乙女と友人



「また魔物が出たらしい」


 通りすぎる際に聞こえた会話をしていたのは、国軍の兵士たちだ。

 西の方で出たという魔物の情報は回るのが早い。ジゼルが耳にしたのもすでに昨日のことであるから、驚かない。

 何度目かの会話とすれ違い、ジゼルは一つの扉の前にたどり着いた。


 服装は普通のドレスだ。

 魔物退治に行くでもなく、地下神殿に向かうわけでないときは、ジゼルはすれ違うだけならそこらにいる貴族令嬢と変わらない。

 少し地味な装いであることから、下位であるとか思われるまでもなく目立たない。

 その姿で扉の正面に立ち、すっと浅く息を吸い、声を出す。


「ジゼル・ノース、参りました」


 扉は内側から人の手により開けられ、部屋の内部に向かってジゼルは足を踏み出す。

 中に揃っているのは国軍将軍及び政治中枢の役職にある者たち。左右に分かれ座し、右の一番奥にいるのは国軍最高責任者だ。

 その左手、居並ぶ者たちの中にエルバートの姿もある。

 ジゼルはよく関わる姿を含め、それとなく一巡させた目は最後にはまっすぐに落ち着ける。

 さあ、踏ん張り所だ。



 ここにいる者たちは『全て』を知っている。

 しかしここに座る人間の顔も変わった。ジゼルが呪われた当初の顔はない。当たり前だ、百年以上経った。死んだのだ。


「ジゼル・ノース、また魔物が出たと聞いたが?」

「この間出たばかりだと思っていたが、またかね」

「私の領地にあわや魔物が入るところだったそうだ」


 見た目はともかく歳だけはジゼルより下の面々を、歳だけで見下そうとはジゼルとて思わない。

 しかし彼らの方はジゼルの見た目が若いこともありこのような口をきく、ジゼルが自分の役目を果たせていないこと含めて。

 内容は、お飾りで将軍位をもらい普段の会議には呼ばれないはずのジゼルがこのように会議に呼ばれる限り、決まって同じだ。


「君にしかできないことなのだからやってもらわねば困る。個人的になど誤解はしないでもらいたい、国がだよ」


【どうして魔物が出てくる。お前のせいだろう、頑張れば止められるのではないか? どうして止められない】


 遠回しにすることなく、ほぼ率直に言ってくる辺りは気持ちの良いほどだと言えるかもしれない。

 堕ちた神を封じるために祈ることはジゼルにしかできないのだから、やってもらわなければ困る。


 ジゼルは言葉を受け続け、返答を求められた場合にのみ「申し訳ない」との意を示す。

 その中に流れを止めようとする人物はいない。それらはどうしようもない正論であるからだ。

 エルバートはジゼルにとって『何となく落ち着く人』ではあるが、ジゼルにとっての『優しい人』ではない。

 彼がただの優しい人であったならば、将軍位についているはずもなく、彼は責める声に加わることもないが止めることもない。


 ひたすらにやり過ごす会議を終え、面々より先に退室したジゼルは部屋に戻ってきていた。

 無駄な装飾や、季節を彩る花も一切ない部屋をぶれなく進み、椅子を引っ張って窓辺に一息つきながら落ち着く。

 手には、部屋に戻ろうと廊下を歩いていた際に手渡された一通の手紙があった。


「……そういえば、来ているのよね」


 差出人はデレック・シモンズ。

 シモンズ家含め最も有力な公爵家三家は先ほどの会議には出席していない。あれはそういうものではないからだ。


 お茶会と公爵家としての責務のために来ているであろうデレックとは未だに顔を合わせていないままだった。封を開けながら思い出した。

 封筒は膝の上に置き、上質な紙を開いて中に目を通す。


 デレックからの手紙、紙に書かれている字は綺麗なものだった。どうも彼がかつて妻を射止める際に手紙を送り続けた賜物だそうな。いい話である。

 内容は簡潔に述べるに、首都にあるシモンズ家への招待だった。


 ──シモンズ家とジゼルの関係は少なくとも一代前に遡るべきだろう。

 現在ジゼルは、シモンズ家の当主であるデレックと友人の関係にあり、実はその関係というのは彼の父親からはじまったものだ。

 この家は稀有な血を継いでいるものだと実感するのは、三代に渡ってジゼルという存在をすんなりと受け入れているところに感じる。


 もう用件は読み取れたが、先に続く手紙にジゼルは目を落とすも、文字を追うことを止めてそこで思い出すのは一昨日の出来事だった。

 一昨日会ったクラウスはあの日「悪かった」と言ってたちまち部屋を出ていった。

 組み敷いてきたことに対する謝罪だろうと考えるべきだろう。押さえつけられていた手首は痛んだ。

 いい子だから、と子ども扱いできない力の強さだった。どうしてあのときいい子だからと言えたのだろうか。

 落とされた影はジゼルをすっぽりと覆うほどで、真下で見た光景を思い出すとあれほど大きかっただろうかとジゼルは手首を無意識に擦っていた。痣なんてない。


 それにしても本当に驚いた。いつ知られていたのだろう。

 ――「この国に英雄なんていない。

 いたのは119年前地上を救うためにその身を差し出すことを強要され、さらには封じた神に呪われた人間だ。呪いに捕らわれ何度も死んではまた生まれて、堕ちた神がこの世にそれ以上の災厄を蒔かないように祈り続けるという同じ役目を延々と背負わされ続けて――119年間生け贄となり続けている女だけだ」


