五個目の隕石 【SF】

 ブラインドカーテンを開けると、黄色い空が広がっていた。とはいえ、その光景の半分は黒で埋まっている。何本もそびえ立つ円柱状の超高層住宅と、それらの間に網目状に張り巡らされた配管のせいだ。しかしそれでも空の違和感は否応なしに襲いかかってくる。


 その異様な光景を見て、アレックスは寝ぼけまなこのまま瞬きを繰り返した。それでも空の色は変わらない。人を不安にさせる警告の色だ。


 しばらく彼は無言で無精ひげをいじりながら、はっと何かに思い至った様子で振り返った。テーブルの上には放り出したままのモバイル端末があり、その角では小さな光が黄色く点滅を繰り返している。メッセージが届いているのだ。それも特別な。


 三十年前に両親を亡くして以来、彼にメッセージをくれる存在など限られている。大抵の場合、それは彼の消費傾向や特徴に基づいて送られる宣伝やチラシの類プロモーションメッセージであったが、今に至るまでそういった送り手の全てが彼自身によってブロックされていた。必然的に残るのは行政からの通知になる。


『隕石警報が発令されています』


 通常より一回り以上大きなフォントで表示された文字列。ディスプレイを占拠するそれを見て、通常は緑色の点滅のはずが今回は黄色だった理由をようやくアレックスは理解した。


「ニュースを起動」


 その言葉で、部屋に備え付けの映像設備プロジェクタが灰色の壁にリクエスト通りの映像を投影する。


「最新ニュースをお伝えします。まずは隕石警報について――」


 バーチャルで作られた背景に、同じくバーチャルで極限まで中性的な容姿に調整されたアナウンサーがニュースを読み上げる。


 曰く、宇宙観測ユニットが地球に迫る一つの隕石を捕捉。

 曰く、全長200メートル程度、衝突がもたらす被害は広範囲に及ぶ。

 曰く、衝突予測日は三日後、現在迎撃ユニットが対応中――


 隕石にはさながら円周率めいた名前がついていて、それを右から左へ聞き流しながら、アレックスは子供の頃を思い出していた。彼が経験した最初の隕石、それがもたらした被害は未曽有の災害として今も伝えられている。落下地点から半径4kmは文字通り消失。発生した衝撃波で、その飛来経路に在った建物も多くが倒壊し、犠牲者は数万人規模にも及んだ。


 三十年前の悲劇を繰り返してはならないと、それ以来多くの物事が見直されてきた。隕石の到来を早い段階で検知できる観測ユニット然り、物理的な干渉で軌道をそらす迎撃ユニット然り。成果は上々で、その後三回にわたって隕石の到来が確認され、いずれも直撃を回避できている。


「住民の皆さんは落ち着いて避難の準備、そして当面をしのぐ食料品や生活必需品の備えを――」


 だが、今回も上手くいく絶対の保証はない。だからこその隕石警報であり、ニュースが促す通り、もしもの場合に備えるべきなのだ。


 アレックスは重いため息と共に冷蔵庫を開けた。いや、開ける前から中身などわかりきっている。毎日配給される一日分の固形栄養補給食、それだけだ。


 例えば隕石がこの近辺を直撃した場合、この場所は彼もろとも木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。むしろその方が良いのかもしれない。半ば自分の命に無頓着な彼はそんな風にさえ思っていた。つまり、直撃じゃない方が問題なのだ。それは壁外で神経組織のように張り巡らされた物流ネットワークに支障をきたし、今眺めている冷蔵庫の中、この配給が滞ることを意味している。


 飢えは何よりも避けたかった。三十年前、身寄りをなくして避難所で食うや食わずやを繰り返した幼少期が、苦い記憶として今もアレックスの脳裏にこびりついているのだから。


「ガイアのマーケットに接続」


 その言葉でニュース映像は途切れ、オンラインストアのウェブページが立ち上がる。上段には『隕石に備えよGet Ready For The Strike!』と書かれたバナーがこれ見よがしに表示されていた。


 アレックスはいかにも不愉快そうに顔をしかめながら、少々たどたどしい指示でドライフルーツやビスケットなど、保存のききそうな食品をカゴに放り込んでいく。冷凍ピザやカップ麺といった人気の品には早くも在庫切れの赤いバツ印がついていた。はやる気持ちで会計に進むと、


 ビィィィィ!!


 耳障りなエラー音が部屋中に鳴り響いた。画面中央には『ドルが不足しています』との表示。


「くそ、やっぱりか……」


 乾いたため息をついて、アレックスはモバイル端末を拾い上げていた。







 二時間後、アレックスは自宅近くの酒場バーにいた。配管の中を運ばれて、たどり着いたどこかの円柱の中層階にそれはある。端末認証を終え、挨拶もないまま彼は小さなステージに上がった。取り出したのは木目が輝く愛用のレスポール・ギターだ。勝手知ったる手つきでプラグにつなぎ、五弦から手早く音を合わせ、仕上げにジャランとかき鳴らし、アンプの具合を確認して彼は満足げに頷いた。


 ステージ上は肌を焦がしそうなほどの照明が集まって、その逆光で店内の様子はよく見えない。しかしアレックスにはその方が具合がよかった。どうせ店内にはロボットしかいないのだ。あの丸テーブルに肘をついた影も、カウンターでシェイカーを振るバーテンも、結局は生身ではありえない。


