乙女の焦り



 王宮にジゼルのために用意された部屋は最初はかなり広かった。と、ジゼルは曖昧に記憶している。

 けれどそんなに広くても使わない。王宮であるということで大手をふって寛げるとは思えず、移してもらったことは覚えている。


 部屋に連れてきたクラウスを寝室として使っている部屋に入れておいて、ジゼルは棚を探って小さな鋏を取り出してあとから向かった。

 寝室に立っているクラウスは物珍しそうに部屋を見渡していた。

 別に珍しいものは置いていないので見るべきものは存在しないだろうに。

 そう思ってから、そうか、部屋に入れるのは初めてだろうかと思い当たる。

 というよりも、この部屋に誰かを入れたことがあったかどうか記憶があやふやだ。そんな必要があることなどないので、たぶんなかった。

 ドアを閉めると、クラウスがこちらを向いた。


「なんだそれ、鋏?」

「この前見たとき枝毛が多かったから、いっそ切ってあげる。どうせ手入れしないのでしょう?」

「まあな」

「クラウスは寝ていてくれたらいいから」

「昼寝、付き合ってくれるって言っただろう」

「『付き添う』わよ」


 言い換えるとクラウスが騙したなという顔をするが、こちらとしては騙したつもりはない。

 ジゼルは十割善意で、そう言われるとは心外であるという気持ちだ。


「あなたはどういう事態を想定していたの」

「添い寝してくれるかと」

「あなたね……」


 呆れてものも言えないとはこのことだ。意味もなく鋏をショキショキと動かしたくなる。


「顔色悪いんだしいいだろう? 一石二鳥だ」

「顔色が悪く見えるのは気のせい。あとどう一石二鳥なの」

「俺は昼寝できるし、ジゼルも寝れる」

「私は別に眠くないか――」

「くまができてる」


 ふいに手が伸ばされて、両手で頬を包まれた。

 手を滑り取り落とした鋏が、音を立てた。

 はじめに驚いたのはクラウスのその動作よりも手の大きさだった。ジゼルの顔を覆ってしまうかと錯覚するくらいだ。

 ジゼルがそこに驚いているうちに、目の下を親指でなぞられる。

 長剣を振るい、魔物を一刀両断する手とは思えないほど優しい手つきで撫でられる。

 それにも、驚く。

 驚きを取り繕うように、ジゼルは焦りそうになった感情に目を向けず、口元に微笑を作って言う。


「少し、徹夜する用事があっただけよ」

「ほら寝ていないんだろ」

「だからといって私は眠くないからあなた一人で眠りなさ――」

「ジゼルはなんで今日俺の言うことを受け入れた」


 再び言葉を途中で遮られた。

 クラウスの手をはがそうとしていたジゼルは、その視線に気がつく。また真っ直ぐにジゼルを見ている視線だ。

 蒼い瞳とぶつかって、なぜかその目にたじろいだようになる。手が連動して動きが鈍り、口を動かすことを優先して答える。


「……あなたが疲れているようだったから。私も暇だったからよ」

「違う。俺が魔物討伐してきたと聞いたからだろう」


 即座に否定され、あまつさえ正確な指摘がなされる。動かしはじめていた手が、また鈍る。


「それは」

「ジゼルが将軍だからお礼だと言われれば建前としては成り立つだろうな」

「クラウス?」


 建前?


「でも違うだろう。じゃあなぜジゼルはそもそも将軍をしている? かつて堕ちた神を封じた乙女の子孫だからか? そこまでするか、子孫っていうのは中々に先祖に希薄なものなのに」


 おかしい。この流れはおかしい。

 違和感が生まれる。どうしようもない違和感だ。

 手を剥がして、鋏を拾って、元の通りに正すべきだ。

 今なら間に合う。

 それなのにクラウスの様子の違和感に引っ張られる。彼は何を言い出している?


