第8話 消えない呪い 2

 ──あと何回繰り返せばいい?


 あと何回、繰り返したら。


 私は褒めてもらえるのだろうか。


 満点のテストがゴミ箱に捨てられている。

 せっかくもらった賞状も、破られてテストと一緒に捨てられている。


 妹の作文の賞状は『入選』でも、ちょっと高めの額縁に入ってリビングに飾られている。


 ──ねぇ、母さん。私、『優秀賞』とったんだ。褒めてくれないかな。

 ──ねぇ、父さん。私の方がいい作品だったんだ。私も外食したいな。


 ──一度だけ。それだけでいいから。


 そう思うのは、傲慢なんだろうか。

 そう自慢するのは、罪なのだろうか。


 何も言わずに我慢するのは、弱さなのだろうか。


 ***


 顔に出るほどの落胆、絶望、悲哀に胸が染まっていく。青年は土を払って高笑いした。

 以津真天の嘴か刺さる胸から急速に力が奪われていく。それと同時に体が透けていった。


(マズい。魂を食われてる······!)


 対処するには遅すぎた。抵抗する力は私に残っていない。私はだらんと腕を下ろす。視界は霞み、暗くなっていく。傍にいたはずの千代の、悲鳴に近い叫びが遠く聞こえた。




「破ッッ!!」




 金色の牡鹿が鳥を突き飛ばした。嘴が抜けた私は木の根に胸を打ちつけて呻く。

 前にもあったような、と考えている間に千代が私を起こしてくれた。私が牡鹿が飛んできた方を見やると、生馬が刀を抜いて青年と対峙していた。



「ダメじゃん。女の子をいじめちゃあ」



 いつもヘラヘラ笑っている生馬が珍しく怒っていた。普段見ない生馬の表情に千代も驚いた。

 生馬は口元に笑みを浮かべてこそいるが、目は笑っていない。真っ直ぐに以津真天と青年を睨み、感情を制御しているようだった。


「妖怪は、魂を喰うもんなんだよ。食事を怒られるなんて初めてだね」

「そうかもしれないけど、奏ちゃんはダメ。僕の家族なんだもん」



「知らないよそんなの」

「だよね。今すぐ死ぬんだもんね」



 そう言うと刀の切っ先を、を大地にかざすように下ろした。生馬から金色のオーラが溢れ、刀に集まっている。辺りから土の音が強く聴こえた。




「悪鬼を還す大地の鉄槌 金剛石の加護を刀を捧ぐ」




 刀に宿った光は金剛石に変わった。陽光を浴びて白く煌めくそれは、言葉に出来ない美しさだ。


 生馬の剣撃を見る前に、私は千代に引っ張られて木の陰に隠れた。千代は袖から握り飯のつつみを出し、手早くそれを開けると、私の口に握り飯を突っ込んだ。


「もがぁっ!!?」

「とりあえず食って、少しでも回復しな。アタシの力じゃ、あんなの倒せない。生馬なら尚のことだろうしねェ」

「(モグモグ)······ゲホッ! まぁ、そうだよな。でも生馬ならいけるんじゃない? 今スゴい術使ってるし、やる気満々だし。勝てそうだぞ」


 握り飯を貪る私に千代は苦笑いした。煙管をふかすと「実はねェ······」と遠い目で教えてくれた。





「生馬に剣術なんざ出来やしない。あいつぁ、ポンコツ侍なのさ」





 私は反射的に生馬の様子を覗き見た。そこにさっきまでの格好良さはない。牡鹿を従え、刀を持っているにも関わらず、素手の青年に圧倒されていた。


 たしかにへっぽこ。基本たるすり足も出来ていなければ、刀の振るい方も危なっかしい。素人の私でもわかるくらいに、生馬には基礎という基礎がなっていない。どうして今まで生きてこれたのだろうと疑問に思うほど下手くそだった。


 別の仕事をしている望月を呼ぶか? けれど呼んでいる間に生馬は負けるだろう。かといって私がすぐ回復して応戦出来るわけもない。今、千代が側を離れたら、私が危険だ。



 ──詰んだ。どうしようもない。



 私がどう生馬を助けようかと悩んでいると、左手に木の根が触れた。木を見上げてため息をついた。

 ブナの木は葉を揺らし、風を生み出す。


(──ブナ? ブナの木だって?)


