御曹司と過去





 ――クラウス・シモンズが将軍だという男にまともに会ったのは、三年前のことだった。


「きみがクラウス・シモンズだな」

「……誰だ」


 王宮の廊下を歩いていると名前を呼ばれて一応立ち止まると、横の方に一人の男が立ち止まっていた。

 名前が浮かばなかった。つまり、まともに会い話したことのない人物であるはずなので、呼び止められる理由が分からずクラウスはまず問うた。


「国軍の一将軍の地位を賜っている、エルバート・オーデンと言う」


 それこそがエルバート・オーデン、軍の将軍という地位にある男だった。

 しかし名乗られたら名乗られたで、次は将軍が何の用かと思ったクラウスに向かって、将軍は「少し話せるか」と言ってきたのだった。


 執務室だという部屋について行ったのは「ジゼルのことで話がある」と言われたからだった。

 そうでなければ上手く――いや雑に理由をつけて去っている。


「きみに求婚されているという相談をジゼルから受けてな」


 うら若き少女が、下手をすれば自分の父親ほどの年齢の男、それも将軍にそんな相談をしている絵面とは。

 もしかすると、何も知らない者からすれば何とも言えないものだったろう。

 しかしここにいるクラウスは違う。

 ジゼルが、彼が想いを寄せる女がこの男に相談したというだけで嫉妬しそうだ。


「そうだとして、どうしてあんたに口を挟まれなければならないんだ?」

「私とて野暮だとは思ったのだがな」


 まさかジゼルが頼んだわけではあるまい。


「なに、彼女に頼まれたわけではないが私個人で考えたことがあってな」


 クラウスの予想は当たった。

 それにより眉を寄せる。

 このよく知らない男までもがジゼルへの求婚を反対しようというのか。そうされるいわれがない、それならば用はない。さっさと切り上げて出ていこう。

 相手の本題を探るも、表情の乏しい将軍の顔からは考えは読み取ることができない。

 クラウスの鋭い視線に晒されていても眉一つ動かさないエルバートは、にわかにこう話を切り出した。


「きみはジゼルの身の上は知っているか? どうして彼女のような歳できみの父親や私と昔ながらの友人のような関係を築き、表向きとはいえ将軍の地位についているかは?」


 質問で構成されていた。


 ジゼル・ノースという女は不思議では収まらない人物だった。

 父親と、まるで娘ほどの少女が対等な口をきき、その目はクラウスの父親以上にこの世の何もかもを知っているようだと印象を受けたことがある。

 対等な口をきくのは「先代」からの付き合いで「ジゼル・ノース」のその顔が同じだからと聞いたが……そのときはじめてクラウスは疑念を抱き、とうとう父親に尋ねた。

 そして伝説めいた話はうっすらと知っていたが、噂などに関心のないクラウスはそのときはじめて知った。


 ――彼女は呪われているのだと


「呪いを受け継いだことにより短命で、昔天から堕ちた神とやらを封じた祖先に習って魔物退治を使命にしているからだろう」

「『伝説』はさすがに知っているようだな」

「は、馬鹿にしてるのか。 それで? あんたは俺がジゼルに求婚することに反対しようとしているのか?」

「反対と言うべきかは分からないが、お勧めはしないな」

「外野に言われる筋合いはない」

「ジゼルが困っていてもか?」


 クラウスは眉間のしわを深くした。

 瞬間的に抱いたのは気に入らないという感情だ。


「きみはなぜジゼルが断り続けていると思っている」

「短命だからだろ。うちの親父にもそう言って止めろと言われた」


 さきほどから何だ。ジゼルの何だというのだ。

 クラウスは生まれてきた不機嫌が全く止まらず、それを隠そうとは思わなかった。

 対してエルバートは気づかないはずはないので気にした様子はなく首を振り、会話だけを続ける。


「この際はっきり告げておくが、彼女がきみの求婚を受けることはない」


 ――どうして他人にこんなことを言われなければならない。

 今やクラウスの中にはひどい苛立ちだけが存在しており、その問いを口に出す。


「あんた、ジゼルの何だ」

「私か? ただの友人だ」


 するりと答えは返され、より腑に落ちない。友人だ? と喧嘩腰で聞き返したい気分。


「どうしてジゼルが俺の求婚を受けないなんて分かる? 俺は絶対ジゼルにうんと言わせる」

「求婚を受ける受けない以前の問題ではない。彼女には受けないという答えしか用意されていない」

「だからそれが何でかって聞いているんだ」

「単純に短命だからという理由では語ることができない理由を、ジゼルが抱えているからだ」

「理由?」

「きみとて聞けば分かる」


 将軍は茶をすすりカップを卓上に置き、クラウスに目を定める。


「一応聞こうか。知る覚悟はあるのか」

「……短命だけではない理由っていうやつをか」

「そうだ。ジゼルは言わないだろう。そしてきみはいずれ知ることになるから、構わないだろうと私は考えている」