「クラウス、」


 何もおかしくはないはずの言葉の端々から、次々と違和感が滲み出す。


「あなた、何を、どこまで聞いたの」


 声は震えなかった。

 ただ、ジゼルが思ったよりも声は固く響き、手は頬に添えられているクラウスの大きな手を握っていた。

 瞬きをすることなく、目の前を見た。





「ジゼル・ノースは呪われている」




 クラウスは変化しない声音でまずそう言った。

 ――そうだジゼルは呪われている。


「王宮に出入りし、ジゼルのことを頻繁に見ることのある者には周知の事実だ」


 そうだ。クラウスもそれは知っていることはジゼルも知っている。

 五度目にはじめて彼に会い、六度目となり生まれ直した姿でも会ったがためにデレックに尋ねたとしても不思議ではないと考えている。シモンズ家の子だ。

 それに、クラウスが言った通り、王宮ではそこそこ知られている事実だ。


 問題は、その先があるかどうか。

 ジゼルはクラウスの言葉を、いつの間にか息を潜めて待っている。


「約120年前、天上にいる神々の内、一柱の神が災厄の神と成り果てて地上に降りてきた。『堕ちた神』『災厄の神』と呼ばれることになるこの神はその名の由来の通り祝福を与える元来の神の所業ではない、正反対に災厄を地上に振り撒いた。

 地上を一方的に破壊し、人間の血と火により真っ赤に染め上げ、多くの人間が死んだ。絶望を描いたがごとき光景であったと言われている。このまま地上は滅びてしまうのだと端で身を寄せ合った誰もが思い、その瞬間を待つしかなかった」


 正確には119年前だ。

 語られるのは、神話に続けて語られることの多い『伝説』に沿った、国民が広く知る『真実』だった。ジゼルも知っている。


「しかしそこに現れた『救世主』がいた。――神々に祝福されし乙女。彼女は一人、災いをばらまく神に立ち向かい、聖なる力をもって神を封じることに成功した。地上は堕ちた神による災厄から辛くも逃れることができ、人々は喜んだ。

 しかしその一方、堕ちた神はされど神であった。封じられたはずの堕ちた神はなおもその力を振り絞り、自らを封じる人間の乙女を呪ってしまった。

 呪われた乙女は若き命を散らす運命にされ、その身のみならずその子孫に至るまで代々呪いは受け継がれることとなった。今もなお呪いは続き、もしかすると呪いを宿す乙女の子孫は、短命の運命を抱えながら生きているのかもしれない」


 ここで終わり。短い『伝説』。

 めでたしめでたし、堕ちた神のその後は詳しく示さず、筋を呪いに変えてさらに呪いというものも重さを緩和し、こうしてこの世界は無事なのだというハッピーエンドだ。


「今や『ただの伝説』になりかけている話だ」


 魔物の存在は堕ちた神が残した影響なのだと言われながらも、広くはもう昔のことだと思っていることだ。

 堕ちた神はもういない。神々の力を借りた乙女が封じ、振り撒かれた力が残っているだけだ、と。


「『自分の身を犠牲にしてまで国を救った英雄』『代々継がれる呪いは祖先である聖なる乙女の誉れ高き行いの証』。いい話だ、とてもいい話だよな」


 とてもいい話。その通りだ。

 きっとジゼルという『呪われた乙女』を実際に知らない人たちは、今もいるか分からない乙女の『子孫』を称えていることだろう。

 蒼い目に映るジゼルの顔は動かない。否、動けないのだ。少し混乱している。


 とても皮肉げな言い方のクラウスの目は、


「だが違う。嘘が混ぜられている。綺麗に綺麗にいいところだけを切り取って繋げて飾り立て、『いい話』にして隠そうとしている」


 蒼く静かに燃えている。


「この国に英雄なんていない。いたのは119年前、地上を救うためにその身を差し出すことを強要され、さらには封じた神に呪われた人間だ。呪いに捕らわれ何度も死んではまた生まれて、堕ちた神がこの世にそれ以上の災厄を蒔かないように祈り続けるという同じ役目を延々と背負わされ続けて――119年間生け贄となり続けている女だけだ」


