御曹司の提案



 普段では考えられないほど、唇を噛みひどく苦しそうな顔をしたのはクラウスだった。

 王宮から屋敷まで一言も発することなかった彼は、無言のまま屋敷に帰り自分の部屋に籠った。卓の上に置かれた手は端から見て分かるほど、きつく握られていた。

 なぜ、この手に力がないのだというように。



 クラウス・シモンズはそれからすぐに、剣などなんの役にも立ちやしないということを思い知った。

 動けば動くほど、幼い頃の方が何だってできたような気がした。ジゼルに求婚する資格なんてなかったことを思い知らされた。


 クラウスは旅に出た。



 ***







 現在、王宮の会議室の一つには異質な者がいた。

 政治に関わりこの場にいるほど重要な役職にあるわけでもなく、軍の高い地位にあるわけでもない。

 ここが貴族の集まりであったならば、彼がいるのは自然なことだったろう。

 つまりは貴族の集まりにふさわしいちゃんとした格好をしているわけであるが、この場は、残念ながら貴族の集まりではなかった。


 しかし中途半端な服装が認められない場ではあった。

 クラウス・シモンズは、政治と軍部の重鎮が長方形のテーブルの左右に別れて座し怪訝そうな視線を向ける中、扉から入って行き着くテーブルの前にいることが当然のようにあくまで自然に立っていた。


