくても、人類は数千年にも及ぶ発展の歴史を積み重ねてきた。

 いわばこの問題は哲学であり、同時に暇つぶしの道楽でしかない。


 ただ、こと人間の命となってくると、これは法律で明確に定義されている。

 例えば日本において、人工中絶は妊娠の21週目まで可能だ。さらに言えば、12週目までに堕胎された胎児は医療廃棄物として扱われる。死体ですらない。

 妊娠12週目までの胎児は命ですらないというわけだ。


 かといって、12週目までの胎児とそれ以降とで、明確な違いがあるわけでもない。少なくとも遺伝的には。

 人の遺伝子は受精卵の時点ですでに決まっているからだ。1つから2つ、2つから4つ、最終的に細胞は60兆個にまで分裂していくことになるが、DNAは――つまり命としての型は――ずっと不変のままだ。

 つまり受精卵が形成された最初の時点で、彼が、あるいは彼女が、どういった人間になるかは大部分が確定していることになる。


 そしてそれゆえに、私の仕事は成り立っているわけではあるが……。


「ねぇ、まーくん、どんな子かな。結果、楽しみだねっ」


 猫撫で声が診断室に響く。

 私の前に男女が二人。女の方は初めて見る顔だ。明るい色の長い髪。私のことなど見えていないかのように隣の男に腕を絡めている。

 これまでなら頭痛を覚えていたかもしれない甘ったるい声に対して、しかし私の心はこれ以上ないほどに落ち着いていた。もっと言えば、冷めていた。

 客であるその女に対して抱く感情がもしあるとすれば、それは憐みの類だろう。なぜなら、女がこの部屋を出る頃には、その顔が悲愴に陰っていることが容易に予想できるからだ。


「それで、先生、どうだったんですか?」


 男の方がにこやかに問う。

 先生、と私を呼ぶ口はどこか親しげだ。それもそうだろう。彼とここで顔を合わせるのはかれこれ10回を越える。

 正直に言って、反吐がでる思いだ。親しくされる覚えなどない。


 確かに、顔立ちこそ端正だ。清涼感のある装い。少しキザったらしい涼し気な仕草。女であればこういう男に惹かれるものなのだろう。

 左腕の腕時計はまたこれまでと違うモデルだ。いったい何種類のレパートリーがあるのだろう。


「いま、お見せします」


 私の作り笑顔は、引き攣っていただろうか。

 彼がすぐに壁のスクリーンを見ていなければ、気づかれていたかもしれない。

 だが幸いにして、画面の映像は彼の興味に値するものだろう。


「わ、ねぇ、まーくんにそっくりだよ」

「あぁ、悪くないね」


 まんざらでもなさそうに男は口角を上げた。

 画面には彼と瓜ふたつと言って差し支えない人相が映し出されている。

 とはいえ彼自身を映しているわけではない。映しているのは彼らふたりの子。女の胎内で10週目を迎え、こぶし大にまで成長した哀れな赤子の容姿予想だ。

 

 それが可能なのは、ひとえに遺伝子科学の発展ゆえに他ならない。

 1953年のDNAの二重らせん構造発見から始まり、2003年にヒトの全塩基配列を解析するだけにとどまらず、今ではその配列によって作られるたんぱく質がどのような性質、機能を持つかの解明が猛スピードで進んでいる。

 それによってわかるのは、病気――例えば癌、心疾患、糖尿病など――へのなりやすさ、性格、体格、知能指数、運動能力など様々で、先ほどの容姿だってそうだ。遺伝子さえ入手できれば、ちまたの人々が思う以上に正確に予想することができる。


 それゆえに生まれたのがこのビジネスだ。出生前診断として以前から提供されてきたものだが、当時は先天性の障害や病気の有無を調べるだけだった。

 今は違う。先に多数の項目を挙げたとおりだ。成長した際にどんな人間になる可能性が高いかを多角的に調べられる。

 この領域について、非常にデリケートな議論が続いているのは知っている。生まれてくる命の選別をするな、などと批判をうけることもある。病院でこの部門への異動を言い渡されたとき、これから大変だな、などと周りからは苦笑まじりで言われたものだ。