 ジゼルの混乱は極みを迎え、超えてぐるぐると堂々巡りする考えは――止まった。

 クラウスが口を閉じ、合ったままの目は少しもずれずにジゼルを見つめ続ける。映り続けるジゼルの顔は……とても強張っている。



「――デレック?」

「いいや親父殿は何も言わなかった。本当なんだな、ジゼル」


 頷くことはできなかった。

 別に知っている者は他に何人もいる。いずれクラウスも知ることになっていただろうけれど、断片だけでなく全てを、まさか今だとは。

 嗚呼、どうしようもなく混乱している。

 落ち着かなくては。

 どういう意図でクラウスがこんな話をしているのかは読めないけれど、まともに会話できる気がしない。

 考え、落ち着き、ひとまず流そう。


 手が冷えていることに気がついてジゼルは身動ぎしつつ、口を動かしはじめると同時にすっと視線をずらす。


「……デレックでなければ誰に聞いたかは知らないけれど、事実であったとしても――」

「あったとしても、何だよ」


 困った。こういう展開ははじめてだ。

 実際に前にすると『救世主の子孫』としてありがたがるよりも、神々の祝福を大事とする国民性にとっては神に呪われているという部分で避ける人たちがほとんどだ。

 感謝はしているけれど、自分まで呪われては敵わない。そういうことだ。

 呪いは移らない……とは誰も確証を持って言えない。他ならぬジゼルも。

 堕ちた神の力の『残り』だとされる魔物はまだいるから、なおさらに。ジゼルとしてはかの神はまだいると知っているからなおさらに。


 その点を気にしないとしても、デレックやエルバートといった稀な人たちはそんな事実ないみたいに普通に接する感じだった。

 読めない。クラウスは事実を聞いて何を言おうと、何を考えているのか。

 どうして手をきつく掴むのか。

 いつの間にか、ジゼルがひきはがそうとしていた手は反対にジゼルの手を掴んでいたのだった。



 ──クラウスはためらいなくジゼルに歩みよる。それは彼の父親と同じだ。そこまでは。

 その上を行き、クラウスはためらいなくジゼルの手を掴む。触れる。

 ときおり、ジゼルは引きずられてしまいそうな感覚に陥ることがある。




 白い布に濃い、黒に限りなく近い灰色が散らばった。ジゼルの髪だ。

 どうされたのか、側にあったベッドに倒されてジゼルはクラウスに見下ろされていた。手首を両手でシーツにぬいつけられていた。


 変わった状況に目を見張り、手が動かせないということよりもジゼルが焦ったことがあった。

 それとなくを気にせず左右に目を動かす。良かった、どれだけ素早くしたのか服は乱れないどころか袖さえ捲れておらず、恐れた事態は起こっていなかった。

 呪いの模様を見られること。

 次いで、ジゼルは大きく跳ねた鼓動を深呼吸をせずに静かにゆっくり落ち着けていく。落ち着け。

 真っ直ぐに目を戻すと、クラウスの目も真っ直ぐにジゼルを見ていた。逸れず、射ぬいてくる蒼。

 ジゼルは逸らしたくなった。


「俺には関係ないって言うつもりか? 言わなかったもんな、こんなこと」


 言わなかったのは特別にではない。自ら口に出して言うことではないからだ。

 一度会っていて二度目会ったときに外見に不思議がられたことがあったら、苦し紛れになっても呪い以外につけられる理由はある。

 だいたい王宮以外でそうなることはなかったし、王宮では堕ちた神に呪われた子孫だと言うと伝説を知る人たちは驚く。

 こんなに身近に、それも普通の外見をしているとは思わなかったのだろうか。

 そう言われたことがあった気がする。今の神官長だったか。


 民は誰もが昔話だと思って、堕ちた神が今も不完全な封じの中にいるとは考えもしていない。

 身近な魔物だけは気にし、軍がそれを討伐するから安心し、特に脅威を感じない人が大部分だろう。

 そうして昔々からの習慣で神々に祈る。それだけ。


 そのために堕ちた神の『今』は塗りつぶされ、ジゼルが祈り続けていることも伏せられている。

 伝説が作られ、この国の民の不安材料は目に見えてしまう身近にあってしまう魔物だけにされている。それが目的だ。


「知ってどうするの」


 ようやく、声を出せた。


「そんなこと知らない方が反応に困らないでしょう。それは国の重要事項に含まれるからシモンズ家の当主となればあなたは知ることになったことよ。――クラウス、離して。いい子だから」


 「いい子だから」とはついて出た言葉だった。この状況でジゼルが出さねばならないと思って出た。

 上から見下ろしてくるクラウスにいつも通りに言うと、


「いつまで子ども扱いしてるんだよ」


 降ってきた声はえらく不服そう――違う、これは何の感情だろう。

 そんなことを言われても、ジゼルにとっては幼い頃から成長を見てきた友人の子どもだ。

 そうだろう。

 この状況を意識してはならないという意識がジゼルに働く。とにかくこの体勢を打破するべきだと、何よりも強く思った。

 呪いの模様を見られることが怖いのだと思う。

 この話を終えよう、終わろう、と。


「……こんなこと続けるのなら、追い出すわよ」


 クラウスが苦しそうな顔をした。

 ジゼルも息が詰まったわけでもないのに苦しさを覚える。眠気を自覚していないが寝不足のせいだろうか。








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