第20話

「さぁ、大婆様。その冠を、クロドラシアの王冠を、我が角に」



 緊張の一瞬。

 竜族たちが固唾を呑んで見守る中、カルラは大きく翼を広げて頭を下げる。大婆様がその指に抱くそれは、恐らくは代々の龍姫が受け継いできたもの。この竜の国、クロドラシアを治める王の証。つまりは、竜族の象徴。皆が見ている前で、新たな王が生まれようとしている。傾き、崩れかけたこの国に、失われた主柱が打ち込まれようとしているのだ。



――――――だが。しかし。



「……ならぬ…………」



 その言葉に、中庭の空気が凍りつく。皆が言葉を失う。

 大婆様は、「ならぬ」と言った。静かに、ぽつりと、だが確かに、そう言った。


「……」


 数秒の静寂。カルラは透き通るような眼を見開き、その四肢を強張らせて白い息を吐く。どうやら、その言葉は彼女にとっても予想外の返事であったようだ。まあ、無理もない。やがてカルラは、そのしなやかな尻尾を大きく振って地面に擦った。


「失礼、大婆様。今、なんと?」


「ならぬ、と、云うたのじゃ……」


 中庭がざわつく。カルラがその巨大な顎に縋り付いた。


「な、何故!何故です、大婆様!」


「……言わずとも、分かっておろう……?」


「っ」


 竜族たちが顔を見合わせ、ざわめきが広がってゆく。竜族たちの目が、その目に宿る感情が、少しづつ変わってゆく。新たな王を見る目から、王を騙る者を見る目へと。期待の喜びの感情が、落胆と怒りの感情へと。突き刺さるいくつもの視線にカルラは狼狽え、後ずさり、その息を切らす。


「お待ち下さい」


 玉座の傍らに立つ騎士。見覚えのあるあの男が、ずいと前に出た。


「神聖な儀に口を挟む無礼をお許しください。大婆様。カルラ様の角をよく御覧ください!皆も見よ!あの美しき白銀の角こそ、まさしく十年前の予言通り。新たなる龍姫たる証拠ではありませぬか!」


「『黙れ』。ヒトの子よ」


 男の訴えは、一蹴される。男はなおも言葉を連ねようとするが、その口からそれ以上の言葉は出てこない。大婆様が静かに煙を吹いた。


「老いぼれの眼なら、欺けると思うたか。ほ、ほほ……。甘く見られたものよ。この眼はもはや、皆の顔も見えぬが……角の色だけはよく見える。あぁ、見えるとも。若く美しく煌めく、銀の色がな」


「……」


 カルラの目の色が、変わる。


「銀……銀色だと?」


「あぁ、確かにそう言ったぞ」


「あれは、白ではないというのか!?」


 竜族たちのざわめきはもはや、騒ぎとなりつつある。いざとなったら王冠を横から奪うことも考えていたが、どうやらその必要もなさそうだ。


 そうして、俺にもようやくわかった。カルラを始めて見た時に感じた、違和感の正体。あれは、ヒトの血を持つ竜族だ。竜族の肉体に、人間の血を生まれ持つドラゴニュート。恐らくは、彼女の姉であろう。


 全ては、偶然だったのだろう。十年前、白い角を持つ龍姫が生まれたこと。同じ頃、どこかの国で姉妹のドラゴニュートが生まれたこと。そして、彼女が白い角を。カルラが白とよく似た色の角を持っていたこと。カルラは何らかのきっかけで、妹が予言の龍姫であることを知った。それと同時に、この計画を思いついたのだ。


 珍しい奴隷として飼われる日々を捨て、妹すらも踏み台に、輝ける一国の王として生まれ変わろうと。恐らくは、懸命に努力を重ねたのだろう。


 だが、最後の一歩が甘かった。並み居る竜族を欺くことは出来ても、ただ一人だけは。


「…………」


 カルラは後ずさって俯き、微かに息を吐く。駆け寄ってきた竜族の男たちがその身を押さえ、掴み上げる。その四肢に力はなく、その眼はどこか虚ろである。終わりだ。何もかも。竜族の長たる龍姫を騙るなど、重罪どころではない。カルラはきっと、その首を晒すことになるだろう。やれやれ、終わってみればあっけない幕引きだったな。これ以上は、わざわざ眺める必要も――。


「(いや、待て)」


 ふと、胸の内がざわつく。なにか、忘れてはいないか。なにか、とても大切なことを。



「!」


 その瞬間、大地が揺らぐ。咆哮のような轟音と共に駆け抜ける風と、計り知れぬほど巨大な魔力の波。見上げた空には赤黒い雲が渦巻き、いくつもの黒い帯が絡み合いながら降りてくる。それを追って振り返ると、王城の横に立つ鉄塔に稲妻が走った。


「なんだ、あれは」


「見ろ!隔離塔に、なにかが!」


 鉄塔を包むようにして渦を巻く漆黒の魔力。めきめきと音を立てて折れたその先に、小さな人影がその眼を光らせる。


 そこに居たのは、いくつもの剣で刺し貫かれた一人の少女。その背から突き出た歪な翼と短い尻尾が、黒い靄に包まれて膨れ上がる。その様はまるで、一頭の竜。今にも倒れそうなその足で瓦礫を踏み、彼女は吼えた。


「――ッ」


 それはまさしく、咆哮。放たれた熱線が城ごと遥か彼方を穿ち、地平線が真紅に染まる。崩れ落ちる鋼の城と震える大地。赤黒い空から降り注ぐ巨大な剣が大地を貫き、飛び交う竜の群れを吹き飛ばす。鳴り止まぬ轟音と悲鳴の嵐。押し寄せる衝撃に、立っていることすら難しい。俺が奥歯を噛むと同時に、二度目の熱線が中庭を掠めた。


「ぐ、おぉっ!!」


 俺の体はたちまち宙を舞い、瓦礫と共に赤黒い海に放り出される。俺を受け止める地面は、遥か下。深い谷底が口を開けている。


 体が押し潰されるような気迫。あらがいようのない、とてつもなく大きな力。どこか身に覚えがある。俺は、この感覚を知っている。あぁ、間違いない。これは、魔神の気配。これは、流石に、どうしようもない。やはり、面倒事に首を突っ込むべきでは無かったか。


 だが、後悔したところでもう遅い。もはや、ここまでだ。



「――ギール!」



 ふと、聞こえたその声に、閉じかけた目を開く。翼を大きく広げたガリアが、懸命に小さな手を広げていた。

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