 それならばなぜ。

 ジゼルが転生し続けていることを知りながら、なぜ、クラウスは求婚めいたことをしていたのか。

 知ったのは本当にここ最近ということか。

 それで、あのようなない交ぜになった感情を乗せた目をしていたのだろうか。


「……引き時なのかしら」


 その父親でありジゼルにとっては友人からの手紙の続きに素早く目を走らせて、元の通りに折る。

 日時に支障はなかったので、招待を受けることにして椅子を立つと、返事を書くために引き出しを二つ開けて、そのうちの一つに読んだ手紙を仕舞った。



 *



 魔物を討伐するために馬を乗り回しているうちに、馬車で移動するような性分ではなくなってしまったジゼルは馬で首都のシモンズ家の屋敷に来ていた。

 手紙での屋敷への招待を受けての訪問で、空は夕と夜が混ざりあい複雑な色合いをしていた。


「やあやあジゼルいらっしゃい!」

「こんばんは。ご招待ありがとうデレック」


 ドレスの上にまとっていた外套を預けたところで賑やかにジゼルを出迎えたのはデレックだった。

 ジゼルがドレスの裾を払い軽く挨拶すると、「そう改まってくれるな。さあこっちへ」と当主自ら案内してくれる。

 本日は決してシモンズ家主催の夜会ではない。

 デレックは心得たもので、その類いのものにジゼルを呼ぶことなく、つまり今日は完全に個人的なお誘いだ。


「格別な酒を用意してある、さっそく花見といこうじゃないか」


 酒盛りする気満々らしい。

 ジゼルはあまり飲まないけれど、デレックがどれだけ飲むのかというほど飲むことは知っている。

 花見ということは外に出るのだろうか。予想しながら、デレックの話に相づちを打つ。


「あ、いいところにいた。父さん――」


 道の途中突き当たりの曲がり角から現れた人物が、楽な格好で手をあげながら声をかけかけ……声も動作も一時止まった。


「じ、」


 足を止めたジゼルには、意味を成していない声を出した人物の目が向けられていた。


「ジゼ……いえ将軍」

「今日は仕事ではないのだけれど?」


 鉢合わせ、という感じで姿を現したのは、エリオス・シモンズ、国軍に入ったというシモンズ家が次男である。

 鉢合わせといえど、ここは彼の家だ。

 それはそうと、父親や嫡男とは最近会っていただげにエリオスこそ久しぶりに顔を見るように思えた。

 紺碧の髪は軍に入っているため短く切られており、蒼の目はわずかに見開かれているので、どこか年齢より幼く見える。

 色彩はものの見事に父親似であるが、顔立ちはクラウスと比べると柔らかく、母親似だということは真顔になるとはっきりする。


「すみません、ジゼルさん」

「元気そうね、エリオス」

「はい、お久しぶりです」


 素早く平素の様子を取り戻し、落ち着いた様子になったエリオスは丁寧に挨拶をした。

 ジゼルの身体年齢で言うと、同じ歳か上くらいだったと思う。

 それを考えると、ジゼルには我ながらこの光景はちぐはぐなのではないかなと思えそうになるが、この家にはそう思う人はいないのだ。

 中身が中身だからなのだが、変に年相応でなく、呪いによって短命ということで世の中を悟っているふうに見えるのか。

 皆ジゼルの年齢を無意識に上に見積もっている可能性がある。


 生まれ直している、などということは非現実的すぎて、誰も考えないから中身が同じであることは結びつかないのだろう。

 ジゼルだって他人であれば思わないし、何かおかしいなくらいに思うだけかもしれない。