 クラウスは、自らが知らないことを知っていると仄めかす将軍をじっと見る。

 ジゼルが抱える理由とは何だ。そんなものかあるというのなら、それはクラウスの知りたくて当然のことだった。


「あるようだな」


 クラウスが何も言わないうちに、エルバートは分かっているというふうに一人頷いた。

 その様子にもクラウスはいらっとする感じを覚えたが、逃すわけにはいかないので黙ったまま肯定に代える。


「きみが知っているのは封じられたはずの堕ちた神に呪われた乙女の子孫は呪いを代々受け継ぎ若き命を散らす運命にされた、というものだろう」

「ああ」


 それはジゼルのことだ、神に呪われて代々短命なのだと聞いた。

 「ジゼル・ノース」という名前も便宜上受け継いでいて、別に名前はあると聞いている。別の名前は聞いても教えてもらったためしはない。


「問題は大まかには事実だが嘘偽りが混ぜられ、その嘘偽りが真実を大いに覆い隠してしまっていることだ。私としては国民にはそれでいいとは思っているがな」

「事実は違うっていうのか」

「実際は大いに違う」


 あっさりと否定される。もちろん将軍の表情は変わっていない。


「まず、綺麗にまとめられた伝説により完全にいなくなったと思われている堕ちた神はまだいる。王宮の地下神殿に封じられており、その封じのためにジゼルが祈り続けている。彼女には未だに神々の特別な祝福が身に宿るとされているからだ」

「……は?」

「確かに呪いは存在する。その呪いの内容がまた一つの問題だ、この点の伝説の嘘は『代々受け継がれている』というところにある。事実は、代々受け継がれているのではなく、119年前から変わらず呪いを受けているのは一人。今のジゼルも昔のジゼルも同じ、ということだ」


 同じ。とクラウスは口の中で音なき呟きを作った。


 クラウスはジゼルの歳を知らない。聞いてみたことはあるが「女性に年齢を聞くの?」と言われ止めざるを得なくなかったことが何度か。

 けれどそのうちに、彼女の様子からして年上なのだろうと思っていた。

 時折、ジゼルと父親が話しているときや自分に接してくるときに外見不相応な歳月が見え隠れしていることがたまらなく不思議で、しかし子ども扱いされることが悔しくもあった。

 その違和感が――砕かれる。



 同じ。

 以前幼い頃に会った「ジゼル」と今の「ジゼル」は違うと、呪われているのだとの言葉は、後から思えば異様なほどの効力を持っていた。

 以前見たときより明らかに背が縮んでいて顔が幼く、手が小さく……まるで歳が巻き戻ったかのように思えたはずなのに。

 同じ。

 理解するより先にすとんとしっくり落ちてきた言葉だった。ああそうだと、彼女は同じだ。

 なぜ、今までずっとこれほどまでに近くにいたのに決定的な違和感は消されていたのか、というほどに。

 だがそうだとすれば彼女はいつから「いる」ことになる。


「短命は本当だ。呪われ、若きときに死に、――そしてまた生まれ同じ容貌記憶を持ちまた成長しはじめる。神官によると【転生】というらしいが実際は死体は見つけられないものだから、事情を知っていても身体が巻き戻っているように見える。だが【一度目】は死を確かに看取った者がいるという。

 彼女の現在いまは六度目だ」

「――六度……」


 五度、死んでいるというのか。

 どうにか呟いたきり、クラウスは絶句した。


「ジゼル・ノースは119年前この国の救世主となった本人であり、そう影で祭り上げられている。彼女がいなくなればこの国は再び混沌と破滅に向かうだろう、と」


 だが、と淡々と語り続ける将軍は言う。


「救世主、国を救った乙女など言っている奴がいるのなら私にしてみれば馬鹿馬鹿しい。どこからどう見ようと――生け贄だ」



 ジゼル・ノース、うら若きときの外見を持ち続ける彼女は生け贄の乙女だった。その犠牲の上にこの国の民は生きていた。

 クラウス・シモンズを含め。


 何度も死んで生まれ同じ役目を延々と負い続け、身体的に目線は変われども、繰り返し自分の周りで過ぎていく世界を目にするのは──どのような気持ちなのだろう。


「一度は自ら命を絶ったことがあるそうだ。自然に死を迎えなければいいのではないかと考えたようでな、だが結末は分かるな。現在彼女がいるということはそういうことだ。もう昔のことだと言っていた」


 クラウス・シモンズ、と抑揚乏しい声で名前を呼ばれたが、クラウスには生意気に何だと用件を聞く余裕はなかった。


「今きみが言い寄ってジゼルの心を動かすことに成功したとしよう。それでも彼女が辛い思いをするだけだ。それとも……」


 容赦なく続けられる言葉を耳に入れながら、蒼の瞳がわずかに、他人には分からない程度に揺れていた。


「きみはジゼルを救えるのか?」





 聞いたのは、あまりに重い現実。








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