 私としては、これは家族の幸せを確保するために必要な仕組みだと理解していたし、現に法律でも認められている範囲のものだ。だから当時はそこまで真剣に考えてはいなかった。そう大した話ではないと。


「ここで表示する結果はあくまでも科学的な見地から成される予想であり、必ずしもこの通りの子供であることを約束するものでは――」


「先生、もうその説明は十分に理解していますよ。次のスライドお願いします」


 まるでゲームのチュートリアルをスキップするかのように、軽く男は言い放つ。

 インフォームドコンセントが何たるかなど、説明しても無駄だろう。

 女の方が、そこで初めて怪訝そうな気配を漂わせた。まぁ初回であればまだその程度か。

 男の方は気にする様子もなく、画面上の項目を舐めるように確認していく。


「次、お願いします。……次、……次、……ストップ」


 そして私の予想通りのところで顔をしかめた。

 性格診断だ。


「協調性、共感性、低いですね」


 前もそこで引っかかっていた。

 10回以上も場数を踏んだ彼だ。もはや各項目の説明すら必要ない。

 勝手に数値を見て、勝手に結論を察してくれる。仕事が楽なのはいいことだ。ほとんど唯一と言っていいメリットではあるが。


「まーくん、それってダメなの? 」

「当然さ。今まで以上にコミュニティ内でうまくやることが求められる時代、そこを生きる子供だからね。ここの素養がないと、最悪の場合、イジメられる可能性だってある。それに知能や学習面のパラメーターも前より低い」

「前? 前って――」


 おっと、それは失言だろう。

 私が静かに目を向けた先で、取り繕うように男が笑顔を見せる。


「いずれにせよ。全体的に数値が高くない。この子は僕たちにはふさわしくないよ」

「そ、そんな、せっかく……」


 命を授かったのに。

 続くはずだった言葉はそんなところか。おそらくはその意味の重さゆえに、そう口にするのがはばかられたか。


「気持ちはわかるよ。けど、よく考えてごらん。これから君と僕、ふたりの幸せな家庭を築くんだ。そこに生まれる子供だって、完璧じゃなきゃいけないって、君はそう思わないかい?」


 一方で男はその罪悪感をつゆ程も感じさせない、非の打ちどころのない爽やかな笑顔だ。

 だいたいの女はそれで丸め込まれてしまう。この診察室の中に限って言えば、今のところ例外はない。


「そう……かもしれないけど」


 心の底から納得はしていないのだろう。ごまかすように、女は苦笑を浮かべた。

 笑っていられるのもせいぜい次までだろう。これまでこの男が連れてきた女は、これが3回続けば魚が死んだような目になっていった。ひとりだけ5回目まで続いて、それ以上はない。


 男が軽く礼を言って、ふたりは背を向けた。

 これからの予定は問うべくもない。腹に宿る、法律上は命未満の肉の塊を廃棄しに行くのだろう。


 命の定義とは何か。

 男の背中を見ていると、そんなことをつくづく考えさせられる。

 時には黒い考えさえ浮かんでくる。この男は邪悪だ。生命を冒涜している。こんなやつの子孫なんて生まれない方が世のためだ、とか、そんなことまで。


 例えば私が検査結果を彼の意にそぐわないように操作し続けることだって、やろうと思えばたやすいことだ。

 しかしそれこそ生まれ来る生命に対する冒涜なのは間違いないし、何よりこんな男のために自分が法的なリスクを冒すのは馬鹿らしいとしか思えない。


 去り際に、男がくるりと振り返る。

 私はため息を見られないよう、慌ててそれを飲み込んだ。

 私の邪な考えを知ってか知らずか、彼はまたにこやかな笑顔で、こう言って去っていくのだった。


「また来ますね、先生」





――終わり

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