 神々の祝福の影響ととってもいいものか、生まれ直したときにはすでにいくらか成長していたというスタートも関係しているのかもしれない。

 今何歳に思われているのだろう、とジゼルは少し気になったが確かめても何らいいことはないので頭の隅から消す。

 ふと気がつくと、


「父さん、お客さん呼ぶなら言っておいてよ」


 普通に出てきちゃったじゃないか……! とエリオスが律儀に声を抑えめにしているが、丸聞こえの抗議が展開されていた。


「ジゼルだからいいだろう」

「そういうの関係ないから! こんな格好で出てきて恥ずかしい思いするのこっちだから!」

「恥ずかしいのか」

「恥ずかしいでしょ! 父さんには分からないだろうけど」


 まあエリオスが生まれたばかりの頃も知っているジゼルからしてみると気にしない。

 それに酷い服装をしているわけではなく、単に言われてみると軽いかなくらいのものだ。

 いや本当にこの次男はシモンズ家に生まれてきたにしては感性が普通なことこの上なく、またきっちりした性格でもある。


「それより何か用か、言ってみなさいほらほら」

「いいよ明日の夜にでも行くから」


 デレックの聞き方も聞き方だと思うのは、ジゼルの気のせいだろうか。

 父親としての善意十割なのは知っているけれど、された方はもうなげやりだ。即答して、ぱっとジゼルに向き直るのでジゼルも自然とより背筋を伸ばしていた。


「ジゼルさん、ゆっくりしていってください」

「お言葉に甘えて」


 微笑むとエリオスは顔を赤くして、それを隠すように一礼して元来た方へ素早く去っていった。

 それほど恥ずかしかったというのか、素晴らしい速さだった。

 まったく兄弟でああも違うとは不思議だなぁという感想が出てくる。


「恥ずかしいなんて今さらだよなあ」

「エリオスも一緒にお花見をすればいいのに」


 そして本人がいなくなってしばらくののち、デレックとジゼルは思い思いのことを言った。

 ジゼルは横の呟きを聞き逃さず見上げると、肩をすくめられた。分かっているというふうに。

 ジゼルは何も聞かなかったように、異なる話題を振る。


「そういえばクラウスはいるの?」

「クラウスか? あいつは留守だ」


 ジゼルは会っても、これまでと同じように接する自信があった。しかし当のクラウスは、部屋にいるというのではなく、答えからして家自体留守のようだった。

 先日のことがあったので、もしもクラウスの方が避けるのであればもうシモンズ家に来るのも潮時かもしれない。

 そういう考えを視野に入れはじめていたジゼルは、「そう」と相づちを打ち、進みだしたデレックの後ろをついていっていた。


 花見と称されただけあって、庭には季節を表す色とりどりの花が咲いていた。

 首都のシモンズ家の屋敷を、主人が留守中もしっかり管理している証拠であろう。

 小さな池に映る月の姿は、水面でゆらゆら揺らめき形を変える。

 庭に設けられた四阿の中、卓を挟んでいるのはデレックとジゼルのみだ。

 ジゼルが傾けるのは酒杯ではなく茶杯に変わっていた。卓を挟んで向かい側のデレックはまだ酒杯をどんどん重ねている。

 ときおり良いタイミングで酒瓶を片したりする使用人がほとんど気配なく、新たに酒瓶を置いていく。


「はっはっは、こっちの酒も美味いぞ!」

「ほどほどにね」


 いや自分はもういいとさりげなく断り、逆に注いでやると「すまんな!」と酒を飲む友人。ジゼルはジゼルで細かい細工をされたお菓子をつまむ。



 しばらくすると、デレックがぽつりと言った。


「クラウスはまだ求婚しているようだな。迷惑をかけてすまない」