 だからアレックスは好きなように演奏して、好きなように歌声を張り上げることができた。それで購入に必要なドルが手に入るのだから何も文句はない。


 ガイアと呼ばれるこの箱庭のような世界で、人は社会貢献活動をすることでドルというポイントを受け取ることができる。それは今の彼のように音楽の演奏でもいいし、何かスポーツに興じることでもいい。清掃がしたいのなら、ガイアがそういう部屋を用意してくれる。そして配給外の食糧を手に入れるにはドルが必要なのだ。ドルを求める人が急増する今のタイミングで、見知った演奏スペースを予約できたのはアレックスにとって幸運だったと言っていい。


 本当は、演奏なんて形式は問わないのだから、一音だけ奏でて終わりにしてもよかった。それでも魂のない観衆は拍手をしてくれて、報酬だってしっかり受け取れるルールなのだ。だけどアレックスは、乾いたジャズのメロディに乗せて紡ぎださずにはいられなかった。隕石がもたらした悲しみを。そして今、再び右往左往させられることへの悔しさを。


 たっぷり五分ほどかけて一曲を弾き語り終えたその時、


「ブラボォーウ!!」


 金属がぶつかり合う拍手の音に混ざって、しゃがれた肉声の賞賛が届けられた。つまり、他にも人がいたのだ。その事実にアレックスは面食らって、無警戒にむき出しの内心を歌い上げていたことが、急に恥ずかしく思えてきた。


 ステージを降りて、よく見ると、確かにカウンター席に初老の男性が一人、腰かけてワイングラスを傾けている。その老人がまたちらりと彼を見て片手をあげた。呼んでいるのだ。その緩慢な動作を見るに、相当酔いが回っているらしい。


「あんた……いい歌だったよ」


 となりの席に着くなり、そう声をかけられた。するとバーテンが一杯のショートカクテルを差し出してくる。独特な青い色合いは宇宙をも思わせた。


「いいもんを聴かせてもらった礼だ」


 そう言って、老人はまたワイングラスをあおる。えらく気前のいいもんだ、とアレックスは内心毒づいた。この一杯だって、どれだけドルが必要だろう。水のように飲んでるワインも含めて、相当に余裕があると見える。


「……どうも」


 とりあえず礼を返して、グラスに手を伸ばそうとした時、アレックスのモバイル端末が軽快な音を鳴らした。ドルが支給されたのだ。


 ならば酒に酔うなど二の次だ。彼は急いで端末をポケットから取り出してガイアのマーケットへアクセスを急ぐ。


「……マジかよ」


 そして画面を見るなりカウンターに突っ伏してしまった。すでに食品の在庫はすっかりなくなってしまっていたのだ。ドライフルーツもビスケットも何もない。かろうじてゲテモノにしか思えないジャムや発酵食品だけが残っていて、それで数日を過ごすかもしれないと思うと何ともみじめな気持ちになった。


「かっかっか!」


 その様子を見て、となりで老人が大笑いを始めていた。


「安心しなよ、若いの。隕石なんかこねえからよ」

「隕石は……こない?」


 がばりと顔を上げて、アレックスは不思議そうに老人を見た。


「ああ、こねえこねえ」

「どうしてだ? どうしてそう言い切れる?」

「あん? じゃあお前、逆にどうしてくるって言い切れる」

「だってそりゃ、隕石警報がでてる……」


 言葉半ばで、老人はさらに大きな声で笑いだした。その理由がアレックスにはよくわからなかった。


「まあ無理もねえ。ガイアの言うことを全部鵜呑みにしちまうのもな。……礼のついでだ。いいことを教えてやる。ここガイアの統べる街じゃ空は四角い天井ドームに覆われてやがる。照明、温度、湿度すべてが快適になるよう調整されてるってわけだ。……まあこんなことはガキでも知ってる。そうだろう?」

「ああ……それが?」

「つまり誰も直接空を観測できねえってことだ。できんのは無人の観測ユニットだけ。域外への出入りは厳しく制限されてるしな」

「ガイアが……嘘を報じている……と?」


 困惑するアレックスを横目に、老人はまた笑いを噛み殺す。


「あまりにも周期的すぎる……そうは思わんか?」

「え?」

「こうも生きるのに苦労しない街じゃ人間がだんだん腐ってくる。時々そんな風に思うこともあるが、ガイアのAIも同じことを思っとるのかもしれん。そこへ三十年前の悲劇が起きて、ガイアはやり方を学んだんだろうさ。ワシらに刺激を与える方法をな。あれから綺麗に八年周期で隕石がやってくるとなりゃあ作為的なものを感じるものさ。実際、社会全体で見りゃ良いことづくめだ。溜まった食糧品在庫を一掃できる上に経済も刺激される。……隕石が落ちてきさえしなけりゃな」


 アレックスはカクテルグラスを手に取りながら、しかし微動だにできずにいた。老人はちらりと横目でそれを流し見て、ひょうひょうと呟いた。


「なあ……隕石ってのは……そんな頻繁に飛んでくるもんかねえ?」


 その一言で、アレックスはかっと目を見開くと、グラスの中身を一気にのどの奥へ流し込んだ。何が正しいのかはわからない。しかしアレックスは自分の中で何かが熱く湧き上がるのを感じていた。


 空になったグラスの底をカウンターに叩きつけ、アレックスは言い放つ。


「……もう一杯ワンモア




――終わり

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