「昔、天より堕ちたとされる神の封じがいまひとつだと聞いて提案にきました」

「……それは君の父君、シモンズ公爵から聞いたのかね」

「いえ、父の口が軽いと思われるのは心外です。出所はあなた方の誰かとだけ言っておきます」


 微かに場がざわつく。

 ざわめきを収めたのは、国の宰相を勤める厳格な顔つきの男だった。


「ひとまず聞くことにしよう」


 提案とは何だ、と促しがなされる。


「簡単です。大昔に実際されたという方法を試し、新たな【救世主】を作ればいい」

「……何を言い出すのかと思えば」


 宰相は乾いた声を出した。


「具体的な方法を知っているというのかね」

「〈神降ろし〉でしょう」

「気安くそれを口に出すな。神官に聞かれてはかなわない」


 そっちが聞いたくせに、とクラウスは思ったが、笑いもせず無表情でもない微妙な加減のされた表情を動かすことはなかった。


「君は『それ』による過去の惨状を知っているのかね?」

「はい」

「死人を多く出せと言うのかね?」


 ――〈かみろし〉

 その名の通り、神を降ろすという不遜極まりない行為であり、119年前に堕ちた神に対抗するために人間が実行した方法だ。

 昔々、堕ちた神に荒らされた地上で、恐れおののいていた人々を哀れに思った天上の神々が助けてくださったというのが伝説の芯に語られている。

 しかし実際は神から助けてくれたのではなく、殺される順を待っているかのようだった人間が神に力を乞うたのだ。

 古来為されたという〈神託〉を受ける方法を応用して行った結果で〈祝福〉を受けたとされるも、単に祝福を受けたとはいえ人間が神に勝てるはずがない。

 実際は、身に人ならざる力と気配を宿し振るったことにより、神を宿したと言えたその方法を〈神降ろし〉と言う。


 神殿が怒り狂い強引に事を進めた王宮から距離を置いたのはこれゆえだ。

 神を降ろすとは何事か、と。

 地上が滅される危機にあったことは神殿には関係ない。そうなったとしても彼らは神々の思し召しだと捉えただろう。

 神殿にとっては神々は崇拝の対象、絶対的な存在だ。


 その神殿との確執はさておき、〈神降ろし〉に至るまではおびただしい数の死人が出たとされている。

 もちろん当時の状況においてはましな方だったかもしれないが、今するとなれば――


「運がよければ、一人目が神々のお眼鏡に叶うかもしれません」

「何を馬鹿げたことを!」

「馬鹿げたことでしょうか」


 戦さえ滅多にない世で多くの死人を出すことになるかもしれない〈儀式〉の実行を一層ざわつく場をよそに、クラウスは平然と勧める。


「馬鹿げているに決まっているだろう! わざわざするようなことではない」

「そうでしょうか。現在国に出る魔物は堕ちた神の封じきれていない力の欠片であるそうですね」

「……そうだとすれば何だ」

「神々の特別な祝福を身に宿した者が一人増えれば、完全に封じきれるのではないでしょうか」

「……魔物ならば軍が排除すれば良い」

「魔物により、稀にではありますが国民が殺されているのにですか」

「仕方がない。魔物に殺されるわけではないのに死人を出す方が問題だ」

「一人、神々が気に入る者が出れば解決するのにですか」

「今はそうするべきときでもないと言っているんだ! そうなったときに、そのときここにいる者が考えれば良い!」

「何年先のことですかね」

「ずっと先のことだろうな! 今は特に問題とするほどではないのだ」

「どうしてそんなにもしり込みしているのですか。――ああそうですね、死人を多く出すのが『人道的ではない』と仰るのであれば一つの可能性があるので提案があります」


 丁寧な口調を崩さず、自然な流れを意識して彼は続ける。


「高貴な人間を好むのかもしれませんから。どうですか、あなた方もご家族の中から次の【救世主】候補を出しませんか」



 場が一時静まり返った。



「差し出せないのですか」

「――当たり前だ!」

「何を言い出すのかと……ふざけるな!」

「クラウス・シモンズ、三家の者だからといって不遜が過ぎるのではないか。それに私も同意見だ。家族を死ぬと分かって差し出せと言うのか!」


 一瞬後にして非難の嵐が吹き荒れる。

 なんて素晴らしい家族愛だとクラウスは心の中で嘲笑った。でもまあ少しその話を出すのは早かったかもしれない。


「その思いをした人間が119年前にいることを忘れてはいないだろうか。そのとき強要したのは自分たちではないとでも言うつもりだろうがそうはいかない。今甘んじているお前たちは同罪だろう」