「いいえ、その内収まるのじゃないのかしら?」

「その内がもう五年は続いているんだが……」

「そんなに……? 時が経つのは早いわね」

「そうもうクラウスは二十五なんだ。あいつはいつ結婚して大人しくなってくれるんだ」


 杯を重ねすぎてさすがに酔いもあるのか、両手で顔を覆い嘆くデレックを前に、ジゼルは彼とは別のことで苦笑したくなる。

 環境にあまり変化ないことと、自らに変化がないことによって、時の流れを認識出来ていないのだ。

 時折こうして気がつかされる度に、こんな気分になる。

 それにしても、もう二十五とは。


「二十五……」


 どうりであんなに大きくなっているわけだ。二十五。

 無意識に手首に触れていることを知り、ジゼルは何事もなかったように手を卓上に移す。


「それはシモンズ家の危機かもね」


 茶杯を傾けジゼルは呟いた。

 国の特に力を有する三大公爵家の一つに跡継ぎが生まれなければ事なので、ジゼルの呟きは別に大袈裟なことではない。血筋は大事だ。


 デレックが結婚したのは……何歳だったか。

 ふむ。覚えていない。

 人の結婚した年齢を覚えている方が稀だと思うことにして改めて考えると、ジゼルの記憶が正しければ二十五という歳はもう結婚していてもおかしくない歳だ。

 クラウスはジゼルに求婚している場合では、間違いなく、ない。

 ああでももう大丈夫か。クラウスは呪いの詳細を知っている。

 元より呪いのことを念頭に置いていたジゼルは、本気にはしていなかったのだけれど。

 そうか、もう子どもではないのだ。その事実を確認したジゼルは、そっと目を伏せて茶を口に運んだ。


「これまでにお見合いは?」

「用意はしてきた。だがあいつが来ないか放り出すか席に出させても……結局は破談にしてしまうんだ」

「……あぁそうなの」


 シモンズ家の嫡男に縁談が来ないはずはないので、かなりの数の縁談が用意できるし、むしろ来るはずだ。

 クラウスが一体どれほどの数を破談に向かわせたのか。

 詳細はさておき、ここまでに婚約、結婚していないということはそこそこの数を破談に向かわせていることだろう。


「ノークレス家とお見合いする?」

「え?」


 確かクラウスと同じときに生まれた子がいた。

 その子が彼と同じくらいになっているとすると、その下に妹もいたからちょうど良いのではないだろうか。

 ジゼルは思いつきを頭の中で巡らせる。


「もうお見合いした?」

「いいや」


 デレックが首を横に振る。


「じゃあどうかしら? たぶん釣り合う年齢の子がいたと思うの」


 もちろん無理強いをする気は毛頭ないので、本人に聞いてみなければ話を進めることはできないけれど。思い当たる顔を思い浮かべる。


「可愛らしい子よ」

「だが、あいつは俺とはあまり仲が良くないから娘を嫁がせたくないのだと思うが」

「そう?」


 あいつ、とはノークレス家の現当主のことだろう。

 デレックと同じくらいの歳で……仲が悪いらしい。悪友という意味では仲が良いと思う。


「まぁ、無理にとはするつもりはないけれど、するのなら私が仲介するわよ」

「ジゼルがか?」

「ええ。話をしてみて、良さそうなら双方同意の上で席を設けてみればいいじゃない」

「そうだが……」

「とりあえず話をしてみておくわ」


 ジゼルはするべき案件を頭の中に留め置いて、では決まりだという意味で微笑んだ。



 











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