 辺りを見回すとブナの木だらけである事に気がついた。今更ながら、薄ら寒いとも感じる。ここは東北、そしてブナの木だらけの樹海。





「千代姐、ここってまさかさぁ······」

「あン? 白神山地だけど」





 それを聞いて思わず立ち上がった。


 やった。勝てる。あの忌々しい鳥に。


 そう思っただけで力が湧いてくる。勝利を確信して傍にある木に手を重ねた。目を閉じて音を聴く。······が、背中を鷲掴みにされて放り投げられた。


「でっ······!!」


 急いで起き上がると、目の前に鳥の鉤爪が迫っていた。背中を逸らして爪を避けて、鳥に札を投げつけた。風をきって飛んだ札を、あの鳥はいとも容易く払いのける。


「蝶よ 悪しきを祓う風となれ」


 千代の小さな式神が集まって大きな蝶に化けた。羽の一振り一振りが、突風並の威力を発揮して鳥をその場にはりつけにする。その隙に、私は一際大きな木に手を伸ばした。


 だが、何かが足をすくった。伸ばした手は土を握る。振り返ると大きな口を開いた女が、倒し損ねた二口女の姿がそこにあった。



 ──終わった。私も年貢の納め時だ。


(生馬、千代姐、ごめんな。頑張って逃げて)





「あらぁ、私の膝元で何してるのかしら?」




 柔らかい声がコロコロと笑う。

 気がついた時には、二口女の動きが止まっていた。二口女の足をブナの木の根が絡んでいる。ブナの根っこは、二口女に絡んだまま成長を始めた。


 根が足に刺さり、体の中で大きく育っていく。ブナの木の枝が悲鳴を上げる二口女の体から生え出して、ひたいまで貫くと、二口女は黒い煙をあげて消えた。そこに残るのは新たなブナの若木だけ。

 私は足下に転がった球体を拾い上げて、ポケットに突っ込む。



「ありがとう。生羅せいら

「あら、ようやく私の名前を覚えたのね」

「だって、木の精霊は数が多いんだもん」



 見上げた木の上に、優雅に座る女性がいた。彼女は白神山地に棲まう、ブナの木の精霊だ。生羅は手にした鈴を二振りして、自身が座る木の枝を伸ばす。枝葉は以津真天と青年を締めつけ、ひょいと持ち上げた。



「私の領域を汚すなんて、許さなくてよ」



 もがく青年と以津真天に生羅は鈴を鳴らしてさらに、畳み掛ける。木の根が青年の足に絡み、さらに根を張り養分を吸い取った。

 悲鳴をあげる青年に生羅はクスクスと笑った。


「最期の言葉くらい言っても良いわよ。聞いてあげるから」

「見くびるなよ······。たかが木の精霊如きが、上にも下にも逝けないクズ幽霊如きが! この僕に、かなうはずが、ないんだ!」





『 イ ツ マ デ モ 』





 青年の叫びに応えるように以津真天が鳴いた。私の心臓にまた痛みが走る。地面に崩れた私の前に、また見えるローファー。また、あの怒りが身体と心を支配した。



『消えちまえよ。誰かに頼るしか能のないお前なんか』


 ──うるさい。



『いつだってそうだ。死んでからも誰かに頼ればなんとかなるって思ってる』


 ──うるさい。



『生きてる時だって、困れば逃げてばっかり。努力を重ねるなんて発想もなかったじゃないか』


「───うるさい!」



 青年から笑みがこぼれた。





「生きることさえやめたお前がっ、ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」





 私の叫びが風を呼び、木々を幹からしならせ、青年たちを捕らえた枝を折った。青年は鳥に乗って逃げ、千代は私を止める前に吹き飛ばされた。


「奏ちゃん! 落ち着いて!」

「逃げてばかりだとか努力をやめたとか、『お前』がやった事じゃん! 出来損ないは『お前』の方だろ! 偉そうにしてんじゃねぇよ!」


 生馬の制止も聞かず、私は暴走を続ける。黒雲を集め、雷を轟かせ、命を絶やしかねない嵐をまき起こす。

 手の形が変わる。大きな黒い爪の生えた手に。

 足の形も変わる。歪な獣のような屈強な足に。

 全てが憎たらしい。全てが恨めしい。


 私が鬼に変わるその刹那、千代が私の頭を思いっきり殴った。


「奏! 我を失うんじゃないよォ! 気をしっかり持ちなァ! あんたは出来る子だから! ちゃんと出来るから!」


 千代の後ろを飛び出して、生馬の両手が私の頬を包んだ。いつもの優しい笑みで、異形化した私に言った。




「奏ちゃん。向き合うべきものを間違えないで」




 向き合うべきもの───?




『消えてしまえよ。お前なんて人間は!』




 ───もしかして、『私』じゃないのか?






「奏さん、ごめんなさいね」


 生羅の鈴の音が聞こえた。その直後に背中に激痛が走った。体の中を伸びる木の根の感触と、ほんのり吸われていく魂の灯火。注ぎ込まれる木の霊力が私の中で根を広げる。わずか数秒で力尽きた私は、生馬の胸にぽすんと落ちた。真っ暗な世界で思い出す、水の精霊と生馬の言葉。



『受け入れろ』


『向き合うべきものを間違えないで』



 私が受け入れるものは、何だと言うのだろうか。私の向き合うべきものは、一体何だと言うのだろうか。


 まだ分からない。まだ、分からない。

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