第5話 クウの一日

アタシは子猫のクウ。

ママの今日子は、獣医学部の6年生。


今日子ママは朝になって大学に行くと、夜遅くまで帰ってこない。

数時間置きにミルクを飲ませないといけないアタシを置いていけるはずもなく、ママは大学にアタシを連れて行っていた。


一応、大学には「学校にペットを連れて来てはいけない」という校則があったけれど、大目に見られているところがあった。

まあ、こんな校則がある時点で、連れて行っている学生が結構いるって事なんだよね。

特にアタシみたいなおチビちゃんは、部屋に残しておくわけにもいかないし。


この頃の今日子ママの大学での生活は、講義は午前中だけで、主に所属研究室での卒論制作と国家試験対策が中心になっていた。


ママの所属研究室は、薬理学講座。

朝、大学に行くと、まず研究室に行って、アタシを誰かに預ける。

ママが講義を受けている午前中に研究室にいるのは、院生の先輩とか、先生達とか。


アタシは薬理学研究室のみんなに面倒見てもらっていた。

今日子ママは、アタシの事、ネズミ扱いだったけれど、研究室のみんなは、「可愛い!」って言ってくれて、忙しい中でアタシの世話を押し付けられても、誰も文句は言わなかった。

特に教授は可愛がってくれて、いつもアタシにミルクを飲ませてくれた。


「いっぱい飲んで、大きくなれよ。」

「ミー!(もうお腹いっぱい!)」

「そうかそうか。」

「ミー…。(眠くなっちゃった…。)」

「じゃあ、シッコしてお昼寝しなさい。」


結局アタシは午前中のほとんどを、教授室の机の上に置かれた発泡スチロールの箱の中で過ごしていた。


午後になると、今日子ママが研究室に戻ってくる。

でも、ママは卒論実験で忙しいから、やっぱりアタシは教授室にいる事が多かった。


ん?

教授は忙しくないのかって?

忙しいよ!

忙しくても、可愛がってくれてたの!


ママの卒論のテーマは『エチレングリコールの毒性に対するルチンの抗酸化作用』


なんじゃ、そりゃ???

まあ、そうなるよね。


‘エチレングリコール’っていうのは、車の不凍液なんかに使われるんだけど、甘いから間違えて舐めちゃうワンコがいて、中毒事故がたまに起こるみたい。

‘ルチン’っていうのは、韃靼そば茶なんかに多く含まれるポリフェノールの一種なんだけど、それが‘エチレングリコール’の毒性を弱めてくれる事を証明するのが、ママの卒業論文。


この卒論のために、ママはネズミさんの命をいくつもいただいた。

卒論だけじゃなく、獣医学部の課程の中には、動物の命をいただく実習がたくさんある。


その事には賛否両論あるわけだけど、ママはいただいた命を無駄にしたくはなかった。

実習だけでなく、ママは食べ物を残して捨てることは絶対にしない。

考え方はそれぞれだけど、命のあり方に真正面から向き合うのが、獣医学部というところだとアタシは思う。


夜になると、アタシは今日子ママに連れられて、部屋に戻る。

ちい姉さんとも仲良くなったアタシは、ちい姉さんのお腹を枕にして寝るのが好きになった。

私のママは今日子だけど、ママは猫じゃないから、やっぱりちい姉さんみたいになめなめしてくれたりはしない。


「ニャー。(クウ。最近、毛が長くなってきたね。)ニャー。(お前、もしかして長毛種の血が混じっているんじゃないかい?)」

アタシのお尻をなめなめしながら、ちい姉さんが言った。


確かにアタシはちい姉さんとは、微妙に違っていた。

毛は長いし、足は短めだし、耳は小さいし。

「クウはチンチラっぽいね。純血じゃないとは思うけど。」

「ミー。(でも、本当のママの事は覚えてないから、わからないよ。)」

「まあいいさ。どんな猫種でもお前は可愛いうちの子だ。」


今日子ママはそう言って、頭を撫でてくれた。

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