 口が滑った。

 クラウスは己の感情に任せたミスに顔をしかめそうになるが、再びの非難にさらされる前に押し通す。


「どれほどの死人が出ても隠すことくらいお手のものだろう。要は【救世主】ができれば全ては許されるのだろう?」

「だから――」

「今はそうするべきときではない、と。さきほど聞いたので結構。他の意見は?」


 国の重鎮共が目を交わす。


「……119年前は仕方がないときだった。犠牲はとうに出ていてどのみち人は死ぬ道しか見えていなかったというではないか」

「では今もそうなる可能性があるとしましょう。お忘れか、あんた方がいるこの下に堕ちた神は眠っている。力を洩れさせているんだ」


 不安要素を掻き立てる。


「し、しかしもしもそれをしたとしよう! 余計なことをして封じが解けてしまったらどうする!」

「今のままにしておけばこの国は安全だ! 民は守られる!」

「民を引き合いに出せば事が済むと思うなよ」


 クラウスとしてはこんなに長々と不毛なやり取りをするつもりはなかったので、思っていた以上の頭の固さと自己保身にため息が出そうだ。

 出そうになったため息の代わりに声を出すと、存外呆れたものが混じってしまった。それこそ「仕方がない」。


「どうしてそんなにジゼル・ノースを過信する? もう一度言うがその今だって堕ちた神の化身である魔物が出てきているじゃないか。最近は多くなっているんじゃないか?」

「それはジゼル・ノースの力が足りないからだ!」

「それを補おうとは思わないのか」

「補うために人が多く死んでは元も子もないだろう!」

「そうだ! 魔物ならば軍が排除すればいい、あとはジゼル・ノースが祈ればいい。彼女一人いれば十分だろう、なにせ死んでも生き返る」


 そのときはじめて、この場においてクラウスの表情が変わった。

 飽き飽きしていた感情が瞬時に消える。塗りつぶされる。


「……それが本音か」


 まるで全ての感情を消し去ってしまったかのような声、表情。さっきから薄々と生じてはいたそれに、外に出す声と表情は追いつかず、消えることになったまで。


 紛れもない怒りだった。


 嗚呼腰に剣でも下げて来ていたならば、せめてこの机にでも一思いに刺してやったのに。

 クラウスは無意識に手を腰にさ迷わせたが、腰には何も吊り下げられていない。こういうこともあろうかと置いてきたのだ。正解だった。


 そうだ。予想はしていてそれでも自分でしたのだから落ち着けとクラウスは一旦黙り、思考を冷めさせていく。

 ここに何をしに来たのか、それだけを考える。


「この話は無駄だ……」

「神殿に伝われば神々を愚弄しているとまた……」

「神官に聞かれでもすれば事だ……」


 腐りきっている。

 冷たい色彩の瞳を、より冷たく凍りついたような色にして、頭を冷やすことに成功したクラウスは目の合わない者共を見回す。

 神殿神官神殿神官。

 何に怯えている。怯えとしても対象を間違えているだろう。

 身近なものにしか目がいっていない。他のどこでもないこの建物の地下に堕ちた神が眠っているというのに、魔物は国の首都には出ないからといって平和ぼけか。

 今はそうするべきときではない、などと責任を負いたくないことが丸見えだ。

 不安要素を挙げてやっても目に見えないから結局「今」。それしか頭にない。

 「今」自分が生きている間は大丈夫だろう、それが続いてきたことが目に見えるようだ。


「ジゼル・ノースの限界が近づいている」


 一言、クラウスが述べた声に、ざわめきが少しだけ小さくなる。


「誰からとはこれもこんな場で言うつもりはないが、死ぬ時間が短くなってきているということだ」

「短く……とはどういうことだね」

「言葉通り、短命で死ぬ歳がどんどん若くなってきていると」

「それは」

「神々の特別な祝福は永遠ではない。天上の神々は直接地上に関与しないことを考えれば当然だ。一人の人間の在り方を永遠に変え続けることを望むと思うだろうか」


 それがどれほど先かはクラウスは知らない。

 おそらくまだ何十年も先のことで、少なくともここにいる全員が死んだ後のことになる。だがそれは言わない。


「ジゼル・ノースが、『本当に死ぬ』というのか」

「まさか」

「今の彼女の在り方のほうがまさかだと思うのだが、あんた方の感覚が狂ってるんじゃないのか? 忘れているだろうことをもう一つ思い出させておこう、彼女が神々の祝福というものだけで人間の身でありながら封じているのが堕ちたといえど『神』だということ。忘れてはいないだろうか? 魔物の出現の増加は何を表しているのだろう。誰かこの中に実際に封じを見たことがある者はいるのか?」

「……」

「いないようだな。それでよく大丈夫などと言えているものだ。どこからそんな自信がくるのか、どこに確証があるのか教えてもらいたいもんだ」


 実に呆れるしかない、数年前の自分はこれ以下で真実すら知らなかったと考えるとクラウスは笑えない。


、この国は今一度地獄に落とされる。

 そのときを怯え待つのか。今は大丈夫だとこの期に及んで考えてはいないだろうな。それこそ自らの家族を案じているとは、この国の民を守ろうという気概が感じられないことになる。確証なく不安定なままで民を守ると言えるのか? その前に手を打つべきだろう」


 今やその場はしん、と静まり返っていた。

 最初は場に違和感しかなかったクラウスの声だけが響く。


「疑うのであれば、ジゼル・ノース本人に聞けばいい。肯定しか返って来ないだろうから、その前に教えた俺に感謝して欲しいくらいだ」

「クラウス・シモ――」

「誤解するな。俺は確かにあんた方の許しを得に来てはいるが、それは表向き必要なだけで命令は必要としていない。ほとんど通達しているだけだ」

「――な、」


 まだ些細なことに激昂しようとする奴がいる。クラウスはその者を中心に彼らを見る。


「なあ俺には分からないんだが誰か分かる奴はいるのか?」


 こうやって自分たちのことしか考えていないお前たちは。


「119年。分かるのか、あんた方にその長さが、これから先の長さも。死に生きを繰り返すことはどのような感覚だろうな」


 クラウスには分からない。計り知れない。

 どうすればあんなに笑っていられるのかも。

 119年、死んで生まれ直して六度目だという。それも歳もろくに重ねることも許されずに二十何年で細切れにされているというではないか。酷だと思わないのだろうか。


「別に責めているわけではない。ジゼルを生け贄にした本人たちは119年生きられるはずがないから、先祖に当たるかもしれないがここにはいない。そして俺に責める権利はなく、権利を有するジゼルはあんたらを責めない。

 これから方法を実行するにあたって直接手を汚せと言っているわけでもない。『生け贄』を命じるのは人の心がある限り辛いだろうからな」


 クラウスが言いたいことは、ここで望むことは一つだ。


「だから俺にその権限を寄越してくれ」


 どうせお前たちは責任を負いたくないんだろう。


 シモンズ家の嫡男が手を汚すという最終的な発言に、誰もが逸らしていた顔をクラウスに向ける。

 クラウスは真顔で本気であることを示し、反論していた者たちは口を開けど声が出ない様子だ。

 無理もない。何も言えないように外堀が埋められていた。

 全てがクラウスの指摘した通りではその時が来るとはどこかで分かっており、だからといって頷くべきか。


 ある者は隣の者と視線を交わし、ある者は視線を迷わせ……ひたすらに続いた沈黙は、平然とした声に破られた。


「だがきみが言う方法は神殿によって隠されていると聞き、我々は〈神降ろし〉という名前と結果を知れどもそれに至る細かい方法を知らない。それに関してはどうなのだろうか」

「考えてある」

「では詳しい話を聞こうか。私には聞くだけならば余地があると思うのだが、皆さんはどうだろうか」


 最後にテーブルにつく他の者を見回し促したのは、エルバートだった。




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